8 主
お伽噺の城にいるのはどういうものだろう。
「魔女でも住んでますか?」
「ありそうだ」
明神は館のベランダを指差した。
「周りにベランダが巡らされているでしょう? ああいう建築をコロニアル様式といって、日本の様な高温多湿な土地でも、快適な生活が出来る様に設計してあるんですよ」
「なるほど。で、その知識は何かの役に立つのか?」
花房は冷たく言い放つと門扉を開いた。すると丁度、メイド服を着た若い女性がこちらに歩んできているところだった。
館の窓から、花房達が来た事に気がついたのだろうか。
女性は恭しく礼をする。確か、父に先立たれた神津深雪はお付きの者と二人で暮らしているのだったか。
「お待ちしておりました探偵様。お話は正様から伺っておりますわ。私は奥山雲雀と申します。深雪お嬢様の身の回りのお世話を致しております」
意外だったのは、この雲雀という女性――いや、この娘が、少女と言ってもいい程に若いことだった。間違いなく明神よりも年下だ。こんな少女が一人でこの館を切り盛りしているのだろうか?
黒目がちな、そしてどこか悪戯っぽい目付きが猫の様な印象を彼女に与えている。
花房が丁寧に挨拶を返す。この探偵は知り合いにはぶっきらぼうで粗雑な応対しかしないが、依頼の関係者には実に紳士的に振る舞うらしい。
「突然の来訪、誠に失礼致します。宮元氏から受けた依頼の件で、深雪さんからお話を伺いたいのですが――」
「ええ、承知しております。どうぞ、こちらへ――」
雲雀に導かれて、明神と花房は館に足を踏み入れた。外観は西洋風であったが、内装は天井にペルシャ刺繍が描かれている等、イスラム風のモチーフも所々含まれている。
普段は埃っぽい古物屋にいる明神にとっては、眺めているだけで一つの見物ではあった。
「素晴らしい邸宅ですね。先程もこちらの明神君とまるで御伽の城の様だと話していたのです」
花房がにこやかに雲雀に声を掛けた。先程は魔女でも住んでいそうなどと無礼な事を言っていた癖に。明神は頭をかいた。
「ありがとうございます」
雲雀はどこか誇らしげに応えた。
「使用人は貴女だけと聞いたのですが、これ程の邸宅を一人で切り盛りしているのですか?」
「今は、そうですね。旦那様がご健在の頃は大勢の使用人がいたのですが、皆暇を出されましして――。残っているのは私だけです。お嬢様の身の回りだけなら兎も角、家全体の管理となると、とても手が回らなくて――」
ここは、二人で暮らすには広すぎますもの――雲雀はそう結んで、後は無駄口を聞かずに花房達を案内した。
「お嬢様、探偵様がいらっしゃいました」
雲雀はそう言って、客間の扉を開いた。
部屋には暖炉が設けてある。
そのほぼ中央に、白いドレスを着た麗しい令嬢が佇んでいた。
「探偵様、お待ちしておりました。私、神津深雪と申します」
神津深雪は、柔和な、それでいてどこか憂いを帯びた微笑みを口元にたたえながら、ゆったりとした動きで礼をした。
明神は思わず見とれた。
成る程、御伽話だとはよく言った物だ。明神には彼女の存在そのものが、どこか非日常であるかの様にすら思えた。深雪の眼差しは実際の視線よりも夢見がちなで、絶えずどこか遠くを眺めている気がする。
「私は帝都で探偵をしております花房連次郎と申します。こちらは助手の明神顕彦君」
どうも、と明神が頭を下げる。その時、室内に笑い声が響いた。
「ふ――あはは、あはははははは!」
笑っていたのは、奥山雲雀だった。
「もう限界! 我慢できないわ」
「え?」
明神は突然の雲雀の豹変に訳が分からず戸惑った。
「いつ気付くかいつ気付くかと思っていたけど――」
雲雀はそう言って、猫の様な、悪戯な瞳を二人に向ける。深雪はどこか居心地が悪そうに苦笑している。
「どういうことですか?」
花房が尋ねた。明神にも訳が分からなかった。
雲雀がすっと部屋の中央の、深雪の隣に歩み寄る。そしてくるりと振り返り、花房と明神に恭しく礼をした。
「初めまして。私が神津深雪です」
「はあ?」
花房も明神も、狐に抓まれた様に目を白黒させた。
「では、こちらのご令嬢は――?」
明神の問いに、メイド服を着た神津深雪が再びくすくすと笑う。
「ほら、自己紹介なさい」
「えっと、すいません。私が奥山雲雀です」
白いドレスを着た雲雀はそう言って頭を深々と下げて、申し訳なさそうに部屋の隅に控えた。