●ぽんぽこ11-9 ワニ、ワニ、ドラゴン
昇る朝日に照らされた中立地帯の川の中州で、第一回戦で戦っていたイリエワニと、コモドオオトカゲの群れの者たちが集まっていた。
超々巨大ワニであるイリエワニとナイルワニの二頭が陸に上がると、それだけで中州の大部分が埋まってしまう。ナイルワニはコモドオオトカゲの群れの副長。二頭のワニは両者ともがキリンの背丈を超えるほどの体長。残ったすき間に数頭の体が差し込まれると、それだけで中州はぎゅうぎゅう詰めに。しかたがないので、小柄な者たちは仲間の背中に乗っかって積み重なることにした。するとブレーメンの音楽隊さながらのピラミッドが形成される。
試合の結果は防衛側のイリエワニが守り切っての勝利。
いま、イリエワニの群れのアオサギが、第二回戦に向けてヘラジカとラーテルの試合の結果を確認しに飛んでくれている。
「やっぱ先輩は強い」
イリエワニが、戦でのコモドオオトカゲの苛烈な攻めを思い出してそんな言葉をこぼすと、隣に並ぶコモドオオトカゲは緑褐色の太い尻尾で、イリエワニの横腹をバンバンとたたいた。
コモドオオトカゲはこの場の巨大ワニたちには及ばないながらも、地球ではブタやヤギを丸呑みにしていたというデータが残っているぐらいには大柄な体格。
「勝った方は”俺が強い”でいいんだよ。そうじゃないと嫌味に聞こえるぞ」
「そんなつもりはないけど」
苦笑いするイリエワニに、
「いやだわ!」と、その正面にいるナイルワニが大きく口を開けた。頭に乗っていたパンサーカメレオンは直角に近い角度の滑り台からゴロンと後ろに転がされて、さらにパンサーカメレオンの背中に乗っかっていたナイルチドリが飛び上がって空に退避する。
「ドラ様が」と、ナイルワニが言うのはコモドオオトカゲ、別名コモドドラゴンのこと。「負けたわけじゃありません。ドラ様はいっちばん強いんですもの。あたしたち親衛隊の力が足りなかったのよ」
「またはじまった」
コモドオオトカゲの背中に乗っかったムカシトカゲが嘆息するのにもかまわず、ナイルワニは興奮して、
「卑怯だわ! 卑怯だわ! そこの花に」スイセンの植物族に向かって勢いよく鼻息を噴射して「誘引されてしまったのよ。卑劣な罠だわ!」
騒ぎ立てるナイルワニをコモドオオトカゲがぴしゃりと叱りつける。
「そのぐらいでやめとけ、ナイルワニ。お前、罠うんぬん以前に、作戦を無視しただろ?」
戦にて、ナイルワニはイリエワニを発見したとたんに事前に計画していた進攻ルートから外れ、ワニの神セベクの神聖スキルを使って、独断専行による突撃を決行していた。けれど、無謀な単体突撃はスイセンが持つナルキッソスの神聖スキルで咎められる形となって、攻撃をそらされたあげく、あえなく返り討ちに。
「……それは。イリエワニが見えたから、その、皆のために、早めに敵の長を、討ち取らなきゃと思って、です」
しゃちほこばってのけぞりながら、ナイルワニは言い訳じみた言葉を並べたが、コモドオオトカゲの無言の圧力に一転してさめざめとした泣き声をスピーカーから響かせる。
「だって、だって。最近のドラ様はイリエワニの話ばかりするんですもの。ワニならあたしがお傍にいるのに……」
コモドオオトカゲの群れの者はおおむね察していた理由。なにせ戦がはじまる前から、イリエワニ許すまじ、の思想を態度の節々からにじませていたのだ。
しぼむようにして、うつむいてしまったナイルワニを、イリエワニの頭の上から顔を出したムササビが覗き込む。
「嫉妬してたの?」と、聞かれると「まあ!」と、身もだえ。
「騒がしくてごめんねえ」
小鳥のナイルチドリがナイルワニの鼻先にとまって謝る。すると、中州のはじっこに立っていたヒクイドリが首を伸ばして、
「普段のうちの群れの方がよっぽどやかましいよ」
と、川に浸かっているバイカルアザラシやオオサンショウウオに同意を求めた。
ふたりが水面に顔を出して「そうだよ」「こんなの騒がしいうちに入らないよ」と、うなずくと、コモドオオトカゲが「そりゃあいい群れだ」と、大笑いして、それに釣られたようにお互いの群れの者たちが顔をほころばせた。
「しかし、ホントにコモドオオトカゲは強かったよ」
ジャコウネコ科のビントロングがヒクイドリの背中で丸まりながら言うと、
「そうでしょう。当然です」
いつの間にか気を取り直しているナイルワニがふんぞり返った。
コモドオオトカゲは地球における最大級のトカゲ。ノコギリ状の歯は容易に肉を切り裂いて、歯のあいだにある複数の毒菅から分泌される毒は、血液の凝固を妨げる。その毒によって傷口から流れ出る血は止まらなくなり、獲物をそのまま失血死させるという凶悪な戦い方をする。体が大きいからといって鈍重というわけでもなく、小型犬と同等ぐらいの走力も持ち合わせているという、怖ろしい肉体。
戦で相対すれば、大抵の者は死を覚悟せざるをえない相手。
さらに所持している神聖スキルが強烈。
さきほどまで行われていた戦でも、イリエワニの群れを壊滅寸前にまで追い込んでいた。
戦開始からイリエワニは攻守の鍔迫り合いをわずかに制して相手の戦力を順調に削り取っていたが、そんな戦況を一変させたのがコモドオオトカゲの神聖スキル。
そのままでも十分な強さの肉体が見上げるほどの大きさに膨れあがって、イリエワニの縄張りである湿地帯を巨体で蹂躙しはじめたのだ。
コモドオオトカゲがスキルで変じたのは、その別名にもある、ドラゴン。竜だ。リンドヴルムと呼ばれる怪物。そのなかでも翼を持たない、リンドドレイクと呼ばれるものであった。
猛進してくる竜一体に対して総力戦の様相を呈し、長のイリエワニと共に仲間たちが集結して戦った。
ヒクイドリが地上を駆けて蹴りを放つ。人より大きな体格を持つ、飛べない鳥。世界一危険な鳥とも呼ばれていた鳥で、鮮やかな青い顔とブレードのような半月型の鶏冠が特徴的。恐竜のように立派な三本爪は世界一危険という肩書通りの威力。
川辺にはオオサンショウウオとバイカルアザラシ。ふたりでリンドドレイクを沼に引きずり込んでの足止めを試みる。
オオサンショウウオは両生類の最大種で、その体長は大型犬以上。ぬぼっとした温厚そうな顔をしているが、れっきとした肉食であり、裂けて見えるほど大きな口のなかには、鋭利で細かな歯が並んでいる。
そしてバイカルアザラシはピュシスでは非常に珍しい海獣。ピュシスには海が存在しない。海獣とは海に生息する哺乳類を示す。海のないピュシスには居場所がないかと思いきや、このバイカルアザラシはアザラシのなかで唯一、淡水のみに生息する種。十分にこのゲームに馴染んでいた。
どれもタフな動物たちだが、流石に竜が相手では、真っ向からぶつかっても勝ち目はない。
全員がスキルを駆使し、連携をとって戦うことで、ゴール目前まで迫られたギリギリのところで撃退に成功。しかし、受けた被害は甚大であった。
そんな竜殺しの神話さながらの大立ち回りが演じられていた陰で、そろりそろりと進攻してきていた敵もいた。パンサーカメレオンとバルカンヘビガタトカゲ。
カメレオンは言わずもがな、体色を変化させ周囲の風景に溶け込むのを得意とする動物。森の忍者と呼ばれる動物は複数存在するが、忍ぶ、ことに関しては、そのなかでもこのカメレオンは特出していると言える。
そして、もう一匹のヘビガタトカゲはアシナシトカゲ科に属するトカゲで、名前の通りヘビ型をしている。四肢が退化して失われているのだ。だからトカゲでありながら、姿はヘビそのものという、なんともややこしい生き物。
湿地帯に生える樹々の枝を伝って、カメレオンが気配を殺して歩を進め、ヘビガタトカゲがにょろりにょろりと草むらの影を進む。
けれど森の忍者と呼ばれる者はイリエワニの群れにもいた。ムササビの術の名前にもあるムササビ。ムササビが樹々のあいだを縦横無尽に飛び回ってカメレオンを発見し、さらにはジャコウネコ科の最長種であるビントロングがヘビガタトカゲを撃退した。
長と伏兵を失ったコモドオオトカゲの群れは攻め手を失い、瓦解。
防衛側のイリエワニが勝利した、というのが戦の大まかな流れであった。
「惜しかったのになあ」
ヘビガタトカゲが残念そうに言うと、
「もうちょっとだったね」と、ホウセキカナヘビが同じように悔しがる。
このホウセキカナヘビは名前にヘビとあるがトカゲの一種。アシナシトカゲとは違って、きちんと四肢が揃った、まっとうなトカゲの姿。
そんなふたりに、川のなかからオオサンショウウオが、ぬめった体をくねらせながら、
「いい感じに拮抗してたよね。楽しかった」
「こういう試合が一番面白いよなあ」
と、ヘビガタトカゲと、ホウセキカナヘビが同意を示す。
中州に身を寄せ合って、戦の火照りを惜しむように、ふたつの群れの者たちが入り乱れて会話を弾ませる。
けれど長のイリエワニはというと、ひと足先に酔いが醒めてしまったかのように、ぼんやりと巨体を泥めいた土に沈めて、尻尾の先でぐるぐると川の水をかきまぜていた。
「えらく気合が入ってたな」
コモドオオトカゲが妙におとなしいイリエワニに話しかける。イリエワニは川に浸した尻尾を揺らしながら、それほど明るくもない口調で、
「まあな」
「優勝したら地下に潜るわけだが、道に迷ったりしないようにな」
保護者のような言い草に、イリエワニは肩をいからせて、
「先輩は心配症すぎだぞ。それに優勝はあと三回勝ってからだ」
「そうだな。負けたおれが先輩面するのもおかしかったな」と、牙を見せて笑い、「お前はえらく立派になっちまった。きっと優勝もするさ」激励の意味を込めて、尻尾でイリエワニの横腹をたたく。
「言われなくても優勝するつもりだ」
そう言うイリエワニの口調があまりに強硬な印象だったので、コモドオオトカゲは首を傾げた。
「なんだお前。優勝したいのか?」
「当たり前だろ。参加したからには当然じゃないのか」
「そりゃ、そうかもしれないが」
コモドオオトカゲはどちらかと言えば、自身の群れが優勝するか否かはどちらでもよかった。重要なのはその先。
「いや、おれは義務というか、ピュシスがサ終するだのなんだの言われたら、もちろん止めたい気持ちはあるし、後で後悔しないように、やれることはやっておきたいって感情の方が強かったかな」
「ああ。そう言えばそんな話もあったなあ」なんて言うイリエワニに、コモドオオトカゲは「なんだそりゃ」と、首を持ちあげて割れた舌をペロンと出した。川に吹く冷たい風が、中州に茂るまばらな草のあいだを抜けて、舌の先をほんのりと湿らせる。
「そのためのトーナメントだろ。大丈夫かお前。趣旨を理解してるか?」
「大丈夫。大丈夫」
「本当に大丈夫か?」心配する声に、
「大丈夫だってば」と、反発するような答え。「優勝するって」
「いや、心配してるのはそっちじゃなくてだな……」
言いかけて、スピーカーを閉ざす。
――なんか、様子がおかしいな。
イリエワニの頭の上にいる副長のムササビに目を向ける。すると、視線を察した小動物はぷるぷると首を横にふった。
コモドオオトカゲはイリエワニのそばからそっと離れる。イリエワニはそれに気づきもしなかった。
密集する動物たちの隙間をぬって、中州のはしっこで咲くスイセンの元へ。
「あいつ。どうかしたのか」
「気負ってるみたいです」と、可憐に咲くスイセンの黄色い花が川風に揺れる。
「そんなタマだったか?」見渡して「そっちの群れの奴らは、あいつが思いつめるほど優勝したがってるのか」
すると「違います」と、断言されて「もっと、個人的な理由みたいですね」
「個人的に優勝したい、ってなるとアレか」
「だと僕は思いますね」
なるほど、とコモドオオトカゲは目を伏せる。
――お願いごと、ね。
子供じゃないんだから、と思ったものの、自分も遊びに真剣な大人なのでなにも言えない。
「ふむ」
顎を雑草でかいて、まぶたを閉じる。
イリエワニとはトラの群れで出会った。初心者だったイリエワニにピュシスの遊び方の基本を教えてやっていると、先輩だなんて言って慕ってきた。豪快そうで、意外と不安になりやすいらしく、それをはねのけようとしてか、思い込んだら勢いで行動してしまうところがあった。巨大すぎる図体もあってトラブルを招きがち。なので常に目が離せない手のかかる奴。初心者を脱してからは手綱を離して、一緒に遊ぶことはすくなくなった。それからイリエワニは、一時はトラの群れの副長を務め、いまや自身で群れを持つまでに成長した。
けれど自分にとっては、まだまだ放っておけない、かわいい後輩のまま。
「なにかあったら、力になってやってください」
コモドオオトカゲは改まった口調でスイセンに頼む。
「はい。頼まれました」
スイセンはずっしりと請け負って、それから微笑むように「心配ありません。僕だけじゃなく、みんないますから」
コモドオオトカゲはウンと頷いて、にぎやかなイリエワニの仲間たちを見渡す。
明るい連中だ。多少の不安など吹き飛ばしてくれそうな連中。それはコモドオオトカゲの心に芽生えた憂いの影をも、ほんのすこし薄めてくれた。