4 初瀬の異能
「私は怖くなって走りました。すると黒い男も走り出して私を追い掛けてきたのです。半狂乱になって逃げました。でもすぐに私は捕まってしまいました。男は凄い力で私を塀に叩きつけ、そのまま首を掴んで締め上げました。私は声を上げる事も出来ずに――私は、ここで死ぬのかと、そう思いました」
黄昏時でも分かる程、朋惠の顔は真っ青になり、小振りな唇は少し震えていた。
「そう思った時、男は残った方の右手で、私の胸元に手を伸ばしました。これが猥褻な暴漢なら、恐ろしくもまだ理解出来たのです。だけど、この男はもっと得体の知れない何か――男が伸ばした手は、私の制服を突き抜け、そのままズブズブと、まるで水の中に手を入れたみたいに――私の身体の中に入っていったのです」
「そんな、まさか――」
ここまで来れば、嫌でも先程の朋惠の依頼と結びつく。
――肋骨が盗まれた。
「薄れゆく意識の中で、男が白くて細いものを取り出したのが見えました。その瞬間、近所の大工の留さんが偶々私達を見つけて助けに入ってくれて、男は逃げ出しました。危うく難を逃れた私が、落ち着いてから左脇に触れると――」
「あばら骨が失せていた――ですね」
朋惠は静かに頷いた。
確かに、わかには信じがたい話である。
人の体内を傷つける事なく素手ですり抜ける等、不可能事に決まっている。朋惠が信じて貰えないと思い誰にも相談出来なかったのも頷ける。
しかし、初瀬にはそれを頭ごなしには否定出来ない。
切り捨てられない理由が、初瀬にはあった。
「分かりました。失せ物の肋骨の在処。占いましょう」
初瀬は傍らに置いてあった黒鞄から水晶玉を取り出し、掌に乗せた。何の意味もないただの硝子玉だが、客にそれらしく見せるために用意したものである。それを知らない朋惠が水晶玉を食い入る様に見つめる。
初瀬は目を閉じ、意識を集中させる。
――黒衣の男に盗まれた西村朋惠の肋骨の在処。
心の中で呟く。夕闇の光も雑踏のざわめきも遮断し、まるで深海に潜る様に、意識を深く静かな場所へ沈めていく。
初瀬が掲げている『失せ物占じ 万見つけ〼 』。この看板に偽りはない。
迎初瀬はこの世の様々な『失せ物』を見つける事が出来る。
そういう特殊な力を、初瀬は持っているのだ。
昔からなくしたものを見つけるのは得意な方ではあった。家族や友人がどこかに落としたり忘れたりしたものを、初瀬はあっと言う間に見つけていた。いつからか、初瀬のこの特技を知る者は、ものがなくなったら自分で探すよりも先に初瀬に頼む様になった。少々面倒ではあったけれど、誰かに頼りにされるのは子供心に悪い気はしなかった。
その頃はまだ、通常の特技の範囲内、他人よりも少々目敏いというだけの事でしかなかった。知りもしない人間の失せ物を探す易者の真似事など、出来ようはずもない。
震災の時の事だ。
生き別れたたつきを探して瓦礫に埋もれた帝都を彷徨い続け、ついに見つからなかったあの時、初瀬はどこかに懐中時計を落とした事に気がついた。かつて祖父から譲って貰った物で、初瀬はこれを気に入っていつも持ち歩いていた。それが喧噪の中で、いつの間にかどこかに落としてしまったらしい。
とにかく必死になって遮二無二歩き回っていた時に「ああ、なくしたんだ」と意識した事で、初瀬の足は止まった。
たつきはいない懐中時計もない。不意に切なくなって、泣き出したくなった。
その時、初瀬は自身の身体の中に妙な感覚を覚えた。
まず、初瀬が先程歩いていた通りと、そこに落ちている祖父の懐中時計の映像が、ふと脳裏に過ぎった。そしてまるで初瀬の体内に羅針盤があるかの様に、奇妙な感覚がある一つの方角を指し示しているのだ。
その感覚に導かれるまま、初瀬は道を引き返した。
脳裏に浮かんだ映像そのものの場所に、懐中時計は落ちていた。
まさかと思い、偶然近くにいて何やらものを探しているらしい年老いたルンペンに声を掛け、その失せ物の在処について念じた。
先程と全く同じ過程を経て、ルンペンの失せ物はすぐに見つかった。
こうして初瀬の失せ物を見つける特技は、この世ならざる異能力になった。




