▽こんこん11-5 飼育室
「助けてやると言ってるんだ」
半人たちを捕獲し、研究する施設の最奥。飼育室と呼ばれる部屋。
冷たい巨大空洞にレョルの声が反響する。
整然と並べられた悍ましいぐらいに清潔な机の上には、几帳面に等間隔で置かれた研究器具の数々。
部屋の片隅には保管庫。餌。水。という表記。
ビルの内部をくりぬいたような飼育室の壁の一面は異様な設え。
煙をはりつけたように不透明な壁。
その一部だけが切り取られたように、透明になっていた。
それは檻だった。
虫かごにも似た檻。
檻の前にはベンガルトラの半人であるレョル。檻のなかで身を縮めるのはドードーの半人。
檻は入居者の存在に気づいていないかのような殺風景さ。動物用のおもちゃがいくつか散らばっているぐらいで、身を隠す場所もない。檻の奥の壁には頑丈な蓋つきの通気口と、餌や水などの供給口。それ以外の開口部はない。床にはタイルのような模様。糞尿を感知すると。タイルの一区画が組み代わって処理、採取できる仕組み。
ドードー人間の檻の仕切りはいまは透明になっているが、普段は調光機能のスモーク処理で目隠しされている。被験体を観察するときのみ、外部からの設定で透明状態にされる。レョルがその操作をして、ドードーの檻の仕切り壁のみをクリアにした。
煙った壁はドードー人間の檻の左右や上部に向かってずっと続いている。その全てが檻。上下左右にぎっちりと檻が積まれているのだ。
調光機能のあるこの仕切り壁はアクリルや、強化ガラス、ポリカーボネイトよりも強力な防壁。防音性にも優れる。レョルは外部にあるマイクを檻内部の通話装置とつなげて、ドードー人間に話しかける。
しかし、ドードー人間は泣くばかり。会話にならない。
仕切り壁のスモークが解除された瞬間、ドードー人間は恐慌状態に陥った。
外にはいつも顔を合わせる飼育員ではなく、血まみれのトラ人間がいた。
飼育員は白衣ではなく赤い服を着て、その足元に横たわっていた。やさしい笑顔の、気の良い飼育員だったのに。
――これが、あの警官の言っていたことか。
ドードーは後悔していた。
ある若い警官に、ドードーは取引を持ち掛けられた。外に出してもらう代わりに研究所内の情報を提供した。ドードーはこの研究所に収監されて長い。意図せずにではあったが、内部のことにもずいぶん詳しくなっていた。
ドードーは外に出たかった。苦痛を伴う研究から解放されたかった。実験動物の地位から脱却したかった。けれど、自由がどのようにしてもたらされるか、長い飼育生活によって衰えた脳では想像できていなかった。
過程がすっぽ抜けた結果だけが頭のなかにはあった。
内から、外へ。
自分が檻のなかから外にテレポートするとでも思っていたのか。それに近しい考えはあった。とにかく想像力が欠如していたとしか言えない。
ドードー人間は、もはや人間よりも、ドードーにほど近い姿。実験の賜物。開発された促進剤を投与され、動物化を早められた。ドードーというゴールに向かって肉体は加速し、一気に飛び込もうとしていた。
人毛は羽毛になり、全身を被おうとしている。口は角杯のような大きなくちばしへ。耳介はなくなり、両腕は短い翼に。足は鳥足に変化している。翼はあるが、ドードーは飛べない鳥。羽ばたいても、体が浮きあがることはない。お椀型に変形した体はひどくすわりが悪い。けれどまだ人間の面影が完全に消えたわけではないので、できそこないのハーピーか、カラス天狗のよう。
ドードー人間は布一枚すら与えられていない生まれたままの姿で、まさしく飼育動物として檻に入れられ、”飼われて”いた。
思考能力が奪われるのも当然のことだった。
レョルはドードー人間の震える肩をしばらく見下ろしていたが、やがて侮蔑と共に見限って、透明の仕切り壁をスモークに戻した。カーテンを閉じるように、ドードーの姿は見えなくなる。
レョルの肉体でも半人化は進行していた。
四肢の膝や肘の先はほぼトラ。尻尾も生えた。髪は黒と黄色の縞模様に。トラの毛衣は頭頂部から浸透するように、顔全体に広がりつつある。口には巨大な犬歯。それをおさめるために顎の形も変わってきた。
かなりの部分がトラになった。けれど、まだ大枠では十分に人の形だと言える。人間とトラを両端に置いた線を引くならば、レョルはまだその中間から人間寄り。
レョルは人間らしく二本足で立って、広大な飼育室を見上げた。
一面のスモーク壁。半人がおさめられたおもちゃ箱の山。ドードー以外は外の異変を知ることもなく過ごしている。
檻はひとつひとつが独立したユニット。操作すればパズルのように組み代わる。検査や調査が必要な半人は一段目に下ろされ、カメラによる経過観察のみで問題ない者は二段目や三段目、もしくはそれより上の場所に置かれる。
――まるで蜂の巣の断面だな。
レョルは考える。
蜂の巣ならば、これを作ったのはミツバチがスズメバチか。研究員たち。トラに全滅させられたハチ。
――トラとハチか。
思い浮かんだ言葉を頭のなかでかき混ぜる。
ハチという生物はデータでしか見たことはない。トラとそっくりの模様を持つ昆虫。黄色と黒の縞模様。同じ色合い。しかし模様の持つ役割は正反対。ハチのそれは目立つための模様。自身が針を持つ危険な存在だと知らしめるためだ。トラは違う。目立たないための模様。森林の風景に溶け込み、獲物に忍び寄るための模様。
――真逆な性質を持つ俺たちは、はじめから相容れない存在だったに違いない。
そう考えて、虐殺を人間の心に納得させる。トラの心には納得など必要ない。
ドードーと交渉できないのは残念だったが、レョルの目的はドードー自体ではなかった。
レョルがこの場所にきたのは手勢を求めてのこと。
政治家だったレョルの父は親カリス派の筆頭だった。だが、機械に従うのではなく、機械を従わせることを画策していた。そのための計画実行直前に父は死んだ。カリスに排除されたのだ。父が死んで、母と妹の心には巨大な亀裂が残された。壊れたものはどうやっても修復できなかった。亀裂が深く、歪になるばかりだ。そして、その亀裂はレョルをも呑み込んだ。
カリスは機械惑星の核に巣食う寄生虫。排除すべきだ。機械惑星で暮らす全ての生命のために。レョルはそう信じた。しかし、これが復讐であることも否定はしない。
カリスは強大。カリスを確実に討つためには、どうしても手勢が必要だった。
いっそ檻を全て開いてしまおうか、とレョルは刹那思ったが、すぐ引っ込める。
何名かは檻から出す前に懐柔しておく。そうして、こちらに与する者を仕立てておいてから、広く交渉を行ったほうが、最終的な手間は少なくなるだろう。
ドードーの隣の檻のスモークを晴らす。
その檻のなかにマイクをつないで呼びかけた。
「俺の声が聞こえるかな。君を助けにきたんだ。話を聞いてくれるね」
半人化のせいで喉の調子が悪い。トラのうなり声のようなものがどうしても混じってしまう。威嚇にとられないように、できるだけゆっくりと喋る。
檻のなかにいたのは植物の半人。
足が根化して、指先は枝化している。蔓のような細い枝には緑の葉っぱ。葉の先は尖り、三枚が一組になっている。髪にも蔓が混ざり、髪飾りのように花が開いている。紅色がかったピンクの花びらが層になった、美しい花。けれど、植物に詳しくないレョルにはなんの花かは分からなかった。
収監者データにはつながらない。研究員が死の間際にデータの流出防止処置をとった。警官として研究所を訪れた際にドードーをはじめとする何名かのデータの確認を許されはしたが、データ閲覧には多くの制限があった。レョルが知っている被験者はほんのひと握りだけ。
――植物族の女か。
一糸まとわぬ姿だが、異性の裸体にも特別な感情は湧かない。そんな感情は人間の肉体と共に削ぎ落された。レョルには服を着ている自分のほうが、この場においては滑稽だと思えたが、衣服を脱ぎ捨てる気にはならない。衣服は人間の象徴。カリスを討つまでは人間でいなければ。カリスは野性による暴力ではなく、理性による復讐の炎に滅ぼされるのだ。人間が、カリスにとどめを刺すのだ。
いくら話しかけても檻のなかの植物女に反応はなかった。
からぶり。これも役に立たない。
次だ。もたもたしてはいられない、ざっと声をかけて、まともな奴を選別することとしよう。
植物女の檻をスモークで隠して、さらに隣の檻の壁をクリアにする。
こちらも女。ゾウ女。鼻の形からアジアゾウ。昔、トラの群れに所属していたバトルマニアを思い出す。ピュシスの遺跡探索部隊の一員に任命し、調査を命令したが、帰ってはこなかった。こんなところにいたとは。
ゾウ女がレョルに気がついた。透明の仕切り壁を叩いてなにかを訴えている。だが、まだマイクをつないでいないので声は届かない。ゾウの怪力によって、壁がわずかに振動するが、強力な防護壁はそれで壊れるようなことはない。
言うことを聞くだろうか、とレョルは考える。ゾウは強い。味方に引き込みたいところだが、反抗されては面倒だ。いざとなったら牙で黙らせればいいが、それすら一苦労。
ゾウ女は明らかに外に出たがっている。
一度、言葉を交わしてみるか、とレョルがマイクの操作をしようとした瞬間だった。
飼育室の入口に、何者かの気配。
――生き残りか?
即座に身をひるがえして四足になって伏せる。机の陰におさまって、闖入者を確認。
何者かが荒々しく足を踏み鳴らして、突撃してきた。
轟音。振動。
それもまたゾウ。
顔から伸びた長い鼻。
口からは牙も覗いている。
こちらはアフリカゾウ。子ゾウだった。




