●ぽんぽこ10-1 トーナメント開始
ライオンの群れの面々が、キングコブラ率いる群れの縄張りである熱帯雨林からほど近い丘に集まっていた。
ライオンに化けたタヌキが、ヒゲの先端に微かな緊張を滲ませながら、戦前の演説を待つ群れ員たちの視線を、雄大なたてがみで受け止める。
いまは夜。丘に茂る花々も、凍えたようにつぼみを塞いでいる。しかし、膨らんだ樹々が形作る歪な地平線にもう少しで月が沈み、温かな朝が訪れようとしていた。
トーナメント第一回戦の開始直前。ライオンの群れが攻略側。熱帯雨林のなかに点在する拠点を巡り、最終目標である本拠地を目指す。時間内にルートを辿って到達できればライオンの群れの勝利。時間切れは防衛側であるキングコブラの群れの勝利を意味する。
「俺様は……」
装備しているスピーカーを使って、ライオンが重々しい声色で語り出す。
「オートマタの大量発生を止めるのが最優先だと考えている。このトーナメントは勝つためのものではなく、お互いに高め合う場だと思え」
じっと傾けられる尖った耳、丸い耳、大きな耳、小さな耳、ふさふさの耳、無毛の耳、それに植物族の木肌。
「ただし、勝ちを優先しないということじゃあない。全力で戦う。やるからには優勝を目指せ。俺様たちの縄張りであるサバンナは、ほかのどの群れの縄張りよりも発生源の遺跡に近い。オートマタの脅威をほかの群れの者たちよりも強く肌で感じているだろう。俺様もそうだ。だからこそ俺様はこの騒動の解決を他のやつらに任せて、じっと待っているなんて気にはなれん。優勝して、深層の地面を踏む権利を勝ち取る。そして、お前たちと共に深層に行こう。皆で協力してオートマタ工場を停止させるんだ。深層に行くことになれば、なにが待っているかもわからん。なにがあってもいいように、戦で感覚を研ぎ澄ませておけ」
熱のこもったライオンの言葉をまぜっかえそうとするように、じめじめした風が熱帯雨林から丘の上にまで届いてきた。皆の毛衣が湿り気を帯びて毛先が萎れる。ライオンはうっとうしそうに体を振ったが、濡れた毛は余計にべったりとはりついてきた。ハイイロオオカミも同じように体を振って、水をあたりにまき散らす。水飛沫を浴びた隣の紀州犬が、わん、わん、と抗議の鳴き声を上げた。
そんな小さな騒がしさをよそに、ライオンは誰もが気になっている情報に言及する。遺跡深層にある現実世界そっくりの巨大空洞。その工場地区のオートマタ工場を越えた先にある最深部に到達すれば、ゲームクリアとなって願い事を叶えてもらえる。
「ここにいるなかにはキングコブラの話を真に受けた者もいるだろう。確かに面白い話ではあった。真偽については深層に行ってみなければ分からない。俺様も正直言って気になってはいる。なにか望みがあって、それを叶えたい、と、いつも以上に気合を入れているやつも何名かいるようだが……」
見回されると、照れくさそうに目をそらしたり、まっすぐにライオンの瞳を見返したりといった視線が宙を躍った。
「相手はそれ以上だろうな。話の発端となっているキングコブラが長の群れだ。強い執念を持ったやつらがゴロゴロいるだろう。相手のペースに呑まれないように、くれぐれも用心しろ」
それからライオンは、演説をどう締めようかと、尻尾を数度回していたが、
「まずは目の前の一勝だ。それを目指して……頑張ろう」
と、最後になってやや気の抜けた言葉で終えた。少々しりすぼみとなった雰囲気を盛り返そうとするようにブチハイエナが進み出て、
「さあっ! 王のありがたいお言葉をいただいたところで、作戦を確認しておきましょう」
と、声を張り上げた。
ブチ模様の獣の黒ずんだ鼻先が熱帯雨林へ向けられる。一部の隙なく濃い緑に覆われた森。緑の衣に隠された大地には、曲がりくねった木の根っこが張り巡らされ、泥まみれのぬかるんだ道と大小いくつもの川、そして毒蛇たちが待ち受けている。
「相手の縄張りは見ての通りの熱帯雨林。鬱蒼とした湿った森です。いまは晴れていますが、戦の間に天候が変わるやもしれません。いつ雨が降ってきてもおかしくない。ネコ科のみなさんは濡れるのには抵抗がおありでしょう。暗い木陰で雨宿りしたくなるかもしれませんが、少々辛抱して頂きたく存じます。相手はヘビ。樹上や洞などに潜んで、毒の一撃を加える機会を狙っているはずです」
ネコ科の筆頭であるライオンが率先して頷いたので、他のネコ科は文句を言う間もない。ネコ科と一口に言っても、特に水を嫌うのはサバンナのような乾燥地帯に棲むネコ科たち。元々水場がたくさんある場所に暮らすトラなどは平気。
水を嫌う主な理由は体温が下がるから。体温が下がると代謝が悪くなる。代謝が悪くなると、動きが鈍ってしまう。これは捕食者であるネコにとって死活問題。しかも、イヌと違って毛の撥水効果が低いので、体を振るぐらいでは、なかなか水気を払えない。
「雨がなくとも、サバンナとは違って常に湿っている場所です。足をとられないように気をつけてください。うっかりしていると、泥で滑って転んでしまいますからね」
「オイラは滑り知らずだから大丈夫さ。泥道なんて道路同然、ジャングルなんてジャンプでジャンジャン越えて行こうぜ」ボブキャットがペラペラとスピーカーを回すと「もう滑ってんぞボブ」と、ボンゴが野次を飛ばす。
そんなやりとりにブチハイエナは舌を垂らして、苦い微笑みを返すと、先を続けた。
「そして、地形的に注意すべきは川です。進攻中、いくつかの川にぶつかることが予想されます」
事前に相手の縄張りについて情報収集は行ったが、川の位置については大雑把な情報しかなかった。ピュシスの地形は常に変動しており、川の流れや深さも変わる。いま現在、どんな状態なのか正確には分かりえない。
「川のほとんどは、それほどでもない深さのはずですが、足が呑まれるぐらいの場所は注意してください。水中を移動するオオアナコンダに遭遇する危険性があります」
ブチハイエナがこの集団のなかで頭ひとつ以上も抜きん出ている長身のキリンに目を向けて、
「オオアナコンダはキリンさんの背丈の二倍ほどの長さがあります」
おお、と感嘆とも畏怖とも取れない声がいくつか上がる。
「胴体も太い。ヘビは全身肌肉。水場で足を取られでもしたら、溺れるほかありません。底の深い水場だけは決して渡ろうとしないでください。いいですね」
肉食であるオオアナコンダに相性不利の草食たちは、狙われてはひとたまりもないと、特に気を引き締める。
「事前にも説明していますが、今回の作戦は一点突破です。キングコブラの群れの構成員は、ほとんどがヘビ。それも猛毒を持つ毒蛇です。物陰に隠れてひと噛み、毒を注入しようと目を光らせています。毒は対格差、戦力差を無視して相手を撃破できる強力な武器。とはいえ、ヘビの移動能力はそれほど高くありません。攻撃する一瞬の俊敏さは驚嘆に値しますが、遠くに移動するとなると時間がかかる」
ひと呼吸置いて、ブチハイエナはもうひとりの副長であるリカオンに目を向けた。説明を引きついて欲しいという視線。それを受けたリカオンは丸耳を掲げ、荒いブチ模様の体を前に出した。
「要するに相手は縄張りのあちこちで隠れて待ち伏せしてるってことだな。こっちが一ヵ所をごり押せば、他の場所にいるヘビたちを待ちぼうけにすることができる。こちらの動きに気づかれたとしても、相手の移動速度は遅いから、敵の戦力が集まる前に一気に攻めきれる、ってことだ。概要としてはそんな感じ。具体的には、シロサイ、キリン、オジロヌーを中心とした草食動物のみんなが樹のオブジェクトを破壊して、敵が身を隠す場所を奪いながら、まっさらな道を作る。深い森だから方向を違えないようにという意味でも、道を作っておくのは重要だ。肉食動物は草食動物が集中して道を作れるように警護する。こちらに有利な空間を作りながら、けれど、できるだけ急いで攻める。あとはヘビクイワシとミナミジサイチョウによる空からの監視と強襲で敵の戦力を削っていく。ヘビは空からの攻撃にも弱いからな。それから……」
視線を泳がせて、群れ員のなかを探ると、シマウマの上でぴたりと止める。
「シマウマが隊列の中央だ。こいつだけは絶対に守れ。もし毒蛇に噛まれたとしても、ユニコーンのスキルで解毒してくれる。シマウマが毒蛇に噛まれそうになったら、身を呈してでも盾になるんだ」
「みんな、よろしく頼むよ!」
白黒模様のシマウマが、ふふん、と鼻を鳴らして、重要な役割を任された優越感を隠しもせずに言うと、「しょうがない」「今回だけだぞ」といった、あまり気乗りしないことを匂わせる言葉がぱらぱらと投げかけられた。
「あとは植物族だが……」
リカオンが動物たちの垣根の向こうに視線を投げかける。今回参加する植物族は一種だけ。林檎の樹。
「はあい!」
明るい林檎の声と共に、華やかな香りが丘全体に広がった。
「ルートを一本に絞るから、今回はひとりだ。草食動物が作った道の後ろから、樹列を伸ばして、バフをまいてもらう役割。ヘビは全員が肉食で植物族は相性有利だし、植物族にはヘビ毒は効かないだろうから大丈夫だと思うが、戦への参加ははじめてらしいから、必要な時はみんなで助けてあげてくれ」
「みんなよろしくね! 林檎ちゃんが果実で回復させてあげるから、怪我した子はすぐに来るのよ」
「まかせとけ!」
「守り切ろう!」
「ありがたい!」
自分の時とはまるで違うみんなの張り切りようにシマウマはくちびるを尖らせて眉をひそめる。シマウマが肩を縮めていじけていると、オカピがやってきて、「まあ元気出しなよ。役者が違うよ」と、慰めにもならない言葉をかけた。口から耳まで届くぐらいに長いオカピの舌がシマウマの頬をべろべろと舐める。シマウマは首をひねってそれを避けると、
「うん。ありがとう。一応ね……」と、特にありがたくもなさそうなお礼を返して、耳をくるくると回した。
大まかな説明が終わったリカオンは、ブチハイエナ、それからライオンに鼻先を向ける。ライオンは丘陵の向こうに広がる地平線から忍び寄る太陽の匂いを嗅ぎ取ると、ごおお、と気合の咆哮を上げて場を引き締めた。
「そろそろ日の出だ。開始時間だぞ。細々とした作戦は事前に相談していた通りだ。なにかあれば適時、ブチハイエナかリカオンに聞くといい。ここにいる全員で、参加可能戦力ぎりぎり。それを一気に投入する。各自、交代要員はいないという自覚を持って戦え」
ブチハイエナが恭しく会釈して、耳を伏せる。そうして尻尾をぐるりと回して、ライオンの傍に控えた。
ライオンを先頭に、群れの一団が動き出す。ライオンの背にはクロハゲワシ。横にはブチハイエナとリカオン。シロサイ、キリン、オジロヌーという強力な身体能力を持つ三頭の大型草食動物が続いて、足を早める。空を行くのはヘビクイワシとミナミジサイチョウ。二羽は仲間たちの頭上を越えて、ひと足先に偵察のため、敵地へと飛び込んでいった。
両翼をハイイロオオカミ、紀州犬といったイヌ科、ピューマ、オセロット、ボブキャットといった木登り上手のネコ科の肉食動物たちが固める。そこには一時群れを抜けていたが、ブチハイエナがどこからか呼び戻してきたカワウソも混じっていた。
肉食たちに守られて、シマウマ、オカピ、ボンゴ、インパラ、シタツンガなどの草食動物も進む。
太陽の温かさが地平線の向こう側からやってこようとしている。それに対抗するように、熱帯雨林の上空ではふやけた雲が集まっては流れ、いくつもの影を重ね合わせた暗いレイヤーを作り出していた。よどんだ風が渦巻いて、湿気とぬくもりをかき混ぜる。
最後尾から果実を転がして、一本、一本、己の分身である樹木を生やして樹列を伸ばしていた林檎が、ぽつりとこぼした。
「いやだわ。果実が痛んじゃう」
肉球と蹄が刻まれたぬかるんだ道の上に残される林檎の果実。果実は湿潤な熱気に触れて、すぐに熟れると、くすんだ色に染まっていく。そうして、ぷん、と甘い香りを漂わせると、泥に溶けるように沈んでいった。