●ぽんぽこ10-5 合成獣
ワタリガラスが本拠地から偵察に出向いて、前線から吹いてくる熱気に満ちた風を感じ取ったちょうどその時、スキルによってピュートーンの姿に変貌したアミメニシキヘビがライオンの元へと特攻した。
熱帯雨林の濃緑の樹々を押しのけて横たわる巨大な網目模様。空から見ると、鱗が朝日を乱反射させ、目が眩みそうな輝きがある。
次の瞬間、ピュートーンの姿が萎み、どす黒い瘴気があたりにまき散らされる。間欠泉が噴き出したような激しい靄が立ち込めて、なにもかもを覆い尽くした。
――ほんとにやってくれたのか。これで相手が全滅してくれないものかな。
ワタリガラスはちいさな期待を込めながら、瘴気渦巻く森の上空に翼を向ける。
瘴気の靄の縁取りが激しく揺らめいて、泥がはねるいくつもの音がこだまする。自爆同然の攻撃によって相手が相当慌てていることがうかがえた。
副長は巨体を生かして戦うこともできた。むしろ、いままでの戦では死亡時の特殊効果を使ったことは一度もなかった。そうするまでの相手がいなかった、ということでもある。
けれど、今回の戦いで半端は許されない、ぎりぎりでのしのぎ合いになる。そんな戦いに持ち込まなければ負けてしまう。ワタリガラスは『敵の一団に遭遇したら、すみやかに死んでくれ』と、アミメニシキヘビに頼んでいた。アミメニシキヘビが戦線離脱するリスクよりも、敵を分散させられるというリターンの方が大きい、と判断してのこと。それに心の片隅で、やはり敵は固まってくる、という気持ちもくすぶってもいて、事前の指示に踏み切っていた。
思惑通り敵をばらけさせた。これ以上ない成果。進攻速度を削いで、各個撃破がやりやすくなる。
本来の生物の話で言えば、サバンナの動物たちは群れを形成する種が多く、つながりを重視した戦いを好む。トップのライオンからしてそうだ。プライドと呼ばれる群れを持つ種。ヘビは違う。群れない。ただ協力はする。獲物を狩るために力を合わせたり、越冬するために身を寄せ合う。社交目的ではなく、あくまで営利目的の集団。それがヘビの集まり。ヘビのほとんどが単独生活で巣すら持たないのがその証拠。落ち葉や土を集めて巣を作るキングコブラは数少ない例外。
混乱した状況に持ち込めば、こちらが有利。有象無象となってぶつかり合った場合の連係の瞬発力ではこちらが上回る、とワタリガラスは考えていた。
旋回しながらワタリガラスは神聖スキルを発動させる。その視線は瘴気の靄を貫いて、生い茂る分厚い緑をすり抜けて、その向こうで蹄や爪を鳴らす動物たちのデータを捉えた。
ボンゴとオカピが明後日の方向へと逃げていく。
キリンは地を這う瘴気から頭を突き出して逃れ、その足音を追ってシロサイが走る。紀州犬とボブキャットが続き、二頭の上を飛ぶミナミジサイチョウ。
別の方向にブチハイエナ。近くにハイイロオオカミ。ピューマやシマウマも合流できそうな位置。
ヘビクイワシが仲間を探しながら風に乗った瘴気から逃れて飛んでいる。オセロットやオジロヌーを引きつれたリカオンがそれを追う。
林檎は後方。瘴気に呑まれない位置で助かったようだ。遠回りして、他の仲間と合流しようと深い森に自らの幹を分け入らせていた。
いま確認できる範囲内にいる敵戦力はこれが全て。残りはさらに遠くに離れているか、死体になっているか。しかし……、
――おかしいな。
なにか忘れている気がする。高度を上げて、再度辺りを見回す。なにか足りない。なんだ?
――そうか。
ライオンがいない。肝心の長がどこにも見当たらない。もしかしたら瘴気にやられたか? いや、違うようだ。死体はない。うちの長じゃあるまいし、こんな日に不在ということはないはず。それにクルマサカオウムが、ライオンがいたことをはっきりと口にしていた。
空には淀んだ黒雲が集まってきている。空気が湿り気を帯びて、吐いた息がいまにも雨粒となって地上に落っこちていきそうだった。雨が降ると飛びづらくなる。ほどほどにして本拠地に戻るべきだろう。
ワタリガラスは翼をひるがえして、来た方向へと引き返す。熱帯雨林を覆う分厚い植物の天井を、さらに分厚い雲の天井から落ちる影が覆っていく。
雨がくる。
ワタリガラスはつややかな羽根の一本一本でそれを感じた。
ひゅっ、と鋭い風切り音。鋭く長い。頭上。降りはじめた雨粒が空気を切る音にしては鋭利すぎる。
嫌な予感。咄嗟に体を斜めにして、宙返り。
すると、ほんの一瞬前に自身がいたその空間を、鋭い影が横切った。
風圧で体勢が崩れる。きりもみ落下する寸前で、思いっきり翼を広げて滑空することに成功した。振り返らず、雲間から絞り出された陽光に体を押し込めるようにして逃げる。ためらいもなくほぼ垂直の角度で森を目指す。羽を折りたたんで、海鳥が海に飛び込むような体勢。
羽音からして相当に巨大な鳥が追ってきていることが分かった。敵の気配がほんのすこし離れたのを見計らって、視界の端で何者なのか確かめる。微かに首をひねると、見えたのは猛禽類のくちばし。それもかなり大きい。黄金色の羽衣だが、頭が禿げ上がっていることからハゲワシの一種に違いない。しかし、それにしては大きすぎる。こんな巨大なワシなど見たことも聞いたこともなかった。ワタリガラスの四、五倍。ライオンにも勝るのではないかという体格。
正体不明。けれど、スキルを使えばそれを知ることは造作もない。
発動。しかし、メニュー画面に表示されたのは全項目データなし。項目をざっと確認して、上から下までもう一度目を通す。やはりなにひとつとして情報はない。
――バグったか? いや。そういえば、前にもこんなことが……。
思い出す。ホルスタインの群れとの群れ戦。なんだかよく分からない奴が飛んできて、その情報を知るべくスキルを使った。結果は今回とまったく同じ。
戦が終わったあと、ホルスタインに尋ねると、気のいい相手の長はヒッポグリフだと教えてくれた。ワシの上半身にウマの下半身を持つ合成獣。イヌワシとペルシュロンが合わさった姿。複数のプレイヤーをひとつの肉体に収めて強力な能力を与える神聖スキルの存在を、その時はじめて知った。噂に耳を傾けると、希少ではあるが他にもそんなスキルが使えるやつらがいるらしかった。
背後にまでくちばしが迫っている。森が視界いっぱいに広がる。黒い鳥に覆いかぶさろうとする黄金の鳥。猛禽類の足が獲物を捕らえようと伸ばされる。
爪に引き裂かれる寸前、ワタリガラスは梢の盾に裏側に体を滑り込ませることに成功した。すぐ後ろを飛んでいた大鳥は、枝葉に阻まれ急停止する。
地面に転がり落ちたワタリガラスは頭上にくちばしを向けた。今度こそ正面から相手の姿を確認する。
上半身はタカ、下半身はライオン。
それはタカとライオンの合成獣。
グリフォンと呼ばれる怪物。