●ぽんぽこ10-17 話はさかのぼって、洞窟
双頭のヘビとの本格的な戦いがはじまる前まで場面はさかのぼる。
雨でけぶった熱帯雨林。ハイイロオオカミとブチハイエナが、二匹のヘビが作る大車輪に追いかけ回されているのを、暗い洞窟の奥から見ていた動物がいた。
身を隠して外の様子を窺うのは荒い黒黄白のブチ模様をしたリカオン。後ろには白い羽衣に鮮やかなオレンジ色に縁どられた目を光らせるヘビクイワシが立っており、麗しいまつげを瞬かせながら、ブチ模様の背中越しに外を覗いた。
息を潜める。見るからに厄介そうな敵に追われているが、あのふたりなら大丈夫だろう、とリカオンは判断する。ブチハイエナと一瞬、目があった気がしたが、そのまま通り過ぎていった。手助けしたいところだが、むしろいま助けが必要なのはこちら。アミメニシキヘビが変じた超巨大蛇ピュートーンの死体が発した悍ましい瘴気にあてられて、仲間のオセロットが危険な状態だった。
オセロットはネコ科の動物。イエネコの二倍以上、リカオンと同等ぐらいの体長があり、ヒョウ柄の斑紋に長い尻尾、つり上がった目が特徴的。ほっそりとしなやかな体をしており、木登りが上手く、ネコ科ではあるが水を苦手としておらず、泳ぎも達者。ピュートーン死亡時にまき散らされた瘴気で体力が大きく削られ、いまは動くのもままならなくなっていた。
完全に敵が通り過ぎたのを確認したヘビクイワシは注意深く熱帯雨林を見回し、
「すこし偵察してきます」
と、羽音を忍ばせて、雨を避けながら、長い足で樹々の間を歩いていった。それを見送ったリカオンは、洞窟の奥へと取って返す。
洞窟、というと、このトーナメントで優勝した群れが突入する遺跡も洞窟地形ではあるのだが、あちらは人工的な香りが仄かにするピュシスのなかでは異質な空間。スピーカー以外にはほぼ使われない、それどころか使用不能なものすらある装備品の数々が落ちている。自然を重んじるゲームの一要素として考えると、なんだかそぐわない感じがする、おかしな場所。
リカオンたちがいるこの洞窟は長い時間をかけて浸食されたというように、天然自然の雰囲気が充満する大洞窟。高い天井にはいくつもの縦穴が開いており、エントツのような天窓からは、淡い光がじんわりと染み込んでくる。とはいえ、いまは雨模様。光は暗く沈んで、縦穴から流入した雨水が幾筋もの細い川を石の壁や床に作り出していた。
なめらかな起伏の濡れた足場に滑らないように、四肢を暗がりに運んでいく。そうして横穴に入ると、リカオンの前に大きな影がのっそりと現れた。すらりとした足の上にがっしりとした胴体。頭の両側には半月型の威圧的な分厚い角。尻尾が白いウシ科のオジロヌー。
ぐったりとしているオセロットをおぶって、その容態を気遣いながら、
「どうだった?」
と、リカオンに尋ねる。
「ヘビクイワシが偵察に行ってくれてる。林檎を探してるんだが……」
見つからない。今回参加メンバーのなかでは唯一の植物族であり回復役。植物族の果実の多くは回復効果を持つ。林檎の果実は特に強力な効果。合流できればオセロットの体力を回復させられるのだが、そもそも林檎が生き残っているのかどうかも分からない。
「ブチハイエナとハイイロオオカミをちらっと見かけたが、良く分からないヘビ車に追われてた」
「ヘビ車?」
オジロヌーの尻尾がぶるんと振られる。
「ああ。なんて言うか……、ヘビが俺の耳みたいに丸い輪っかになって転がってた。でかいヘビだ。神聖スキルだろう。あのふたりだったら自分たちで何とかできると思う」
この意見にオジロヌーも同意。それから縦穴を通って鍾乳石の先から滴る雨水を見上げて、
「雨がやんでくれないかな」
と、こぼした。
「確かにこんな雨のなか拠点を探すのは骨が折れるな。歩き回るだけで体力が減りそうだ」
くしゅん、と、くしゃみをして、リカオンはオジロヌーと同じように天井を見上げていたが、ふと、洞窟のさらに奥に続く暗がりへと鼻先を向けた。
「この洞窟ってどこまで続いてるんだろうか」
「さあ。でも、そうとう深そうではあるね」
リカオンは、うん、と頷いて、大きな丸耳をあちこちに向けると、
「遺跡もいちおう洞窟だけど、あれはピュシスの底までつながってるって話だからなあ。ピュシスの底っていうと機械惑星の表面から中核ぐらいまでの距離なんだろ。ここもそれぐらいあるかもな」
「地球にあった洞窟ってそんなに深かったのかな」
素朴な疑問に、リカオンが答える。
「地球最長の洞窟っていうとフリント・マンモス・トゥーヒー・ユードラ・ジョッパ・ジム・リー・リッジ・ケーブ・システムだな」
「……え? なんて?」呪文のような言葉にオジロヌーが聞き返すと、リカオンがくり返した。
「フリント・マンモス・トゥーヒー・ユードラ・ジョッパ・ジム・リー・リッジ・ケーブ・システム」
「な、なんて?」小鳥のように飛び回る言葉を捕まえようと、オジロヌーが耳を慌ただしく動かす。
「いや。マンモス・ケーブでいいよ……」
面倒になったのかリカオンが言って「マンモス・ケーブは全部をつなげると、地球の直径の約二十分の一ぐらいの長さがあったらしい。地球の真ん中までと考えると、半径の十分の一だから中核までは届かないぐらいだな」
「それってすごいのかい?」
よく分からないというオジロヌーの表情。それにリカオンも同じ顔を返す。
「いやあ。どうなんだろう。地球は機械惑星よりも大きかったみたいだけど、正確なデータが残ってないからなんとも言えないな。けど、この熱帯雨林の縄張りを覆い尽くすぐらいの広さなのは間違いない」
「ふうん」鼻息をもらす。と、背中に乗せられているオセロットが小さく呻いて身じろぎをした。オジロヌーはびくりと体を硬直させてぱちくりとまばたき。
そんなオジロヌーの背中をオセロットは長い尻尾で擦り、「あまり気を使わないで」と、弱々しく顔を上げた。
「体力はどれぐらいだ?」
リカオンが確認すると、オセロットは「ちょっぴり」とだけ言って、ひゅー、と息をつく。
「スリップダメージは止まってるからくたばりはしないよ。洞窟を抜けようって相談なんでしょ」と、オセロット。
「まあね。そういう手もあるかもしれないと思って」
リカオンが大きな耳で唸るような洞窟音を探っていると、縦穴からヘビクイワシが下りてきた。口には林檎の果実が咥えられている。
「林檎がいたのか?」
ヘビクイワシは駆け寄ってきたリカオンを飛び越えてオジロヌーのそばに着地すると、果実をオセロットに渡す。
「見つけたのは果実だけ。林檎ちゃんは見当たりませんでした。近くにいるとは思うのだけれど」
「そうか。まあ、とりあえず、最低限の回復はできそうでよかった」
そんな会話をしていると、オセロットが愛らしい顔には似合わない地獄の底から響くような低い鳴き声を上げながら林檎の実を吐き出した。
「どうしました!?」
ヘビクイワシが驚いて飛び退く。オセロットの鳴き声の反響音に、リカオンとオジロヌーは思わず耳を伏せて、身を竦める。
「これ……、腐ってる」と、オセロット。
転げ落ちた実をリカオンが嗅いで、
「……かなり発酵が進んでるな」
蒸し暑い気候に加えて、ピュシスのゲーム内時間は現実の六十倍の速度で過ぎ去る。その分だけ、果実が傷むのも早い。
「食べれなくはないけど」オジロヌーも匂いを嗅いで、オセロットの食べかけをひとくち口にすると、うーん、と味を確かめた。
「無理。回復もしてないし」オセロットが悲しげにうなだれる。
「私はそもそも草食動物だからね」と、オジロヌー。「マシに感じるのかもしれない。確かに回復効果はなくなってるみたいだ。傷んでるからだろうね」
「ゲームシステム的にも、長い時間、持ち運びできたら強すぎるからな」
リカオンは運営視点の感想を口にして、
「どうするかな。洞窟内を進もうかと考えてたんだがヘビクイワシはどう思う?」
と、意見を求めた。
「よろしいんじゃないでしょうか。外はまだ雨がやみそうにありませんし。ただ、私はもうすこし林檎ちゃんを探してみようかと思います」
「はぐれちゃわない?」オセロットが口のなかに残ったえぐみのある果実をぺっぺっと吐き出しながら言う。
「樹の上から見たところ、縦穴が点々と続いてましたの。あちらに向かって」
くちばしで方向が示される。リカオンは位置関係を頭のなかでざっと整理して、
「ちょうど敵縄張りの中心方向か」
「ええ。ですから敵本拠地に近い場所まで行けるのではないかと。それに、縦穴があれば私は飛んで出入りできますから合流は可能です」
「でも、拠点を巡らずにゴールは踏めないよ」と、オジロヌー。
群れ戦のルールとして、攻略側は敵本拠地にあるゴールへと到達するまでに、拠点と呼ばれる地点を順に踏んでいかなければならない。つまり、拠点1、拠点2、拠点3……ゴール、というような手順が勝利には必要。拠点は同心円状にいくつも配置されており、拠点1は本拠地から一番遠い外側の円状に複数、拠点1A、拠点1B、拠点1C……、拠点2は本拠地に近づいたひとつ内側の円状に複数、拠点2A、拠点2B、拠点2C……、といった風に点在している。外側から内側の拠点を順に踏む、ということが重要であり、拠点1A、拠点2C、拠点3Bと踏んでもいいし、拠点1C、拠点2B、拠点3Aと踏んでもいい。大抵は拠点を探して、あみだくじのようにジグザグに進行することになる。
「俺たちはゴールを諦めよう」
拠点を通過せずに敵本拠地に辿り着いても、ゴールすることはできず、ルートを無視しては勝ちにはならない。けれど、ゴールしようとする仲間の手助けをすることはできる。それに、拠点に近寄らないことで敵を避けて、余力を残しておけるというメリットもあった。
リカオンの提案に、そのつもりで縦穴のことを教えたヘビクイワシは王冠のような冠羽を縦に揺らす。
オジロヌーは一応聞いてみただけで拠点を捨てることに異存はない。オセロットは決定権を委ねて、オジロヌーの広い背中にどろりと身を任せた。
ヘビクイワシが羽ばたいて、雨水がちょろちょろと流れ込んでいる大きな縦穴から外へと向かう。
「俺は先を見てくる。転ばないようについてきてくれ」
リカオンはオジロヌーに言って、洞窟の奥へと進んでいった。