●ぽんぽこ10-22 カバとシロサイ
雨が上がり、熱帯雨林の梢が作る青々とした稜線を赤く染め上げながら太陽が沈もうという頃、シロサイはカバと出会った。
膨らんだ川の淵。最後の拠点を通過して、いよいよゴールへ向かおうというシロサイとミナミジサイチョウの前に現れた巨体。細い雲に縁取られた空を映した水を滴らせ、岸に半身を乗り出したカバ。シロサイにも負けない図体から強い威圧感を発しながら、川を閉鎖するように立ち塞がった。
あたりには敵の植物族もいる。ラフレシアとショクダイオオコンニャク。いずれも超大型植物。
ラフレシアは世界最大の花であり、最初に発見した調査隊のメンバーのなかには人食い花だと怖れたものもいたというぐらいにおどろおどろしい見た目。花の直径は子どもが両手をめいっぱい広げたぐらい。五枚の真っ赤な花弁にはイボ状の黄色いぶつぶつ。花びらがくっつく中央部分にはナマコが口を開けているような穴があり、子どもの頭がすっぽりと入ってしまう大きさ。
くぼみの内部には尖った突起が並んでおり強い臭気を発している。
ラフレシアは寄生植物であり、いまも熱帯雨林のNPCである自生植物ミツバカズラの根に寄生している。自ら光合成をしない全寄生植物なので葉っぱはなく、花だけが地上にどんと腰を下ろしている。
もうひとりのショクダイオオコンニャクもまた世界最大の花。ただしラフレシアは単一の花であるのに対してショクダイオオコンニャクはアジサイなどと同じく複数の花が集まった花序と呼ばれる花の集団であり、単一の花としての世界最大の栄光はラフレシアに譲ることになっている。
しかし、その直径はラフレシアと同等な上、高さは人ふたり分近くにまで到達するという規格外の大きさ。威圧感であればラフレシアを越えている。
ミズバショウなどにも見られる仏炎苞と呼ばれる花びらにも似た包みから太い棒状の花序が突き出た様は剥かれたバナナのよう。
こちらもラフレシアと同じく悪臭を放つ花であり、あまりに強烈な腐臭から死体花という異名があるほど。その他、お化け蒟蒻などとも呼ばれる。
「敵よ」
ラフレシアが囁く。
「敵だね」
ショクダイオオコンニャクも風のそよぎに声を乗せる。
「ぼくとやる気かい?」
カバが腹の下を水に浸しながら、肩を鳴らすように首をゆすってシロサイを見据えた。
ゾウを頂点とする草食動物において二番手と三番手であるのは間違いないふたり。どちらが強いかはぶつかってみなければわからない。
けれど、戦うにしてもこれではとてもフェアな戦いとは言い難かった。
ここはカバが十全の力を発揮する水場。密に生い茂っている樹々はシロサイが突進攻撃をするには邪魔だ。周囲には二種の植物族。植物族は周辺にいる同じ群れに所属するプレイヤーの能力を底上げし、敵プレイヤーの能力を低下させる。シロサイにとってはアウェイすぎる環境。加えてここに来るまでの戦いによる疲労が蓄積してもいた。
それでもシロサイは一歩も引かない。シロサイの背中を借りているミナミジサイチョウも後押しするように翼を広げて、戦意を示すために体を大きく見せつけた。
「そっちこそおれとやるつもりか」
シロサイの言葉に、カバはしばし鼻の穴でまばたきしていたが、のっそりと前に出て、
「そちらがやる気ならね」
「戦うなら場所を変えたいものだな。ここは臭くてたまらん」
ラフレシアとショクダイオオコンニャクの腐肉臭が混ざり合って鼻がひん曲がる。嗅覚が鈍い鳥類であるミナミジサイチョウは気にならないようだったが。鼻がいいシロサイは呼吸困難になりそうだった。
「慣れるよ」
と、カバ。だがカバもこの臭いが気にならないわけではない。
カバの嗅覚はウシ並みに優れているとされる。ウシは生きるために食べられる草と食べられない草を嗅ぎ分ける必要があり、イヌよりも優れた嗅覚を持つ。臭いを感知する神経細胞、嗅覚受容体の数において、ウシの数値はイヌの五割増し。ちなみに嗅覚受容体で比べるならイヌは人間の二倍、ゾウは人間の五倍ほどの数を持っている。
「慣れたくはないな」
シロサイの鼻先から額までに縦に並んだ大小二本の角と、カバの下顎から突き出た大牙が突き合わされる。いまの間合いはそれぞれの巨体五頭分ほど離れた位置。
二頭の大きさはほぼ互角で、人間の一人部屋ぐらいであれば満杯にしてしまう体格だが、シロサイの方がわずかに大きく、体重であればシロサイに分がある。
シロサイの武器である角は突進によって本領を発揮する。足が肝だ。カバは鈍重そうな体ながら陸上選手ぐらいの速さで走ることができるが、シロサイの走力はさらに上を行く。本気の追いかけっこであれば、カバはサイを振り切ることはできない。
一方カバの武器である牙は顎が肝。カバは動物界ではイリエワニにつぎ、草食動物もしくは陸上哺乳類のなかで最も強力な咬合力を持っている。直角を越えて直線に近い角度にまで開く大口が馬鹿力でもって閉じられると、獲物は串刺しの末、真っ二つになってしまう。草食動物でありながら、肉食動物でも持ちえないような攻撃性能。
接近戦での差し合いに持ち込めばカバは相手を圧倒する自信があった。特に水場での勝負ともなれば、普段から水のなかで暮らしているカバの勝ちは揺るがない。分厚い皮膚の装甲を持つシロサイも、水中に引きずり込まれれば防御力など関係なく溺れることになる。
二頭が睨み合う。
シロサイはカバを水中から陸に上げたいところだが、カバは当然ながら水場を死守する位置取りから動かない。
夕日に染まった木の葉がはらりと落ちて、泥に沈む。夜風の前兆が低木をほのかに揺らして、腐臭にまみれたあたりの空気をほんのすこしだけ浄化していく。
シロサイのなだからな背中から見守るミナミジサイチョウが息を呑む緊迫感。そこに場違いなピンク色のオウムが飛んできた。カバの背中にとまったクルマサカオウムが慌ただしく二頭を見比べる。
「これからぶつかる感じか?」
甲高い声にカバは、サイのものにも似たラッパ耳を閉じたり開いたりしながら、
「かもね」
と、短く答えた。
「ワタリガラスが本拠地に戻ってこいって。拠点はもう捨てていいってさ。長を待ってるみたいだけど、いまさら来るはずねえのにな。変なところで信頼してるのがおかしいっていうか。仲がいいんだか悪いんだか。おかしな奴だよまったく」
「そういう話は敵に聞かれない場所でするべきでは?」
カバの指摘にクルマサカオウムはあっけらかんとしたもので、
「これから倒すんだったら関係ないだろ」
と、言ってねっとりとしたカバの赤い汗で粘ついた自分の足を不思議そうに見つめた。カバの汗は赤とオレンジの色素が混じっており、赤は抗菌作用、オレンジには紫外線予防の効果がある。
「ボスってのはキングコブラか? ログインしてないのか」
ミナミジサイチョウが耳ざとく聞くと、クルマサカオウムは、しまった、という顔をしてたたらを踏んだ。けれどすぐに、
「まっ、別にバレてもいいか」
と、開き直る。
ミナミジサイチョウとシロサイは、しばし小声で言葉を交わしたあと、川上方向に歩きはじめた。この周辺から熱帯雨林の本拠地へ行くには川を渡らなければ非常に遠回りになってしまう。カバが守っているあたりが唯一、楽に渡ることができる場所であり、他は対岸がせり上がって低い崖になっているので、壁が登れないシロサイでは横断できない。鳥類のミナミジサイチョウがいるので、そういった地形事情について情報収集をした上で、ここに来たはず。いまさら明後日の方向へと向かうのは解せなかった。
「諦めたのか?」クルマサカオウムは赤い花のような模様のある冠羽を揺らして背伸びすると「おーい。戻ってこい! 戻ってきて戦え!」と、自分が戦うわけでもないのに声を張り上げた。
相手は振り返らない。
「おれマズったかな。どう思う。やっぱり長がいないってバレちゃいけなかったのかな」
急に不安になったらしく、勢い込んでカバに尋ねる。カバはそんなオウムを放ってゆっくりと後退すると、川のなかに身を沈めていった。オウムは強制的に背中からどかされてしまう。
「ちょっと見てくる」
気になりだすと落ち着かなくなったようで、ピンクの羽衣のオウムは白い翼を羽ばたかせて、シロサイたちを追って飛んでいった。