●ぽんぽこ10-11 双頭のヘビ
仲間とはぐれたあと、ブチハイエナとハイイロオオカミの二頭は巨大な車輪に追われていた。
雨降りしきる熱帯雨林を駆け抜けるブチ模様と灰色の獣たち。森の上部からはみだすほどに大きな直径を持つ痩せた車輪は、ドリフト走行を使いこなし、獣の足跡を踏み潰しながら深い轍を刻み続ける。
車輪の正体は双頭のヘビ、怪物アンフィスバエナ。合成獣の神聖スキルを使って、二匹のヘビが合体した姿。
長大な体の両方の先に頭があり、ふたつの口から猛毒を噴き出して攻撃してきた。そして、遭遇したブチハイエナとハイイロオオカミが逃げ出すと、一方のヘビ頭をもう一方のヘビ頭が咥えて、丸い輪っか状になって転がってきたのだった。
アンフィスバエナのスキルを使っているのは、ブラックマンバと、ナイリクタイパンというヘビたち。
ブラックマンバは薄緑っぽい灰色の体で、毒ヘビとしてはキングコブラに次ぐ二番目の長さ。口のなかが黒いので、ブラック、と名につく。非常に毒性が強く、その毒はコモンデスアダーの1.5倍、キングコブラの5倍、マムシの60倍にもなり、即効性があるので噛まれればすぐに全身に回ってしまう。さらに怖ろしいのがその移動速度。ヘビのなかでも最速で、小型犬が走るのと同等の速度で平地から山地、入り組んだ道までもを進むことができる。木登りまで得意な万能選手で、最凶の毒蛇の一角。
もう一匹のナイリクタイパンもまた最凶の毒蛇として名高い。赤褐色の体で、体長はブラックマンバに一歩譲る。しかし特筆すべきはその毒性。なんとブラックマンバの約12倍もの強さがある。キングコブラの50倍、マムシの800倍という、毒ヘビのなかで最強の毒性。しかもその毒はコブラ科に共通する神経毒だけでなく、出血毒や溶血毒も含んでいるという殺しに対する念の入りよう。
そんな二匹がタッグを組んでひとつになったアンフィスバエナは、二匹分の長さを合わせたよりもさらに長く、大きくなり、ブラックマンバを越える素早さを持ちながら、ナイリクタイパンの強力すぎる毒をドクハキコブラのように噴射してくるという、この上なく厄介な敵であった。
ブチハイエナとハイイロオオカミは転がってくるアンフィスバエナからひたすらに遠ざかる。毒への対抗手段がない現状、逃げの一手に限るというもの。
全力で駆ける獣たち。だが、ヘビ柄の轍は猛然と追いかけ、あまつさえ追いつこうとしていた。
「なんて奴だ!」
ハイイロオオカミが振り返って、泥や小石をまき散らせながら迫りくる車輪に目を見開く。樹々の隙間から周辺を素早く見回して、
「洞窟がある。あそこに入るってのはどうだ」
「閉じた場所だと毒を避けきれませんよ」
ブチハイエナが疾走しながら応じる。そして、前方の川鳴りを大きな丸耳で聞き取ると、
「川に入るのはどうでしょうか。水に潜れば毒は届きませんし、川の流れに乗って逃げることもできます。緊急事態ですから、水生ヘビの危険性は無視しましょう」
「濡れイヌになるのはみすぼらしくって嫌なんだよ」
ばばっ、と首を振って雨を振り払うと、ハイイロオオカミは目の前に見えてきた鉄砲水に鼻をひくつかせる。
「いまさら何言ってるんですか、もう手遅れですよ」
自分も雨でずぶぬれになって、普段よりひと回り小さく見えるブチハイエナが、ずっしりと重くなった体を躍動させながら、荒い息遣いの口から舌を出して笑った。
「水も滴るなんとやらと言うでしょう。いまでも十分色男ですから自信を持ってください」
「……そうか?」
ふん、と、きざったらしく鼻を鳴らしたハイイロオオカミは、ブチハイエナと共に一直線に川に向けて四肢を動かす。
いざ飛び込もうとした直前、どんっ、と跳ねた大車輪が先に川辺に到着し、華麗なスピンターンを決めると、川と獣たちの間に立ちはだかった。
咥えていた口を離して輪をほどき、ブラックマンバとナイリクタイパンの両の頭をもたげると、アンフィスバエナは毒を噴射する体勢に移る。ハイイロオオカミは、ちっ、と舌打ちすると、すぐさま直角に曲がって横に走った。ブチハイエナは即座に反対方向へ。
双頭のヘビはそれぞれの頭でそれぞれの獣を追って、どろどろと体を横に伸ばした。ぬかるみに足を取られる獣たちを追い抜き、逃げ道を塞いだ後も、止まることなく伸び続け、自らの体を獣たちを閉じ込める円型のリングの縁とする。
ウマの蹄鉄のような形のリング。空いている部分では、ふたつのヘビ頭が持ち上がる。まぶたを持たない四つの蛇眼が二頭を睨み、いざ毒を吐きつけようと、口が開かれる。
獣たちはヘビ頭と反対側に向かって走った。双頭のヘビの胴体のちょうど中間。ヘビの尾と尾のつなぎ目にあたるであろう場所を目指す。噴射された毒が地面におどろおどろしい線を引きながら迫る。毒を受けたフィールドの緑はどろりと萎びて息を止めた。
ハイイロオオカミやブチハイエナの顎の位置あたりまでの太さがあるヘビの胴体を飛び越えるべく、ぬかるんだ地面を踏み切る。すると、ヘビの体は水が通ったホースのようにのたくって、宙に浮いた獣たちをリングのなかにはじき返した。
「くそっ!」
泥まみれになったハイイロオオカミが牙を剥いてヘビの体に突き立てる。けれども、不規則かつ波打って動く上に、濡れて滑りやすくなった鱗に弾かれてしまった。後ろからは毒の噴射。
「よけて!」
ブチハイエナの声に反応して、ハイイロオオカミはすんでのところで横っ飛びに避ける。
毒、毒、毒のビームが狙う。
ハイイロオオカミはフェンリルの姿に、ブチハイエナはジェヴォーダンの獣の姿にスキルを使って変貌すると、増強された脚力でもって、全力で毒から逃げた。
蹄鉄型のリングの中央に真っすぐに引かれた二本の毒の線。左右に分離すると縁に沿うようにふたつの半月を描き出す。フェンリルとジェヴォーダンの獣が二手に分かれて逃げるのを、それぞれのヘビ頭から噴射される毒が追っていく。
ブラックマンバの頭が狙うのはハイイロオオカミが変じた、大狼フェンリル。ナイリクタイパンの頭が狙うのはブチハイエナが変じた、闇が凝ったような姿のジェヴォーダンの獣。
「泥を!」
離れた位置からジェヴォーダンの獣が叫ぶ。その言葉の意味をフェンリルはすぐに察した。でんぐり返しの要領で何度か転がると。全身の毛衣に泥をまとわりつかせる。気休め程度ではあるが、毒から身を守る天然の防護服。
フェンリルは毒気から生まれた霜の巨人のアングルボザを母親に持つだけあって毒への耐性を備えている。しかしその毒耐性は完全ではない。アンフィスバエナのような怪物の超猛毒の直撃を受ければ、タダでは済まない。
怪物たちの戦いがはじまった。
二頭の魔獣がリングを駆け巡る。フェンリルは取り囲むアンフィスバエナの胴体に牙や爪を向けたが、相手は機敏にのたくって捉えさせようとしない。手間取っていると毒が飛んでくるので、フェンリルは右往左往させられる。
この状況をどうする、と相棒に目で聞くと、意味深な目配せが返ってきた。ブチ模様からいまは闇色になっている獣が加速。合わせて灰色の獣も泥まみれの体をトップスピードに乗せる。行きつく先は、双頭のヘビの頭。蹄鉄型に囲まれた、空いた部分に待ち受ける毒の噴射口。
鏡写しに二頭の魔獣が駆けた。尽きることのない毒の放水が降り注ぐのを巧みにかわす。跳ねた小さな毒飛沫が闇色と灰色の毛衣に新たな一色を加えようとするが、泥濡れの衣を貫通するほどの勢いはなく、防がれる。
二頭の獣は毒を振り切り、双頭のヘビの首の根本へと辿り着いた。そうしてヘビの目の前で、交差するように跳躍。ふたつのヘビの頭から噴射される毒と毒の標準が交わって、その奔流がぶつかった。爆発したように毒が四散。ヘビたちはお互いの毒を頭からかぶる。
毒性を持つ動物は己の毒に対する耐性を持っており、もし仮に毒蛇が同じ種類の毒を持つ毒蛇に噛まれたとしても、抗体があるので死ぬことはない。アンフィスバエナもそれと同じく、己の毒を浴びても全く平気であった。しかし、毒が目隠しにはなってしまったので、慌てて首を振ってへばりついた毒を振り払う。
すぐに敵の姿を探す。闇色の獣はリングの内側に残っているが、灰色の獣は外へと脱出してしまっている。
闇色の獣を仕留めるべく、ナイリクタイパンの頭が毒を噴射しようと口を開いた。一方、ブラックマンバの頭は灰色の獣を逃すまいと首を伸ばす。
リングの内と外で二頭の獣が逆回転に走り出した。それをヘビの頭が追う。獣たちはフェイントをかけ、逆の逆方向へ。またヘビの頭が追う。すると……、
「わっ!」
「うっ?」
驚嘆の二重奏。ナイリクタイパンの頭が吐こうとした毒が詰まった。ブラックマンバの頭は体が伸ばせなくなる。双頭が目を見合わせる。視線が顔から下げられて首へ。ねじれた首が、引っかかって結び目のようになっている。獣たちに翻弄され、自分で自分を縛ってしまったらしかった。
「首を戻せ!」
ナイリクタイパンの頭が呼びかける。
「そっちが回ってほどいてよ!」
ブラックマンバの頭が叫ぶ。
ヘビたちはお互いが好き勝手に動いて、無理やりほどこうとしたので、余計にがんじがらめになってしまう。にっちもさっちも、どうにも身動きが取れなくなってしまった状況。
フェンリルが、わおーん、と大音響の遠吠えを熱帯雨林に響かせた。ヘビたちがその声に気を取られて顔を向けたその瞬間、勝敗は決していた。
ふたつの首の固い結び目は、闇色の獣、ジェヴォーダンの獣のひと噛みでもって、ハサミで寸断されたように、ばっさりとほどかれた。




