●ぽんぽこ10-19 なんでそうなる!
リカオンの鼻が出口の匂いをとらえたのは完全に陽が沈んで、月明かりが射し込んでこようかという時刻。オジロヌーの角が薄白く輝き、背中に乗せられたオセロットが縦穴の向こうで瞬く星を見上げた。
敵であるケープハイラックスを交えての珍道中。なんとか出口へと辿り着くことができそうで、全員が戦を忘れて喜びをかみしめる。
途中、何度も遭難の危機にさらされながら、知恵と力を合わせて乗り越えてきた。ケープハイラックスは見慣れた風景になってくると進んで道案内をしはじめて、敵だか味方だか分からない状況だったが、本人はさして気にしていない様子。本当に狭くて暗い場所が苦手で、ひとりで心細かったらしい。
最後の縦穴の下に到着する。清浄な水が溜まった泉がちょうど穴の真下にあり、縦穴を通して泉の中央に落ちる夜の光は、ぽっかりと浮かんだ月のようだった。
そこを越えるとなだらかな傾斜になっており、二階建てぐらいの高さを上れば出口。四頭は洞窟を脱出する前に、泉で喉を潤しておくことにした。
大中中小の動物たちが並んで水面で鼻を濡らす。氷のように冷たい水が心地良い刺激となって肉体に滲みていく。
「ケップーはさ」と、合流時には難色をしていたわりにすっかり打ち解けたオセロットが隣で水を飲むケープハイラックスに声をかけた。
「このあとどうするの」
「まあ、戦はもう半分ないぐらいだけどやることはやらないとね」
「わたしたちと戦う気なんだ」ごおお、とライオンのような鳴き声を上げてオセロットが牙を剥くと、ケープハイラックスは縮みあがり、
「姐さん冗談きついっすよ」と、へりくだって首を竦めた。
「この場は見逃してやってもいいんじゃないか」
リカオンが言うと「そうだね」と、オジロヌーも頷く。敵味方を越えた連帯感が発生してしまっていて、いまさら戦う気にもならない。どうせ連絡役の一匹ぐらいという気持ちもあったし、洞窟を抜ける手伝いをしてもらった礼として、情報のひとつ、つまり自分たちがここから進攻していること、をプレゼントしてもいい気分だった。
オセロットが牙を引っ込めたのを見て取るとケープハイラックスは、ほっ、と息をつく。それから、ぴちゃり、ぴちゃり、と、また鼻先を濡らして、水面に四つの波紋が広がった。
全員が一息ついた頃、ケープハイラックスが、つい、と頭上の縦穴を見上げて、「あっ」と、声を上げた。
「見逃すわけにもいかないみたいっす」
「見逃してやるって言ってるのにか?」リカオンが首を傾げる。
「違うんだなあ」複雑そうな顔をして「こっちがってこと」
オジロヌーが視線を上げて、「ヘビ!」と、簡潔な警告を発した。縦穴を這ってにじり寄っていたのは人の腕よりも太い胴体に、大人ふたり分ぐらいの体長をした大蛇。無毒ではあるが巻きつき力が非常に強いボアコンストリクター。黒っぽい胴体に茶色い楕円が並ぶ模様が迷彩色となって、洞窟の壁面に紛れていた。
リカオンは動きが鈍っているオセロットを助けようと地面を蹴る。ヘビは鍾乳石をなぞるようにオセロットの頭上へと落ちてくる。オセロットは水のなかに逃げ込もうとしたが、その時、向かってくるヘビの前に、盾になるようにケープハイラックスが進み出た。
――庇われた?
と、オセロットは思ったが、すぐにそれはまったくの勘違いだったことを思い知る。
次の瞬間、ケープハイラックスとボアコンストリクターの肉体が混じり合って、ひとつに。
リカオンとオジロヌーがオセロットを引きずって距離を取る。そして、眼前に現れた合成獣の姿を見たリカオンが雄叫びを上げた。
「なんでそうなる!」
それは奇妙奇天烈な姿をした怪物。
にょろにょろと伸びる体は間違いなくヘビのもの。
しかし、問題はその頭。
きらきらと輝く瞳。反り返った巨大な牙。翼のように大きな耳。そしてヘビに似たながっ鼻。
それは間違いなくゾウ。
鼻を持ち上げ、ぱおーん、と洞窟を震わせる大音響の嘶きを鳴り響かせて、自分の鳴き声に驚いたように、ゾウの耳が縮みあがった。
「どこからゾウが出てきたんだよ!」
理不尽な合わせ技に吠えるリカオンに、その怪物、グローツラングは泉を回って出口の方へ体を滑らせながら「ふっふっふ」と、不敵に笑った。
「知らなかった? ケープハイラックスってのは、ゾウの親戚なんだよ」
「うそ。全然似てなかったじゃん」と、オセロット。
「ものごとの本質は細部にこそ宿るものなの。見た目じゃなくてDNAレベルで考えてくれないと困るよ。ゾウに近いDNAをケープハイラックスは持ってるんだなあ」
「そんなこと言い出したらなんでもありになるだろ。ピュシスの開発者はすごいけど、すごい阿保でもあるな」
リカオンは敵に対峙している危機感よりも困惑が湧き上がって、戸惑いの感情の矛先をまだ見ぬ開発者に向ける。
グローツラングはボアコンストリクターの三、四倍の体長にまで巨大化しており、みっちりととぐろを巻いて、出口への道を通せんぼしている。泉を挟んで向けられるヘビの体の先端にはゾウの頭。アンバランスさに滑稽さすら覚えるが、ぶん、と振られたゾウ頭が牙で岩の壁面を削り取ると、そんな感情はすぐさま消し飛んだ。
「ヌー!」
「分かってる」
オジロヌーがリカオンの呼びかけに応じる。神聖スキルには神聖スキルを。それが最も適切な対抗手段。
どすん、とオジロヌーの頭が地面に落ちた。と言っても千切れたわけではない。ひょろ長いホースのようになった首で、胴と頭がつながっている。重くなった頭を引きずって、石の床を顎でかくと、怪しげな輝きを帯びた瞳がグローツラングに向けられた。
カトブレパスという邪視を持つ怪物の姿。視線を交わしているあいだ、相手は身動きできなくなる。操作システムに働きかける強力なスキルではあるが、それ相応のデメリットもある。この神聖スキル使用中は、頭の重さでまともに動けない。そして、硬直した相手の体は岩のように硬くなるので、動けない相手を一方的に倒すなどということはできない。
これは守りのスキル。カトブレパスが動きを止め、リカオンが打つ手を考える。相手をじっくりと観察して、弱点を探す。弱点がなさそうな強力な敵であれば、カトブレパスが足止めし続けることで戦から排除するという選択肢もある。
ゾウ頭をした異形の大蛇を詳しく探るため、リカオンは泉を回って近づいていく。だが、カトブレパスに見つめられて、動けないはずのグローツラングの鱗が、そろり、と揺らめいた。
おやっ、と思った瞬間には後ろに跳び退いている。野生の勘が危険を察知。予期した通り、なぜかグローツラングはカトブレパスのスキルをものともしていない。
「なんで動けるの!?」
オセロットが弱った体を壁にもたれかけさせながらいぶかしむ。
「えっ! どういう意味?」
グローツラングは敵の攻撃に気づいてもいなかったようで、ぱちぱちと長いまつげのゾウ眼を瞬かせた。まばたきひとつされるたびに、その瞳は夜空を詰め込んでいるかのように煌びやかに輝く。
「動けない」と、言ったのはむしろカトブレパスの方。石のように固まったまま、かろうじてスピーカーを鳴らす。
「よく分からんがいくぞ」と、ボアコンストリクター。それに「はーい」と、ケープハイラックスが答えて、大蛇の体が泉の上に橋を架けた。ゾウの大牙がカトブレパスに迫る。泉のわきにいるリカオンには止めようもない攻撃。ただ見上げるしかできなかった。
胴体からもぎ落ちたようなカトブレパスの頭と、ゾウ頭が急速に接近。邪眼とゾウ眼がばちりと見合う。カトブレパスは間近にまできた敵の瞳に、それがただの眼ではないことに気がついた。まるで宝石。いや、正真正銘本物の宝石だ。ゾウの眼窩に大粒のダイヤモンドがおさまっている
グローツラングはダイヤモンドの鉱脈を守護していると言われる怪物。そしてその瞳は眼球の代わりに宝石がはめ込まれているのだった。
透明の銀河を凝縮したようなダイヤモンドの煌めきが万華鏡になって、邪眼が無限に映り込み、カトブレパス自身を見つめ返していた。
――まさか、スキルの効果が跳ね返されているのか?
もはやゾウの大牙を避けることはできない。自身のスキルの効果の強力さを身をもって知ることとなった。サイの角よりも遥かに巨大な牙が、えぐるような角度でカトブレパスの顎を地面からすくい上げる。
がきん、と硬い音が洞窟内に鋭く響き、泉の上の縦穴から外へと抜けていった。
「硬い!」ケープハイラックスが唸る。
敵の動作を停止させ、体を岩のような硬さにしてしまうスキル。怪我の功名と言うべきか、効果を跳ね返されて身動きが取れなくなった代わりに、岩のような硬さになる効果も同じく発動していた。防御力の数値が岩と同等にまで上昇していて致命傷を免れた。
「もう一度やるぞ。この変なやつは身動きがとれないみたいだ。いまのうちにやってしまおう」ボアコンストリクターは、カトブレパスを標的と定める。
カトブレパスは思案する。スキルを解くべきか、解かざるべきか。そして、すぐに後者を選んだ。
オジロヌーの肉体を使って角で戦うとしても相手は見るからに肉食。草食動物としては相性が悪い。現状維持ならスキルが反射されていることが意図せず強力な防御効果となって、時間稼ぎをすることはできる。リカオンとオセロットは神聖スキルを持たないプレイヤー。正面から戦えば、むざむざやられることになる。可能な限り、策を弄する時間を仲間たちに与えなければならない。それがいまの自分の役割。
象牙でカトブレパスの岩のような肌を何度か小突いて削り取りながら、
「なんだかグロいよう。痛めつける趣味はないのにー」
と、ケープハイラックスが弱音を上げる。精巧で生々しい動物の石像を削っているような感覚。相手がプレイヤーだと意識すると余計に残酷な印象を受けてしまう。
「そのめちゃくちゃ硬くなるスキル解いてくれない?」
スキルの効果を勘違いしたまま懇願する。
「攻撃しないでくれるなら考えるよ」
カトブレパスが相手の眼から視線を外さないようにしながら言うと、「それは無理な相談だ」と、ボアコンストリクター。
その時、ボアコンストリクターは周囲の気配の変化に気がついた。リカオンとオセロットがいなくなっている。背後の出口付近には自身の尻尾がまき散らされているので、通ろうとしたならすぐに分かる。奥に戻ったのだ。
「いつの間に!」と、グローツラングが敵を探して頭を動かした瞬間、スキルを解いたオジロヌーは走り出した。時間を稼いでいるあいだに仲間たちは逃げることができた。あとは自分が生き残れるかどうか。
蹄が石を叩いて駆ける。グローツラングは長い体で泉を跨いで、素早い動作で這い寄った。オジロヌーは俊足ではあるが、それは走り慣れた草原での話。この洞窟内では足元の凹凸をものともしないヘビの体に軍配があがった。
グローツラングがオジロヌーの白い尾をゾウの鼻で捕まえた。そして、力ずくで引き寄せると、下脇腹を象牙で貫いた。
どっ、と大型草食動物の体が氷のように冷たい石の床に倒れ伏す。
「やっと、やっつけたあ……」
疲労を滲ませるケープハイラックス。普段の肉体とは乖離した獰猛さにプレイヤーの精神が乗り切れていない。
「逃げたやつらを追おう」
「ちょっと休憩してから……」
ゾウ鼻をへたらせるケープハイラックスに、
「だめだ」
と、ボアコンストリクターは体をうねらせ、洞窟の奥に頭を押し込んでいった。