●ぽんぽこ10-36 八対七、決死の特攻
「くるみたいだ」と、オオアナコンダ。
「往生際が悪いことで」
キングコブラがヒュドラ―の中央に生える一際大きな首を、のっそりと垂らして地面を這いずった。勢いを増しはじめた雨が土を泡立たせて、マシンガンのような勢いでもって七本の首をまんべんなく叩く。
「長。操作権を返してくれないか」
ボアコンストリクターが呻く。肉体を動かそうとはしているが、頑強に支配された体に精神が疲弊するばかりだった。自分の意思で動かせないのに、感覚は残っているから始末が悪い。ボアコンストリクターは現実世界でもし体を乗っ取られでもしたら、さぞかし悍ましい気分になるだろうと思った。
「俺が動かすより操作感度が高くできればいいだけだろ」
こともなげに言われるが、それができない。
「圧迫感がある。苦しい。頼む」
「軟弱だねえ。いいけどちゃんと戦えよ」
不意に操作を取り戻してボアコンストリクターはハアと大きく息をついた。同時にブラックマンバとナイリクタイパンも解放される。
「敵は八匹」
アミメニシキヘビが首をぐるりと回す。敵は森に散って八方向から攻めようとしているようだった。
「首が足りないが。どうする?」
と、コモンデスアダー。マムシとアオダイショウの操る首は毛糸玉の団子にされて雨に打たれて泥のなかに沈んでいる。
キングコブラの首は雨にとろける地面を熱心に探っていたが、しばらくして目的の物を見つけたらしく首を高く持ち上げた。
「あったあった。こんなこともあろうかと本拠地に置いといたんだ」
咥えられているのは岩。鉄を帯びたように黒く、錆びついた質感。平たく鋭い形をした、鎌のような岩。
八方向に配置が終わったライオンの群れの面々が一斉に攻め込んできた。全員がゴールを目指し、一直線にやってくる。六頭の獣が地を駆けて、二羽の鳥が空を翔ける。
すぐに敵は攻撃圏内まで到達。迎撃しなければならない。と、いう時にも関わらず、キングコブラは攻撃指示を出したりはせずに、
「お前ら並べ」
「長それは……」
ボアコンストリクターが困惑した声を上げる。
「何本ならいける?」
「何本?」
「四本ぐらいならいけるか。人間だって両手両足動かしてるんだ。いや、もういっちょぐらいは耐えて欲しいなあ。八本でどうだ。指の数より少ないんだから、当然できるよなあ」
勝手に納得すると、鎌のような岩を振るった。
「なんてことしてんだアイツ!」
リカオンが泥道を走り、雨すだれをかき分けながらながら思わず叫んだ。
目の前で繰り広げられる惨憺たる行為。
ヒュドラ―の中央の首。キングコブラが操るひと回り大きな頭が鎌のような岩を拾い上げると、それを使って他の首を切り落しはじめた。団子になっていた二首も根本から落とされる。切断された断面からは二股の首。さらにもう一度、鎌が振るわれると、二股が四股に。さらにダメ押しのひと振り。四股が八股になる。
倍々に首が増えて、八本の首がそれぞれ八股、八倍になって合計六十四本の首。八岐大蛇八体分。中央の首を合わせると、六十五本もの首。イソギンチャクさながらの姿はもはや九頭のヘビではなく百頭のヘビと呼ぶべき形。
――システムの隙をついてるな。ずる賢い奴だ。
リカオンは考える。同じ群れのメンバーに対する同士討ちはシステム上禁止されている。それなのにキングコブラの攻撃が仲間の首を切断できているのは群れ長特権を使ってるから。長は群れ員を攻撃して体力を奪うことで強制脱退させる権利がある。それを悪用している形。ヒュドラ―は不死身の怪物。いくら攻撃すれども体力が減らないので脱退はされないらしい。ただ首が増えるのみ。
その非道さに顔を顰めながらも、リカオンは感心してもいた。よく思いつくものだ、と。
切断された大量のヒュドラ―の生首があたりに降り注ぐ。地面に落ちた生首は自切されたトカゲの尻尾のようにのたくって、泥をはね飛ばし、ぶち当たった樹々をかすかにひしゃげさせた。
ライオンたちの作戦は根底からくつがえされた。八対七だったはずの戦力差が、いまや八対六十五。当てが外れるにもほどがあった。
リカオンは足を止めて、引くべきか、と考える。が、すぐに前に向かって走り出した。
――操作不良か。
八股になったヘビたちは枯れたように首をへたらせたまま動かない。中央の首だけがアンテナのようにそそり立っている。一本の体が八分割されて、すぐに対応できるプレイヤーなどいるわけがない。それに気づいたリカオンはヘビの生首の隙間をぬって、乗り越えて、全速力で駆け抜けた。仲間たちもリカオンと同様の結論に辿り着いたようで、追随するように攻めの姿勢で前に進む。
――行ける!
リカオンは項垂れるヘビの大群に飛び込んだ。六十四のヘビが眠る園。ぬるぬるとしたヘビ波をかき分けその根元へと向かっていく。
キングコブラはぞくぞくと集まりつつあるライオンの群れの者たちを怪訝に見回した。真っ先にやってきたのはリカオン。役立たずの手下たちはスピーカーから言葉にならない声を上げ、体をまったく動かさない。
しかたがないので残った中央の首、いわば本体であるキングコブラの首自らが、リカオンに対して牙を剥く。その時、空からクロハゲワシとヘビクイワシが飛来した。ヘビの目玉をついばもうと、くちばしによる刺突を放ち、強力な蹴りで攻めてくる。キングコブラは不死身の体を緩慢にもたげ、面倒そうに鳥たちを振り払う。
そのあいだにも、シマウマが蹄で泥をはね飛ばし、雨を弾いてヘビの首を踏みつけながら、ヒュドラ―の足元へとやってきていた。重たいヒュドラ―の胴を肩で押して、なんとか小さな隙間をつくることに成功する。
「誰か! 滑り込んでくれ!」
シマウマの呼びかけにピューマが応える。鼻先を突っ込んで、地面を激しく引っかいたものの、しかしゴールはまだわずかに遠い。洞のような隙間の奥に、ゴールを示す光柱のグラフィックが見えるが前足が届かない。ピューマは諦め、すぐに作戦を切り替えると、自分もヒュドラ―の胴を押し上げる側に加わった。シマウマと共に肩を当てて、押しのけようと力を尽くす。
さらにすこし隙間が広がった。
「誰か! 早く!」
偽のライオン、オオカワウソは急いではいたが走力が足りていない。他の者たちよりも足並みが遅れていた。届かない位置にいる。
そして、本命であったはずのボブキャットはというと、
「返せ!」
「やーだよ」
「ドロボー!」
ケープハイラックスに黄金の林檎を奪い取られていた。
ずんぐりとした岩狸が垂直に切り立つ巨樹をするすると登っていく、ボブキャットはすぐさま追おうとするが慌てるあまりに雨で濡れた枝から足を滑らせて落下してしまった。
なんとか空中で宙返りして草の上に着地を決める。
樹の頂上付近にまで登ったケープハイラックスは、咥えていた黄金の林檎を枝のお皿の上に置いた。あらためて眺めると、見つめる瞳に輝きが飛び込み、息を呑むような美しさ。
「なにこれ。きれい」
「返せ!」
樹下でボブキャットが飛び跳ねる。
「そんなに言うってことはやっぱり大事なものなんだ。なんか分かんないけどとりあえず邪魔してよかった」
「……」ボブキャットは耳と尻尾を尖らせると、くるりと背を向けて「そんなものオイラ別にいらないもんね」言い訳じみた声をもらす。
「そうなんだ」
「全然大事なものじゃないから早く捨てたほうがいいよ。大蛇の大事な太政大臣って感じ」
「なにそれ?」
「オイラにも分かんない。分かんないよぉ……。どうすりゃいいの……」
返してもらえるそぶりはなく、ボブキャットの気は逸るばかり。早くいかないと仲間が困ったことになる。でもその前に黄金の林檎を取り返さないといけない。板挟みのどっちつかずで混沌とする頭のなかはぐちゃぐちゃになって、体は無駄に樹の根本をぐるぐると回ってしまう。
そんな時、「あっ!」と樹上のケープハイラックスが間の抜けた声をこばした。こぼれおちた声を下で受け取ったボブキャットは見上げて、視線の先を追う。
ヒュドラ―。その首が切断されて、増殖しているところは見ていた。増殖したはいいものの、うまく動けない様子でへたったところも。それを見た仲間たちが突撃していったところも。そして、ボブキャットは自分も行かなきゃという思いに突き動かされて、走った。その途中、梢から降ってきたずんぐりむっくりのケープハイラックスに大事な大事な黄金の林檎を盗まれたのだ。
ボブキャットが振り返ると、たくさんの花が咲いていた。真っ赤な花。鮮血で染めたような。それは、開かれたヘビの大口であった。先の割れた舌を躍らせ、十の首が二十の牙を携えて、ボブキャットの頭を咥えこんだ。
「お前らなってないねえ」キングコブラが嘆息する。
「結局、俺が全部やるんじゃねえか」
操作不良に陥った全ての首を、キングコブラはひとりの意思で動かしていた。
「おらっ!」
と、二十の首が空にいるヘビクイワシとクロハゲワシを襲い、
「それっ!」
と、三十の首が足元にいるピューマとシマウマを襲う。
「逃げろ!」
ライオンが咆哮を上げた。ライオンはいまだ敵の攻撃範囲の半ばの位置。タヌキの能力ではライオンにかなうべくもない。同じ活躍を期待されたとして、はじめから果たせるわけもなかったのだ。己の無力が肉球いっぱいに張り詰めて、ただ走るということすらままならない。
ヘビヘビヘビの大洪水。ヘビが入り乱れるヘビの大波が仲間たちを呑み込む。
ヘビクイワシがヘビに噛まれる。それを中央の首ががぶりとひと呑み、胃に納めた。クロハゲワシが隙間をぬって降下して、リカオンを拾い上げると全速力で空を翔ける。シマウマは咄嗟の判断でピューマを蹴り出し、逃がそうとした。ピューマが大きく跳ね飛ばされると同時に、数多の毒牙がシマウマの体に穴を穿つ。ピューマは仲間に感謝する暇もなく急いで危険域から脱出する。背後ではシマウマの大きな体を丸ごとヒュドラ―が呑み込んでいた。
ライオンとオオカワウソはそれぞれ全力で踵を返す。やや離れた位置にいたのが不幸中の幸い。攻撃にさらされることはなかった。
――なんで。
ライオンの心は雨に濡れる熱帯雨林よりもじっとりと湿り気を帯びていた。
――なんで。
振り返る。
ライオンは見た。
ボブキャットがヒュドラ―の喉奥へと納められる刹那の光景。怪物の首を満たして、内側から膨らますヘビクイワシ、シマウマ、仲間たちのシルエット。
――食べられる。
――食べられる。
――食べられたくない。
――死にたくないよお。
ライオンの、タヌキの頭のなかは真っ白になり、ただただこの場から離れたいと必死になって、わき目もふらずに逃げだした。