25 世界の箍
「僕は巳継剱。巷間では、帝都の幽霊と呼ばれている。それもあながち間違いではない。幽霊や物の怪みたいな――そういう類いの存在である事は確かだから」
「噂では聞いた事があるの。軍刀を持った少年が夜の帝都で刃傷沙汰を起こしている、と」
「否定はしないよ。帝都の守り人として、この世界に仇なす者を斬る。僕は、そういう者だ。もっとも、この身体は女だけどね」
はっきりと剱はそう宣言する。その目にも、口調にも迷いは一切感じられない。それが、むしろ危うげに捨十には感じられた。
聞きたい事は、山ほどある。たった今の会話の意味ですら、捨十には分からない事だらけである。しかし、最も先に訊くべきは初瀬と牛之助――二人に何があったのか、だ。
「君が、お嬢を助けてくれたのかの? ならば、礼を言わねば」
剱は首を横に振った。その眉目が少しだけ愁いを帯びた様に感じた。
「牛之助さん――という男は僕が来た時にはもう姿を消していた。久世にやられたらしい。迎初瀬も、ぎりぎりだった」
「彼女らに何があったのか、聞かせて貰えるかの?」
剱は頷き、先程の事を語り始めた。
工場を徘徊し警戒していた獣人、それに襲われ大怪我を負った牛之助。退路を断たれた初瀬は怪我をした牛之助を連れて工場の中枢部まで逃げ込んだ。しかし、そこには先日朋惠を襲った黒衣の男がいた。黒衣の男――久世純一に牛之助は捕らえられ、初瀬も首を絞められて殺されそうになる。
「そこで君が現れた、と」
剱は頷く。
「何とか迎初瀬は助けられたが、牛之助は間に合わなかった。そして久世純一にも逃げられた。正直、不甲斐ない。迎初瀬があんな状態だったから、僕も詳しく彼女から事情を聞けたわけじゃない。工場の状況や迎初瀬が帰り道に少しだけ語った事からの推測だよ。どうしても詳しく知りたいなら、本人から聞いてくれればいい」
捨十は初瀬の方に目を向ける。アケミの傍らで、まだ目を閉じたままぐったりとしている。その姿にはいつもの様な溌剌とした明るさはどこにもない。心身共に疲弊しきっているという感じだ。捨十の胸に痛みが走る。
『失せ物探し』の能力も、友人思いの気質も、責任感の強さも、賢さと慎重さも、勇気も、どれもが迎初瀬という少女の美点であり、捨十や牛之助、アケミが彼女に好意を持つ所以でもあった。
しかし、今回はそれら全てが裏目に出た。
『失せ物探し』がなければ肋骨があの場所にあると分からなかった。友人思いで責任感が強く、勇気がなければ工場に行こうとはしない。賢く慎重であったからこそ牛之助に護衛を頼んだが、それが無関係の牛之助を巻き込む結果になった。一つ一つについては、悪手を打ってはいない。だのに、それらが最悪の結果を招き入れた。
全てが、初瀬の想像を超えていたのだ。
――まさか、ここまでとは。
甘かった。やはり、何としても止めるべきだったのだ。初瀬から聞いた久世純一の件だけでも、不穏なものは十分に感じていたというのに。
牛之助は行方知れずになり、初瀬は心に深い傷を負った。
捨十は自分を責めながら、質問を重ねる。
「その久世純一というのは何者なんじゃ? 確か、裏の魔物――と言っておったの」
自らの言葉に捨十は言い様のない不安を覚えた。
例の工場に出向く前に、捨十自らが初瀬に告げた言葉を思い返す。
――世界の箍が緩んでいる。
そう、今の帝都は何かがおかしいのだ。世の理を外れた現象や能力が、闇から漏れている気がする。捨十自身が直接その目で見たのは迎初瀬の『失せ物探し』だけだが、その類いの話はいくつか捨十の耳に入ってきていた。
根も葉もない噂も混じっているだろうが、いくつかは真実らしいものもある。今、捨十の目の前にいる『帝都の幽霊』もその一つだった。
「本来、この世界は二つに別たれていた。貴方達の住む表の世界と、僕達の闇の住人が住む裏の世界。今はその境界が、緩んでいる。表の世界では起こりえない事が――起こる様になった」
「ふむ――」
関東大震災以降だ。あの日を境に、帝都はそうなった――と捨十は考えている。思えば、初瀬が能力に目覚めたのも震災直後だった。




