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帝都の歩き方  作者: 初瀬灯
第一部 帝都の歩き方
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20 千代

 過去に戻って何かを一度だけやり直せるとしたら、最も後悔している事をなかった事に出来るのならば、自分はいつにまで巻き戻ればいいだろうか。


 幼い頃、織川家には千代という家政婦がいた。可愛らしく、働き者で、優しい女性だった。苑緒の両親や、他の使用人にも信頼されていた。


 何かにつけては彼女にくっついていた様に思う。

 仕事中の彼女にじゃれついては、遊んでくれるよう、何かお話ししてくれるようせがんだ。

 そういう時、千代は少し困った様な顔をして、


――奥様には内緒ですからね?


 そう言って、おやつをくれたり、絵本を読んだりしてくれた。

 苑緒は彼女の事が好きだった。


 ある日、苑緒の母親が大切にしていた宝石付きのネックレスが無くなった。家族使用人を総動員して随分探したが、結局見つからなかった。


 織川家の使用人は厳しく統率が取れている。だから無責任な噂話をする事を良しとはしない。だからある疑念について、表だって口にする者は誰もいなかった。しかし全員が大なり小なり、同じ事を思っていた。


 ネックレスは、誰かが盗んだのではないか?


 千代は疑われてはいなかった。この時の彼女は弟が悪い病気に罹り、金が入り用ではあった。彼女自身気に病んでいたし、他の者も心配していた。そういう動機が周知であるにも関わらず、誰も彼女を疑わなかったのは、彼女の普段からの働きぶりと、その人格によるものだったのだろう。


 しかし、苑緒は分かっていた。母のネックレスは千代が盗んだのだと。


 苑緒は彼女がネックレスの場所を問われた時、嘘を吐いていた事を知っていたから。


 別に、その事について千代を咎めるつもりはなかった。苑緒も彼女の弟の事情については知っていて、心配もしていた。本当はいけない事なのかもしれないが、母様のネックレスなんて苑緒にはどうでもいいし、それで千代の弟のために薬が買えるのならば安いものだと思った。


 だから苑緒は彼女に囁いたのだ。


――大丈夫、私は誰にも言わないから。


 千代はまるで、化け物でも見るような顔で、苑緒を見た。


 そこで初めて、苑緒は自分が軽弾みな事を言ったのに気が付いた。


 咎める気がないのなら、それを千代にいう必要はない。黙って素知らぬふりをしていればいい。いや、そうしなければならない。


 自分は気づいているなんて本人を前にして言うのは、ただの脅迫だ。苑緒にそのつもりが無くても、千代にとっては恐怖の対象にしかなりえない。


 大好きな彼女と秘密を共有したいと思ったのだろうか? 今では思い出せない。


 千代の反応に驚いた苑緒は二の句が継げず、そのうちに千代は逃げる様にその場を去った。


 彼女と会話をしたのはこれが最後になった。あんまり気まずくて、とても話せなかったのだ。


 それから大して日を待たず、千代は苑緒の前からいなくなった。


 千代が苑緒を見た時の、恐れに満ちた目が、今も忘れられないでいる。

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