●ぽんぽこ10-24 意地の張り合い
勇気の一歩をシロサイが踏み出して、カバの大口に鼻先を突っ込ませた。
シロサイの頭はカバの大口にすっぽりとおさまり、鋭い角の切っ先がカバの上顎の裏に突きつけられた。それと同時にサイの首元にはカバの牙が触れ、喉を貫かれる一歩手前のところで止まる。
動けば相打ち、共倒れするという体勢。こうなれば押すも引くもできず、ふたりは一蓮托生の運命共同体になった。戦況は膠着状態に陥る。
「さて。ここからどうするつもりだい」
カバが大口を開けながらスピーカーを鳴らして、自身の口のなかにいるシロサイに言う。
「こちらが聞きたいところだな」
「一時停戦といかないか」
「ほう」と、シロサイが鼻息を吹かせるとカバはくすぐったそうに舌を揺らした。
「舐めるな」
シロサイが身じろぎする。
「舐めてなんかいないさ。本気の提案だ」と、カバ。
「そうじゃない。舌を動かすなという意味だ」
「おっと」と、無意識にサイの顎を舐めまわしていた舌が引っ込められる。
すると今度は涎がだらだらと垂れてきてシロサイの顔にべったりと張りついた。
「ついでに涎も止めてくれ」
「自分ではコントロールできない。すまないけど我慢してくれ。それより停戦について考えてくれないか」
「だめだ」はっきりとした拒絶。「口のなかにいるこっちの方がリスクが大きい。そっちが裏切ったらおれが一方的にやられるだけだ」
「そんなことはしないと誓う」
「どうだか。おれは口の臭いやつは信じないことにしてるんだ」
シロサイの言葉に、カバは少々気分を害したように溜息をついた。喉奥から吹きつけてきた風にシロサイがせき込んで、角の先が口内をくすぐる。
「ひっひっひっ。むずがゆいよ。口を閉じてしまいそうだ」
「閉じればそっちもおしまいだがな」
「試してみるか」挑発するようにカバが言うと「やれるもんなら」とシロサイ。
口が閉じられればシロサイはカバの下顎の犬歯に喉を突かれて死ぬ。それと同時にカバもまたシロサイの角によって脳天を突き破られて体力が尽きることになる。
逆にシロサイが角を突き上げても同じことになる、カバの重たい上顎がずっしりと覆いかぶさってきて、洞穴の如き暗い口のなかがギロチンと棺を兼ねた墓標になるだろう。
結局どちらも動かない。
「それにしてもカバ。お前の口のなかは臭くてかなわんぞ」
「そっちが汚した川の水を飲んじゃったせいだよ。自業自得だ。嫌ならその角でぼくの歯磨きでもするんだね」
「抜歯ならしてやるよ」
シロサイが狙いを定めるように鼻先を動かすとカバも油断なく顎に力を込めた。
そんな風にいがみ合うふたりの元に、一時離れていた真っ黒な鳥、ミナミジサイチョウが戻ってきた。
「な……!」
ミナミジサイチョウは絶句する。カバの大口に呑み込まれたシロサイの頭。かなり衝撃的な光景に肝をつぶしてしまって、力が抜けた翼は、なかば墜落する軌道で地面に落ちる。
そんなジサイチョウの羽音をサイは口のなかから聞き取って平然と声をかけた。
「戻ってきたのか。ピンクのオウムはどうした」
「えっ!?」
ジサイチョウは声を上げて身をすくめると、おそるおそるという態度でふたりの近くにまで歩いてきた。そうしてカバの口を横から覗き込んで、そこでまだ踏ん張っているサイと視線を交わす。口のなかのサイと、大口を開けたまま動かないカバを見比べて、ゆっくりとだが事態を把握していく。
「生きてるのか」と、ミナミジサイチョウ。
「死んでるように見えるのかこれが」と、シロサイ。
「君の仲間はとんだ強情者だよ」カバも答える。
ジサイチョウは躍動感のあるオブジェのように凍りついたふたりの姿を見上げてしばし言葉を失っていたが、カバが、ふうう、と息をつくと、思い出したように自分の成果をシロサイに伝えた。
「ピンク色のうるさいオウムは倒した」
「よし」と、返事したが、シロサイは頷くこともできない。
カバは予想通りのことであったので、その報告を聞いてもいささかの動揺もなかった。
「ミナミジサイチョウ。頼みがある」
「なんだ」
カバの口の縁からこぼれる涎をよけながら、ミナミジサイチョウは空を覆いはじめた夜空よりも暗い場所にいるサイを見上げる。ジサイチョウは黒の羽衣に包まれているが、目元から喉にかけては赤い皮膚が露出している。その赤だけが影のなかではっきりと浮かび上がった。
「いまは、おれもカバも身動きがとれない。お前がカバを仕留めろ」
間近で交わされる攻撃指示にカバは黙ってはいない。
「なにをする気だ」
「ウシツツキみたいに突くんだよ。カバ。お前の度胸試しと言ったところか」
シロサイがカバに言うが、ミナミジサイチョウは了承できかねた。
「そんなことしたら、やけっぱちになったカバが口を閉じるんじゃないのか」
「そうさ。閉じてやるさ」
意気込むカバの頭をも冷まさせようと、ジサイチョウがどちらに言うでもなく、
「焦るな」
と、交互に黒く大きなくちばしを向ける。
「ぼくは停戦を提案したぞ」カバが強い口調で言う。「それを断ったのはシロサイの方だ。死なばもろともというならつき合ってやろうじゃないか」
興奮したカバの太い足が助走をつけるように土を擦る。
――お互いに後に引けない状況ということか。面倒だな。
ミナミジサイチョウは考える。シロサイの言う通りにカバをくちばしで刺して攻撃することはできる。こっちは肉食。カバはこんな獰猛さを持ち合わせているが、シロサイと同じくあくまで草食動物だ。相性差で分厚い皮膚を貫いてダメージを通せるだろう。けれどさっき指摘した通り、本人も言っていたが、一方的にやられてくれるはずはない。やられるぐらいなら、と相打ちを選んでカバは口を閉じる。
ゲーム内に痛覚はないとはいえ、口のなかからサイの大角で貫かれるというのはさぞかし怖ろしいだろう。すこしぐらいは躊躇うかもしれない。シロサイはその可能性に賭けて、自ら口を閉じて刺されにいく怖ろしい行為より、くちばしに突かれるほうを選ぶのではないかと考えているわけだが、分が悪い賭けと言わざるを得ない。こいつはやる。カバは本気だ。そして勇敢だ。でっぷりして強い圧力をまとった全身からは、いささかの怯えも感じられない。
――それよりも別の手を考えるべきだ。
シロサイの頭とカバの口との噛み合いぐあいをじっくりと確認する。あきれるぐらいのジャストフィット。これ以上ないというバランスで、ぎりぎりのところで踏みとどまっている。刃の切っ先を当て合って、命を奪い奪われる寸前を見切っている。
ミナミジサイチョウは結論を導き出した。微かに翼を動かして、暗がりのなかにあるシロサイの耳に羽音を届かせる。これからどうするかという意思表明。シロサイはまつげ一本生えていない、なだらかな皺にとりかこまれた目を瞬かせる。
ほう、ほう、とフクロウの声を低くしたようでもあり、洞窟を風が抜ける音にも似た鳴き声をミナミジサイチョウが上げる。読み取ってくれ、と意思を込めると、シロサイが耳を横に振った。
――伝わったみたいだが、納得はしてないな。
けど、やる。
ミナミジサイチョウが羽ばたく素振りを見せると、つつかれるかと思ったカバがわずかに身を固くした。ジサイチョウが動き出せばシロサイはもう迷いを捨てる。足肩首に渾身の力を込めて、鼻先にある大小二本の角を思いっ切り振り上げた。
それからはあっという間の出来事であった。
鋭利に尖ったシロサイの角の切っ先がカバの口内、上顎に突き刺さった。シロサイが頭を持ち上げたことで、サイの首の下に触れていた牙がほんのすこし離れる。一瞬反応が遅れてカバが口を閉じはじめた。遅れたと言ってもサイの角によって体力が奪われ尽くす前に、相手にカウンターを決めるには十分なタイミング。
だが、そこに予想外の邪魔が入った。
ミナミジサイチョウが飛んだ。それもカバの口のなかめがけて。
無謀にもシロサイの首とカバの牙のあいだに空いた隙間に自らの体をねじ込んだのだ。鳥の華奢な体は、凄まじい重量からくり出される怖ろしい咬合力に当然ながら耐えることなどできない。しかし、即座にひしゃげた肉体は緩衝材の役割を果たし、カバの体力と同時に奪われ尽くすはずだったシロサイの体力の減少を微々たる量ではあったが抑えた。
まさしく紙一重の差だった。
シロサイはカバの分厚い大牙に上下から襲われる。サイの硬い皮膚すら削って、力任せに貫いてくる。シロサイは角を突き上げた。夢中になって突いて突いて突きまくった。そして、気づいた時にはカバは微動だにしない体力ゼロの死体になっていた。
力なく追いすがってくる牙に顔中を引っかかれながらシロサイは苦労してカバの口のなかから脱出する。久方ぶりに見る空はもう月が上りはじめていた。
大きな深呼吸。新鮮な空気を取り込む。すると、首の下に挟まっていたミナミジサイチョウの肉体が足元にぽとりと落ちた。ハッと息を呑んで、サイは仲間の死体を覗き込む。けれど、まばたきひとつせずに見つめ返してくる瞳に思わず目をそらしてしまった。
ジサイチョウはシロサイとカバが相打ちになることよりも、自分が犠牲になることでシロサイを生かすことを選んだ。ジサイチョウはシロサイと違って純粋な戦闘要員ではない。敵本拠地は近く、もう空を飛んでの道案内は必要ない。ジサイチョウの判断は正しい。けれどシロサイはあの状況で正しい判断ができたジサイチョウこそ残るべきだったような気がしてならなかった。
川の方へと歩いていく。
「顔を洗いたいところだな……」
ひとりごちる。道中、背中の上で話し相手になっていた仲間の存在を早くも懐かしく思う。戦が終わったら真っ先に勝利報告をしてやらないといけない。そのためにも、いまはただ敵地の中心へと向かわなければならない。
カバの関所にまで戻ってきて、シロサイは水面を見つめた。ラフレシアやショクダイオオコンニャクの残骸はもうすっかり流されたか、時間経過によってグラフィックが消されたかして、いまはなくなっている。鼻先を近づけてみるが悪臭もほとんど残っていない。
星空を反射する水鏡に映った自分は酷い姿だった。顔に深い裂傷の状態異常がいくつも刻まれている。もしこのあと林檎の植物族と合流できたとして、体力は回復できてもこの状態異常までは回復できない。シマウマが所持しているユニコーンの神聖スキルで毒などの状態異常が治せると言っても、こういった肉体自体の損傷による状態異常までは治療できない。この戦の間は傷による能力低下と付き合うしかない。
川に入っていく。夜に冷やされた水が先程までの激しい戦闘で火照った体を優しく包み込む。水浴びしていきたかったが、そんな呑気なことはしていられない。
底が深い川だった。足がつかないので泳いで渡る。幅はシロサイ四頭分ほど。
水音が孤独を余計に強める気がした。敵本拠地にはどれぐらい仲間が到着できているのだろう。もしかしたら無事に進めているのは自分だけかもしれない。遭遇した敵のほとんどは撃破してきた。相手もかなりの戦力を消耗しているはず。そういえばオウムがワタリガラスの指令を伝えていた。残存戦力を本拠地に集めている。防衛側の動きとしてはセオリー通り。こういう時、攻略側としては迅速に攻めれるかどうかが勝敗の分け目になりがちだ。肉体にだいぶガタがきているが、とにかく急ごう。
傷口に水が沁みるような気がしながら、そんなわけはないな、などと思っていると、水中をかく足になにか弾力のあるものが触れた。
――なんだ?
分からないがシロサイに潜水などできない。水中を確かめるより、向こう岸まで泳ぎ切るのが先決。しかし、
「うっ!?」
シロサイはもがいた。
――引っ張り込まれる!
二本角の灰色の巨獣が波紋を広げながら川に呑み込まれた。
しばらくあぶくが弾けていたが、それはやがて小さくなり、消えてしまった。
溺れて体力が尽きたシロサイが逆さに浮かんで下流へと流されていく。
サイが沈んだ場所から水面に顔を出したのは、緑褐色に大きな黒丸の斑点模様の鱗をまとった巨大ヘビ。
オオアナコンダは遠ざかっていくシロサイにしばし視線を向けていたが、水に溶けるように川の流れに同化して、そのまま姿をくらました。