▽こんこん10-6 記憶の続き、それぞれの行く道
「ロロシーお嬢様。やはり一度、お家に帰りませんか? 御父上も心配なさっていますよ」
ソニナが言うと、ロロシーは意外という顔をした。
「お父様が?」
「そうです。たったひとりの”娘”ですもの。帰って検査をいたしましょう。こんな体になって、いままでおひとりでさぞお辛かったでしょう。これからはこのソニナがずっとそばについています。さあ」
と、ロロシーの手をとる。思い悩むロロシーに、ソニナが言葉を重ねる。
「惑星コンピューターと対話したいのなら、御父上に相談すればよろしいのです。そうすれば足を運ぶ必要すらなくなるかも。もうあなたはひとりではありません。ひとりにはしません。皆で考えれば妙案も浮かぶはず。どうぞソニナに任せてください。きっと悪いようにはいたしません」
ソニナの冷たい手に、ロロシーの熱がほんのりと奪われていく。
「……いや」
ロロシーはソニナの手をやんわりと振りほどくと、獣の足さばきで数歩後ずさった。
「お嬢様?」
「いや、です」毅然とソニナを見据える。「お父様に相談したとして、わたくしの話を受け入れてもらえたとして、惑星コンピューターと直接的な交信など幾重もの手続きが必要になるはず。カリス側が許可するかもわかりません。対応してもらえるのは、ずっと先になるでしょう。お父様には、大人には多くのしがらみがありますから。わたくしは、わたくしの方法ですぐにでもやり遂げてみます」
「惑星コンピューターへの道のりには正確な経路の記録が存在しません。行くことはもちろん、無事に帰ってくることも困難なはず。危険なことはどうかおやめください。それは本当にお嬢様自身でやり遂げなければならないことなんでしょうか」
ソニナはロロシーの両肩に手を置いて、必死に訴えかけ続ける。
「お嬢様には工場を継ぐという大事なお役目があります。この機械惑星で工場がどれだけ重要な役割を担っているかご存じでしょう? 工場を継いで、機械技術の発展に貢献することは人類の発展に貢献することに他なりません。まだまだこれからこの世界は、機械惑星は、発展し続けます。そのために、ロロシーお嬢様。あなたのお力が絶対に必要になるんですよ」
それから語り口をやわらげて、滔々と染み込ませるように言葉を紡ぐ。
「機械を生み出して、人は肉体を拡張してきました。先程のお嬢様とリヒュ様がなされていた話とも通じるものがありますね。わたくしはお嬢様の意見に賛同いたします。人の心は、その肉体が変わっても人であり続ける。素晴らしいお考えです。人の心が人を人たらしめる。その通りです。お嬢様は工場の作業車に乗られたことがあるでしょう。車を運転する者にとって、身体感覚は車体にまで拡張されます。けれどその者は車たりえない。あくまで人間です。お嬢様のお体がどれだけ変わっても、その心が人間であればよいのです。これまでと同じです。わたくしとお嬢様の関係もこれまでと同じ。ねえ。帰りましょう。わが家へ。あたたかい食物水でもお淹れします。どうか。どうかお考え直しを……」
切実な響きにロロシーの心は揺れた。人としての心がソニナの懇願に引き寄せられていく。夜が深まると、体は闇に溶けて、心だけが浮き彫りになったように孤独で、誰かに身を寄せたい気持ちが膨れ上がってきた。
「けれど、わたくしはもう……」
半人となった自らの体を、ネコの夜目でロロシーは見つける。心が人間だという自負があっても、体の差異はどうしようもない。人間と半人のあいだには大きな大きな崖が口を開いている。
「御父上とも相談して解決策を探しましょう。現代の科学の粋を集めれば、きっとなんとかできます」
「そうでしょうか」
「お約束します。絶対になんとかすると。そのためにもまずは検査をしなければ」
ふたりの様子を横目に観察していたリヒュは、ソニナの熱弁の裏にあるものを考えていた。ソニナがオートマタだとしても、さきほど並べられた言葉には感動的な響きがあった。電子頭脳に納められた誰かの思考パターン。心が人間だとすれば、いわば半機械。新種の半人。そんな存在が、なぜこんなにもロロシーに執着するのだろうか。人格がデータであっても、長年仕えた主に対する情というのは蓄積されるのだろうか。無機質な機械の体に巡るデータに愛情は存在しうるのだろうか。
そんなことをリヒュが考えているうちにも、ロロシーは決断を下していた。
強い決意がみなぎった瞳を輝かせ、ぐいと顔が上げられる。
「……やっぱり、わたくしは現状を危惧せずにはいられません。一刻の猶予もないように思うんです。この機会を逃せば取り返しのつかないことになるような、そんな予感がするんです。いま、そう考えているのは、もしかしたらわたくしだけなのかもしれません。だからこそわたくしが行かなくては。機械惑星の最深部へ」
何者にも邪魔されず、惑星コンピューターと直接対話できる場所へ。
「機械惑星の最深部、か」
リヒュはふと、言葉をもらす。
「奇しくも僕らは似たような道筋を辿るみたいだ。ロロシーは機械惑星の最深部。僕はピュシスの最深部を目指す」
「ゲームクリア、そして願いの成就、という話でしたか」
ロロシーが確かめるようにつぶやく。
「そう。僕は最深部で待っているのは製作者だと思ってる。それが機械衛星だというなら、みっつのなかの誰か、何か、か。正直言ってなにがしたいのかは分からない。なぜこんなゲームを作って、人間を変えようとしているのか。けれど、それも最深部に行けば分かる。惑星コンピューターに聞くよりもずっとはっきりするんじゃないかな」
「会ってどうするんです? リヒュの望みは?」
「簡単に言うなら、この変化を加速させ、完遂させること。君がやろうとしている行為について、ピュシスに用心するよう、警告もしておきたいな」
リヒュの答えを聞いたロロシーの表情が歪む。
「させません」
「ならどうする。ここで僕を噛み殺すか?」
冗談めいて言う瞳はどこか本気の輝きを帯びていた。
「そんな野蛮なことはいたしません。それに……」ロロシーは様子を窺うように夜空に浮かぶ第二衛星に視線を投げかける。「わたくしにはリヒュや、他の半人たちの願いを真っ向から否定するつもりはありません。すでに半人になった人々の行く末。わたくし自身の行く末。それを憂う気持ちはあります。けれどだからと言ってわたくしの望みを否定されたくもありません。わたくしこう見えて、けっこうわがままですから」
深く息を吸うと、ロロシーは牙を見せて、にやりと笑った。
「だから、競争しましょうか。リヒュがピュシスの最深部に到達して、ピュシスに働きかけるか。わたくしが機械惑星の最深部に到達して、カリスにピュシスを消去させるか」
「まさしく生存競争というわけか」
「そう。シンプルで動物らしいでしょう? あなたが自然の世界を望むなら、これぐらい勝ち取って見せてください」
挑発するような言い草に、リヒュは「いいよ。やろう」と、勝負に乗る。
「お嬢様」
ソニナが嘆息して、
「どうしてもお家には帰ってくださらないのですね」
「ええ。ごめんね」
「……では、わたくしもお供いたします」
「機械惑星の最深部へ?」
「どこまでも」
ロロシーは差し出されたソニナの手を取って「ありがとう」と胸に抱いた。
「ソニナさん。僕らはもう協力できないのかな?」
リヒュが聞くとソニナは「どうでしょう」と、とぼけたように言って、
「それぞれの望みが交わる地点があるかもしれません」
リヒュはその言葉の意味を考える。ソニナの望みとはなにか。機械惑星の繁栄、機械文明の発展を望んでいるのは先程のロロシーへの言葉から分かった。人が獣になればその担い手がいなくなってしまう。当然それは避けたいのだろう。だからピュシスを止めるため、ロロシーに協力しようというのも分かる。
しかし彼女の瞳に人の体の変質がどのような意味を持って映っているのか、想像することは難しい。もしかしたら、どうでもいいことなんじゃないんだろうか。もう彼女は肉体のくびきから解放されている。肉体に依存しないデータがその存在の本質。その気になれば別の肉体に乗り換えることだってできるはず。だとすればリヒュやロロシーが肉体を巡ってぶつけ合っている意見など、失笑ものなのかもしれない。
とはいえロロシーの身を案じているのは本心からの言葉に思えた。と、するとリヒュとソニナの願いの交差点など存在しないように思えたが……。
「協力関係が続くことを願います」
リヒュが言うと、ソニナが微笑みを返す。
リヒュは考える。自分はライオンの群れの一員。ソニナは同じ群れに所属する仲間。邪魔はできないはず。問題を起こして、長のライオンに強制追放させられないようにさえ注意しておけばいい。
ロロシーはソニナの態度を怪訝に見ると、
「ソニナはわたくしの味方でしょう?」
「もちろんです。けれどリヒュ様の敵というわけでもありませんよ」
「そうなるのかしら?」
首を傾げるロロシーの肩をソニナが押す。
「さあ。みなさん明日の準備が必要でしょう」と、ソニナ。「わたくしも帰って荷物をまとめてきます。道が塞がっていたときのことを考えて、隔壁を突破できるなにかがあったほうが安心ですね。ドリルやバーナーがいいでしょうか。パスワードをハッキングする手もあります。電子パネルなんかもご用意しておきましょう。他にも使えそうなものがないか、倉庫を見てきます。食物と水も必要ですね」
「そうね。それに十分に眠って英気を養っておかないと」
「競争の開始に遅れるなんてやめてくれよ」と、リヒュがロロシーとは逆方向に歩き出しながら「例え寝坊しててもこっちは容赦なく追い抜いていくから」
「ウサギとカメというやつですか」
ロロシーが振り返って言うと、リヒュは背中を向けたまま、
「君がウサギか? ウサギもカメも喰うのが君だろ」
「リヒュのなかでのわたくしのイメージ、ちょっとひどくありませんか」
「適正だよ」
後ろ手を振って、リヒュは陰に消えた。ロロシーは口を尖らせて、しばらく鼻をひくつかせていたが、すぐにガラクタたちが待つ場所へと戻っていく。
見送ったソニナも、工場地区の家への帰路についた。
それぞれの行く道は分かたれる。
きたる惑星コンピューターの休養日にて、ロロシーは機械惑星最深部、リヒュはピュシス最深部を目指す。そして、ソニナはその両方へ……。