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帝都の歩き方  作者: 初瀬灯
第一部 帝都の歩き方
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63 三条蓬子

 苑緒が心配そうに蓬子を見ている。


「ああ、ごめんね一人で興奮して。君があんまり私の友達に似ていたものだからさ。気を悪くしたのなら謝るよ」


 蓬子はそう言って笑顔を作る。


「いいけれど――」


 そう言った苑緒はまだ不安げである。蓬子は本棚の隅にちらりと見た。棚の中は天文関係の本で埋まっている。以前に蓬子が持ち込んだ少女雑誌は見当たらない。


 自分の存在を拒絶された気がして、蓬子の胸にちくりとした痛みが走る。


 大きく息を吐いてから、椅子に座る。


「君も座りなよ。ここで会ったのも何かの縁だ。せっかくだから少しお喋りしようぜ」


 苑緒がおずおずと向かいの席に座る。天球儀の向こうに苑緒の顔が見える。


 表にいた頃は、いつもこうやって話していたっけ。もっとも、喋っていたのはほとんど蓬子だけだ

ったけど。蓬子は懐かしむ様に思った。


「ちょっと話をしていいかな? 私の友達の話なんだ。少し長くなるかもしれないけど、君に聞いて貰いたいと思う」


 ぽつりぽつりと、それでいて一言一言を噛み締める様に蓬子は言った。ただ話すだけでこんなに緊張するのは初めてかもしれない。苑緒は黙って頷いた。


「私はね、人生というものに退屈していたんだ。そうだねえ、物心ついた時からずっとかな。何をやっても何を見ても、大して面白くも可笑しくもなくってね。理由は、自分でも見当はついてる。自分の未来が見えているから、だと思う。レールの上の人生って言うのかな。陳腐な言葉だけど。実はこう見えて、私は良いとこ出のお嬢様でね。将来は三条の家の為になるような殿方を父上が見つけて来て、その人に嫁いで、私は良き妻良き母になって家族を支える。まあ、世の中のお嬢様と言われる人間は大抵そうで、それでそれなりに幸せなんだろうけどさ、私には退屈に見えて仕方なかった。でも、そいつはただの幼稚な我が儘だ。それも分かってる。私は生まれてこの方、一度もひもじい思いをした事がない。同じ日本だけでも、どれだけの人が明日の食べ物にも困ってると思う? 剰え高等教育まで受けさせて貰ってる。これだけの恩恵を享受しておいて、何となく退屈だ――なんて理由で投げ出していいはずがない。レールからはみ出していいはずがないんだ」


 言葉を止めて、蓬子は苑緒の目を見る。真剣に、蓬子の言葉に耳を傾けてくれているらしい。苑緒は人の言葉の嘘を見抜く。小手先の誤魔化しは一切通用しない。


 どうでもいい。元より偽りを語るつもりなどないのだ。


 だから蓬子は、ただ己の中の真実だけを苑緒に告げる。


「でもね。私は時々思うんだ。私が決まり切った未来にしか進めないのは、単に私に力が無いからじゃないかって。もしも私が天才ピアニストで、演奏のために世界中を飛び回れる程の実力があったなら、そういう道に進んだとしても、それは単にレールから脱輪したんじゃなくて、ちゃんとした別な道に進んだ事になるんじゃないかってね。まあ、残念な事に私にそんな特別な才能は何もない。ピアノはそれなりに弾けるし、学業の成績は優秀だ。でも、それじゃあ世界は変えられない。泣きたくなるくらい――私は普通の人間だった。そんな時、私は一人の少女に出会った」


 織川苑緒。そう、彼女だ。


「その娘は他の人間にはない特別な能力を持っていた。彼女は他人の嘘を見破る事が出来る。ありとあらゆる嘘を看破する事が出来る。そういう、特殊な力が彼女にはあった。私はこれだ、と思ったね。これが世界を変えうる特別な才能なんだって。その娘といれば、私の退屈な世界も少しは面白くなるんじゃないかって、そんな期待を抱いた。自分勝手だと思うだろ?」


 苑緒はすぐには答えなかった。やや間を置いてから「そんな事はないと思うわ」と言った。


「いいや、自分勝手さ。呆れ返るくらいの、エゴイストだ。私はその娘が能力を活用している所をもっと見たいと思った。それで、その娘が世の為人の為に働くのを隣で見てみたいと思ったんだ。まるで物語か活動写真の主人公みたいに、その娘に憧れた。先輩に悪い噂が流れたら、その真実を探りに行こうなんて言って強引に誘ったのもそんな理由さ」


 そう言って蓬子は笑顔を作ろうとしたが、上手く行かない。自分では分からないが、おそらく引き攣った奇妙な表情をしていると思う。


「分からないけど、その娘もそんなに嫌じゃなかったと思う。自分の力で誰かが助けられるかもしれないなら、試してみたいと思ったんじゃないかしら――」


 苑緒はぽつりと言った。


「君にそう言って貰えると、少しは救われるかな。でも、私はその娘を勝手に英雄視していたから、私は彼女の苦しみに気付かなかった。いいや、気付いてはいたけど、些細な事だと無視したっていうのが正解かな。私が英雄視している彼女と、実際の彼女に齟齬が生まれるのが嫌だったんだと思う。彼女は自分の能力が嫌いだった。嘘を見抜いた時に、真実を看破した時に、人の心を覗いている自分自身に後ろめたさと罪悪感を覚えていた。多分、彼女は自分の事を化け物か何かだと思っていたんじゃないかな。はは、私の評価と真逆だね。その娘は、何か悪い夢を見ては魘され、女狐に悪い事を吹き込まれて泣いていた。彼女の苦しみに気づいていた私が言うべきだった。でも変に英雄視してたから言えなかった。だから今言う。織川苑緒――」


 ――君は化け物なんかじゃない、どこにでもいる、普通の女の子だ。


 蓬子は立ち上がる。苑緒の返事を待たず、強引に手を取って、部屋の入り口まで引っ張っていく。


「ちょ、ちょっと――」


 苑緒は戸惑いながらも蓬子に引きずられている。蓬子は部屋の出入り口を開く。そこは桜ヶ崎女学院の廊下、ではなかった。思った通り、底の見えない漆黒の闇が広がっていた。


 まるで天文部の部屋だけが宇宙空間に浮いている様である。


「普通の女の子が、こんな異世界にいるのはおかしいよな?」


 蓬子の意図に気づいた苑緒が抵抗を強める。


「いや! 離して! 私はここにいる!」


 蓬子は外に引きずり出そうとするが、苑緒の力も強い。まさに死に物狂いに、苑緒は抵抗している。蓬子の力では、足りない。このままでは手が離れた瞬間、蓬子だけが闇の中に落ちる。


「いいだろう苑緒! だったら私と勝負をしよう!」


 手を引きながら蓬子は叫ぶ。


「勝負、ですって――?」


「ああ、そうだ。君は自分の事を化け物だと思ってる。人の心を読む覚妖怪だと思ってるな。だけどね、人の心を読むのは君だけの専売特許じゃあないぜ。そんな事、私にだって出来る!」


「何を――馬鹿な――」


「馬鹿な事かどうか、試してみようじゃないか。苑緒、私が今から君の心を読んで、その奥にある君にとって大切な事を一つ、当ててやる。外れていたら、私はすっぱり君の事を諦めるよ。すぐにこの手を離す事を約束する。でももし当たったら――」


 異能など何も無いただの凡人に過ぎない蓬子にも、化け物と同じ事が出来る。


 それが証明出来たなら。


「抵抗するのはやめて私と一緒に来い!」


 化け物は、もはや化け物ではない。


「そんな事! 出来るわけがない!」


 苑緒もまた叫ぶ。今にも泣き出しそうな顔で。


「苑緒、君はここに来てアマネと会った。そして話をしたはずだ。その時、君がアマネに何と言ったか、当ててやるよ。アマネに目覚めて欲しい? 世界をひっくり返したい? いや――」


 違う。織川苑緒はそんな事は願わない。苑緒の心はそういうものではない。


「君は、アマネにこう言った――」


 ――貴女と一緒にここで眠らせて貰えないか、と。


 二人は、闇の中に投げ出された。


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