●ぽんぽこ11-1 無血の牧草地
ピュシス各地でトーナメントの第一回戦がはじまって、まだ試合時間の半分ほどといった頃。
ホルスタインの群れの縄張りである牧草地にて、副長である黒豚のアグーと、同じく副長の鶏のブロイラーが並んで草に腰を下ろしていた。
夕日によりも赤い冠羽と肉垂をぶるぶると揺らしながらブロイラーが呆れ声で、
「俺はこうなるって思ってたんだ」
「まあ僕も薄々感じてたけどね」
アグーは、ぶう、と鳴いて同意すると、茜色の草のなかに鼻をうずめて、すこし酸味のある土のにおいを鼻いっぱいに吸い込む。
アグーたちホルスタインの群れの第一回戦の決着はもうついている。
結果は不戦勝。
ホルスタイン側が群れ戦の防衛側。攻略側である対戦相手のナマケモノの群れは開始時間になってもこちらの縄張りに現れなかった。
試合開始後、攻略側が防衛側の縄張りに踏み入らないまま一定時間が経過してしまうと、システム上、試合放棄とみなされて、防衛側の勝利になる。
ナマケモノたちは、かなり遅れてやってきた。試合の判定をシステムが下したあとに、のろのろと。結局、ピュシス会議のときに危惧されていた通りの遅刻。
しかもナマケモノたちはこちらの縄張りに来るだけでスタミナを使い果たしたらしく、帰れなくなって、縄張りの外縁にたむろしはじめた。見かねた白馬ペルシュロンが縄張り間を往復して彼らを運んでやっている。重種の大型馬が二、三頭の獣を背に乗せ、野を越え、丘を越え、蹄を鳴らして、白風となって、まさしく馬車馬のように、戦よりも忙しくしている。
勝利、とはいえ群れのみなはそれを素直に喜ぶこともできず、すっかり気が抜けてしまっていた。不戦勝では群れ戦を行う一番の目的であった報酬の命力が入手できないので、戦の準備をして気を張っていた副長たちにとっては骨折り損のくたびれ儲け。
「次はどっちが相手だろうか」
勝ってしまったからには第二回戦のことを考えざるをえない。ピュシス会議で決まったトーナメントの組み合わせを頭に浮かべながらアグーが言うと、ブロイラーは「どっちもイヤだなあ」と嘆息する。
次に当たる可能性があるのはセンザンコウかカンガルー。いずれも猛者としてピュシスに名を馳せる有名どころの群れ。このふたつの勝った方が次の対戦相手。
ホルスタインの群れは地球で家畜、家禽と呼ばれていた動物が中心。野生の世界で生きることを想定されていない肉体であり、他の肉体と比較すると戦闘力は低い傾向にある。性格ものんびり者が多くて、猛者と戦うのはなんとも不安が大きかった。
そもそもアグーは第二回戦への進出など考えてはいなかった。トーナメントへの参加は、会議での成り行き。あの場の空気で自分たちの群れだけが辞退を表明することはできなかった。取り巻きの聴衆からも参加希望者が出て、それがはねのけられていたのだ。そこで自分たちは出場しません、などと言った時、どんな混乱が起きるか。下手すれば一部興奮していた聴衆が暴動を起こしかねない。
予定としては、すぐに敗退し、あとは野生が肉体の隅々まで染み込んだ連中に任せようと思っていた。それが第一回戦でナマケモノと当たることになり、嫌な予感が的中したと言うべきか、まんまと勝ち進んでしまった。
第二回戦ともなると相手は強力になり、狩りの感覚を研ぎ澄ませてくる。こんな長閑な群れなどひとひねりにされてしまうに違いない。
いまもアグーの心配をよそに群れ員たちは呑気なもの。テンジクネズミやアルパカなどはゲーム内の野原で優雅に二度寝に興じており、ナマケモノたちよりよほど怠惰な過ごし方を満喫している。
アグーとブロイラーは副長として、第二回戦に向けての作戦を話し合う。
長のホルスタインはあまりに早く戦が終わった、というよりはじまりもしなかったので、次の試合の前に家事をかたずけておきたいと言って、ログアウトしており、いまはいない。
次に戦うのがセンザンコウであっても、カンガルーであっても、重要なのは攻守どちらを取るか。群れの構成員は長に似ると言うが、まさしくその通りで、センザンコウの群れには防御寄り能力を持った動物が、カンガルーの群れには攻撃寄りの能力を持った動物が多く所属している。相手に十全の能力を発揮されぬように、センザンコウ相手だとこちらが防衛側がいいし、カンガルー相手だとこちらが攻略側になりたい。
と、そのようなことをアグーが言うと、ブロイラーはどちらが相手でも防衛側になったほうがいいと主張した。
その理由は、本拠地を明け渡すことですぐに負けれるから、というもの。礼儀として戦いはするが、傷が少ない状態で負けれるほうがいいと言うのだ。
アグーも、礼儀として戦う、という言葉には同意できた。敵わないにしても真面目に戦うのはプレイヤーの義務だ。しかし礼儀ある戦いとは負けを想定するのではなく、勝ちを目指して戦うことに思えた。ブロイラーが群れ員を気遣っているのは分かっているが、一方的な負けを強いられる方が、傷の数は少なくとも、ひとつひとつの傷自体は深くなる気がしてならない。
「やりようによっては勝てる。はじめから諦めるのはどうかなあ」と、アグー。
「やめとけ。まぐれでも勝っちゃったら、もう一回、戦わないといけないはめになるんだぞ。くだらないプライドは置いとこう。負けるが勝ちだ」
「ブロイラーがプライドを捨てるのは勝手だけど、それを群れ員に強いるのはどうなんだ?」
すこし喧嘩腰な調子で、アグーは土で汚れた鼻先をまっ白いブロイラーの羽毛に向ける。
ブロイラーは腰を浮かせて草を払うようにバッ、バッと翼を数度広げると、
「この群れには捨てるほどのプライドを持ってる奴はほとんどいないよ。俺はまだマシな方だ。だから副長なんてやってる。俺たちは家畜だ家禽だと呼ばれてる弱者なんだよ。搾取されるための存在なんだ。そんな肉体を与えられた者たちなんだって、もう少し自覚したほうがいい」
アグーは抗議するように、ぶう、と鼻を鳴らし、ぶー、と長い鼻息に変えると、言い返すべく装備しているスピーカーをヴーンと震わせた。と、そんな時。
ふたりの頭上に、イヌワシが飛んできた。きらりと夕日に羽衣を閃かせ、黄金にも見えるつややかな褐色の翼をひるがし、ふたりのあいだに舞い降りると、
「敵性NPCが来た!」
と、慌てた声で報告。すぐにアグーとブロイラーはさきほどまでの湿っぽい雰囲気をはね飛ばすと、頭を臨戦態勢に切り替えて、対策を打ち出すために働かせる。
「どこだ」ブロイラーが聞くと「あっち」と、いままさに夕日が沈んでいる方向がくちばしで示される。
「何体?」と、アグー。
「一体」
一番マシな数。それならなんとかなりそうだ。
「ペルシュロンは?」
「まだナマケモノの縄張りから帰ってきてない」
ペルシュロンはこの群れで一番の力持ち。地球では甲冑を着込んで人間と共に戦っていたという軍馬としての歴史も持つ肉体。さらには、イヌワシと合成獣のスキルで、上半身がワシ、下半身がウマの怪物ヒッポグリフにもなれるという頼れる仲間。ここでの不在は痛い。長のホルスタインも戻ってきていない。
「フタコブラクダは?」
これもペルシュロンに比肩する体格の持ち主。
「いる」
と、聞いて、
「よし」
アグーはうなずいて、
「足止めをお願いしておいて。ロバとかトナカイとか戦えそうなひとを見かけたら声がけを頼む。それが終わったらイヌワシは急いでペルシュロンを呼んできて」
「分かった」
すぐさま飛んでいくイヌワシを見送る暇もなく、ブロイラーが大きく跳ねるように翼を羽ばたかせて、
「俺は避難を呼びかけてくる」
と、夜の到来を告げるが如くにニワトリの鳴き声を響かせながら、夕日へと向かっていく。
アグーもすぐさま動き出す。
戦える者を集めて、戦えない者は避難させる。
――早くこんな騒動がおさまってくれるといいんだけれど。
と、心から願いつつ、夜に冷えはじめた牧草地を、突き出たブタ鼻でかき分けながら、全速力で駆け抜けた。