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▽こんこん10-2 捕食

「うわああああああ!」

 半人ハイブリッドたちが叫び声を上げながら、凍りついたようにその場で硬直する。クマ科の半人ハイブリッドが手を振り回して、ヲヌーは再び床と正面衝突。けた顔の皮は飛んでいって、床に吸い付くように張りついた。

 皮に視線が集まる。まるでデスマスクのように寸分たがわぬ顔の形が刻まれた薄く透けた皮。

「……だ、だ、脱皮?」

 小柄なイヌのような半人ハイブリッドが抜け殻に鼻先を向けて、ぶるりと体を震わせる。

「俺はヘビの半人ハイブリッドだ。皮ぐらいめくれるだろ。そんな当たり前のことでいちいちビビッてんじゃねえぞ」

 ヲヌーは平然と言ってのけたが、とはいえ、現実世界で脱皮などしたのは初めての経験であった。

「そう、か。当たり前だよな? な?」ネコ科の半人ハイブリッドにぎった手の甲で顔を撫でまわすと「たしかに、な、そうだよな?」と、鳥類の半人ハイブリッドが同意にしがみつくようにして応じる。それから自分たちの半人ハイブリッドとしての動物めいた部分を、疑り深い眼差して確かめ合った。

「いいから起こせ」

 半人ハイブリッドたちはやや躊躇ちゅうちょしていたが、顔を見合わせ、腹を決める。今度は数名がかりで、うつ伏せのまま首も上げずに倒れているヲヌーを抱え上げにかかった。

 両肩をそれぞれ別の半人ハイブリッドが支えて、慎重に体を起こす。ヲヌーは工場内で吊り下げられているオートマタと同じような格好になる。ヲヌーの細身のからだは筋張っているが、妙な弾力があって、ゴムの塊を持ち上げているような感触であった。

 半分ほど体が上がる。

 と、その時、ヲヌーがぬうっと頭を上げた。

 目が合う。半人ハイブリッドたちの胸の内では、声にならない悲鳴がこだまして、心のなかで何度も何度も反響した。四肢はまるきり動かないまま、膝から力が抜けていく。ヘビににらまれたカエルの気持ちを、この場にいる全員が身をもって体感していた。

 ヲヌーの顔は茶褐色の鱗におおわれていた。口元からのぞくのは目立つ二本の牙。その隙間から割れた長い舌が垂れる。瞳にはまぶたがなく、まるでヘビのような目。

 それは、ヘビそのものの顔だった。

 おののいた手が一斉に引かれて、支えを失ったヲヌーの体が三度、倒れそうになる。が、ヲヌーは首を伸ばして、近くにいたクマ科の半人ハイブリッドの肩にしなだれかかった。

 そうして……、

「痛ぁい!」

 閑散とした工場に悲痛な声が響き渡る。

まれたぁぁぁ!」

 クマ科の半人ハイブリッドが狂乱して、ヲヌーの体を引きがす。四つ足になって、猛然と工場の出口に向かって走る。

「毒!? 毒があるかな!? ああ! ああ!」

 叫び。混乱。半人ハイブリッドたちが恐怖にあてられて次々と逃げていく。悲鳴を上げながら、我先にと出口に向かってなだれ込んだ。

 二つ足、四つ足、もしくは転がり、あるいは羽ばたくようにしながら。

 ヲヌーは結局また床に倒れす。ヘビのように体をくねらせると、ピュシスのなかにいるのと同じく蛇行して体が進む。しかし現実では慣れない動き。しばらくすると疲れて、工場の通路の真ん中でうつ伏せのまま動きを止めた。半人ハイブリッドたちが走る振動が床を通して伝わってくる。振動で胸を打ち鳴らされながら、ヲヌーは腹の底で悪態をついた。

 ――なぜ逃げる。

 分からない。

 ――喰われることは、幸せだろ?

 そのはずだ。

 もうすぐ世界が変わる。

 第二衛星かみさまが世界を変える。

 そこは、喰うか喰われるかの世界。

 自然の世界だ。

 かみさまの言わんとしていることが俺には分かる。

 きっと、かみさまはこう言っている。

 喰え、と。

 喰うのは正しい、と。

 喰われるのは幸せだ、と。

 喰って、喰われる、ありのまま生きる世界がやってくるのだ、と。

 それは、その瞬間瞬間だけがある世界。

 過ぎ去った時間ときがなければ、未だ来ない時間ときもありはしない。

 時間という概念すらなくなる。

 すべてが揺蕩たゆたわない永久不変な水のなかに沈んでいる世界だ。

 そのなかでは、喰ったものも、喰われたものも、一緒だ。

 一緒になれるんだ――。


「ヲヌー?」

 ふいに首根っこがつかまれて、体が引き起こされた。

「まあ、ひどい顔」

 ヲヌーの目の前にはロロシーの顔があった。

「いい顔って言ってくれよ。最強ちゃん」

 ゆがんだ笑み。

「ちょっと見ないあいだにひどく変わりましたね。……アテナの怒りにでも触れたんですか」

 アテナの怒りに触れてヘビの怪物に変じたメデューサ。彼女は髪がヘビに変えられたが、いまのオヌ―はヘビそのもの。鱗の顔、牙、割れた舌、まぶたのない目。

「それは俺のかみさまじゃない。それにこれは恩寵おんちょうだ。恩寵をたまわったんだ」

 ロロシーはかすかにまゆをひそめて、静まり返った工場を見回す。

「ここでなにをしているんですか」

「俺は崇高なるかみさまの意思によってこの場にいるんだ。それより、なんで最強ちゃんがここにいるんだ」

 片手でひょいと拾い上げられ、若干滑稽な恰好のままヲヌーがたずね返す。

 ヲヌーはロロシーがこの工場地区の一角の所有者、ロルンの娘だということを知っている。この工場を襲撃するにあたって邪魔をされては面倒なので、誘いなどしなかったし、知らせないように他の者たちに口止めもしていた。それでも、人の口に戸は立てられぬと言うし、風の噂に聞いたのかもしれない。しかし、止めにきたにしては遅すぎる。もう作業はおおむね終了しているはずだ。

「近くに用事があるんですよ」

 ロロシーは振り返って工場の扉に視線を向ける。ヲヌーたちが力ずくで入ったので、扉はひしゃげて死んだ貝のように開いている。

 ヲヌーの首根っこをつかんで片手で軽々と持ち上げているロロシー。これが大型肉食動物のパワー。ヲヌーはオットセイのような体勢のまま、ロロシーの姿を無遠慮に眺めた。だいぶん半人ハイブリッド化が進んでいるらしい。牙が発達して口が閉じにくいらしく、口元だけは常に笑っているようでもある。髪はぎゅっと三つ編みにしばられ、押さえつけられているが、暴れる毛先は黄金色に染まっている。ネコ科によくある毛衣もういの色だ。そして、厚手のローブからのぞく腕の先にはがっしりとした鉤爪かぎづめ

 突然、ヲヌーは牙をいて体をくねらせると、ヘビの俊敏な攻撃動作そのままにロロシーの肩にみつこうとした。

「なにをなさるんです!?」

 ロロシーの体は自己防衛のために反射的に動いた。力任せにオヌ―の体を床に叩きつける。そのままネコ科の身軽さで跳躍して背中に回ると、腕をひねり上げて押さえつけた。軽業師のような曲芸めいた動き。にぶい衝突音。くぐもったうめき声。

 ロロシーはオヌ―の腕があまりに柔らかいことに驚く。子供か、赤ちゃんの腕のようだ。ロロシーが力を抜くと、ヲヌーの腕は液体然として垂れて、べったりと床に広がった。オタマジャクシに生えかけた腕のような未成熟さ。しかしその未成熟さに、腕へと成長しようとしている生命の力強さはなかった。まるでカエルがオタマジャクシになろうとしているかのようだ。退化と表現するのが適切か。ヲヌーの体は顔だけでなく、腕も、きっと脚もヘビそのものになろうとしているのだ。

「ごめんなさい。思わず」

 暴力をびたロロシーは申し訳なさそうに倒れたヲヌーの顔を横からのぞき込む。しかし、先に仕掛けたのはヲヌーの方。ヲヌーのヘビ顔に浮かぶ表情を判別するのは難しかったが、悪びれもしない目つきだけはよく分かった。

「いかがなさいましたか。ロロシーお嬢様」

 薄く光が差し込んでくる工場の扉からソニナが顔を出して、細長い影が室内へと伸びてきた。

「大丈夫。そちらは手当を優先してあげて」

「それならもう終わりました」ソニナは外へと視線をチラと向けて、またロロシーの元へと戻す。「毒だと騒いでいらっしゃいましたが、毒なんてありませんでしたよ。もしくは非常に微量だったかですね」

 言いながらソニナは工場に足を踏み入れて、「すこし奥の方を見てまいります」と、吊り下げられたオートマタたちの陰に消えていった。

「誰だありゃ」

 ヲヌーは曇った金属の床にうつ伏せで倒れたまま、目線をわせて隙間から見えるソニナの足を追いかける。

 ――くらくら博士はどこにいった? さっきの騒動で逃げたか?

 いや、博士は騒ぎなど気にもしないだろう。まだ奥で作業中だろうか。あの女。見ない顔だった。ガラクタ広場の半人ハイブリッドたちは全員把握している。新人か?

「うちの使用人メイドです」

 予想外の答えにヲヌーはヘビ顔のほほまで裂けた口を開いて、怒ったようにシャーと噴気音ふんきおんを響かせた。

「家に帰ったのか? あれほど注意してあげたのに。あーあ。どうなっても知らないよ」

 鋭い声を振り切るようにロロシーは「ご心配なく」と、ぴしゃりと言って、

「それよりヲヌー。あなた仲間をみましたね。仲間に牙を向けるなんて」

 強く責める声色。

「腹が減ったんで喰ってやろうとしたんだが。なんでか逃げやがったんだ」

 あっけらかんと言いながら、ヲヌーは首の筋を伸ばす。ロロシーはローブのすそを引っ張ると、ヲヌーの横に腰を下ろして呆れたように溜息をもらした。

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