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●ぽんぽこ10-28 空を失くした獣

 放たれた豪速球を打ち返そうとする打者の構え。

 鞭のようにしなったキリンの首によるネッキング攻撃。猛進するニベクヴェに対して、カーブをえがいてすくい上げるような軌道きどうで振られるホームラン狙いの一打。接触する、という直前。

「それはダメだ! 逆に首を折られるぞ!」

 カワウソの声が飛ぶ。フォアボールを見切った打者のようにキリンの首がピクリと止まった。黒豚の怪物ニベクヴェが巨大なキリンに気圧けおされもせず長い首の下を駆け抜ける。その先には転んでしまったオカピ。このままではかれる、というところでキリンが機転を利かせて眼下をくぐるニベクヴェの背中に長い青舌を伸ばし、べろりとひとめ。ニベクヴェはむずがゆい感触に鳥肌を立てて、脱輪でもしたように道をそれる。オカピはすんでのところで攻撃を避けるとすぐに身を起こした。

「舌がひりひりする。摩擦まさつで火傷したかも」

 キリンがべろべろと舌を揺らす。ニベクヴェは体勢を整えながら走り過ぎて、遠くでぐるんとカーブをすると、また攻撃に戻ってきた。

「大丈夫?」

 聞くキリンにオカピが顔を青くしながらうなずく。

「そっちも無事だったんだね」

 カワウソが急いでキリンに駆け寄って声をかける。道中でボブキャットからシロサイたちと一緒だったということは聞いていた。

「シロサイも近くにいる?」

 唯一、ニベクヴェの突撃に対抗できそうな動物プレイヤー

「いや」

 と、キリンは怒涛どとうの勢いで迫る敵から視線を外さずに、空に近い場所にあるまつげをしばたたかせた。

「私はシロサイたちからはぐれちゃったんだ。空飛ぶヘビ。槍みたいな鼻先の化け物ヘビを引きつけて逃げてたんだけど、いつの間にか振り切ってた」

 キリンの体にはホヤウカムイとの戦いで刻まれたいくつもの裂傷。

 話しているあいだにもニベクヴェの突撃がやってくる。キリンの真正面。キリンが咄嗟とっさに足を開くと黒豚の怪物は勢いのまま股の間を潜って遠のいていった。ブーメランのようにカーブして、また方向をこちらに定める。

 ボブキャットがやってきて、キリンの首と自分たちを閉じ込める窪地の外周とを見比べた。

「キリンさんに乗ったら崖みたいな坂の上に戻れるんじゃないの」

 この提案は、すぐにカワウソに却下される。

「それだとキリンさんが下に残されちゃうでしょ」

「あっ。そっか」

 うっかりしていたボブキャットが舌をぺろりと出したが、キリンは首を振って、

「それでいいんだ。そのために下りてきたんだ。あれはもう踏んだよね」

 と、そもそもの目的であった窪地中央の拠点を鼻先で示した。

 カワウソ、ボブキャット、オカピはそれぞれ肯定を返す。三頭ともニベクヴェとの鬼ごっこのどさくさに紛れて通過だけは果たしていた。あとはゴールするだけ。このアリジゴクを脱出できればの話だが。

「なら決まりだ」

 またニベクヴェの突撃。キリンは闘牛士マタドールがするように首をひらひらと動かして、さっといなした。勢い余ったニベクヴェが遠のいていくのと同時に、キリンが窪地のふちに全員を導く。

 坂の下まで全速力で駆けてザッと止まると、

「みんな早く!」

 キリンが後ろ足を曲げて背中を下ろす。

「早く乗って!」

 ニベクヴェはあきらめずに突撃の構えでやってくる。逼迫ひっぱくした状況に迷っているひまはない。

 キリンのお尻から背中、そして首を渡った頭の先が一直線に渡された梯子はしごになっている。カワウソはすぐにキリンの背中を駆け登った。ボブキャットも不安気な顔をしながらも首をよじ登って、壁のような坂を攻略する。

 だが、

「ぼくは無理だね」

 オカピはキリンの背中を見上げる。背中に乗るぐらいはできるだろうが、そこから上には届かない。坂の上部はキリンの頭と同じ高さ。到達するには首を伝って渡らなければならない。いくらキリンの首が強くても、首だけでオカピの全体重を支えられるとは思えなかった。

「たしかにちょっと無茶かなあ」

 キリンも言って腰を上げる。窪地を脱出した二頭にキリンは「行って!」と声をかけた。

 オオカワウソがゴールに向かって迷いなく走り出す。ボブキャットはその背中を見て、キリンたちに目を向けて「とっとと終わらせてくるから待ってろ」と決意を新たにカワウソを追っていった。


 まんまと二頭には逃げられた。

 ――せめて残った敵だけでも。

 突撃をくり返す。しかししぶとい。オカピとキリン。根気比べになってきた。

「もう戦うのはやめとかないかい」

 キリンが言う。

「スキルでブタみたいになってるけどコビトカバなんだってねえ」

 一緒に逃げ回っているオカピが伝えた情報。かけっこが続き、話も続く。

「君、ここから出られないんじゃないの」

 確かにそうだったが、群れ戦クランバトル終了と同時にどうせ転移するのだから関係ない。

「私たちも出れない。戦うも戦わないも同じでしょ。だから、ちょっとのんびりしてもいいんじゃないかな」

 この状況では一理ある。だが、

「そう言ってぼくが止まったら踏み潰す気だろう!」

 いまさら引くに引けない。戦いははじまっているのだ。

「空を見たことはあるかな」

「急になんの話?」

 と、味方のオカピから疑問の声。ニベクヴェも同じことを思った。

「ほら」

 キリンはひざを折って座り込んだ。仲間を窪地の外に逃がす時とは違って、後ろ足だけでなく四肢を完全に折り曲げている。

 キリンが座るの非常に珍しい行動。野生のキリンは一日うち半刻にも満たない時間しか眠らない。それも樹に体をもたれかけさせるぐらいで、腰を下ろしたりはしない。野生の世界では常に警戒をしていなければ、いつ敵に襲われるかもわからないからだ。それに巨大な体を維持するために食べ続けなければならず、睡眠にあまり時間をかけるわけにもいかないという理由もあった。

 さらにキリンは寝転ぶことができない。寝転んだキリンは死んでいるのと同じ。キリンは長い首の上にまで心臓から血を送る必要があるので、横になったりすれば血圧の調整機能が狂って二度と立ち上がることができなくなる。

 座るというだけでも十分に危険な行為。

 あまりに無防備な行動にニベクヴェの歩が緩やかになる。オカピも離れた位置で立ち止まった。

「乗せてあげる」と、キリン。

「ぼくが? キリンさんの背中に?」

 ニベクヴェは走るのを忘れて歩きながらたずねる。

「そう」長い首が縦に振られる。

「けっこう重いよ。小さくたってカバの仲間だから」

「大丈夫。コビトカバなら私の首よりも軽いから」

「キリンさんの首ってそんなに重いんだ」

「まあね」

 キリンのそばにきて、ニベクヴェはぴたりと止まった。その姿はもう怪物のものではない。コビトカバの丸っこい顔の上でくりくりとした瞳がおどった。

「乗るのはがんばってね」

 よじ登る。ずり落ちるとキリンが位置を変えてくれた。

「手伝ってあげる」

 オカピがやってきて、コビトカバの尻を押す。

 乗れた。背中が持ち上がると視線が上がる。視界が広がる。

「やっぱり言い過ぎたかも。君のほうが私の首よりも重い」

 ふふ、とキリンが笑ったので、コビトカバもなんだかおかしくなった。

 空をあおぐと目がくらみそうな星空が広がっていた。

 ずいぶん長い間、空を忘れていたような気がする。機械惑星ノモスの空にはあきらめだけが広がっている気がして、うつむいていることが多かった。

 ブタは身体構造上、空を見上げられないのだと言う。

 自分の心を見透かして、ピュシスはニベクヴェという黒豚の怪物の神聖スキルを与えたのだろうかとコビトカバはふと思った。それを察してキリンも空を見たことがあるかなんて言ったのかもしれない。

 はじめて眺めるようなピュシスの星空。機械惑星ノモスの星空とはまったく違う。地球と機械惑星ノモスでは惑星の位置が違うのだから当然だ。

 見たことのない星がたくさんあった。そもそも見たことのある星などあるわけがない。この星空も地球の再現なのだろうか。

 ゲーム内の時間経過速度は現実よりも速く設定されている。そのおかげで星の動きがよく分かる。ひとつだけ動いていない星を見つけた。確かあの星の名前はポラリスというのではなかったか。北極星。いや。北極星は時期によって変わるんだった。そんな記録を見たような気がする。ならあれはベガかエダシクかトゥバンか、はたまたデネブか。

 この星空のなかに機械惑星ノモスはあるのだろうか、とコビトカバは考える。

 ゲーム内に再現された情報から失われた地球の位置情報を得ることができるかもしれない。

 ――いや、それは逆か。

 このゲームはあくまでデータベース内に残されている地球の情報から作られているはず。当時の地球を知るものなどいないのだから。間違った情報も間違っているとは分からないまま混ざっているに違いないし、ここから見える星空でなにかが分かるのなら、それは現実でとっくの昔に判明していることだろう。

「綺麗だねえ」

 キリンがしみじみと言ったので、

「そうですね」

 と、コビトカバは心を無にして返した。

 地球ではエネルギーが循環している。それも機械惑星ノモスよりも複雑な機構で、無限の要素が絡まり合っている。

 太陽に育てられた植物。植物を食べる草食動物と、草食動物を食べる肉食動物。動物たちは死して大地にかえり、植物を育てるかてとなる。しかし、動物から植物へのバトンを渡すには、やはりバクテリアの働きなくしては……。

 雑然とした考えを湧きあがらせていると、オカピが「ぼくも乗りたいなあ」と、こぼした。また空のことを忘れていた。

「代わろうか?」

「キリンさん。いい? ぼくはたぶんコビトカバより重いよ」

「いいよ。子どもの相手なら慣れてるからね。こんなのへっちゃらだ」

「ぼく子どもじゃないよ」と、オカピがふくれる。

「私からしたらみんな子どもみたいなもんだ」

 キリンはコビトカバが落っこちないように身をかがめながら、

「だてに長生きしてないからね」

 と、目尻にしわを寄せた。

 コビトカバが下りると、オカピが背中によじ登る。さっきのお返しにコビトカバはオカピを押して手伝った。

「おおお」

 子どものような歓声。

「いままであなぼこの下にいたからすごい解放感」

「それに熱帯雨林は樹が密集している場所しかないからね」コビトカバがウンとうなずく。

「でもキリンさんはこの背中よりも高い位置からずっと世界を見てるんだねえ」

 オカピが感動したようにスピーカーを震わせる。

「オカピの首もそのうち私みたいに伸びるかもしれない同じキリン科なんだから」

「キリンさんの首はどうしてそんなに長いの?」

「長生きしたからさ」

「そうなんだ」

「長生きはするもんだよ」

 なんだか含蓄がんちくを感じさせる言葉をオカピとコビトカバはふたりして耳におさめる。

 この場所ではもはや戦は終了していた。あとはそれぞれの群れクラン、それぞれの仲間たちの頑張りしだい。敵も味方もなくなった三頭は巡る星を眺めて、もたらされる結果をただただ待ちわびるのであった。

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