●ぽんぽこ4-1 遺跡を塞ぐイリエワニ
タヌキは相も変わらずオポッサムに化けて、ライオンの治めるサバンナで過ごしていた。そして時にライオンの姿に化けて、留守を守るという約束を果たしている。最近では中々の威厳が身についてきて、立派に役をこなせているのではないかと自画自賛したりもしていた。そして、なによりライオンでいるのは気分が良かった。強く、逞しく、皆に尊敬されて、頼られる。現実世界の自分とは異なる、理想の自分になれたように錯覚できた。
はじめのうちこそ不安であったが、ブチハイエナのサポートもあり、全く疑われてはいない。そもそも長が身代わりの術よろしく、時折、張りぼてにすり替わってなっているなど、群れ員の誰も想像だにしないことであった。
ライオンの代わりをするきっかけとなった謎のスパイについては、ブチハイエナによると、ライオンがピュシスにいる時間が増えたことで、確実に動きが鈍くなっているということであった。
「聞いてくれよ長。まただよ」
本拠地であるサバンナの岩場で、リカオンが憤った声をスピーカーから響かせてた。リカオンの目の前で、ライオンは玉座代わりに敷かれた草の上に寝そべっている。今はタヌキが化けているので、本物ではない。隣の平たい岩の上にブチハイエナ。タヌキがライオンの代わりをしている時には、必ずブチハイエナが傍に控えている。群れ員の誰かが難しい要件も持ってきたとしても、「ブチハイエナに任せる」と鷹揚な態度で言えば、タヌキがすることは何もなかった。サバンナの自然をゆるゆると満喫しているだけでいい。
「ブチハイエナに任せる」
さっそくライオンに化けたタヌキが言う。本物のライオンがよくやっているように、前足を交差させて、その上に顎を乗せるポーズをとる。タヌキはライオンの仕草や口調をほぼ完全に再現できるまでになっていた。スピーカーの音声設定もばっちり済ませているので、本物のライオンの声そのもの。リカオンは一切疑うことなくブチハイエナに向き直る。
「遺跡の件ですか」ブチハイエナが、トッ、トッ、と岩から下りてきて尋ねる。
「そうなんだ。前とは別のところに探索に行ったんだが、またトラの群れのやつらが邪魔してきて……」
遺跡はピュシスに点在する洞窟。その内部は朽ち果てた古代文明の跡といったデザインになっている。防衛装置が設置されており、プレイヤーの侵入を阻む。しかし防衛装置という呼び名は大仰なものの、落とし穴やトラバサミのような原始的なトラップばかり。よく観察していれば引っかかることはない。不定期に装備品が配置されており、探索することで、それを入手できる場所になっている。奥に行くほど高レアリティの強力な装備が手に入るとされているが、そもそも装備品がほとんど使われていないピュシスの現状と、迷って外に出られなくなる危険性を鑑みて、深い階層に足を踏み入れるようなプレイヤーはいない。浅層で新人プレイヤーに配るスピーカーを探したり、拾った装備品をオアシスのバザーで換金して命力を稼ぐのに使われるぐらいであった。
「どの位置の遺跡ですか」
「オアシスから東北東、中立地帯の湿った川の近く。比較的大きな入り口があって、どの群れ員も気兼ねなく使ってた場所だってのに、あいつら……」少しずつ語気が荒くなってくる「まったくひどいもんだぜ。イリエワニがずどーんと横になって通せんぼ。なにを考えてるんだか」
イリエワニはトラの群れの副長。キリンが横倒しになったのよりその体長は大きい。それが洞窟の入り口をピッタリと塞いでいる様を思い浮かべて、ブチハイエナは嘆息する。
「それは、骨折り損のくたびれ儲けだったわけですね。大変お疲れ様でした。お時間をいただくことになりますが、王の縄張りにある遺跡に装備品がリポップするのを待つのがいいでしょう。もしお急ぎであれば私の方からいくつか進呈しますよ」
耳を垂らしての労いの言葉に、リカオンも「いえ……」とかしこまって、自身の大きな耳をぱたぱたと回転させた。それから落ち着いた様子に戻ると、状況報告をしはじめた。
リカオンが確認したトラの群れのプレイヤーは、洞窟の入り口にイリエワニと、ピイラーウッドというマングローブの一種の植物族。そして、内部に入っていくマレーバク、ブラックバック、ドール、ユキヒョウ、ウマグマの五頭が見えたという。
「副長が揃ってたんですか」
「そうなんだよ。俺もなんか変だなあとは思った」
マレーバクはイリエワニと同じくトラの群れの副長。傍で聞いていたタヌキは耳をそばだたせながら、副長同士が仲良しなのかな、などと呑気なことを考えていた。しかしそんな想像は「個人主義のトラの群れが仲良しこよしで探索なんて妙ですねえ」というブチハイエナの言葉で淡く砕かれる。
リカオンが、くしゅん、と、くしゃみをする。同意を示すサイン。そして「もしかしたら、あの遺跡で群れ員の誰かが迷子になって、深層に足を踏み入れちまったのかもな。群れ員のポカが恥ずかしいから、探してる間は他の群れが入れないようにしてたとか」と推測する。
「彼らは助け合いはしません」ブチハイエナが首を振って「しかし、確かに深層が関係あるのかもしれませんね」と、サバンナに吹く乾いた風を浴びながら、遠くを見つめた。遮る樹々の少ないサバンナには強い風が吹く。不意に、ライオンに化けたタヌキのたてがみが、ぶわりと音を立てて巻き上げられた。
「レア装備が欲しいのか、それとも、お金が欲しいとか?」と考え込んだリカオンは、ややあって「あっ。分かった」と、キュッ、キュッ、と硝子を擦るような甲高い鳴き声を上げた。
「やっぱりお金だ。神聖スキルだよ。消費が激しいってこの間の群れ戦の後でちらっと耳にしたんだ。それを戦でバンバン使うために装備品を売りさばいて、お金をかき集めようとしてるんじゃないか」
「まあスキル使用時の命力消費が激しいとは聞きますね」
化ける神聖スキルは騒がれるほど命力を消費するわけではないので、スキルの種類によるのだろうな、とタヌキはふたりの会話を聞きながら考える。
「ヤバイぜ。俺は三つ首のイヌと戦ったが、その強さはめちゃくちゃだった。あんなものを気軽に使われたら勝てるわけがない」
「しかし、オオカミの群れには勝ったでしょう。戦は個人戦ではなく団体戦です。ひとりふたりが神聖スキルが使えたとして、勝敗を決めるのはまた別の話ですよ」
ブチハイエナが言うと、リカオンは「そりゃあそうだが、もし使えるやつがもっといっぱい、いたとしたら……」と尻込みする。そうしてライオンに目を向けた。
ライオン、本物のライオンは神聖スキルについて、群れ員に対して、あまり大っぴらにするな、という言葉と共に、戦でも相手が使うまではこちらも使うんじゃない、と命じている。それに対して、後手に回っては戦いずらい、と主張する者もいた。ライオンの群れの数名は、神聖スキル保有者であることを自己申告しており、思う存分使ってみたくてうずうずしているようでもあった。
リカオンの眼差しを、そういった神聖スキルが飛び交う戦場になった場合を憂慮して、自分に意見を求めているのだと受け取ったタヌキは、ライオンとして黙ったままでいるのも不自然だと考えて、重々しくスピーカーを震わせる。
「持つ者、持たざる者に二分されるのは避けるべきだろう。それでプレイヤーの価値を決めるようになれば、身内でのくだらない争いの種になる。ブチハイエナの言ったことが全て。勝敗を決めるのは別の話ということだ」
以前にライオンが話していた内容を自分なりに言葉にする。難しいことを言う時は、頭のなかでよく考えてからスピーカーで声を発する。リカオンは、半分ほどは納得したというように浅く頷いた。ブチハイエナが口を挟まないので、この対応でよかったのだとタヌキはほっと胸を撫でおろす。そうして余裕が出てきたので、もう少しだけ言葉を継ぎ足すことにした。
「第一、トラの野郎の群れが神聖スキルのために命力を集めているというのは現状ただの想像の域を出ていない。他のプレイヤーに邪魔されずに深層を探検してみたかっただけかもしれん」
まだ見ぬ深層。タヌキは少しだけ冒険心をかき立てられる。しかし自分が方向音痴であることは重々承知していたので、興味を惹かれはするものの、無謀なことはしないように自制している。
「そんな無邪気な冒険心をあいつらが持ってるのかねえ」リカオンの言葉にタヌキはぎくりとする。「遺跡はちょっと奥に行くだけで、人工物が増えていってピュシスらしくない風景になるし、トラップの数と攻撃力も馬鹿にならなくなって、とてもじゃないが割に合わないぜ」
「まあプレイヤーのなかには装備コレクターというのもいますからね」とブチハイエナ。
言われてリカオンは、オオカミの群れ員と中立地帯で宴会をした時に、ヒグマが装備自慢をしていたことを思い出す。
「確かにトラの奴って成金趣味みたいな雰囲気があるよな。ピッカピカの装備品を集めるのが好きそうだ」
リカオンの口ぶりに、ブチハイエナはケラケラと笑った。そうして「古代の金持ちは部屋にツノのある動物の首を飾ったらしいですよ」と言い出す。
「ええっ!? 気持ち悪いこと言わないでくれよ」
リカオンはキリンの首が飾られている部屋を思い浮かべ、タヌキはシロサイの首が飾られている部屋を思い浮かて、同時に顔を顰めた。
「すみません」と言いながらブチハイエナは笑いを堪えきれていない。けれどすぐに、ぐっと吞み込んで、真剣な表情をする。
「話が逸れてしまいましたね。そうそう。私がはじめに深層に関係あるかもしれない、とお話していたのは、ピュシスの宝のことですよ」
「ピュシスの宝?」とリカオンが首を傾げる。
タヌキも思わず聞き返しそうになって、慌てて口をつぐむ。ピュシスの王とも呼ばれるライオンなら知っていて当然のことなのかもしれなかった。
ブチハイエナはタヌキにも聞かせるように横目に見て、ゆっくりと話しはじめる。
「ピュシスがクリアできるという噂を知っていますか」
「クリア? このゲームってなんて言うか、まあシミュレーターだからゴールみたいなものはないんじゃないのか」リカオンが首の代わりに尻尾をゆらゆらと振って、疑問を呈する。
「そうですね。ストーリーがあるわけでもなく、プレイヤーは皆、自然を自由に楽しむだけです。定期的に群れ戦をして報酬を得ていれば時間経過、リスポーン、スキル使用、買い物などの様々な要因で消費される命力が尽きることもないでしょう」
サバンナの大地が夕日で焼け焦げていく。ピュシスのゲーム内時間は現実の六十倍の速さで過ぎる。ノモスの空で機械惑星の表面を照らす第一衛星の六十倍の速度で太陽が沈んでいく。
「これは昔、私がドードーの群れ員だったオーロックスから聞いた話です」
「ドードー? 聞いたことない群れだな」
「ドードーはもうピュシスから消滅しているんです。オーロックスももうピュシスにはいません」
リカオンは「なるほど」と座って耳を立てると、腰を据えて話を聞く姿勢をとった。