●ぽんぽこ11-3 気に入らないヤツ
「なんなのあいつ! 気に入らない! 気に入らない! 気に入らない!」
子供が地団太を踏むみたいにスミミザクラがくり返す。
ギンドロの群れの縄張り。鱗状の樹皮をまとった大樹を思わせる岩が張り出した高い崖に包み込まれた渓谷の底。縄張り内を流れ巡る涼やかな渓流を覆い隠すほどに鬱蒼と茂った緑の樹々の塊。
星明かりも入り込まない渓谷の最奥では、プレイヤーの植物族とノンプレイヤーの自生植物とが、もはや判別できないほどに入り混じっていた。
そんな緑の楽園に長のギンドロが根を下ろし、枝を触れあわすように副長のスミミザクラとマンチニールも幹を伸ばしていた。
「いつまでも駄々をこねないの」
ギンドロが優しいヴェールのような声をスミミザクラに投げかける。しかし、それでもまだ「だって」と、ぐずる気配。
「わたしは断固反対だわ」
毅然として言い放つスミミザクラに、マンチニールが、
「そんなこと言っても。もうどうしようもないでしょ」
「そうだけど……」スミミザクラはしょんぼりした声をスピーカーから響かせて、
「わたしやっぱりあのウルフハウンドってヤツは嫌いよ」
ウルフハウンドはつい先ほど、この本拠地にまであいさつに来ていたが、すぐにもうあとは任せたとばかりにどこかへと行ってしまった。ここではとんだ新参者のくせをして本当に自分で戦う気がないらしい。その仲間たちも森のどこかで息をひそめて、牙や爪を隠している
「ずいぶんはっきり言うんだね」
マンチニールがどこか心配げな声を出すと、スミミザクラはまた「嫌いなものは嫌いよ」と言って「この森には植物族と小鳥しかいなかったのに、一気に獣臭くなっちゃった」はあ、と溜息。
「獣臭いって言っても、僕らは植物族なんだから疑似的な嗅覚しかないじゃない」
マンチニールがチクリと言葉のトゲを刺すと、スミミザクラが言い返す。
「むさくるしくなったのが嫌なの」
「それも……」
「あー、うっさい!」
ついに癇癪を起こしたスミミザクラが叫ぶと、スピーカーが低く唸って、小鳥のタゲリが何事かと梢から頭を出した。しばらく様子を窺って、すぐに状況を把握して緑のなかに引っ込むと、さえずりのひとつもこぼさない。
「まだピトフーイはいいわよ。あの子は可愛いし」
と、話題に出たのはズグロモリモズという毒鳥ピトフーイの一種。ピュシス会議がオアシスで開かれていた折に、マンチニールを口車に乗せて、まんまとギンドロの群れに入ったプレイヤー。
騙されたとはいえ、きちんと確認もせずに群れに所属させてしまったマンチニールは決まりが悪そうに黙りこくった。
「あたくしはあの子のやり方には感心できません」
ピトフーイについてギンドロが硬い声を投げかけると、マンチニールはますます肩身が狭そうにする。林檎に似た小さな毒果実はどこかつやがなくなり、常緑樹の青々とした葉は夜風に吹かれて寂しげに舞い散った。そんなマンチニールの様子に気がついたギンドロはすぐに言葉を継いで、
「マンチニールが悪いわけではないですよ」と、慰めると「ピトフーイがあたくしの群れに入ってきた成り行きには不満がありますが、いまはもう大事な仲間として受け入れています。あたくしが言いたいのは、すくなくともウルフハウンドはあたくしを納得させる理由を提示してみせたということです」
「でも、いままで小鳥はともかく、獣は受け入れない方針だったのに……」
群れを立ち上げた時の理念として、ギンドロとスミミザクラが掲げていたのが、植物族にとって心地良い居場所を、ということ。
スミミザクラの声がまた高まりはじめる。
「あいつらは植物を食べるのよ!」
「普段は食性なんてそれほど気にしてないくせに。こういうときだけ持ち出して」
「でもこの群れは草食お断りでしょ?」
「彼らは全員、雑食ですよ。イエイヌというのはなんでも食べるんです」
「植物もでしょ」
「雑食の群れ員ならすでにいたでしょう。ケツァールだとか。さきほど話題に出たピトフーイもそうですね」
「そうだけど……、あんなヤツらにはマンチニールの実でも食べさせておけばいいのよ」
「いじわるはいけません。もうこの群れの一員なんですから。仲良く、とまでは言いませんが、せめて諍いは起こさないように」
スミミザクラは完全にすねた声になって、
「ずいぶん肩を持つんだ。ああいうのがタイプだったの?」
「バカなことをいわないの。話をすり替えるんじゃありません。あなたは副長なのよ。もうすこし落ち着きを持ちなさい」
「分かってる。分かってる……」
心の熱を冷ますように、スミミザクラはくり返しながら少しずつ声を落としていく。
「ウルフハウンドの話にはあなたも納得したでしょう?」
「納得しないでもないけど。させられたって感じで、それがまた気に入らないっていうか。結局あいつの話って、自分たちが楽して、いいとこどりしようってだけでしょ」
「うがった見方をするものではありませんよ。あたくしたちが大地に縛られているのは、どうやっても否定しようがない事実。ウルフハウンドは当然の懸念をぶつけてきただけです。最終的に受け入れたのはあたくし。トーナメント中の助力を断ったのもね。あたくしが責任を持って決めたことです」
「責任だなんて言葉、責任がないひとしか使わないと思ってた」
すっかりヘソを曲げた態度にギンドロは心のなかで深く嘆息して、もうすこし、そっとしておくことにした。マンチニールも、なにも言わぬが花という風に、スピーカーを閉ざしたまま、植物族ではなく、ただの植物のようになっている。
ピュシス会議終わりのオアシスの湖畔にて、ウルフハウンドはギンドロにとある懸念を進言してきた。
それは、もしギンドロが優勝したら、という話。
トーナメント開催の目的は群れ同士で戦い合って、その報酬である命力を稼ぎ、いまピュシスで起きているオートマタの大量発生の原因を根本から取り除くこと。遺跡深層に行って、そこにあるという機械惑星の複製街で、工場を破壊するのだ。それに加えて、工場のさらに奥、最深部に到達すると、ピュシスというゲームクリア特典として願いを叶えてもらえるという、眉唾物ではあるが魅力的なオマケもついている。
遺跡を進むのは徒歩。鳥なら飛んでいく。けれど植物族は?
途中まではいい。遺跡とは洞窟であり、そこにも土がある。種をまいて幹を伸ばして樹列が作れる。しかし遺跡深層まで行くと、機械惑星同様に土がないらしい。土がないと根が張れない。そうなるとそこで植物族たちの進攻は止まってしまう。と、なると、トーナメント本来の目的が完遂できないということになる。
それを、どうするつもりだ、とウルフハウンドは聞いてきた。
そもそもどうやって植物族が工場を破壊するのか、と。
ギンドロは植物族の群れの長として、もちろん答えることはできた。
進むだけならいくらでも手段はある。
例えば土が必要ない植物というものも存在する。エアプランツといったパイナップル科の植物。これなら土のない遺跡深層に踏み入ることも可能。とはいえ、エアプランツがオートマタ工場を破壊するのは現実的ではない。
攻撃能力を有している、という条件がつくなら、手っ取り早く解決できるのは神聖スキル。バロメッツ、山魈、マンドラゴラなど、地に縛られず動き回れるスキルを所持している植物族を向かわせれば、敵性NPCを蹴散らして、工場を叩き潰すぐらいはわけないはず。
他にも手段はある。遺跡の天井を破壊して土を無理やり運ぶ。
大樹の根は岩すら貫き、砕くほどの力を持つ。この仮想世界、ピュシスでの植物の生育はプレイヤーの操作である程度は早められる。皆でかかれば、それほど時間は用さないはず。完全に崩落してしまわないように注意は必要だが、根っこは壊すだけでなく支えるのにも使える。そうして土さえ流し込めればこちらのもの。樹々の軍勢で進攻できる。とはいえ、最深部ともなればその周辺は破壊できないオブジェクトに設定されているかもしれない。そのあたりは行って確かめなければ分からないところではある。
そして、もし、もしも、これらの手段がすべて使えなかったとしてもギンドロには奥の手があった。植物族だけでも工場の破壊は可能だと、ギンドロは確信していた。
ギンドロは植物族でないプレイヤーに詳しく説明しても理解が難しいだろうと思い、考えがあるからお気になさらず、というあっさりした答えを返したが、相手は引き下がらなかった。
ウルフハウンドは微に入り細を穿つ懸念を並べ立てた。余計なお世話、かと思ったが、聞いていると、植物族にはない着眼点もあり、なかなかに考えさせられる。ウルフハウンドは植物族だけでは無理とは言わず、動物たちもいた方がいいのではないかという控え目な語り口であった。
そうして最終的には、機械惑星みたいな場所に生えることを想像してみろ、という一言が効いた。
遺跡深層は機械惑星の鏡写しだという。ギンドロはログアウトするたびに、あの場所のまずい空気を吸い、まずい水を飲み、まずい光を浴びて、灰色の生を実感し続けている。自分が本物の植物だったらすぐにでも枯れるに違いない。いまにも勤め先の店長みたいにシワシワのおばあちゃんになってしまいそうで怖かった。遺跡深層にそもそも植物族が存在できるかどうか。そこで本来の力を発揮できるのか、たしかに不安になってくる。
ウルフハウンドは提案してきた。
取引だ。
第一回戦はこちらが降参する。
そして、自分とギンドロの群れを合併したい、と。
遺跡深層に行く場合は、ウルフハウンドたちが植物族たちの牙となり、手足となり、土や水を運ぶなり、戦うなりして働くというのだ。
合併と言ってもベースはギンドロの群れ。ギンドロが長のまま。ウルフハウンドは副長などの役職を求めたりはしなかった。ウルフハウンドの群れの構成員にも気を払わなくて結構だと言う。最終的な目的のためだけに協力するさっぱりした関係。そして問題が解決したあかつきには、ウルフハウンドたちはギンドロの群れから、自らの意思で出ていって元通り。
ウルフハウンドの態度には、あくまで主役はギンドロたちだという謙虚さがあった。見返りは最深部での願い事。それも別に一番乗りではなく、ギンドロの群れのものが最深部に入ったあとでいいと言ってきた。
相手が下手に出るのは当然のこと。こちらの方が圧倒的に強いのだから。生態系のピラミッドの頂点は植物たち。それをきちんとわきまえていることにギンドロは小さな好感を覚えた。
ギンドロはその場での確約はしなかったものの、提案を持ち帰り、考えて、考えた末に、了承した。
念入りな事前準備は決して無駄にはならないだろう。
だって……。
――どうせ、優勝するのは、あたくしたちなんだから。