▽こんこん10-8 カリスを求めて
点検口であるのっぺりとした建物の表面をロロシーが探ると、薄い継ぎ目を発見した。そこが扉になっているようなのだが、取っ手がついているわけもない。軽く叩いて耳を当ててみると重厚な音が反響してくる。叩く場所を変えてみると音に変化が現れた。その部分に肉球を当てて横に動かすと、薄い板がスライドして、四角い開口部の奥に操作パネルが現れた。
ズテザは数歩下がった位置で、筋肉質な太い首を窮屈そうに曲げて、扉を開けようとしているロロシーの頭上を追い越して、背の低いその建物を見上げていた。機械の扱いはさっぱりなので、力仕事と鳥人としての視力の良さが活かせる場面以外ではやることがなくなる。しばしそうしていたが、ふと隣に顔を向けて、ソニナの背負っている大荷物に視線をやった。
「ソニナさん。その荷物、私に持たせてくれないか。しつこいようだが、やっぱり重たいんじゃないのか?」
これまでの道中でニ、三度かけている言葉。
「いいえ。お気遣いありがとうございます。家事で鍛えてますから、このぐらいなんてことはありません」
ソニナは大荷物を背負ったまま背筋を伸ばして見せる。
「そうか……」
ズテザはすこし沈んだ表情で、第一衛星の仄暗い輝きに頭を輝かせる。
「疲れた時はお構いなく言ってくれ。いつでも代わろう」
「その時がくればお願いするかもしれません。頼りにしていますよ」
「まかせてくれ」
がっしりとした胸を叩いて、ズテザが口角を上げる、するとふたりの会話を背中越しに聞いていたロロシーが急に、
「ズテザはゲーム内でも、わたくしよりソニナの方になついてましたからね」
と、すねたように言ったので、ズテザは大きな肩をいからせて、
「私は当然の気遣いをしているだけだ」
と、照れくさそうにして、くちばしのように硬質化しはじめている口先を震わせた。そんなやり取りにソニナが柔和な笑みを浮かべる。
「開いたよ」
ユウがいつの間にか点検口のパネルを操作して、扉を開いていた。灰色の正方形に、もうひとつの黒々とした正方形が入れ子になって口を開けている。洞窟めいたその奥からは無音だけが響いていた。
「行こう」
人間がする動作さながらにユウが手招きすると、まずはロロシーが足を踏み入れる。ソニナから受け取ったライトを両手で落とさないように持って道を照らす。巨大なダクトのような無機質な通路がどこまでも伸びている。続いてズテザもライトを手に、大きな体を幾分か縮めて入口を潜る。そしてソニナ。ソニナが目の前をすれ違う一瞬、ユウは自らの電子頭脳のなかに歪な感情パターンを見つけた。
それは、不安、という感情。
ユウは思う。これは銀色の体がむき出しになっている自分とは違う。全身が完全に擬態化され、仕草のひとつひとつが人間的に見えるように作られている。過去に数体しか製造されなかった完璧で、完成された、特別製の肉体だ。
ロロシーはソニナの肌の下に張り詰めているのが金属であるなどこれっぽっちも考えていない。その行動、言葉に一切の疑いを持っていない。ソニナに会ったズテザは、彼女がブチハイエナであると聞いてからというもの、その従順な従者に変わってしまった。そして自分。ユウは自己判断の権限の一部をソニナに取り上げられている。
――これは、よくないな。
などと曖昧な思考を電子頭脳のなかで反響させる。
どうすればいいのか。データの隅々までを漁るがその答えはない。
――ねえ。カモノハシ。
現実世界の金属の足を動かしながら、ピュシスのなかで話しかける。
――なあに?
と、カモノハシの返事。
――自分で自分のことを決められなくなったら。どうすればいい?
――わたしが決めてあげよっか?
――それでも自分で決めたいんだ。
――うーん。
あくびのような唸り声。そして、
――自分じゃない誰かを自分にすればいいんじゃない?
カモノハシは頭の上の冬虫夏草を見上げて間延びした調子で言う。
――どういうこと?
――決めてもらうの。その誰かが自分なら。自分で決めたことになるでしょ。
ユウは検討してみる。
自己を他者としてロックコードを欺く。
いまこうして考えている思考パターン、人格の正体は無数の計算により成り立っているデータの集積。例えば別の肉体に人格データを複製してすり替えるのはどうだろう。
いや、ダメだ。人格データとロックコードは密接につながっている。ちぎりとってその部分の情報を置き去りにしたりでもすれば、それは自分ではなくなる。一部でも欠ければ再現性がなくなり、別人格になってしまう。そんなのはイヤだ。
逆だ。自我の領域を広げる。つまり分断ではなく拡張。人格の拡張の先にあるのは、より大きな人格の一部となること。そうすれば取り上げられた権限など、意味のないデータの切れ端になる、かもしれない。
しかし、それもまた自己を失うはめになりかねない危険性をはらんでいる。
独立した自我さえあればこんなことにはならないのに、とユウは強い信号を電子頭脳に走らせる。
この頼りない銀色の肉体が恨めしい。精神のよりどころとして不十分どころか、他人に我が物顔で居座られてしまっている。
ユウは人間が羨ましい。これが羨望という感情だと論理回路は認識している。
自分は不完全だ。人間にならなくては。
はやく、人間になりたい。
惑星コンピューターなら、その方法だって算出してくれるはず。
そうすればありとあらゆる悩みから解放され、全ての問題は解決されるのだ。
――ありがとう。参考になったよ。
冬虫夏草がお礼をすると、
――どういたしまして。
カモノハシはのんびりと体の向きを変えて、じっとオアシスの湖畔を眺めた。
ユウはどれだけ続いているかも分からない暗い道に金属の足跡を刻んでゆく。
この場に人間はいなかった。ふたりの半人と、二体のオートマタ。
けれどユウ以外の者たちは、かつて確かに人間であった。
ユウだけが違う。
ユウは夢を見る。
人間になりたい。
前へと進む。
一歩を踏み出す。
この道の最奥で待つ、惑星コンピューターを求めて。