●ぽんぽこ10-21 凍てついた泉
「ぼくたちからは逃げられないぞう」
ヘビの体を躍らせながら、ゾウ頭が分厚い大牙を突き出してくる。振り返ったオセロットが走りながら隣のリカオンに声をかける。
「あんなくだらないこと言ってるよ。ゾウがぞうだって」
「笑ってやれよ。 ……ハイラックス! 面白い駄洒落だな!」
言いながらリカオンは尾も白いオジロヌーが横たわっているのが目に入ったので本当に笑ってしまった。仲間がやられていて、本来なら笑える状況でもないはずなのに、どうにも戦闘の緊張感で気が高ぶっているらしい。
「だ、だじゃれ!? 違うよ。勘違いしないで!」
「違ったらしい」リカオンが言いながら泉の縁を右回りに駆ける。
「わたしのせいじゃないわよ」ちぇっ、と、舌を鳴らしてとオセロットは左へ。
円型の空洞の中央に泉。天井には地上まで吹き抜ける縦穴が鍾乳石に取り囲まれて、猛獣の顎の如き口を開けている。泉の向こうには傾斜があり、上った先が洞窟の出口。
グローツラングは左右に分かれた獲物のどちらを狙うか鼻を迷わせたが、ボアコンストリクターが「真ん中を行くぞ」と、決断して、ケープハイラックスはすぐさま「はーい」と、鼻先を正面に向けた。
長大な体を伸ばせば泉を乗り越えるぐらいわけはない。オジロヌーを仕留めた時にも泉を跨いでいる。
泉の手前にとぐろを巻く要領で体をためて、下っ腹あたりに力を込めると、そこを支点に上体をはじき出した。泉の上に虹をかけるように、ヘビの体が渡っていく。泉の直径はグローツラングの体長の三分の一ほどで、リカオンやオセロットの体長で換算するなら三、四頭分といったところ。泉の左右に分かれ、円周に沿って遠回りしている二頭とは違い、グローツラングは最短距離を行くことで、先回りして出口を塞ごうとしていた。
ゾウの頭が泉の上空、半分ほどを越えて、左右の二頭を追い越そうという時であった。突然、二頭が泉の方を向いて、けたたましく鳴きはじめた。
ごおお、ごおお、とデスボイスのような低く激しい鳴き声を上げるのはオセロット。こぉーん、こぉーん、と甲高い笛を吹くような音で鳴くのはリカオン。それに加えてリカオンの鳴き声には小鳥のような、きゅ、きゅ、きゅ、という細かな高音も混ざっている。
右と左のゾウの耳から飛び込んできた二頭の鳴き声は頭の芯でぶつかって、脳を揺さぶる不協和音に昇華する。特にオセロットの低い鳴き声は、低周波を聞き取るのが得意なゾウの耳には響きすぎるほどに響いて突き刺さってきた。完全には使いこなせていないゾウの優れた聴覚で洞窟内に反響する大音響を全て拾い上げてしまったグローツラングの意識がしばし凍りつく。
――痛っ!
と、ケープハイラックスは反射的に思ったが、ゲーム内に痛覚はない。けれど頭頂部にダメージを受けたのは確か。石礫を受けたような感触。その一撃を皮切りにして、大量の礫が豪雨のように降りしきった。
それは赤い礫であった。硬い林檎の果実。ゾウ頭にぶつかっては砕け、ヘビ体やゾウ鼻を滑り台にしては転がり、ゾウ耳をハンモックにして包み込まれて、ゾウの双牙に突き刺さって連なる。
泉に映ったグローツラングの体が歪み、虚像と実像が近づいていった。
水飛沫をまき散らして、異形の大蛇が泉に呑まれる。林檎の果実たちが重しとなってのしかかり、その質量で水が溢れて、水面が薄く広がった。
泉の上。天井に空いた縦穴を抜けた地上では、ヘビクイワシに案内された林檎の植物族が待機していた。根元には月明かりが作る木漏れ日にかき抱かれるように、つややかな赤い果実が積み上げられている。
規則正しい打撃音。ヘビクイワシがヘビを仕留めるのに使う強力なキックによって、次々と果実を縦穴へと蹴り落とす。目にもとまらぬ速さの蹴りに、固い林檎の果実は端々を欠けさせながら、勢いよく穴の底へと落下して、まるで落盤のようになってグローツラングを襲う。
「いいぞ! うまくいった!」
リカオンが縦穴に向かって呼びかけると、ちょうど最後の一個をヘビクイワシが蹴り落して、林檎の雨が降りやんだ。
泉に沈んだグローツラング。
ボアコンストリクターは氷のように冷たい水に体中の体温が奪われていくのを感じていた。寒い。寒い。衝動的に冬眠したくなってしまう。グローツラングになっても寒さに弱いヘビの性質を受け継いでいる。鱗一枚一枚を埋め尽くすほどの林檎。低温によって力が抜けている状態では押しのけられない。
すかさずリカオンはグローツラングの背後に寄って、泉からはみ出ている尻尾に牙を突き立てる。冷え切った大蛇の体は弛緩していてやられるがまま。体力が一方的に削り取られていく。
「ケープハイラックス。なんとかできないか!」
ゾウの頭に呼びかける。
「やってるけど。これはきついよ!」
泉はそれほど深くなかったが、ゾウの頭が隠れてしまうぐらいにはあった。長鼻を伸ばすことで溺れるのを避けたが、顔のほとんどは水の下。何度もくり返し頷くみたいな動きで、象牙を杖代わりにして頭だけで水底を這い、体を林檎の山の下から少しずつ引っ張り出していく。
脱出は不可能ではないが非常に地道な作業。正面の岸にすこしずつ近づいていく、が、そこでは敵が待ち構えていた。
「ケップー。覚悟しな!」
オセロットが吠えると水面がさざ波だった。ヘビの体に引っ張られて、うまく身動きできないゾウ頭。強靭な筋肉の塊であるゾウの鼻には注意が必要だが、いまは呼吸することにだけ集中しなければならない状況で、攻撃するには絶好のチャンス。泳ぎの得意なオセロットは、敵を逃がすまいと泉に飛び込む体勢を取った。
そんなときであった。足に、チクリと刺さる感触。視線を落とす。ヘビ。しかも毒を持つヘビ。砂色のサイドワインダー。
敵の不意打ちに驚いたオセロットは大きくのけぞった。縦穴から様子を確認しに舞い降りてきたヘビクイワシが、すぐに異常に気づいて助けに向かう。
毒を受けたことに動揺したオセロットが、やたらめったら足元のヘビを攻撃。サイドワインダーはするりとかわして、尻尾の先についているヤングコーンのような器官を震わせて、鈴のような音を立てて威嚇する。が、洞窟に降り立ったヘビクイワシに高速キックで手早く仕留められて、すぐにしんと静まり返った。
そんな目まぐるしいやり取りの間に、ゾウ頭はまんまとヘビの体を林檎の山の下敷きから引きずり出すことに成功していた。
宝石の瞳が泉の底から飛び出す。オセロットの猫目とぴたりと視線が交わされて、象牙と猫牙が対峙する。
咄嗟にヘビクイワシはゾウの頬を蹴りつけたが、ヘビを仕留める時と同じようにはいかず、分厚い皮膚に跳ね返されてしまった。
「ごめん!」
と、象牙が振るわれて、オセロットの体が宙を舞った。天井付近まで浮き上がった体は、太い鍾乳石にぶつかって、その破片ごと落下する。
グローツラングは出口に向かって急いだ。敵を通すまいとしていた出口であったが、いまは怪物が追い求める唯一の逃げ道。
斜面を駆ける。岩を踏み締め、段差を越えて、扁爪を高らかに鳴らす。
――あれ?
ケープハイラックスは気がついた。
四本足で動いている。鼻は長くないし、耳も大きくない。使い慣れた肉体がそこにはあった。
振り返る。傾斜の下ではぐったりとしたボアコンストリクターを咥えたリカオン。半身が先に力尽きて、合成獣のスキルが強制解除されてしまっていたらしい。
ケープハイラックスは逃げた。そうするほかない。傾斜を上り切り、懐かしい熱帯雨林の匂いのなかに飛び込んでいった。空は黒雲の代わりに暗い星空で覆われ、ケープハイラックスの体は闇に呑まれてすぐに見えなくなった。
「死んでるか」
オセロットの状態を確認したリカオンが悲しげに言う。
「私がもうすこし早くこのガラガラヘビに気がついていれば」
ヘビクイワシは悔し気に敵の毒蛇サイドワインダーの死体を見下ろした。
「……まあしょうがない。切り替えていこう。相手もよく頑張ったということだ」
リカオンはオジロヌーの死体のそばにオセロットを運んでいって寄り添わせる。戦が終わるまで操作不能かつ感覚不良の死体状態は解除されない。終わればすぐに戦参加者は全回復して中立地帯に転移させられるので、死体がどこにあろうと変わらないのだが、すこしでもマシなところにいさせてあげたいという心理はどうしようもなく働いてしまう。
ついでにボアコンストリクターとサイドワインダーも洞窟の壁沿いに移動させておいてやる。
「いくか」
儀式的な行為を終えて、出口へ向かって歩き出す。長い洞窟探検になったが、それももうすぐ終わりを迎える。
「林檎ちゃんが怒ってましたよ。果実を武器に使うなんて、って」
ヘビクイワシは翼をきっちりとたたんで、リカオンの後ろを歩いてついていく。
「お叱りは戦のあとに聞くよ。なりふり構っていられないのが戦なんだ」
「それはご自分で林檎ちゃんに言ってくださいね」
リカオンは渋い顔で頷いて、傾斜を上り切ると、熱帯雨林の樹々に紛れる林檎の梢を探して鼻をうごめかした。
リカオンたちが去ったあと、洞窟の壁に空いた風穴からどろどろと現れたものがあった。ヘビ界最大の大きさを持つオオアナコンダ。それがボアコンストリクターの死体を見つけると、呑み込むようにして咥えた。
大蛇の体が風穴へと戻っていく。獣が通れない道を使って、オオアナコンダは暗い暗い穴のなかを体をうねらせ、いづこかへと這っていった。