▽こんこん3-3 三つの機械衛星
「メョコ様。ようこそいらっしゃいました」
扉の外に取り付けられた呼び出し用のボタンを押すと、年配の女性が出てきた。メョコの兄だという青年の応対をしていた女性。けれど、その時の険悪さとは大違いの柔和な態度で迎えられる。メョコがリヒュを紹介すると恭しい態度で自己紹介がされる。リヒュはてっきりロロシーの母親かと思ったが、メョコが話していたソニナという使用人であった。リヒュ、メョコ、それからメョコの連れてきたオートマタが誘われて巨大な扉を潜る。
リヒュが自分の勘違いをそのまま口にすると、ソニナは愉快そうに笑ったが、メョコは大慌てでリヒュの口を塞ごうとした。
「リヒュ様。そのお言葉、大変うれしく頂戴いたします。メョコ様もお気遣いありがとう存じます。メョコ様のおかげでロロシーお嬢様も随分立派に立ち直られました」
メョコは頬を膨らませて、メイクの上から分かるぐらいに紅くなった。リヒュはもしかしたらロロシーの母親は亡くなったか、離婚したのではないかと考える。
「……お兄ちゃんがごめんね」ソニナの横に寄って、メョコが耳打ちするように謝ると、「お気になさることはありません。レョル様は愉快なお方です」と、ソニナは大人の包容力を感じさせる笑みを返す。メョコの兄はレョルという名前らしかった。リヒュは色々なことが気になったものの、しょげた様子のメョコを前に、なにも尋ねることができなかった。
入り口を入ってすぐにだだっ広い空間があり、リヒュが外で感じた印象通りに倉庫のようであった。複雑な形をした機械部品が散乱しており、組み立てかけのオートマタが何体も壁に立てかけてある。物言わぬ銀の頭が並ぶ場所を通り抜けると小さな扉があり、扉の先は細い通路。通路の先にはまた扉があり、そこを越えると居間のような部屋に出た。
「メョコ、いらっしゃい。リヒュもね」
部屋の中央に置かれたソファに座ってロロシーは顔も上げずに挨拶する。偶然ついて来ていたリヒュの姿にも別段驚いた様子はない。メョコが冠で道中連絡していたのかもしれなかったが、リヒュはそんな仕草を見た覚えはなかった。
ソファは丸いテーブルを取り囲むように弧を描いており、テーブルの左右に二台設置してある。テーブルには何枚かの電子パネルが置いてあり、ロロシーは厳めしい顔でそれを見比べながら冠を操作していた。
ソニナが、リヒュとメョコをロロシーの向かいの席に案内する。二人が並んで座ると、その後ろにメョコのオートマタが静止した。
「お飲み物をお持ちします」
丁寧な所作でお辞儀をしてソニナが部屋の隅の扉から出ていく。部屋は正方形で、対角線状の角に二つずつ扉がついている。四面の壁に一つずつ扉がある形なので、この部屋自体がさながら連結部か中継地点のようだった。
リヒュは室内を見回す。テーブルにソファ、壁際の棚などの家具はどれも色鮮やか。壁紙は丸い泡が重なっているようなデザインで、その明るいオレンジの彩はピュシスでのサバンナを思わせた。泡模様に混じって丸いモニターがいくつも吊り下げられており、工場内のどこかと思われる場所の映像を映している。棚の上には用途不明の小物が大量に置かれていたが、幾何学的に整然と並べられているので、散らかっている風ではない。
今度はテーブルの上に視線を落とす。広げた手のひらより一回り大きいぐらいの電子パネルが何枚も置かれている。テーブルの端っこの使われていないパネルをメョコが「これ借りるね」と取り上げると「ええ」と、やや上の空でロロシーが返事する。メョコは慣れた手つきでそれを操作すると、後ろを振り返って扉の一つに注目する。リヒュも同じように座ったままで振り返る。しばらくすると、その扉からオートマタが現れて、メョコのオートマタの隣で立ち止まった。
オートマタがオートマタの点検をするのだろうかと、リヒュが見守っていると、二体は向かい合ったまま一向に動こうとしない。目と目を見合わせて静止。外装のランプだけが慌ただしく明滅している。
「いま点検してるの?」
リヒュが怪訝な顔をすると、メョコは「そーだよ」と当たり前だというように返答する。
「これって。もしかしてソフトウェアを点検してる?」重ねてリヒュが尋ねると「そうなの?」と、メョコが首を傾げた。そんなメョコを横目に見て「そうですよ」とロロシーが代わりに答える。
リヒュはてっきりハードウェアに関する点検だと思い込んでいた。というより、ソフトウェアに関しては、製造元の工場以外が触れることは認められていないので、単に点検と言う場合はハードウェアに関することを一般的には言う。だからそれも当然だった。
二体のオートマタはお互いに通信し合って会話でもしているように見えた。リヒュがはじめて見るソフトウェアの点検に興味を惹かれて、オートマタの様子をじっと眺めていると、ソニナがティーカップを乗せたトレイを持って戻ってきた。
テーブルに三つのカップが並べられる、中身を見たリヒュは戸惑う。灰色の液体。水ではない。水以外の飲み物をはじめて見た。ソニナの顔を見上げると、ニコニコと朗らかな笑顔が張りついている。
「なんですか、これ」
誰も聞かないので、リヒュが口を開くと「コーヒーです」と返ってくる。
「感覚配合をお送りします」と、すぐにリヒュの冠に通知がきた。通信に送付された情報を開封すると、コーヒーと名付けられた感覚配合情報。設定すると即座に冠が疑似感覚を形成。外部から脳に作用して感覚を欺く。灰色だった液体は、つやのある黒色の液体に見えるようになる。口に含む。苦い、そして、嗅ぎなれない匂いがした。おいしいとは思えない。
「くせになりそうな味ですね。結構いけますよ」
リヒュが相手の心象を気にして嘘をつくと「皆さん普通はおいしくないって言うんですよ。リヒュ様は変わってますね」とソニナは声を上げて笑った。リヒュが憮然とすると「いえ、申し訳ありません」と、全くそうは思ってなさそうな顔でソニナは言う。
「ロロシーお嬢様が小食なので、水に食物を混ぜて、栄養を取っていただこうと考案したものなんです。古代の人はコーヒーという泥水を常飲されていたそうですので、それにあやかりました」
泥饅頭を水で溶く様を思い浮かべて、リヒュは飲む手を止める。それを見たソニナがまたくすくすと笑った。良く笑う人だ、とリヒュは思う。つられてメョコが笑う。するとそれはリヒュやロロシーにも伝播して、緩んだ雰囲気が仄かに広がった。
ロロシーは片手でカップを傾け、もう一方の手で電子パネルの一つを取ってなにやら操作している。学校の勉強をしているわけでもなさそうだった。そんなロロシーの様子を見つめながらメョコは一息にカップを空にして、
「ソニナさん。前の続き教えて」
と、甘えるように、まん丸い瞳でソニナの顔を見上げた。
「構いませんよ。それでは、わたくしのお部屋に行きましょうか」
ソニナに連れられてメョコが行ってしまうと、ふいに部屋が静寂に包まれた。ロロシーと二人きりで置き去りにされたリヒュは非常に気まずい気分になる。ロロシーがなにも言わないので、リヒュも黙ったままコーヒーをちびちびと啜った。
盗み見るようにロロシーに目を向ける。学校ではもう少し愛想がよかったはずだが、家ではこんな我関せずでちょっと冷たい感じなのか、と考えたりする。
「メョコは何を教えてもらってるのかな」
少し迷ったが、このまま黙っているのは相手にとっても居心地が悪いだろうと思ったので、忙しそうなロロシーに声をかけてみることにした。
「お化粧ですよ」
簡単な返答。一瞬リヒュに瞳が向けられて、つややかな髪の房がさらりと垂れ落ちた。リヒュは化粧と聞いて、外で会ったメョコの兄のことを思い出す。メョコの化粧に苦言を呈していた。それから、よろしく言っておくようにと頼まれていたはずだが、メョコが忘れているのか、それともわざと伝えないのか。それをリヒュが話題にしていいものかと悩む。
そんなリヒュの心中を見透かすように「外でメョコのお兄さんと会われたんじゃないですか」と切り出された。
「ああ……、うん。なんだかちょっと強引そうな人だったけど」リヒュは精いっぱい控え目な言い方をする。
「あの人。わたくしの婚約者だったんです」
意外な話に目を丸くするリヒュをよそに、ロロシーは続ける。
「わたくしの母と、メョコの父がそういう約束をしてたんです。勝手に。けれど二人とも亡くなって、宙に浮いているような形になっていたのを、あの人は進めたいみたい」
微かに唇で笑う。面白がっているというよりも、疲れた笑いだった。自分のような部外者が聞いていい話なのだろうか、と神妙な表情をしているリヒュに、
「どうも」
と、後ろから声が掛けられた。飛び上がりそうになりながらも、なんとかカップを取り落さずに手のなかで保持する。振り返ると作業着姿にゴーグルをはめた中年の男性が立っていた。
「ロロシーの友達ですか? はじめまして。父のロルンです」
「友達の友達」
ロロシーが即座に訂正する。リヒュも同じことを思ってはいたが、面と向かってはっきり言われると少し複雑ではあった。
「はじめましてメョコの友人のリヒュです。ロロシーとは同級生の」
妙な自己紹介になってしまったが、他の言い方が思いつかなかった。
「そうですか」
硬そうなヒゲが密集している口元がほころび、ゴーグルの奥の目が優し気にロロシーを見つめる。
「学校ではロロシーはどうしてますか」
リヒュに問いかけた父親の質問を遮るように、
「お父様。これ確認して」
と、ロロシーが電子パネルを差し出した。ロルンはその隣に腰掛けてパネルを受け取る。そうして冠を操作しながらボードを覗き込んで「うん、うん」と頷きながら目を通した。
「いいだろう。これで提出しておいてくれるかい」
「はい」
パネルがロロシーの手に戻されると、ロロシーは立ち上がって扉の一つへと歩いていった。扉を潜る寸前に振り返ると、
「お父様。故障したオートマタがまた三台運ばれているので、それの確認もお願いしますね」
と、言って、立ち去っていった。
忙しい事務所の真っただ中で手持無沙汰になっているような座りの悪さをリヒュは感じる。それを見かねてかロルンが口を開いた。
「警察に面倒事を頼まれましてね。恥ずかしながら娘の手を借りてるんです」
「警察?」
「作業員の素行調査みたいなものです」
「素行調査って、悪いことをしている人がいないか、みたいな?」
「そうですね」
「それって、惑星コンピューターが冠を通してやってくれてるんじゃないんですか」
「いやいや。それが、そうもいかない犯罪者が、最近は増えてるでしょう」
言われてリヒュはすぐに思い至った。冠を外した者たち。機械を憎む集団。
「奴隷とかいう犯罪集団ですか」
「そうです。ああいう人たちを見つけるには人間の助けを借りた方が早い、とカリスは判断したみたいですね。それにこのところオートマタの故障が増えていて、機械技師のなかに奴隷の仲間がいるんじゃないかという疑いもあるみたいです」
ロルンの口調は他人事のようで、とても自分たちが嫌疑をかけられているといった緊迫感はなかった。
「そういえば。奴隷が声明を出したっていうニュースを見たんですが」
「第三衛星を破壊する、というものですか」
「そうです。なぜ第三衛星なんですか?」
ロルンはゴーグルの奥で目を瞬たせて「ああ」と、なにか納得したように口を開いた。
「リヒュさんは三つの機械衛星のそれぞれ役割をご存じですか」
教師のような佇まいで聞かれて、リヒュは思わず背筋を伸ばす。
「惑星コンピューターの補佐じゃないんですか」
「そうです。でも一口に補佐といっても色々あって、三つそれぞれが違う役割を担っているんです」
リヒュは今まで三つの機械衛星について、昼に光っているか、夜に光っているか、それとも光っていないか、ぐらいの違いしか感じたことはなかった。それ以上のことを学校で学んだ覚えもない。
「惑星コンピューターの役割はなんでしょう」
「……人間の生活の管理?」少し考えて答える。
「間違ってはいませんが、もっと広い。機械惑星の維持と管理です」
まあ、それはそうか、と納得する。
「それに対して機械衛星たちは、リヒュさんがおっしゃったように人間に重きを置いて働いています。人間の維持と管理ですね。これには膨大なリソースが必要だったので、カリスとは別に演算できる衛星規模のコンピューターが必要になったわけです。三つもね」
ロルンは窓のない壁を見上げて、その向こう側にある機械衛星たちを透かし見るように目を細めた。
「そして、三つの機械衛星はそれぞれ別の立場から人間を見ています。第一衛星は人間の最盛期を基準に、それを恒久的に再現すべく働いています。第二衛星は瞬間的な快楽、人間の持つ夢想性とでも言いましょうか、それを補強し後押ししようとしています。第三衛星はまだ見ぬ可能性。新たな道筋がないかを常に探っています。進化できないか、ということですね。そうして三者三様の意見をぶつけ合って、最善と思えるものを惑星コンピューターが選び取って実行する、というようなシステムになってるんですよ」
「はじめて聞きました」感心しきりのリヒュに「あまり一般的ではないでしょうね。詳しくは衛星に関する、データベースを閲覧なさるのがいいと思います」と、情報のありかが通信で送られる。リヒュはさっそくアクセスしてみたが、専門用語の洪水が網膜に投射されて、危うく目が眩みそうになったので、すぐに遮断した。
「それで話は戻りますが、警察組織というのは第一衛星の管轄なんです」
なら、なおさら第三衛星を狙う理由が分からなかった。第一衛星を破壊した方が、犯罪者にとっては助かるに違いない。リヒュの表情を読み取ったロルンが、すぐに言葉を継ぐ。
「しかし、冠を外してしまった犯罪者たちに手を焼いてるんですね。ただでさえ第一衛星は三つの機械衛星のなかでも処理すべき項目が多くて、負荷が高くなりがちなんです。そこで第一衛星は第三衛星に救援を求めて、奴隷の捜索に関しては第三衛星が行っているという現状があるんです」
「なるほど」
謎がすっかり氷解して、リヒュはすっきりした顔をする。それなら第三衛星を狙うというのはよく理解できた。
「特に最近では奴隷が勢力を拡大してきて、警察内での第三衛星の立場というか、存在感というものが大きくなっています。それを破壊されたら、捜査が大打撃を受けるのは間違いないでしょうね。まあ、しかし現実味のない話です。第三衛星を破壊するなんてことは。おそらくは第三衛星が捜査を行っているという情報を我々は知っているんだぞ、ということを誇示することで警察を牽制をしたいという意図があるんじゃないでしょうか。わたしでも知っているような情報に、そんな牽制効果があるのかどうかは知りませんが」
そう結ぶと「うん」と頷き、ロルンは宙に視線を彷徨わせた。リヒュも思わず同じようにする。話題がなくなると、同級生の父親となにを喋ればいいのかというのが突然分からなくなったのだった。
気まずい沈黙が場を支配した後、「それで、ロロシーは学校で元気にしてますか……」と、ロルンが内緒話でもするように切り出そうとした瞬間に、当の本人のロロシーと、別の扉からメョコ、ソニナが戻ってきた。ロルンはばつが悪そうに立ち上がり「メョコちゃん。大きくなりましたねえ」と、当たり障りのない話題を持ち出す。
「おじさん。前来た時もおんなじこと言ってたよ」
「いやいや、この数日で見違えました」
化粧をソニナから教わっていたというメョコは、確かに見違えていた。顔面が派手に彩られているという意味で。
「そうかなあ」
「そうです。『士別れて三日なれば即ち更に刮目して相待すべし』ですよ。わたしは工場に戻りますので、みなさんごゆっくり」
と、立ち去ろうとして、向かい合ったまま静止している二体のオートマタに目を向ける。唐突にオートマタが動き出した。ロロシーの家のオートマタがくるりと振り返ると、きびきびとした動作で帰っていく。
「終わったようですね」
ロルンがメョコが連れてきたオートマタの傍に寄ると、医師が患者を診るように、手を取ったり、瞳や頭を覗き込んだ。
「どういう点検だったんですか」リヒュが気になっていたことを質問する。
「ん? ああ。これはわたしがレペア氏に頼まれて作った物でして」とメョコの父親の名前が飛び出す。
「敵が多い方でしたし、政治に関わる身として情報の管理は強固に、と念押しされましてね。なので、ちょっと普通とは違う通信装置が組み込まれてるんです。それが正常に作動しているか確かめないといけないんですよ」
「そうなんだ」とメョコが言ったので、リヒュは心のなかで、なんで使ってる当人が知らないんだ、と思ったが口には出さなかった。
「うん。うん。大事に使っていただけているようで、嬉しくなりますね」
「家族も同然だよ」
明るく言うメョコに、ロルンは「ありがとう」と一言こぼして、工場の方へと戻っていった。くたくたになっている作業着の背中を見届ける。それからメョコは「ロロシーの用事は終わったの?」と少し気遣うような表情で、ロロシーに尋ねた。
「ええ。今日の分はね」
「じゃあさ。相談なんだけど、勉強会がしたいんだよ。もうすぐテストじゃん。オンラインじゃなくて、みんなで集まってさ。顔付き合わせてやりたいの」
「構いませんよ。リヒュもいらっしゃるんですか?」
本人に他意はないのだろうが、ロロシーの瞳は正面から見るには力強過ぎた、それに先程、堂々と友達ではない、という意味のことを言われてしまったので、リヒュはちょっとだけ気後れする。そんなリヒュの隣で、メョコが「そうだよ」と、あっさり答えた。
「リヒュの友達も呼んでって頼んでおいたから、ロロシーも誰か呼んでよ。たくさんでわいわいやりたいんだよ」
「じゃあプパタンにお声がけしようかしら」
「あっ。うん。じゃあお願いね。プパタンに弟君連れてきてもいいよって言っておいて」
「ええ。分かりました」
ふわりと言って、ロロシーがソファに腰掛ける。向かいにメョコが座って本格的な世間話がはじまる。もう用事が終わったので、おいとまするものだとばかり思っていたリヒュも腰を下ろして二人の会話に控え目に混ざった。ソニナも参加して、和気あいあいと話題から話題へと次々に流れていく。学校のこと、流行のファッション、昨日行われたスポーツの試合の内容、最近好きな音楽。そうして音楽の話題で「ソニナさんは楽器が得意なんだよ」とメョコが自分のことのようにリヒュに自慢した。
なにか演奏してもらおうということになり、バイオリンの即興演奏を聴かせてもらったが、澄んだ音色で奏でられる音楽に存分に癒されることができた。リヒュが「プロ顔負けですね」と言うと「プロを目指してたんです」と笑顔が返される。こういう話に踏み込むのが苦手なリヒュは、ただ「そうなんですか」と感心したように頷いて話を打ち切った。
場が打ち解けてきた頃に、
「主任いませんか!?」
と、鋭いつばの帽子を後ろ向きに被った男性が、部屋に飛び込んできた。
「お父様は工場にいるはずですよ」
「ああ、お嬢様どうもすみません。どの工場か言ってました?」
「いいえ。でも修理工場だと思います」
「そうですか」と答えながら、男性は冠を操作して探し人の居場所を検索しているようだった。
「引っかからないなあ。ひとっ走り見てきます。もしここに戻ってこられたら、僕が探していたって伝えておいてもらえますか」
「はい。分かりました」とロロシー。
「カヅッチ頑張ってね!」
と、メョコがソファから腰を浮かせて手を振ると、カヅッチと呼ばれた男性は力こぶを作るようなポーズをして「おう。メョコちゃんありがとね」と、元気よく跳ねるように走っていった。
「おう、おう、元気だねえ」と、感嘆したように妙な口調でメョコが言うので、ロロシーが吹き出して、リヒュもつられて笑ってしまった。
「なによー」
「あの人は?」リヒュが尋ねる。
「カヅッチは運搬屋だよ。細かい部品なんかを色んな場所に走って配ってるの。ね、ロロシー」
「そうです」ロロシーは澄ました顔をして、笑いを呑み込んでいる。
「部品を運ぶ設備があるんじゃないの?」と、リヒュが来る途中に見かけた壁のスリットのレールを思い出して疑問を投げかけると、ロロシーがすらすらと答える。
「工場地区は必要に迫られる度に押し広げられ、全体の形としては非常に歪なんです。運搬用のラインが通ってない場所も多くて、そのような場所には人間の足で物が運ばれるんですよ。オートマタにやらせるわけにもいけませんし」
ロロシーは、ソニナが新しく用意した、今度こそ水の入ったカップを口に運んで傾ける。話を聞いていたリヒュはすぐに穴掘り屋のことを思い浮かべた。オートマタに任せられない仕事。オートマタの代替品として働く人間。
「危険だから?」リヒュが頭のなかで結びついた単語をそのまま口にすると「危険?」と、ロロシーは首を傾げた。眉間に微かに皺が寄っている。
「工場のどこであれ、同じように危険もあれば安全もあります。一部例外を除いてオートマタを自由に使えないのは、工場地区全体の話なんです。工場内をオートマタがうろうろしていると、組み立て中の製品と混ざる可能性があるので、禁止されてるんです」
「なんだ。そういうことか」とリヒュ。
同時にオートマタではなくわざわざ人間の使用人のソニナを雇っている理由にも思い至る。
「なんだと思ったんです?」と、ロロシーが腰を浮かせて詰め寄る。固い声色。何故か怒りを買ってしまったらしかった。突然のことにリヒュは答えに窮してしまう。
ピシリと音がした。ロロシーの手にしていたカップの取ってにヒビが入っていた。それに驚いてパッと手が離される。落下するカップをソニナが空中でキャッチ。水は一滴もこぼれていない。
「お嬢様。そのように大きなお声を。お怪我はありませんか。カップが傷んでいたんですね。申し訳ございません」
「大丈夫です。それに、大きな声など、出してはいません」しゅんと花がしぼむように、ロロシーがソファに座り込む。
「『雄弁は銀、沈黙は金』ですよ」
ソニナが言うと、すぐにロロシーが反抗するように、
「『沈黙は愚者の機知である』ともいいます」
と、ソニナの瞳をまっすぐに見た。そんな二人に挟まれて、頭にたくさんの疑問符を浮かべていたメョコが、藪から棒に、「『口から口へ言葉が渡れば、頬が膨れる』なんてどう」と、呪文のように言葉を唱えた。
他の三人は一斉に丸っこい顔を見つめる。
「それは、誰のお言葉なんです?」ロロシーが聞くと「えっ? 私だけど。今考えたの。そういう遊びじゃないの?」とメョコ。沈黙。それから、ぱっ、と頬が柔らかく膨れて笑顔が生まれた。
「ほらね?」と自慢げに言うメョコを呆れたような笑顔が取り囲む。
そんななかリヒュは、そうか、と一人で納得していた。オートマタは笑わない。人間は笑う。口と口で言葉を交わして。ただそれだけのことでも、人間というのは、人間にとって、この世界にとって必要なのかもしれない、と。