▽こんこん9-9 不可視の文字
「来たよ」
どろんとした目で見上げたスウに対して、
「いらっしゃい。スウちゃん」
と、ロロシーが返す。
スウにとってログインは、ピュシスに帰る、こと。ログアウトは、機械惑星に来る、こと。
スウは一日の大部分をピュシスで過ごす。捨て子としてガラクタに埋もれていたのを、半人たちが発見して育てたのだという。偽冠を与えられ、幼い頃から仮想世界に入り浸っているスウが、ピュシスこそを現実と思うのも無理はなかった。
長時間のログインの弊害か、スウの半人化の進行は早い。ふっくらとした尻尾が生えて、耳先と指先は明るい褐色の毛衣に包まれはじめている。
裏返しになった世界。否定すればスウを傷つけることになりそうで、合わせるように努めてはいる。が、そうしているとキャラクターが消滅しているロロシーは帰る場所を失った捨て猫の気分になった。
夢から覚めて、夢にいるスウは、目をぱちくりとさせて、
「なあにそれ」
と、手を伸ばした。ズテザはカヅッチとスウをの間に視線を泳がせて、おずおずと鉱石を渡す。スウは小さな手からこぼれおちそうな金属質の塊を両手で転がと、光が当たる向きによって、様々に変わる色に瞳を瞬かせた。
「これちょうだい」
「だめです」
すぐにカヅッチが取り返そうとしたが、スウはマントを翻してカヅッチの視界を塞ぐ。そうしてカヅッチが怯んだ隙に、マントを脱ぎ捨てて、
「あっはははは」
と、ひどく嬉しそうにしながら走り去ってしまった。
カヅッチは目隠しのマントを慌てて頭から引き剥がす。その拍子に帽子が脱げて、髪をかき分けて突き出た角の先端が露わになった。そんな頭を隠す余裕もなく、帽子を拾い上げると、
「待ちなさい!」
と、スウを追いかけていく。
嵐のような一幕のあと、残されたロロシーは呆気にとられて、唇に牙を覗かせた。そんなロロシーに、ズテザが声をかける、
「……ちょっと、いいか?」
潜めた声。そして、ねぐらの方向を視線で指し示した。
ロロシーのねぐら。薄っぺらい板を集め、何本かの柱で支えてドーム型にした簡易的な小屋。慣れない工作に何度も倒壊を経験して、起きたら建材に埋もれているということもしばしば。けれど、ズテザに組み立てを手伝ってもらってからは安定している。
鳥類のなかには自ら巣を組み立てるものが多くいる。アフリカハゲコウも木の枝を集めて巣を作る。その本能が生かされているのか、なかなかに見栄えがよく、過ごしやすいねぐらができた。
半人化が進んだ者のなかには平然と野ざらしで横たわったり、細かなガラクタの山に穴を掘って寝床にするものもいるが、ロロシーは本能に対する抵抗として、人間らしい住居を求めた。
電灯などはないので深い洞窟のような暗さ。一部に透けた建材をつかっているので、その部分が仄かに光を通して、辛うじて辺りが見える。ライオンは夜行性なので夜目が利くが、昼行性のハゲコウの目には少々暗すぎるかもしれなかった。
ズテザは目を凝らすように眉間に皺を寄せながら、ロロシーと膝を突き合わせると、おもむろにカヅッチが持ってきた鉱石について語り出した。
「文字が書いてあった」
「文字? 鉱石の表面にですか」
「ああ」
「わたくしには見えなかったけれど……」
闇のなかでスキンヘッドが微かに輝く。ロロシーは鉱石の外観について記憶を探るが、文字が書かれていた覚えはない。カヅッチやスウも文字については言及しなかった。
「それは、判別が難しいぐらい掠れていたり、小さな文字でしたか?」
「いや、はっきり書いてあった。メッセージだ」
「誰に向けて?」
「それは私にはわからない。けれど……」
ズテザは羽音をがさごそと鳴らしながらねぐらの外で聞き耳を立てているものがいないか身を乗り出して、安心できると確認が終わると、今度はねぐらの奥、凝った闇に視線を向けた。
「ユウのことなら大丈夫です」
ロロシーが言う。いまねぐらにはもうひとり、息もせず、瞬かず、脈打たない体を持つ者がいた。ズテザはしばらく闇の奥を探っていたが、それが身じろぎひとつしないことを見て取ると、改めてロロシーと向かい合う。
「おそらくあれは紫外線に関係する石だ」
「方解石や灰重石のような?」
「私には難しいことはわからない。鉱石の種類にも詳しくない。けれど、みんなに見えなくて、私には見えたのなら、鳥の目だから、と考えるしかないと思う」
ロロシーは闇のなかにある鳥人の瞳をじっと見つめる。鳥には人間には見えない色、紫外線が見えるのだという。鳥と人では見えている世界が違う。人間にとっては真っ黒に塗りつぶされたカラスも、紫外線が見える鳥たちからすれば模様のある鳥。人にはなにもないように見える場所にも、鳥は紫外線から獲物の痕跡を発見したりする。
「時間と場所。それに冠を外してくるように、と」
「なんだか原始的な密会方法ですね」
けれど機械衛星たちがなにをするかわからないこの状況なら有効な手段かもしれない。冠を装着している以上、機械衛星との繋がりを絶ち切れない。ロロシーたちも用心のため、いまは偽冠の機能を切っている。
それにしても、誰が、誰に、向けたメッセージなのか、というのが気になった。
「鳥の半人に向けたメッセージなのでしょうか? リヒュが、メョコからと言ってカヅッチに渡したと聞いたけれど、それならふたりのどちらかが半人のことを知ってるということになる……」
友人たちが危険なピュシスと関わり合いがあるかもしれないと考えると、ロロシーは平静ではいられなかった。
「いや。そうとも限らないんじゃないか」
ズテザは、また闇のなかに目を向けて、
「オートマタのセンサーなら、紫外線も見えるだろう」
その言葉に呼応するように、闇の奥がうごめいた。微かなモーター音。ねぐらを構成するガラクタにぶつかって小さな金属音が鳴る。
のっそりと影が動いて、薄い光の元へと銀色のボディが現れた。
「おはようユウ。よく眠れましたか」
「おはようロロシー。おはようズテザ」
銀色の人形はふたりに顔を向けて、目を細めるようにセンサーを絞った。