▽こんこん3-1 宴の後
祝勝会を終えて、リヒュはピュシスからログアウトする。椅子から立ち上がり、ぐぐっ、と全身で伸び。それから頭にはめている冠に触れた。脳の神経ネットワークの外部端末とも言えるその装置を指先と眼球運動で操作する。ピュシスに入っていた間に、なにか連絡事項がなかったかを確認。緊急ニュースが一つ。詳細を開くと、情報が網膜に照射され、視界に文字が浮かび上がる。
機械を憎む者たちの集団、犯罪組織『奴隷』が、第三衛星を破壊する、との声明を出したらしい。なぜ一番目立つ第一衛星ではないのだろう、とリヒュは疑問に思ったが、それ以前に宇宙空間に浮かぶ頑強な機械衛星を破壊するなんてことができるとは思えなかった。空の上でなく、足元にある機械惑星の方が手を出しやすそうだが、そこは流石に惑星コンピューターの守りが固いのだろうか、と窓の外で第二衛星に照らされている灰色の夜の街を眺める。
食事をとり、就寝の準備をして、ベッドにゆったりと身を沈める。天井を見上げながらリヒュは、それにしてもひどい目にあった、と今日の群れ戦を思い返した。戦の終了と同時にリフレッシュされ、状態異常と体力が全回復、凄まじい悪臭からも解放されたが、もうゾリラとは一緒に戦いたくない。
群れ戦を終えたライオンとオオカミの群れの戦参加者は中立地帯の小さな池に集まった。戦を振り返って意見交換をする、お互いの群れにとって建設的な集まり、というお題目ではあったが、それは宴会以外のなにものでもなかった。
ライオンとオオカミはピュシスで旧知の仲だったらしく、戦っている間の突き刺さりそうな闘気はどこへいったのやら、宴会場となっている広場の中央で和やかに言葉を交わしていた。キリンの背中に乗りたがるイエイヌが続出したり、シロサイとヒグマの力比べがはじまったり、イヌたちが遠吠えの合唱を披露して、その周りをトムソンガゼルが跳ね回るようにして踊ったりと、争いが終われば二つの群れの者たちはいがみ合うことなく交流していた。
とはいえ負けた側のオオカミの群れ員には不貞腐れた態度の者も数名おり、特に隅のほうで佇んでいた灰色の大きなイヌが、凄まじく敵意のこもった眼差しをしていたのが印象的だった。そんな視線が向けられているのを知ってか知らずか、長であるオオカミは、ライオンの群れに所属するピスタチオの植物族から大量の実を贈られ、口いっぱいに頬張って嬉しそうにしていた。
他には、ブチハイエナと紀州犬が副長同士かつ参謀同士として難しい話をしている傍で、アフリカハゲコウが会話に参加しようと奮闘していたり、リカオンが他のイヌ科たちと匂い談義に花を咲かせていたり、無邪気にはしゃぐゾリラの周りを恐々と囲みながら一緒に盛り上がるイヌたちなど、遠目に見ているだけでも飽きのこない集まりだった。
リヒュはと言うと、ゴールを決めた勝利の立役者として持ち上げられ過ぎて疲れてしまっていた。それに神聖スキルのことが少しだけ話題に上ったので、疲労にかこつけて場から離れた。宴会場の外側、森の縁の岩場で、同じくぐったりと疲れた様子のオポッサムと肩を並べて休憩。それから、いささか気の抜けた会話をした後、宴もたけなわというところで、オポッサムがログアウトしたので、自分も抜けてきたのだった。
心地いい群れだ、とリヒュは感じる。トラの群れとは大違いだった。トラが治める密林山地は、お互いを蹴り落そうとするエリートが集まった大企業といった雰囲気。普段から群れ員同士が見張り合っているような環境で、息苦しくてしょうがない。
いっそトラを裏切ろうかという思いが頭をもたげたが、弱みを握られている以上はそうもいかない。化けれることを知られてしまったのは大きな失態だった。けれど避けられない事態でもあった。ピュシスでの敵性NPCであるオートマタの襲撃。各地で頻度を増している突発的な襲撃に不意を突かれて、能力を隠すどころではなかった。
リヒュは、ライオンの群れに以前から潜入している、トラの群れのスパイとの連絡役に任命された。カワウソに化けて入り込んだが、一切怪しまれていない状況。怪しまれないことは喜ばしいのだが、欺いている自分に向けられる好意に気が重くなってしまう。
トラは甘くない。他人を蹴落とすことになんの躊躇いもない。MPKと呼ばれる敵性NPCを利用したPKを行い、歯向かったプレイヤーをロストをさせたという噂も聞く。ピュシスそのものから追い出したのだ。仮にそこまではされなくとも、リヒュが不審な動きをすれば能力を大々的に宣伝され、ピュシスのお尋ね者にされるかもしれない。今までそんな立場になっていなかったのが奇跡のようなもので、ついに一巻の終わりといった事態。もはやそうなってもいいと、時に思うこともあるが、たった一つの懸念がいつもリヒュを迷わせる。そんなことになれば、同じ能力を持つ、どこにいるとも知れないタヌキが困窮するに違いない。それを思うと、踏ん切りがつかないのだった。
なんにせよ、ライオンはトラのことなど歯牙にもかけていないようだった。トラの姑息な小細工も大して功を奏していない。それがリヒュにとっての救いだった。そして、トラの本拠地で過ごさなくてもいい分、スパイであろうとライオンの群れの一員になっていられるのは良いことだ、とも考える。
寝ころんだ姿勢から天井に手を伸ばす。その手が小麦色の毛衣に被われていないのを不思議に感じる。爪が伸びて先が尖ってきていた。このところ爪が伸びるのが早くなった気がする。髪もだ。いや、たぶん思い過ごしだろう。眠くなってきた。体を丸める。意識がぼんやりとしてきて、肉体から乖離していく。楽しい夢が見れれば嬉しい。ピュシスの夢。そういえばタヌキと最後に会った時、サクランボを探して食べようという約束をした。桜桃の実のサクランボ。二つの小さな実が軸でくっついた可愛らしい姿。それを見つけたら、ふたりで一つずつ、分け合って食べようって……。あの約束、果たせないままだな……。