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帝都の歩き方  作者: 初瀬灯
第一部 帝都の歩き方
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17 世界を変える人

 神津家の自家用車はルノーだった。馬車の様に運転席と客席が分離されているタイプの車である。名士が愛用する車で庶民には馴染みが薄い。


 よく手入れが行き届いていて、車体は黒く輝いている。


 雲雀はいそいそと運転席に乗り込んだ。花房と明神も後部座席に乗り込む。


「では不肖、奥山雲雀――参ります」


「あ、安全運転でいいですからね?」


 運転するのにいちいち気合いをいれる雲雀に、明神が不安げに声を掛ける。


 唸るようなエンジン音を上げ、車は走り出した。


 乗る前は少々不安だった雲雀の運転だったが、普段から深雪を乗せているのだろう、危なげないハンドル捌きである。


 さしたる問題も無く、神津直の遺体が発見されたという荒川の上流付近までやって来た。適当な路上に車を停める。


「ここからだと、少し歩く事になりますが」


「ええ、構いませんよ」


 道行き、色々尋ねてみたい事もあった。


「雲雀さんは神津邸に勤めて長いのですか?」


 三人で歩みを進めながら花房は声を掛けた。何故彼女が狙われているのかまだ分からないが、神津深雪の身の上は聞いてみたかったのだ。


「そうですね。もう五年になります」


「ほう――」


 思ったよりも長い。

 使用人歴五年は、一般的に見れば普通かもしれないが、この雲雀は明らかに若い。

 五年前というと、まだ十二、三歳くらいではないだろうか。

 とはいえ付き合いが長いならそれに越した事はない。それなりの情報を期待できる。


 そんな花房の表情を読み取ったのか、雲雀は柔らかな微笑みを見せた。


「どうでしょう? 貴女から見て、神津深雪さんとはどの様な人物でしょうか?」


 天才ヴァイオリニスト、神津深雪。十代にして、女性でありながら、海外でリサイタルを行う彼女。彼女はある意味、今の時代の少女の模範と言える存在である。きっと多くの娘達が深雪に憧れ、彼女を理想としているだろう。


「そうですね――」


 雲雀は歩みを止めず、しかし視線は宙を彷徨う様に揺れた。


「世界を変える力を持った人――ですかね」


「どういう意味でしょう?」


 問われて、雲雀は少し困った様に小首を傾げた。


「もしかしたら、探偵様達の様な方々には、分からない話なのかも知れません。探偵様達は、元々、持っているものだと思いますから」


「世界を変える力ですか?」


 生憎、花房はそんな大層な力は持っていないのであるが。


「申し訳ありません。あまり深く考えて話しているわけでは無いのであんまり突き詰められると困ってしまうのですけど。世界を変える、っていうのは何も維新や革命が起こせるとかそういう事じゃ無くて――」


 雲雀はまた言葉を切り視線を宙に舞わせる。話の苦手な少女が、何とか頑張って言葉を探している。そんな印象を花房は受けた。


「みんなの世界じゃなくて、自分の中の世界です。帝都の外にも色々な街があって、日本の外にも、英吉利、伊太利、仏蘭西、亜米利加って、色々な国があって違う文化があって、想像もつかないくらい多くの人が生きているって、頭ではそうなんだろうなって分かります。でも、私の世界は、旦那様と出会う前の私の世界は、故郷の寒村だけでした」


 秋の涼やかな風が雲雀の髪を撫でる。


「あそこはあそこで、私は好きでしたけど。でも、お嬢様にお仕えする事で、故郷にいたままだときっと見られなかった物や、考えなかった事なんかがたくさんあって――それで、私の世界は変わったんだと思います」


 言い終わった後、雲雀は恥ずかしげに付け足した。


「訳が分からないですよね。すいません、おかしな事ばかり――」


 いえ――と、ずっと黙って聞いていた明神が言葉を遮った。


「先程、僕達にはそういう気持ちは分からないかもしれないと言いましたけど、僕には何となく分かりますよ。僕も、似たようなものです。店長に出会わなかったら今こうしている自分はなかったでしょう。一つの出会いが全く新しい世界を示す、というのは実際にある話なのだと思います。もっとも、そうして知った世界というのが、なかなかの曲者で困っているのですけどね」


 明神はそう言って陰陽札をひらひらと翳す。雲雀が少しだけ微笑んだ様に見えた。

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