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帝都の歩き方  作者: 初瀬灯
第二部 たそがれ異界
93/180

21 「返して!」

「たつき?」


 初瀬の口から漏れた呟きに、しかし剱は一瞥もくれなかった。今にも刀を抜き打たんばかりの体勢に構え、久世を睨み付けている。


「うう――」


 牛之助の事、朋惠の事、ケースの少女の事、久世の事、そして剱の事。余りに多くの要素が整理されないままに叩き込まれた。剱をたつきと認めた瞬間から、初瀬は激しい目眩と吐き気に襲われていた。


 有り得ない。違う。そんなはずはない。


 理性的な声がたつきの生存を否定する。巳継剱は他人のそら似であると主張する。


 しかし、一方でたつきの遺体は見つかっていない。どこか別の場所で生きている可能性を否定する証拠は存在しない。


 だから、初瀬はいつまでも諦めきれないでいたのだ。


 ――ああ、でも、違う。


 強く地面を踏み叩く音と同時に激しい剣戟の金属音が聞こえてくる。


 剱と久世が、戦闘を開始したのだ。


 たつきはおっとりとした大人しい娘だった。


 刀を振りかざして恐ろしい怪人と戦うなんて出来っこない。


 ――初瀬はいつも私を守ってくれるから。


 たつきは誰よりも優しかった。


 剱の視線が放つ鋭さも、発する言葉の力強さもたつきにはなかったものだ。


 ――いつか私が、初瀬の事を助けたいなって思うの。


 久世を睨み付けていた剱。たつきは、あんな怖い顔はしない。


 言葉も、口調も、目付きも、態度も、服装だって、何もかもが違っているのに。


 巳継剱と名乗る少女の顔と身体は間違いなく、たつきと同一であった。


 辛うじて顔を上げる。


 二人の戦いはおよそこの世のものとは思えないものだった。


 久世は黒い影の様なものを自在に操り、触手の如く蠢かせながら剱を叩き伏せようとする。


 一方の剱は刀で影を受け止め、斬り伏せ、少しずつ久世への距離を詰めていく。影を切り裂く時の剱の刀は、紫色の不可思議な光を帯びていた。


 ――何よ、これ。


 自分は一体何を目撃しているのだ。これが夢であるのなら、どれだけ初瀬は安心するだろう。


 まるで御伽話にある魔法使いの戦いだ。霊玉を持った八犬士の夢物語だ。


 しかし初瀬の目の前で繰り広げられている光景は、確かに現実だった。


 一進一退の末、とうとう剱が刀の届く位置まで踏み込んだ。


「はっ!」


 振りかぶった剱の長刀が、久世を一閃する。しかし、刃は久世を切り裂く事なくその身体を透化した。初瀬の鋏と同じ様に。


 その瞬間を見計らって久世は反撃に転じようとしたが、しかし剱の体勢は崩れてはいなかった。空振りした勢いを殺す事なく身体を回転させ、久世の脇腹に回し蹴りを食らわす。


 今度は、透化しなかった。今の剱の一撃は、完全に久世の不意を突いたらしい。


「くっ――」


 久世の顔が苦痛に歪む。その隙を、剱は見逃さない。再び刀を振りかざし、久世を斬り裂こうとする。


 その瞬間、初瀬を襲っていた目眩が止み、混乱していた思考が鮮明になった。


 ――待って。


 初瀬の意識に浮かんだのはこの一言。まだ、自分自身でその意味を捉え切れていない。


 ――待って。


 全ての動きがゆっくりに見える。瞬く閃光にしか見えなかった剱の動きを把握出来ている。


 何故? どうして? 自分はこんな事を思ったのだ。


 このままいけば、巳継剱が久世純一に勝利する。剱の宣言通りに久世は斬られる。そして、剱はどうやら初瀬に危害を加えるつもりはないらしい。「君は僕が守る」と、確かに剱は初瀬にそう言った。


 だから、このまま剱が久世を斬り倒せば、初瀬は助かるのだ。


 絶対的な死を覚悟した窮地から生還出来る。


 初瀬は、助かる。


 だけど。


 だけど、今ここでこの男を殺したら。


 ――久世の影に飲まれた牛之助は、どうなる?


「待って!」


 叫ぶと同時に初瀬は飛び出していた。自分が今、如何に愚かな振る舞いをしようとしているのか、頭の隅にいる冷静な初瀬が呆れている。しかし、殆ど本能的に動いている初瀬の肢体を遮りはしなかった。


 振りかぶった剱の脇から、当て身する様にぶつかってその動きを止める。


「なっ!」


 完全に不意を突かれた剱が初瀬と共に床に倒れ落ちる。


「っつ! 君は一体何を――」


 千載一遇の好機を逃した剱が、驚愕に顔を歪ませ初瀬を詰る様に睨む。


「牛之助さんがあの男に捕まってるの! 今あの男を殺して、牛之助さんを助けられるの?」


「牛之助だって?」


 言葉の意味が測りかねたのか、剱が呆然とした表情になる。その途端に、初瀬と剱の身体がふわりと宙に浮き上がった。


「くっ」


 初瀬の腹と剱の足首に、久世が操る影が巻き付いていた。初瀬は持ち上げられ、剱は中空に逆さ吊りにされている。


「惜しかったな。帝都の幽霊」


 影はそのまま二人を勢いよく投げ飛ばす。初瀬と剱は慣性そのままに、本棚に激突して床に落ちる。怪しげな化学の本がばらばらと二人に降り注いだ。


 初瀬はもう指一本動かす力も残っていなかったが、剱は舌打ちをするなりすぐに立ち上がって再び刀を構えた。


「仕切り直しか――」


 剱の言葉に、久世は首を横に振った。


「いいや、茶番はもう終わりだ。お前の能力は十分に分かった。斬り殺されては敵わんからな。ここは引かせて貰おう」


 久世がぱちんと指を鳴らした。すると、天井からぽたぽたと黒い雫が零れ始めた。それはすぐに部屋全体を黒く塗りつぶす様に埋め尽くしていく。


 そして、眠る少女を入れたケースが、牛之助同様にずぶずぶと床に沈んでいった。


「逃がすか!」


 剱が叫んで、一足飛びに距離を詰め、久世を袈裟斬りにする。しかし、切っ先は透化した久世をすり抜け空を裂く。


「ちっ――」


 久世が真っ黒な影に収束されていく。


「牛之助さん――」


 しゅるしゅると糸を巻き付ける様に久世は影に包まれていき――解かれる部分から彼の身体は存在しなくなっていた。


「牛之助さんを返して!」


 久世は初瀬に一瞥もくれない。


 ぱちん、と何かかが弾けて部屋を埋め尽くしていた影が消える。その時にはケースの少女も、久世もどこにもいなかった。


 残されたのは溜め息混じりに刀を鞘に収める剱と、床に倒れたまますすり泣く初瀬だけだった。

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