●ぽんぽこ10-30 夏の怪物
有翼のヘビ。蛇神ホヤウカムイ。暗色の太い胴体に短い尻尾。鼻先は槍の如く尖がって長く長く伸びている。切っ先が向けられているのはライオンの頭にワシの胴体を持つ怪鳥。神エンリルの随獣アンズー。ライオンとクロハゲワシが合体した合成獣の肉体。
夜に沈んだ熱帯雨林の空の一角で、本来であれば空を飛ぶことなどない動物たちの鼻先が突き合わされ、その決戦の火蓋が切られた。不意に現れた八咫烏の太陽によって昼間以上に熱せられた熱帯雨林はサバンナにも似た暑さとなって、湿気が逃げ出し乾いた空気が二頭の羽音を遠く彼方にまで響かせた。
アンズーは嵐と雷の化身。翼で空気をかき混ぜて、スキルによって強風を呼び出し妨害する。だが熱帯夜に吹く熱風を追い風にするホヤウカムイは、アンズーの風を切り裂きますます加速してきた。
ならば、とアンズーは稲妻を呼び寄せる。星が隠れて小さな黒雲が形成されると雷の矢が放たれた。スキルの効果は呼び出すことだけ。その後の稲妻の軌道については誘導などできない。いわば照準機能のないでたらめな狙撃だが、ホヤウカムイの鋭い鼻が避雷針となって、一直線に敵を捉えた。
夜にひび割れのような稲妻が走りホヤウカムイを撃ち貫いた。しかし、それでも相手が止まる気配はない。
「効いてないのか?」ライオンが想定外の耐久力に声をもらす。
「とにかく回避だ!」クロハゲワシが羽ばたいて、アンズーの体を敵の攻撃軌道から逸らそうと身をよじった。
ふたりにとってこの有翼のヘビは初遭遇の敵。知りはしないことであったが、アオダイショウが夜刀神のスキルで作り出した迷いの霧のなかで、キリンたちが戦った時よりもホヤウカムイの力は数段強まっていた。
蛇神ホヤウカムイの異名は夏に語られぬ者。夏に力を増し、言葉にするのも忌避される存在。いま、熱帯雨林は八咫烏がもたらした太陽の残照により夏よりも暑く熱く滾っていた。それはホヤウカムイに対して飛躍的な能力上昇効果をもたらしていた。
――速い!
一気に距離が詰まる。同等の体格を持つ二体の怪物が鼻先を突き合わす。クロハゲワシは接触を覚悟したが、強風。アンズーは横に流されて辛くも危機を脱する。ライオンがスキルで風を呼び出して回避を補助したのだ。
稲妻に打たれて帯電したホヤウカムイはチリチリとスパーク音を鳴らしながら、撃ち上げ花火の如く星空へと吸い込まれていく。蛇神が発する生臭い嫌な匂いがほのかに尾を引き風に消える。空中で横倒しになったアンズーはそのまま羽ばたかずに森へと落ちていった。そうして膨らんだ梢に到達する直前にバッと体勢を整えてしばし滑空。覗く隙間もない樹下へとワシの体を滑り込ませる。
地面に着地してライオンとクロハゲワシのふたりは考える。
空中機動では向こうに分がある。カジキマグロのような流線形の体に翼による揚力が与えられ、槍鼻が凄まじい推進力を得たミサイルと化している。風で邪魔することもできず、雷も効かないようだ。
ライオンとクロハゲワシのコンビが持つもうひとつの合成獣のスキルであるグリフォンの姿になれば空中でも戦えるかもしれない。風と雷の力は使えなくなるが、グリフォンの肉体の方が飛行速度が速く、体格が大きいのに加えてアンズーの二本足から四本足に変わるので全体的に肉弾戦に優れる。
だが、それとは別の選択肢もある。
逃げる。戦わない。
敵の本拠地は目と鼻の先。
ここでわざわざ敵を倒す必要はない。ゴールすれば勝ちなのだ。他の群れ員たちも同じように考えるはず。ゴールに近づくほどに、いまははぐれている仲間たちと合流できる可能性も高まる。
「ゴールを目指すぞ」ライオンがゴールを示す光柱に鼻先を向ける。
「俺も同じことを考えてた」クロハゲワシが翼をはためかせる。
「森を行くにはこっちの肉体だと不利だ。もうひとつの方になって駆け抜けよう」
「そうだな」
ライオンとクロハゲワシが組み代わる。ワシの上半身、ライオンの下半身。ワシの前足とライオンの後足の四つ足を使って、力強く地を蹴り樹海を疾駆する。
森のなかは空の上よりもさらに暑い。偽の太陽が熱した梢が手に手を広げて重なって、その下のものを蒸し焼きにしようと取り囲む。針のように細まった星々の光だけが道行を知る手がかり。導くように樹海に落ちる星の欠片を辿って、グリフォンは森に身を隠しながらゴールを目指して進んでいく。
藪がかすかに動いた。
ヘビが飛び出してくる。それも二匹。黒と白の縞模様をしたアマガサヘビ。濃緑と赤の斑模様のヤマカガシ。いずれも強力な毒を持つ毒蛇が左右前方から牙を剥いて襲いかかってくる。グリフォンは大きく翼を振って背中を反らすようにライオンの後足でワシの上体を起こすと、強靭なワシの両手で二匹を鷲掴みにしてひねりつぶした。二匹の体力は軽々とゼロにされる。
樹上からもう一匹。トビヘビ。緑と黒の色鮮やかな鱗が躍る。
トビヘビは名前の通り飛ぶ能力を備えたヘビ。と、言ってもホヤウカムイのように翼があるわけではない。どうするのかと言うと、なんと肋骨を広げて体を平べったくすることで滑空するのだ。帯のようになった体をひらひらとくねらせて、樹の枝から樹の枝を渡る。ムササビなどには劣るものの、それに迫る距離を滑空した例もあるという。
グリフォンの背中にトビヘビが取りつく。トビヘビは弱い毒しか持たないものの羽衣に紛れて一方的に噛みつかれると非常に困ったことになる。
ワシの上半身が身もだえする。トビヘビはひと噛み、ふた噛みして、まだ振り落とされない。三度噛みつこうとヘビの牙が剥かれる。突き刺さろうというその時、ピシリと振られたライオンの尻尾がトビヘビを弾いた。ずり落ちると同時に大地とライオンの足裏とに挟まれて、平たい体が体力ごと引き裂かれる。
神聖スキルを所有していなくとも侮れない敵たち。戦っているあいだにもホヤウカムイが追いついてきた。空から樹海へと飛び込んで、樹々のあいだを潜り抜け、熱い森のなかを泳ぐようにやってくる。
有翼のヘビが通ったあとには、発散される悪臭によって花はしおれて、葉が散って、くすんだ色だけが残されていた。
グリフォンは視界に入った大樹の裏に身を隠す。しかし、この分厚い幹による間に合わせの防壁を、有翼のヘビの尖った鼻は容易に貫き、へし折った。木っ端が舞い散り、金切り声のような倒木音が響く。グリフォンは無理な体勢で逃げようとして、宙返り気味に飛び上がる。しかし槍の先端は無情にもグリフォンの背に到達しようとしていた。
串刺し、という直前、グリフォンが分離した。
ライオンとクロハゲワシのふたりが空中に投げ出される。上にはライオン、下にはクロハゲワシ。たてがみと翼のあいだをホヤウカムイの槍が通る。その時、ライオンが腕を伸ばしてホヤウカムイの背にしがみついた。クロハゲワシも咄嗟に脚を力の限り突き出す。有翼のヘビの太い胴の腹の下に潜って片翼の根本に逆さ吊りの姿勢で掴みかかった。
大きなお荷物。しかしライオンは体格のわりに軽い。重さをまるで感じない。ホヤウカムイは熱気によって自身が強化されているからだと考えたが、事実としてライオンは軽かった。それも当然、タヌキが化けている肉体なので、重さはタヌキと変わらないのだ。つまり本物のライオンの四十分の一ほどの重さしかない。吹けば飛ぶようなハリボテの肉体。
とはいえ両側から押さえつけられたホヤウカムイは、飛行姿勢の制御が困難になる。有翼のヘビが腹を地面スレスレに這わせて飛ぶ。岩にぶつかったクロハゲワシが引き剥がされた。途端に体が動かしやすくなったので加速。するとライオンもあっさりと振り落とされてしまった。
高速で飛行する有翼のヘビの目の前には太い樹の幹。速度を落とさずその外周に体を沿わせる。縄が柱に打ち付けられたようにグルンと方向転換。急反転した鼻先の槍が、侍の居合抜きの如くに半月を描いて辺りの枝を切り落とす。そうして最終的に切っ先が向けられるのは、振り落とされて地面に倒れるライオンのその心臓。
鳥の羽音。クロハゲワシはよろめきながらも、ライオンを助けようと全力で翼を動かしていた。合成獣のスキルが発動できる範囲内に入るには距離が離れすぎている。
――間に合わないか!?
それでもクロハゲワシは体を前に進める。ライオンが落下の衝撃から解放されて身を起こそうと四肢で地面を押さえつける。迫る槍の切っ先。
クロハゲワシの羽音はまだ遠い。が、羽音はもうひとつあった。
強い衝撃をホヤウカムイは頬に感じた。張り倒されたように頭が横に振られる。横目に敵の正体を知る。美しいオレンジに縁取られた瞳が間近にあった。ピタリと視線と視線がかち合い、ホヤウカムイが吹き飛んだことで遠のいていく。
「あなたは食われる側なのよ」
ヘビクイワシが飛びついて追撃の蹴りを放つ。倒れたホヤウカムイは鼻先を起こすが、横から現れたリカオンがその切っ先に齧りついて攻撃を許さない。ヘビクイワシの強烈な蹴りが再び有翼のヘビの頭を捉え、脳を激しく揺さぶると、ホヤウカムイの動作にノイズが走ったような重みが生じる。
「ライオンちゃん!」
林檎の植物族がニョキニョキと生えてきて、新鮮な果実をライオンのそばに放り投げるように落とした。
「感謝する!」
ガブリとひと口。体力が回復する。クロハゲワシがくる。グリフォンになると、ライオンの後足で地を蹴って、翼を振って飛び上がる。
ホヤウカムイはリカオンに鼻先を引っ張られながら、翼をひるがえして浮き上がった。逃亡を図ろうとするが、グリフォンが覆いかぶさって阻止。さらにヘビクイワシの蹴りが執拗に責め立てる。グリフォンの四肢が肉をえぐり、黄金色の太いくちばしが背をつつく。二頭と二羽の総攻撃に、暴れていたホヤウカムイもついにスキルが解けて、本来の肉体であるマムシの姿を晒し、体力が尽きて横たわった。