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帝都の歩き方  作者: 初瀬灯
第二部 たそがれ異界
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28 アケミ

 自分を不幸な人間だと思った事はない。だけど、幸せだと思った事もない。人生、得るものもあれば失うものもある。そしてどちらかというと、失う方が多い気がする。親友を失った者、家族を失った者、財産を失った者、そして命を失った者――自分が知っているだけでも様々だ。


 そんな中で少なくとも、あたしは命だけは失わずにここまで生きてこられたのだからまだ運が良い方なのかもしれないわ――と、アケミはそんな事を考える。


 アケミは五人兄弟の長女で、震災前は丸の内の印刷所で働いていた。もう面影も曖昧になってしまったけど、同僚に恋人がいて結婚の約束もしていた様な気がする。


 今でこそ派手なモダン・ガールの衣装に慣れきっているが、当時は流行物にはとんと疎い、職場内でも目立たない地味な存在だった。だから彼から簪をプレゼントされた時は、嬉しかった反面、使い方に困ったものだった。


 ただ四人も弟妹がいればそれぞれ個性があるもので、次女のカズミはその簪にとても興味を持った様子だった。カズミは弟妹の中では一番わがままで我欲も強かった。だからなのか時々、勝手にアケミの簪を刺して友達に見せびらかしに行っては、アケミに大目玉を食っていた。


 あの日もそうだった。いつも簪をしまっている棚に何もなく、カズミはどこかに遊びに出かかけている。またか――と、呆れた時、世界が揺れた。


 大正一二年九月一日十一時五十八分。関東大震災である。


 アケミと母と弟二人と末の妹は家にいた。お昼時という時間が悪く、浅草の多くの家屋は火事になったが、アケミの家は幸いにも火の気を使っていなかったので出火する事もなく、すぐに逃げ出せた。しかし父とカズミの安否は分からない。アケミは避難所に母と弟妹を残して、廃墟と化した浅草を捜し回った。


 日も暮れかけた黄昏時になって、ようやくカズミとそっくりの少女の人影を見つけた。アケミは心からホッとして泣きそうになりながらその人影に抱きついた。少女は驚いた様に目を瞬かせて、言った。


 ――えっと、どちら様ですか?


 よく見ると、少女の髪の色は鳶色で顔の掘りも深い、肌の白さと相まってどことなく外国人を思わせる容姿だった。自分と似て地味な顔立ちのカズミとは、似ても似つかない。どうして間違えたのか、理解に苦しむ程だ。


 それでもアケミは事情を話して、カズミの心当たりがないか尋ねてみたが、少女は申し訳なさそうに首を横に振った。


 仕方なくその場を去ろうとしたアケミを、少女が呼び止めた。


 ――そのカズミさんという娘。今、お姉さんの所持品を何か持っていませんか?


 質問の意図が分からなかったが、今カズミは自分の簪を刺していると思う、と答えた。


 ――それなら、多分分かります。


 そういうと少女は何かを念じる様に、祈る様に、そっと瞳を閉じた。たったそれだけの動作なのに、その少女の様子が何だか普通ではなくて、まるで彼女が神々しい巫女であるかの様にアケミには感じられた。


 とても長い時間そうしていたように思えたが、実際はほんの十数秒だった。少女が目を開いて、小さく、震える様な声で言った。


 ――分かりました。


 その少女に導かれるままにアケミはついて行った。そして、ついに見つけたのだ。瓦礫の陰で頭から血を流し絶命しているカズミと、その傍らに落ちているへし折れた簪を。


 これが、アケミと迎初瀬の出会いだった。


 その後、元の避難所から離れ過ぎて戻る事も出来なくなったアケミは、そのまま初瀬のいる避難場所に案内される。そこで捨十と牛之介に出会い、共に数日の避難生活を過ごした。彼女らとの交誼はまだ続いていて、アケミにとってはもう一つの家族の様に大切なものだ。


 カズミを見つけてくれた初瀬には感謝している。見つからなければ、きっといつまでも割り切れずに、行方知れずの妹を探し続ける事になっただろう。他ならぬ初瀬自身が、今も有馬たつきに囚われ続けているように。


 結局、父も職場の工場が出火し、焼け死んでいた。勤めていた印刷会社は倒産し、婚約者は田舎に帰った。残された母と弟妹を養わなければならなくなったアケミは、浅草六区で娼婦になった。


 周りが自分をどういう風に見ているかはともかく、アケミ自身はその顛末を不運な転落だとは思ってない。本当に可哀想なのは死んだカズミと父だし、流されるままに生きて来た自分が、今もまだ流されているだけに過ぎないと、そう思っている。印刷所の片隅で働いていた自分もモダン・ガールの姿で男を誘う自分も同じアケミで、その差異に特別な感想はない。


 ――まぁ、そういうところが馬鹿なんだろうけどね。


 アケミは自分を不幸だと思った事はない。幸せだと思った事も、またない。


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