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帝都の歩き方  作者: 初瀬灯
第一部 帝都の歩き方
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13 夜

 それから数時間後、時刻が二十一時を回ったのを確認してから、蓬子と苑緒はそろりと廊下に出た。夜の校舎は昼間とはまるで違っていた。


 闇に閉ざされたここは普段蓬子が通っている学校と同じ建物とはとても思えない。必ず人の声が聞こえていた廊下も、今はか細い月明かりが漏れるばかりだ。


 ただ暗くなっただけで、特に何が変わったわけではないはずだ。


 しかし見慣れた廊下が、とても心細く恐ろしげに見えた。幽霊なぞ信じているわけではないが、本能的に覚える恐怖感というのはあるものらしい。


 もっとも苑緒の前でそんな態度を表に出すのは嫌なので、蓬子はあくまでも快活に振る

舞う事にする。


「まさか君からそんな事を言い出すとは思わなかったよ」


「仕方ないじゃない。どのみち最終的にはそうするしかなかったんだし」


 蓬子と苑緒は夜の校舎に忍び込んでいた。忍び込む、というよりは、閉門後も学校から出なかったと言った方が正しい。天文部の部室に隠れて日が暮れるのを待ったのだ。


 家には天文部の活動で天体観測をするのだと伝えてある。実際は、蓬子は部員ですらないのだが。この件が済んだら本当に入部するのも悪くないかもしれない。


「どうせ、どのみち蓬子は夜の学校に忍び込むつもりだったんでしょう?」


「そうだよ」


 蓬子はあっさりと頷く。苑緒は何だか気にくわなそうな顔だ。

 まあ、珍しく自分で積極的な行動を選択したのに、どのみちそちらに引っ張られていたと思うと面白くないのかも知れない。


「苑緒の方から言い出すのは意外だったってだけさ。苑緒は多分、自分の能力があるから意識的に消極的にいようとしてるけど、本来は好奇心の強い性格なのかもしれないね」


「そう、かしら?」


 苑緒は不思議そうに小首を傾げる。蓬子の方も特に深い意味があって言ったわけではないので、真

面目に考えられても困るのだが。


「今の状況なんだけどさ。実は同じ様な話を小説で読んだ事があるんだよ」


 なので、話題を変える。苑緒の方もあっさりとそちらに気がそれたらしい。


「そうなの?」


「吉屋信子の『花物語』っていう少女小説でさ。読んだ事ない? 乙女のバイブルだよ」


「ないわ」


「あっそ。部室の本棚に『少女画報』いれてるから読みなよ。載ってるから」


「というかあれ、持って帰ってくれないかしら――」


「で、その小説がさ、今の私達と同じ事情なんだよ。夜な夜なピアノが鳴り出して、ピアノの鍵の持ち主が疑われる。その小説の場合は教師だったけどね。それで、真相を調べる為に夜の学校に忍び込むのさ。それで幽霊の正体は――」


 蓬子は苑緒を無視して話を続ける。雑誌を持って帰るつもりはない。最後は勿体ぶる様に溜めを入れた。


「正体は?」


 苑緒の方はさっさと話せと言わんばかりの素っ気ない口調である。


「金髪碧眼の美しい伊太利の少女だった」


「ふうん。私達の場合はどうかしらね」


 くっく、と蓬子は含み笑いをした。


「金髪碧眼の独逸少女! というのはどうだろう?」


「悪くないわね」


 しかし、その可能性はないだろう。


 苑緒は部室で幾つかの示唆を語っていた。


 苑緒は環が嘘を吐いた事も吐いていない事も分かっている。


 だから、環が心当たりはないと嘘を吐いた事は分かった。そして、音楽室の幽霊が今夜現れると言ったのが、本当だという事も。


 どうしてそんな発言をしたのか、環が何を知っているかは、まるで分からないけれど。


「――静かに」


 なおも喋ろうとする蓬子を苑緒が止めた。


 音楽室までまた少し距離があるが、聞こえてくる。確かにピアノの音である。


 人気の無い暗い校舎に響いているソナタの音色は、哀しげというより恐ろしさの方が勝っている。まさか幽霊が弾いているなどと考えているわけではないが、それでもこの状況そのものが蓬子に恐怖感を与えるだけの不気味さがあった。


「いるみたいね」


 苑緒が呟く。暗くて表情は見えない。自分と同じく、少しは恐れる気持ちもあるのだろうか。

 音楽室に近づくにつれ、ピアノの音色もはっきりとしてくる。室に灯りがついているのが見えた。人がいるのだから当然だろう。


「ん」


 不意に音が途切れた。蓬子達が近づいている事に気がついたのかもしれない。二人は小走りに音楽室の扉の前に着いた。


「開けるわよ」


 苑緒がゆっくりと音楽室の扉を開き、恐る恐る室内に入る。


 ――やっぱり。


 ある意味では予想通りだったが、それで警戒心が緩むわけではない。

 意図が分からないのは、何ら変わりないのだから。


「こんばんは。苑緒さん、蓬子さん」



 中にいたのは瀬川環だった。

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