●ぽんぽこ10-3 大きすぎるヘビ
熱帯雨林に足を踏み入れると、凝縮された湿度で息苦しさを覚えた。太陽の光が微かに捻じ曲げられて、靄に包まれたように視界が揺らぐ。足を踏み出すたびに肉球に張り付いた泥が糸を引いて、不快な感覚におそわれた。
ライオンの前方ではシロサイの突撃によって、熱帯雨林のオブジェクトである自生樹たちがへし折られていた。太い蔓や蔦が絡まった筋張った幹が二本の角で倒されて、しばらくするとグラフィックが崩れて消えていく。消えた自生植物は戦が終わるまで再生することはない。
サイの皮膚は非常に頑強なので、毒蛇の牙を通さない。牙が刺さらなければ毒を注入することは不可能。この戦の切り込み隊長に最も適したメンバー。シロサイは何者をも怖れることなく、草食動物最強クラスの攻撃力で植物たちを薙ぎ払っていく。
負けじとキリンや、オジロヌーが続き、長い首でのネッキング攻撃や、鋭い角での突進によって、森林伐採が進められていく。そうして作り上げられた、筆で引いたように真っすぐな道を、他の動物たちが踏みならしていく。
空の上には二羽の鳥。ヘビクイワシとミナミジサイチョウ。
ヘビクイワシは猛禽類の一種で、ワシと名に付くが、通常のワシとはかなり異なるいで立ちの大型鳥。白に近い灰色の羽毛のシャープな顔に、くるりとカールした睫毛、アイメイクのようなオレンジ色が特徴的。猛禽類のなかで一番足が長く、すらりとしたシルエット。太ももや、翼の毛先、冠羽には黒い羽毛のアクセント。冠羽はぴょんぴょんと、いくつもの羽根が飛び出ていて冠のようになっている。端正な姿をした非常に美しい鳥。
姿だけでなく、狩りも特徴的。名前にある通り、主としてヘビを狩る鳥だが、その方法はキック。自身の体重の五倍ほど力が込められた強力な蹴りによってヘビを仕留める。獲物には当然、毒蛇も含まれており、毒への抗体があるので食うことができる。この戦においてこれ以上ない索敵役。
飛翔するより走るのが得意な鳥ではあるが、いまはライオンたちの頭上を飛んで周囲を警戒している。
もう一羽はミナミジサイチョウ。目元から喉袋にかけての赤と両翼の先にある白羽根以外は、全身が真っ黒の大型鳥。サイの角のように硬くて大きなくちばしを持つ。食性として死骸を含む多くの生物を口にするので、草原の掃除屋、の異名がある鳥。ヘビも獲物のひとつ。
こちらもヘビクイワシと同様に地面を歩き回って獲物を探す鳥だが、飛翔することもできる。
二羽はヘビを見つけては露払いし、空へと飛び上がって向かうべき拠点の位置を確かめると、シロサイたちに知らせた。
順調に自生植物を除去して、舗装したように平らな道が建造されていたが、そんな時、偵察の二羽が戻って来て、口々に「川がある」と、報告した。
ライオンは歩を緩めながら二羽に尋ねる。
「どのぐらいの深さだ?」
「藻が多くて分からないな」
深い川はオオアナコンダなどの危険な水生ヘビの領域。むやみに足を踏み入れないよう、事前にブチハイエナが言い渡している場所。
「わたしが確かめてくるよ」
川のことなら自分の出番だというように、キリンの背に乗っていたカワウソが、ぴょん、と飛び降りて駆け出した。シロサイの横を抜けて、みっしりと詰まった梢が落とす分厚い影のなかへと入り込んでいく。
「俺も行こうか」と、ハイイロオオカミが申し出ると、ライオンのたてがみが縦に振られる。すぐに灰色の毛並みが躍動して、カワウソのあとを追いかけた。
その隣ではブチハイエナが鳥たちに指示を与える。
「ヘビクイワシは、カワウソとハイイロオオカミが川の状態を見ている間、付近の警戒を頼みます。ミナミジサイチョウは側面から回り込んでくる者がいないか確認を」
「分かった」
二羽が飛び去ると、ライオンの背で翼を休めるクロハゲワシが、「俺も空からの警戒にあたろうか。俺の方が二羽よりも飛翔力が高い」と、耳元でささやいたが、これには首が横に揺れて、すこし潜めた声がスピーカーから流れる。
「俺様から離れないでいろ。いざという時、近くにいてもらわないと困る」
こくり、と、くちばしを下げると、ハゲワシはそれ以上は聞かなかった。
カワウソが川に水かきを浸していると、ハイイロオオカミが追いついてきた。
「動く前には長か副長に許可ぐらい取った方がいいぞ」
軽い注意を与えると「ごめんなさい」と、素直な謝罪。
「けど、わたしはこのために選出されたみたいなものだから、いちいち聞く必要はないかと思って」
そう言って、ざぶん、と水中に体を滑り込ませる。
ヘビクイワシが報告した通り、水中は藻に覆われていて、密集する樹々を透かした木漏れ日によってエメラルド色に輝いていた。川幅はなかなかのもので、飛び越えるなんてことはカンガルーでもなければ無理な距離。
しばらくしてカワウソの鼻先が水面に浮かぶ。
「水中に敵は見当たらないけど、結構深いね」
「足がつかないぐらいか?」
「キリンさんなら川底を歩きながら首を出せるってぐらいかな」
聞いたハイイロオオカミは、それじゃ迂回する必要があるか、と考える。大所帯が渡るには時間がかかりそうだ。それに凄まじい重量を持つシロサイがこの幅の川を泳いで渡れるのかも疑問だった。
「渡りやすそうな場所がないか探してくる」
カワウソが再び水中に消えると、ハイイロオオカミは左右に鼻先を向ける。川には黒く濡れたような影がいくつも落ちており、たっぷりの葉を携えた川辺の樹々の枝が両岸から伸びて川の外形を隠している。
川幅が狭い場所がないか、あわよくば枝を伝って渡れないかと、凝った流れに視線を這わしていると、不意に水面に影が差した。
――鳥の影? ヘビクイワシが来たのか。まずライオンに状況を伝えるべきだな。
そう考えた刹那、梢の隙間を通り抜けて、ヘビクイワシの甲高い鳴き声が耳に突き刺さってきた。
「上! 危ない!」
背中に衝撃を感じた。ぎゃおん、と悲鳴が喉からこぼれる。ハイイロオオカミの胴体ほどの太さをした、長大で重たいロープが絡まってくる。その正体はすぐに分かった。ヘビのなかで最大の一角、大蛇アミメニシキヘビ。
水辺にばかり目を向けて、樹上への注意がおろそかになっていた。はねのけようとするが、相手はヘビのなかでもオオアナコンダに次ぐ重量の持ち主。ハイイロオオカミの三倍ほどの重さがある。もがいている間に、大蛇は押し潰すようにのしかかりながら、腹の下に体を潜り込ませてきた。
ぐるぐる巻きの固い結び目に締め上げられたハイイロオオカミ。内臓が圧迫される感覚と共に体力が減少しはじめる。大蛇に一度締め付けられれば猛獣であっても脱出は困難。もがけばもがくほど強く締め付けられ、底なし沼の如くに自らを窮地に追いやることになってしまう。
大蛇の大口がハイイロオオカミの眼前で開かれた。生臭い息が吐きかけられる。アミメニシキヘビは人間を丸呑みしたという話もある。ハイイロオオカミは人間と同等の大きさであり、丸呑みできない道理はない。
不意を突かれていささか動転したものの、ハイイロオオカミはすぐに状況を打破すべく動いた。ただの獣ではこの場を乗り切ることができないのは明白。ならば、魔獣の力を使うしかない。
ハイイロオオカミの体はみるみる膨らんで、鋭い牙が並ぶ顎と、強靭な体躯を備えた大狼の姿に変貌する。神ロキと巨人アングルボザとの間にもうけられた子である大狼フェンリルの姿。
神々はフェンリルを拘束しようとしたが、レージングと呼ばれる鉄鎖も、その二倍の強度を持つ鉄鎖ドローミも難なく引き千切った。その後、ドヴェルグが作った魔法の紐グレイプニルによって、やっとのことで拘束されるが、アミメニシキヘビの締めつけは魔法の力には遠く及ばなかい。力を込めると、あっさりと緩んで、フェンリルは大蛇のいましめからの脱出を果たした。
狼を食らうべく開けられた大口を、さらなる大口で迎え撃つ。世界の終焉ラグナロクで神オーディンすら呑み込んだフェンリルの顎が大蛇を難なく胃の腑に収めようととしたその時、アミメニシキヘビもまた、形を変えはじめた。
大きく、大きく、さらに大きくなっていく。
川よりも太く、ゾウでも、バオバブでも、ビルひと棟ですら締め上げられそうな、巨大すぎるヘビ。頭をもたげると容易に森を突き抜けて、押しのけられた樹々が悲鳴と共に倒れ伏した。
「なんだこいつは!?」
フェンリルが驚愕の声を上げる。
「まさか兄弟か?」
聞いた巨大ヘビが、ふふん、と笑う。
「違うさ。おそろしさには大差ないだろうがな」
そう言って、口元から割れた舌を覗かせると、洞窟のような喉の奥から瘴気に満ちた息をこぼした。