▽こんこん9-16 ロロシー? を見つけた!
探偵、ノニノエノはドリルのようなリーゼントの毛先を、中折れ帽がこぼれ落ちそうなほど、しょんぼりと垂れ下げて依頼人の前に座っていた。テーブルを挟んだ向かい側にはソニナという女性。依頼内容はロロシーという少女を捜すこと。
工場地区をここまで歩いてくる間、靴が鉛になったようであった。気持ちの整理をするために、直行せずにふらふらと寄り道をしてしまったので約束の時間ぎりぎりになってしまった。途中で、以前トラ人間を目撃した路地に足を運んでみたが、なんの痕跡も残されていなかった。
「どうですか?」
尋ねられる。やわらかな声。責める気など一切ないという穏やかさ。ノニノエノは両手で水の入ったコップを包みこんで、そのなかに飛び込みそうなほどうつむいていたが、決心したように顔を上げる。
「この依頼、取り消して頂けませんか」
「取り消し?」
優雅な動作で小首が傾げられる、ノニノエノは、しばし見惚れて息を呑んだが、すぐに気を取り直して、断固とした態度で頷いた。
「はい。調査費用としてお預かりしていた料金はお返しします。このまま捜索を続けていても、俺にはロロシーさんを見つけられないでしょう」
「そんな……」落胆させてしまった、と思ったが「……ことはありません」と、慰めの言葉が続いた。人に優しくされるのには慣れてないので、涙が出そうになる。けれど、それではあまりに情けないので、ぐっ、と眼がしらに力を込めて堪えた。
「わたくしはもうすこし続けて頂きたいのですが」
「そういうわけにはまいりません。ご依頼人様に無駄な費用を使わせるのは主義に反しますので……」
ノニノエノはソニナのような工場住みの裕福な者が、なぜ自分のようなヘボ探偵に人捜しを依頼したのかずっと疑問であったが、最近になってひとつの結論に辿り着いた。
もしかしたら、求められているのは、見つけることでなく、見つけないことなのではないか。
理屈に合わないのは分かっている。ソニナは心底、ロロシーを心配して、会いたがっている。けれど人間というものは常に理屈に合うことをするとは限らない。辛い味覚配合の気分の時に、甘味を強めに設定してみる。歩こうと思っていたのに、輸送箱に乗る。和解しようとして、喧嘩になる。ノニノエノにはそんな経験が山ほどある。
きまぐれ、という言葉ではかたづけられない。人の心の表と裏。人は自分の心の正面だけしか見ることができない。心の背中は他人からのほうがよく見えたりするものだ。ノニノエノにはソニナの心が分かるような気がした。
ロロシーという子との間に、なにか引け目のようなものがあるのだ。会いたい。その為の努力、行動を起こさずにはいられない。何もしないのは、何もしない自分には我慢ならない。けれど、会う勇気、心構えというものがまだ整っていない。つまり時間稼ぎの先延ばし。自分では気がつかないそんな心理がきっと働いているのだ。
小さな弱気など吹き飛ばして、前向きな心になるよう後押ししてあげたい。ノニノエノの心には、ソニナを照らしたいがために輝くランプが納められていた。
「書類にチェックをして頂くだけで手続きは終わります」
冠で電子書類を送信すると、受け取ったソニナはしばらくそれを眺めて、
「どうしても、続けてもらえませんか」
と、もう一度確認をした。かぶりを振ったノニノエノのリーゼントの先が揺れると、諦めたようにチェックを終わらせる。料金の精算。ノニノエノにとって大きな赤字。結果を出せない探偵にはちょうどいい戒め。
「いままで本当にありがとうございました」
お礼を言われるようなことはしていない。成果なしの報告を山ほど持ってきただけの無能な男。水を一気にあおって勢いよく立ち上げると、中折れ帽を深くかぶり直した。
思わず険しい顔になっていたのを見かねてか、続いて立ち上がったソニナが、ふっ、と花が咲くように笑って、
「玄関までお見送りします」
先を歩き出す。その後ろ姿を追いながら、素敵な人だ、とノニノエノは何度も思った。
聞けばこの家に雇われているメイドらしい。捜しているのはこの家の娘。大事なことをメイドに任せて親は何をやっているんだ、と説教のひとつでもしてやりたいが、そもそも家主に会ったことすらない。
ソニナの冠から拡散される、疑似香水が漂ってきて嗅覚に働きかける。爽やかで、ほんのすこし甘ったるい香り。似たような香りに出会うたび、この人のことを思い出すのだろう、などと考えながら別れの時を噛みしめて、後ろ姿を記憶に収める。
玄関。お別れ。軽く手が振られる。手を振り返す。離れていく。ずっと振り返っていると変に思われる。前を向いて、歩く。
「おっ、と」
正面から人が来ていたのに気がつかずに、思わず声が出た。
「失礼」
中折れ帽に手を置いて、気取った会釈。
「いえ」
相手はすっと横に避けて、ノニノエノが先程までいた場所へと歩いていった。子供っぽい帽子を逆さにかぶった作業着姿の男。すこし気になるが、振り返らずに道を行く。
あの夜。機械惑星でトラを見た。
トラはロロシーの名前をこぼした。
狩人が来て、トラを追いやった。
その間、ノニノエノは必死で気配を消して、脇道に隠れていた。
分かりやすい岡惚れ。ノニノエノは依頼など関係なく、ソニナのためにロロシーを見つけてあげたかった。
ロロシーの名前を呼んだトラ人間。夜の闇に消えたそいつを捜して、街の隅から隅まで歩き回った。
集中すると、微かな匂いを嗅ぎ分け、ほんの小さな音を聴き、視野が広くできることに気がついた。愛の力でついに探偵としての才能が覚醒したのかもしれない、などと思っていたが、鋭くなった感覚で奇妙な連中を捉えるようになると、ばかみたいに浮かれた気持ちは消え去った。
見間違い、聞き間違い、嗅ぎ間違い、というわけではない。確かにいる。街をうろつく人間とはすこし違うなにか。
ノニノエノはより慎重に動くようになった。
そうして、執拗で綿密な捜索の結果、トラ人間の発見に至った。
これまでに培ったヘボ探偵の技術の粋を尽くしてトラ人間を尾行する。
トラ人間は目立たない細い路地裏や、建物の隙間などに身を潜めて、盗んだ食物や水で食いつないでいるようだった。時折、苦しそうに身を震わせて、虚ろな眼差しになると、あの夜と同じようにロロシーの名をこぼした。
窓のない灰色の岩塊のような建物。トラ人間はそこを頻繁に訪れていた。なんの企業が入っているのかも分からない、顔のない威圧的なオフィスビルが立ち並ぶ地区の最奥。もうすこし進めば未開発地区に足を踏み入れてしまうような場所。
トラ人間は、入口がどこかも分からない、のっぺりとした建物の周囲をうろつくと、壁にぴたりと耳を押し当てた。そのまま言葉と獣の鳴き声の中間のような低い唸り声を発する。位置を変えて、また耳を当てて唸り声。そんな不審な動作をひとしきりくり返すと、立ち去っていった。ノニノエノは、日を跨いで、同じような光景を何度も目撃した。
トラ人間とロロシー。ふたりを結び付ける線はまるで見えてこない。けれど、ノニノエノはその答えが、この謎の建物にあるのではないかと考えた。
トラ人間がいない時間を見計らって、同じように周囲を歩いてみる。
未開発地区に近いからか冠が動作不良を起こした。復旧できないか試してみるが、うまくいかない。チェッと舌打ちをしかけて、すぐに引っ込める。物音を立てないように、移動して、トラ人間がしていたように壁に耳を押し当ててみた。
――音が聞こえる。なんの音だ? 聞き覚えがあるような……。
気づいた瞬間、身を引き剥がす。鋭くなった聴覚が捉えたのは動物の鳴き声。トラ人間が実在する以上、当然予想できたこと。けれど、いざ確かなものとして現出した時、ノニノエノの心は震えた。
――このなかにピュシスがあるのか?
と、思ったが我ながらよく分からない想像。トラ人間のような動物人間がいるのは間違いない。
耳を這わせながら、建物の裏手、通りから見て反対側の角まで回っていく。すると、その壁の向こう側から、すすり泣く少女の声が聞こえた気がした。
広げた両手を壁につけて、隙間なく頬を押し当てる。そうして、耳と口を寄せて、こっそりと壁に声を伝わせてみた。
「誰かいるのか?」
「……誰?」
微かな震えが帰ってきた。ノニノエノの感覚が鋭くなっていなかったら、到底会話など成立しない小さな振動。
「俺は探偵だ。君は誰だ?」
「わたしは……」
答えは返ってこずに、しばらくすると「助けて」という一言。
「捕まってるのか? ここはなんだ。なんの建物だ」
「悪いひとに捕まってるの」
なんともあいまいな言葉にノニノエノは思案する。はぐらかされているような感じがするが、切羽詰まった懸命さもある。
「どうやったら助けられる?」
聞いてみるが「分からない」と哀し気な声。
「もしかしてそこにロロシーって子はいるか? 俺はその子を捜してるんだ」
トラ人間がしきりに名前を呼び、この場所に執着している様子からの連想。
「……」しばしの間のあと、「わたしがロロシーよ。探偵さん。助けて」
「そうなのか……!」
やっと捜し人を見つけたノニノエノは、喜びのあまり手を打ちそうになって、慌てて踏みとどまる。見つけたはいいが、どうやって助け出したらいいものか見当もつかない。なにせ入口の場所すら分からない建物。
「警察を呼んでやるからな」と、冠を使おうとしたが、不調が続いており、うまくいかない。妨害電波でも浴びてるように、ノイズが走るばかりだった。
「やめて」と、壁の向こうの声が言ったので、冠の操作を中止し、耳を傾ける。
「わたし、警察につかまったんだ」
「ん? じゃあここは刑務所か?」
「違うよ。研究所。探偵さんピュシスって知ってる?」
「え? ああ。まあ。聞いたことはあるかな」
「ピュシスで遊んだひとは、うーんと……なんて言ったらいいか」声が遠のく。しばらくして戻って来て、「動物や植物になるんだよ」
すぐに浮かんだのはトラ人間のこと。壁から離れて、自分の手足を確認する。人間だ。それだけでは安心できず、体中をまさぐってみる。異常はない。けれどリーゼントをかき分けて、中折れ帽の下に手を入れた時、なにかしこりを見つけた。なんだ、と思っていじくりまわす。コブじゃない。硬い。
――角?
体が震える。壁に背をもたれかけると、向こう側でロロシーがまだ喋っている途中だったようなので、慌てて耳を戻す。
「……すまん。聞き取れなかった。それで、その、被験体として研究所で調べられてるのか」
「信じてくれるの?」
「もちろんだ。信じるし、助けてやる」
ソニナのこと、我が身のことがごっちゃになって、そんな言葉が勢いのまま口をついた。
「でもどうやって?」
「なにか方法を考える。もうすこしだけ我慢していてくれ」そうして「……また来る」と、壁から身を剥がすと、引き留めるような振動があった。急いで耳を戻すと、トランペットを吹き鳴らすような音。続いて、けたたましいビープ音。多数の足音。「薬を」という老人の声。静寂。
ノニノエノはすぐにその場を離れた。
依頼を打ち切ってもらい、ソニナと別れて歩く帰り道。
これからとんでもないことを俺はする。明日、研究所とやらに突入する。昔のごろつき仲間に無理を言って、爆弾を融通してもらった。捕まるかもしれない。その前に、ソニナとの接点をできるだけ消しておきたかった。巻き込んだりしないように。歩きながら冠内のデータを処分していく。
必要な行動を終えてしまうと、すっかり迷いが晴れて、心のなかが澄んだ気持ちで満たされる。
成功させればいいんだ。そうすれば、大手を振ってソニナと会うことができる。ロロシーを連れて帰って、感動の再会を見守ろう。
第二衛星が照らす渓谷のような道を歩きながら、ノニノエノはトラ人間のことを思い出していた。あいつはロロシーの知り合いだったのだろうか。トラ人間から事情を聞いてもみたかったが、猛獣の怖ろしさはピュシスで嫌というほど思い知らされている。近づく気にはならない。自分がどこまでいっても草食動物なのは分かっている。奴は狩る側。俺は狩られる側。
意識して街中で感覚を尖らせると、動物や植物の気配がする人間は大量にいた。公園で遊ぶ子供たち、ジョギングする女性、忙しそうな会社員たち、服屋の店主。
ピュシスのなかにいても、プレイヤーの動物や植物が、現実世界ではどうなっているのだろうか、ということばかりが気になるようになった。
いつの間に、この機械惑星は化け物たちの巣になったのか。
自分もその仲間入りをするらしい。
感覚の変化。体の変調。
しかし、もとより半端者。それほど怖れはなかった。
むしろ、こんなことがない限り、自分はずっと変わり映えのない人生を送り続けただろう。そのことの方がよっぽど怖ろしい。
明日のことを考えると、ノニノエノは妙に明るい気分になった。こんなことは、いままで生きてきてはじめてだ。いつも日陰者だった自分が、なんだか物語の中心にいる気がする。隠されていた世界の裏側に迫るなんて、いかにも探偵らしい行為で、かつてなく興奮してくる。
ノニノエノはロマンチックな物語に酔いしれていた。楽観的な性格が、きっとなにもかもうまくいく、と背中を押してくる。
動物人間は新しい自分。これまでの煤けた人生が全てチャラになった自分。物語の主人公となり、宝物を悪者の手から取り返して、それを姫に捧げるのだ。待っているのはハッピーエンド。
――いまが人生で一番楽しい。
冠を操作して、お気に入りの音楽を聴覚に流し込む。芝居がかった動作で天空に浮かぶ第二衛星に手を向けると、中折れ帽がはらりと落ちて、螺旋に成長しようとしているブラックバックの角の切っ先がきらきらと輝いた。




