60 墜落
落ちていく。ただ闇の中を落ちていく感覚だけがある。
いや、もしかすると昇っているのかもしれない。
よく分からない。ただ、蓬子の意識だけがここにある。
体の感覚がまるでない。まるで闇に同化してしまったかのようだ。
かつて自分に手足があった頃、一体どうやって動かしていたのだろう。
ここはどこだろうか。
落ちていくに連れ、蓬子は闇に同化していき、少しずつ自分を失っていく。
蓬子はどうしてここにいて、何をしようとしていた?
何か、大事な事があった気がする。
記憶が、零れ落ちる様に失われていく。
その全てを失った時、蓬子は闇に消える。
そんな予感が意識の隅を掠めたが、それすらもすぐに掻き消える。
三条蓬子という輪郭が次第にぼやけていく。
しかしまだ、何かをやらなければならない、という感情は失われてはいなかった。
――行かなければならない。
何処に?
――話さなければならない。
何を?
――会わなければならない。
誰と?
誰だろう。一体誰が、こんなにも蓬子を駆り立てているのだろう。
瞬間、一人の少女の横顔が蓬子の意識を掠めた。そしてそれは、すぐには消えなかった。
少女の顔は、泣いていた。
どうして? 彼女はどうして泣いている?
「苑緒、君は何故泣いていた――」
呟き。声が出た。苑緒。そうだ、織川苑緒。あいつに会わなければならない。
ばらばらになった欠片が元に戻る様に、蓬子の記憶が形を為していく。
身体の感覚が戻っていく。手足がある。動く。
闇の奥に光が見えた。
あの向こうに、苑緒はいるのだろうか。
蓬子はその光に向かって手を伸ばす。
光は次第に大きくなって、蓬子を包み込んだ。




