聖女フランシータの場合は
召喚記念日は多分3月30日の日曜日。
昼間だというのに暗雲に覆われた森は薄暗かった。
いつもなら森林監督官の元で木こりたちが伐採に精を出す所だが、森に人影はない。静寂の中、木々の間を縫うようにして得体の知れないものが進んだ。それは森を抜け、山の麓に、人々の住む村へと襲いかかろうとした。
輪郭があやふやな、黒々としたものが咆吼すると周囲から光槍が集中した、黒い怪物は一瞬崩れたように見えたが、すぐに元の形を取り戻した。森を包囲していた魔道士たちから舌打ちの音が漏れる。
「くそっ、これでも仕留められないか」
「攻撃、第二波! 手を緩めるな!」
「待ってくれ、まだ…」
一人がマナの回復に手こずるのを目ざとく察知した怪物が襲いかかる。
「来たぞ!」
狙われた最も若い魔道士は突然のことに対処できず立ちすくんだ。
「逃げろ! ケイル!」
一団を率いる年配の魔道士が叫んだが、援護しようにも彼自身が手一杯だ。若い魔道士は目を閉じた。
不意に閃光が走った。若い魔道士を襲おうとした魔獣が光の中で消滅する。
「……え? 何が……」
状況が理解できず若い魔道士は周囲を見回した。後方から駆けつけてきた部隊があった。その旗印は見間違えのない王家の紋が入っていた。
「王子殿下! それに……聖女様だ!」
魔道士たちは歓声を上げた。間もなく、馬から下りた王子アドリアンが彼らの元にやって来た。
「状況は?」
「呪念が強力なため、なかなか仕留め切れません」
王子は頷くと、背後のチャリオットから降りる者に手を貸した。それは全身をヴェールで覆った女性だった。
「聖女様……」
魔道士たちの囁きが広がる中、王子は彼女に深々と頭を下げた。
「お願いします、聖女フランシータ」
ゆっくりとした動作で聖女は魔獣たちと対峙した。魔道士たちが彼女に注目する陰で、王子の側近ベイリスが聖女と彼らの間に遮音の結界を張った。
ヴェールの聖女は禍々しい魔獣の群れを見つめ、心から嫌そうに吐き捨てた。
「キモッ!」
その瞬間、魔獣たちの様子が一変した。急激に輪郭が薄れ、よじれるように収縮していく。魔道士たち他がどよめいた。
「おお、これが……」
「聖女様の奇跡か」
最後の魔獣が消える中、王子の側近ブルトが上空を指さした。
「殿下、コアが!」
空中に黒々とした結晶が浮かんでいる。アドリアンは王族のみが扱える聖弓マンクールを構えた。
「呪念に操られし魔獣よ、聖輝に散れ!」
つがえた矢が放たれ、コアを貫く。不気味な悲鳴が森を揺らした後、結晶は砕けた。森を覆っていた黒い雲が急速に後退し、晴れ渡った空と爽やかな風が戻ってきた。魔道士たちは魔獣の消滅を実感した。
「消えた……」
「勝ったんだ!」
「王太子殿下万歳! 聖女様万歳!」
魔獣を駆逐した聖女フランシータと王子アドリアンを賞賛する声が続いた。やがて討伐成功を聞きつけた近隣の村の住民たちが加わり、ほとんどお祭り騒ぎになってしまった。
「これは、収めるのが大変だな」
困ったようにアドリアンが言うと、側近のベイリスとブルトが笑った。
「みんな感謝しているのですよ。殿下と……聖女様に」
討伐の主役の片方――聖女フランシータの方へと彼らは視線を向けた。ヴェールで輪郭もぼやけている聖女はぼそりと言った。
「あー、ダルー」
側近たちは慌てて付近を見回した。
「聖女様、お疲れと思いますが」
「バリ疲れた。もー、動けねー、無理ー」
不機嫌全開で不満を並べ立てる聖女を、王子たちが必死で宥める。
「すぐに城に戻れますから」
「今回のご活躍、両陛下もお喜びですよ」
「あー、腹減ったー」
「直ちに食事を用意させますから!」
懸命な説得が功を奏したのか、聖女はのろのろとチャリオットに乗った。有角獣の手綱を片手で掴み、彼女は無造作にもう一方の手を空に向けた。同時に黄金の門が空間に浮かび上がる。チャリオットはその中へと消えていった。
駈獣に騎乗した王子たちは、ひれ伏して拝む村人たちに見送られながら続々と聖女の後を追った。
一行は黄金の門を通り、王宮の中庭に到着した。そこには国王夫妻を始めとした王国の重鎮が居並んでいた。
「ご無事の帰還をお祝いします、聖女様」
王妃が深々と頭を下げる前を、聖女フランシータのチャリオットが通り過ぎ神殿に戻っていった。普通なら考えられない無礼な態度なのだが、彼女だけは別格だ。王妃は気にも留めず戻ってきた息子たちに声をかけた。
「ご苦労様、アドリアン。魔獣の様子はどうでした?」
「楽観視はできません。出現回数を経るごとに力と数を増し、人里に近い場所に発生しています」
人々は深刻な様子で今後のことを話し合った。
「おそらく、魔獣を操る者の力が強化しているのでしょう。これまでは聖女様のお力を借りて討伐できていましたが、先は分かりません」
聖弓マンクールの使い手である王子の言葉は重かった。王妃は深く頷いた。
「こちらも実験を急がせています。実用化のめどは立ちました」
彼女の背後で魔工庁の者たちが首肯した。アドリアンは驚いた声を出した。
「では、聖女様の力と同等の魔道具の開発が?」
「あと一歩です。この国が非道な誘拐で成り立っていると誹られない未来まで」
王妃が断言し、暗かった人々の表情に光が差した。そこに慎重派の神官長が空気を引き締めた。
「完成と実戦投入にはまだ時間がかかる。楽観視は早急かと」
「だが、希望が出来たのだぞ、神官長」
国王が陽気な笑顔で言うと、否定派も矛を収めた。
やがて聖女フランシータは神官長たちと神殿に戻って行き、王城は通常運営に戻った。
王子アドリアンと側近たちは王子宮に続く回廊を歩いた。彼らの会話は自然と弾んだ声になった。
「これで、魔獣の被害が深刻になるたびに聖女を召喚しなくてすむのですね」
ベイリスは天を仰いでいた。
「いくらこの国を守るためと言っても、異世界から無関係な者を強奪するのに変わりないからな」
ブルトは重々しく頷いた。
王子はやや複雑そうな顔をしていた。怪訝そうな古くからの友人たちに苦笑気味に説明する。
「いや、今の聖女様の召喚の時を思い出していたのだ」
「……あー」
側近二人は同時に遠い目をした。聖女フランシータがこの世界に降臨した日が、彼らの頭に鮮やかに甦った。
* *
長時間マナを酷使した神官長の身体が揺らいだ。慌てて魔道士や神官が彼を支える中、神官長は最後の力を振り絞るようにして床に描かれた召喚陣にマナを注いだ。
見ていることしかできない王と王子、宰相たちは不安を抱えながら召喚の儀式を見つめた。
国のあちこちから魔獣出現の報が入っている。魔道士隊と騎士団が出動するもめざましい戦果は上げられず、魔獣の生息範囲はじりじりと村や町に迫っていた。
そして反対意見も多い中、聖女召喚の儀式が強行されたのだ。
「もう後戻りはできないな」
王子アドリアンが呟いた。傍らに控える若き天才魔道士ベイリスと負傷した父に代わって近衛騎士団を統率するブルトが無言で頷く。
祈るように人々が見守る中、遂に変化が訪れた。召喚陣が突然光を放ち、秘蹟の間を白一色に照らした。息も出来ないほどの突風が渦巻き、人々は思わず顔を覆った。
やがてそれらは突然収束した。ざわめく魔道士や神官と国王、重臣たちは、床の召喚陣の中心に見知らぬ者が座り込んでいるのに気付いた。若い女性のようだった。
変化した召喚陣には『フランシータ』と名が浮かび上がっている。
「……おお、聖女フランシータ様」
「成功だ!」
「これで救われる!」
感涙にむせぶ者が続出し、秘蹟の間はお祭り騒ぎだった。しかしそれは長続きしなかった。彼らはすぐに気付いたのだ。今回異世界から来た者がこれまでの聖女と明らかに違うことに。
「……あ゛?」
低く唸るように『聖女』は言うと、周囲を見回した。
「フランシータって……、えー、何コレ、コスプレ? こんなの聞いてねーけど」
異世界の言葉で不機嫌そうに言われ、慌てて語学に堪能な者がマナを使って翻訳した。
「……聖女様は劇場と錯覚しておられるようで」
「無理もない。まったく違う世界に来られたのだからな」
国王が進み出て新たな聖女に挨拶をしようとした。彼女は胡散臭そうに王を眺めた。
「オジサン、何? なんか王様っぽくね? つーか、ここどこよ?」
彼女の態度もだが、その風体は人々を困惑させた。新たな聖女は、かなり婉曲な表現をすれば容姿には恵まれていなかった。
横広がりの体型、角張った顎、小さい目、鼻は上を向き唇はやたらと分厚い。そして身につけているのは丈の短い服で腕も脚も剥き出しだ。
召喚成功に浮かれていた王国の重鎮たちはこそこと囁き合った。
「……その、これまでの聖女様とかなり違う感じが…」
「髪は金髪のようだが、根元が黒いぞ」
「目の周りに生えているのは触覚か?」
「それに、あの恐ろしげな隈取りは何の意味があるのだ」
「機動性重視の服装は東方の蛮族の戦闘衣装に似ている気も…」
「まさか、これから敵将の首を討ち取りに行くところだったのか?」
憶測から芽生えた誤解が急成長する中、新聖女が苛立った声を出した。
「はあ? 首? どっかの神様みたくネックレスにすんの?」
その言葉に国王以下は震えおののいた。
「何と恐ろしい神を信仰しているのだ」
「もしや生け贄を要求されるのでは」
青ざめる外野に目もくれず、異世界の聖女は怒りだした。
「ちょっと、スマホ圏外なんだけど、サイアク」
人々は固まった。通訳係の魔道士に視線が集中するが、彼もあたふたするばかりだ。
「……その、聖女様の持ち物が正常に作動しないようでして……」
「異界の魔道具か?」
「さすが聖女様、そのような物を使いこなすとは」
おもねる声に胡乱げな視線を向け、新聖女はずけずけと言ってのけた。
「つーかさ、これってユーカイ?」
「お聞きください、聖女様、これには…」
一同を代表して国王が事情説明しようとしたが、凜とした声がそれを遮った。
「おっしゃるとおりでございます、聖女様」
進み出たのはここには招かれなかった人物だった。国王は唖然として彼女を見た。
「……王妃よ、何故……」
「何故とはこちらの台詞でございます、陛下。私は召喚には反対だと進言したはず」
「しかし、状況は悪化する一方ではないか」
「この件は後で」
視線で夫を黙らせると、王妃は改まって聖女に向き直った。
「私はこの国の王妃ルーエラと申します、聖女様。このたびの召喚の儀で貴女様を不本意に異世界へと略奪してしまったことをお詫びします」
王妃は深々と頭を下げた。周囲の者も慌ててそれに倣う。聖女は小さな目を瞬きさせ、憮然とした声を出した。
「えー、それって、ここ、No日本でNo地球……って、ヤバくね?」
意味不明な呟きに、通訳係が再度視線を浴びた。
「……その、聖女様は大層危機感を抱いておられるようで…」
必死でひねり出した言葉に国王は感激し彼女ににじり寄った。
「おお、聖女様も魔獣の脅威を危惧しておられるのか」
涙ぐむ王の様子に聖女は引き気味だった。
「オッサン、クスリでもキメてんの?」
国王の前に進み出た王妃が事態を収拾しようとした。
「我が国の事情は追々説明いたします。どうか神殿でお休みください。聖女様に不自由な生活はさせませんので」
それを聞き、新たな聖女は即答した。
「なら、Wi-Fiと充電」
スマホを突きつけられた人々は沈黙の静止画と化したのだった。
召喚の場で全く口を挟めなかったアドリアンは、その後王城謁見の間で怒り狂う母親に散々なじられた。
「あなたまで軽挙に及ぶなど、私がずっと召喚に反対してきたのに何を聞いていたのです!」
「しかし母上、魔獣を駆逐する魔道具はいつ完成するかも分からないとなれば召喚は仕方ないのでは」
「そうだぞ、王妃。そなたをのけ者にした形となったのは悪かったが、事は急を要するのだ」
息子の陰から国王は反論した。夫と長男を見る王妃の視線は氷点下だった。
「あなたたちは人ひとりの人生を狂わせたことを何とも思わないのですか? 私のお祖母様がどれほど苦労されたか、知らないとは言わせません!」
王妃の祖母は先代聖女、つまり異世界の住人だった。同じく召喚の儀で異世界に呼ばれてしまい、渋々魔獣を根絶させる役目を果たしたのだ。
それでも望郷の思いは強く、高位貴族の公爵と結婚しても子や孫ができても、帰りたいという気持ちは抑えられなかったようだ。
祖母の愚痴を聞かされながら育った王妃にとって聖女召喚は忌むべき悪習であり、この世界の厄災はこの世界の者が解決しなければならないという主張を続けてきたのだ。
それを無視した形で彼女を排除し強引に召喚の儀を行ってしまった国王たちは戦々恐々だった。矢面に立たされた王子は仕方なく母親に弁明した。
「曾祖母様の犠牲はこの国を生きながらえさせました。ここで魔獣に食い荒らされてしまっては、あの方の偉業を無にすることになります」
「そのために魔工庁は対魔獣用の魔道具開発を最優先にしているのです」
「民に一人でも被害が出てしまえば、彼らの努力は理解されないまま終わる可能性があるのでは。どうか、緊急措置とお考えください、母上」
「そうだぞ、王妃」
相変わらず息子の背後から出てこない国王に、宰相や神官長たちが溜め息をついた。何か言いたげな顔をしていた王妃は、色々呑み込んだ表情で告げた。
「とにかく、聖女様の衣食住に関しては最上のものを提供するように。決しておろそかに扱ってはなりません。アドリアン、あなたが全責任を持ちなさい」
「私が……、ですか?」
「この国のためなのでしょう?」
戸惑う息子に向けた声はどこまでも冷ややかだった。
かくして召喚された聖女は神殿で巫女たちが世話をすることになり、彼女の生活環境は第一王子が責任者として調えることとなった。
* *
回想に浸っていた彼らは期せずして同時に息を吐き出した。
「母上はことあるごとに誠意を尽くせ、相手を知り理解しろとおっしゃるが……」
「仕方ないこととはいえ、あちらに歩み寄る気は全くありませんね」
ベイリスが沈んだ声を出した。ブルトも大きく頷いている。
「あれほど膨大なマナを有していればこちらの言語も操れるはずなのに、話す気配もない」
「我々はマナを攻撃に転化するため複雑な詠唱を習得するのに、どうしてあんな意味をなさない言葉で魔獣を殲滅できるんだ」
若き俊英と呼ばれてきたベイリスはどうしても納得できない様子だった。懊悩する友人を気の毒そうにアドリアンが宥めた。
「呪念から生み出され操られている魔獣だ。対抗できるのはより強い否定の念のみだと神官長が言っていただろう」
「理解しているつもりですが、せめて聖女様がもう少し友好的であれば……」
彼女の突飛な言動に振り回されてきた彼らは、どうにかして関係改善できないかと試行錯誤してきたのだ。今のところ成功しているとは言いがたいが。
「何故か聖女様は我々には特に当たりがきついですからね」
空を見上げながらベイリスが呟いた。それは聖女フランシータに最初に正式の謁見を申し込んだ日を思い出させた。
彼女は三人を見るなり鼻息荒く宣言してくれた。
『イケメンの言うこととかー、地球が丸いって言われたって信用しねーし。あ、ここならカメ? カバ? に乗ってる?』
その発言を記憶再生した彼らは一様に首をかしげた。
「カバとは何なのだ?」
「世界を支えるからには想像を絶する巨大で強靱な聖獣なのでは?」
王子たちは脳内にそれぞれ『カバ』という名のスーパーサウルスを思い描いた。
王子アドリアンは側近を伴い神殿を訪れた。今夜の祝宴に主賓として聖女を招待するためだ。
神殿に入ると神官長が迎えてくれた。彼は長い銀髪を揺らして第一王子に挨拶し、聖女の訪問を認めてくれた。
「王子殿下自らのご招待、聖女様も喜ぶでしょう」
アドリアンは神官長に質問した。かねてから気にかかっていたことを明らかにしたかったのだ。
「神官長、聖女フランシータ様は祝宴でもヴェールを外せないのか」
「左様、聖女は神秘的な存在であらねばならぬ」
「しかし、せっかくの無礼講の席で姿を隠せとは失礼ではないか」
語気を強める王子を軽くあしらうように、神官長は首を振った。
「あの方がまともな礼儀作法を身につけられるまでです」
それを言われるとアドリアンは分が悪い。聖女はこちらの儀礼その他に一向に馴染もうとしないからだ。
「ならば衝立で覆った席を用意する。その中では自由にさせてもらう」
「いいでしょう」
神官長は寛大に頷いた。奥へと進む王子たちを見送り、傍らに控えていた神官が嘲るように呟いた。
「あの外見で信仰が得られるとでも思っているのか」
「殿下はまだ綺麗事がお好きな年頃なのだよ」
笑いを堪えながら神官長は答えた。
神殿の奥、長く閉ざされていた聖女宮に彼らは赴いた。特別に選ばれた巫女のみが出入りすることを許され、男性は神官長ですら取り次ぎが必要な区域である。王子といえど例外ではない。
「聖女フランシータ様にご挨拶と祝宴のご招待を」
笑顔でアドリアンが告げると、厳格な巫女たちも心なしか表情を緩めたようだ。母王妃譲りの金髪と空のような明るい青色の瞳は身分問わず国内の女性たちの心を騒がせてきた。当の本人は母の薫陶のおかげかいたって生真面目で浮いた噂すらない。
聖女とは最初から交流があるのに律儀に伺いを立てる王子に、神官補の巫女が頷いた。
「こちらへ」
三人は聖女の住み家に入っていった。
外に出る時は必ず着けていたヴェールを脱ぎ捨てた聖女フランシータは船型の長椅子に寝そべっていた。あだっぽい貴婦人がサロンでしていれば妖艶な姿なのに、岸に打ち上げられた海獣のように見えるのはどうしてだろうと三人は思った。
小さな目を彼らに向け、聖女は片手を上げた。
「ウス」
意味不明な挨拶に強制的に慣らされた王子は、礼儀正しく跪いた。
「聖女フランシータ様、此度も見事魔獣を駆逐していただいた祝宴を開きます。ぜひ、ご出席を」
「あ? 今夜は肉の気分だからー、魚出したらコロス」
相変わらず寝そべったままで、聖女は異世界語で答えた。王子とブルトに視線を向けられたベイリスは咳払いして通訳した。
「つまり、聖女様はメインディッシュに肉料理をご所望です」
「分かりました。お気に召すものを用意します」
アドリアンが請け負う側で、ベイリスが気掛かりそうに付け加えた。
「その、聖女様。祝宴には国王ご夫妻も出席されますし、できれば会話は我々に寄せた言語で……」
「えー、時代劇語とか、ムリ」
即答で否定され、ベイリスは肩を落とした。王子とブルトは囁き合った。
「ジダイゲキ語とは?」
「聖女様の故郷では複数の言語が使用されていたのかも」
「流通の要所なのか?」
「しかし、地域によっては平然と殺し合いをしていたようです」
「高度なのか野蛮なのか分からない世界だな」
召喚時は金色と黒のツートンだった聖女の髪は、今は金褐色だ。ヘアカラーとやらを作れと彼女が魔工庁をせっついた結果だった。対魔獣用魔道具の開発が遅れると宰相たちは憤っていたが、髪色を自由に変えられる薬に宮廷の貴婦人たちばかりでなく裕福な平民層から高級娼婦までが飛びつき、気がつけば国庫が潤ってしまった。
おかげで聖女が次々と持ち込む無理難題に対応する窓口が魔工庁に開設する羽目になった。さすがに召喚で持ち込んだスマホの再現には至っていないが、異世界の魔道具に魔工師たちが刺激されたらしく、辺境の地まで魔獣の監視網が構築された。これでより迅速に討伐に出られるようになった。
その辺のよく分からない功績が、魔獣討伐と共に聖女人気を底上げしている。
王子は礼儀正しく聖女の前を辞去した。供をしていたベイリスが聖女宮を出るなり顔をしかめた。
「やっぱり殿下の顔もろくに見ようとしませんね、聖女様は」
「私に似た者に嫌な思い出でもあるのだろうか」
「イケメン……とやらですか」
三人は考え込んだが答えにたどり着けそうにない。それより先に祝宴に出る準備をしなければと、彼らは急いで王城に戻った。
王城の祝宴は賑々しく行われた。聖女が降臨してから魔獣討伐は全て成功しており、犠牲者も出ていない。人々は聖女フランシータを称え、幾度も乾杯を繰り返した。
衝立に囲まれた席でヴェールを外した聖女は、旺盛な食欲を見せた。衝立の外から探るような視線を感じ、アドリアン王子は小声で謝罪した。
「申し訳ありません、見世物のようになってしまって」
「別に」
聖女の返答は何とも簡潔だった。元々あまり喋る方ではなく、素っ気ない単語をぶつけるような会話がもはや日常となっている。
好奇心を隠せない貴族たちは、名高い聖女の声しか聞こえない状況であってもしきりと接触を持とうとした。
「聖女様、魔獣討伐の秘技などはあるのでしょうか」
「ねーよ」
「聖女様、貴女様の神々しいお姿を描きたいという画家がいるのですが」
「は? マジ?」
「聖女様、貴女様を称える歌をぜひ披露させていただきたく…」
「ヤバッ」
彼らのやりとりの傍聴陣には学舎の者もいた。聖女がいた異世界の研究を進めている彼らでも、会話の解読は困難を極めた。
「聖女様の世界では二音節の単語が基本なのか?」
「珍しい言語体系だな」
それら全てを聞き流しながら、アドリアンは無言を貫いた。
祝宴が終わると、第一王子はヴェール姿の聖女を恭しくエスコートして王城の外回廊に向かった。招待された令嬢たちが彼を見て溜め息をついた。
「いつ見ても素敵ですわ」
「あの王子殿下があれほど親身にお世話をするなんて」
「どれほど美しい方なのかしら」
既に諦めの境地に入っている彼女たちに気づきもせず、王子は聖女の見送りをした。
「それでは、ごゆっくりとお休みください、聖女フランシータ様」
頷いているのか揺れているのか分からない仕草で頭を動かし、聖女は馬車に乗り込んだ。門に向けて馬車が見えなくなると、アドリアンは無意識に息を吐き出した。
「ご苦労様」
彼に声をかけたのは王妃ルーエラだった。
「母上」
「私の宮にいらっしゃい。南部から新しいお茶が届いたのよ」
意外な気分で彼は母王妃の誘いを受けた。
芳香の中でお茶を味わう王子に王妃が尋ねた。
「聖女様はご機嫌麗しく過ごされたのかしら」
「料理は気に入ってもらえたようです」
「そう」
カップを置き、美しい王妃は気掛かりそうに告げた。
「お祖母様が召喚された直後は毎日泣き暮らしていたそうよ。元の世界に戻りたい、家族や友人に会いたいと言って」
アドリアンは母の意図を察した。表情を改め報告する。
「聖女様はあれを作れこれを持ってこいと要求は多いのですが、帰りたいという言葉は一度も聞いたことがありません」
「故郷が恋しくないのかしら」
「私やベイリスたちの前で真情を吐露したくないのかも知れませんが」
「信頼を勝ち取るのは難しそうね。私たちは加害者の立場だし」
王妃は溜め息をついた。そして、残念そうな息子に言い聞かせる。
「聖女様が心を開かないのは仕方のないことよ。いきなり見知らぬ世界に連れてこられたら誰も信じられなくて鎧をまとってしまうわ」
「トゲネズミみたいにですか?」
いつも不機嫌な顔でつっけんどんな態度を見せる聖女が何を考えているのか、彼には想像もつかなかった。
ルーエラ王妃は別の事を話した。
「聖女宮では健やかにお過ごしのようね。お世話係の巫女たちとは、親密でないにしても横暴な言動もないと聞いているわ。魔獣討伐は文句を言いながらも出向いてくださるし」
聖女宮の巫女は王妃が直々に選抜した者たちだ。何か異変があればすぐに王城に連絡が来るようになっている。情報は聖女のことだけとは限らない。
「神殿は寄進が倍増しているそうよ。魔獣が跋扈し始めた頃から」
「それは、魔獣討伐に感謝した民からの貢ぎ物では」
「不思議なことにまだ出現していない地域の領主からも高価なものが届いているとか。神官長が討伐を主張する優先順位は寄進の多い順になっているの」
「まさか、賄賂で民の生活と命を天秤にかけるなど…」
王妃の言葉はアドリアンに衝撃を与えた。沈黙の後、彼は母に約束した。
「騎士団に証拠を探すよう命じます」
「私も公爵家の協力を取り付けて内偵をさせているわ。このことが聖女フランシータ様の名誉を傷つけることがないように」
王子がふと考え込む顔をした。
「気になることでも?」
母親に水を向けられて彼は語った。
「聖女様は『フランシータ様』と呼ばれるたびに奇妙というか、どこか違和感のある反応をされるので」
「召喚陣に浮かんだ名前なのでしょう?」
「トゲネズミの愛称と似ているので、それを嫌っているのでしょうか」
それには王妃も曖昧な笑顔を作るしかなかった。。
王国北西の監視網から魔獣警報が出たのはその二日後だった。すぐさまアドリアン王子と聖女フランシータを中心とした討伐隊が組織され、黄金の門を通過して現地に赴いた。
今回の討伐がただ事でないことにアドリアンはすぐ気付いた。普段は神殿から出ようとしない神官長の姿があったのだ。
「そなたまでが出向かれるとは」
「巫女たちが、此度の魔獣の数は尋常でないと察知しました。もしや呪念の魔女メーディアが直々に現れるのではと」
「呪念の魔女……」
あの魔獣を次々と作り出し王国に送り込んできた張本人が出てくるというのだろうか。緊張する王子たちの側で、聖女は相変わらずだった。
「あー、メンド…」
神官長は咳払いした。
「聖女フランシータ様、これまでとは別次元の戦いになるかも知れませんぞ。ゆめゆめ油断することなく……」
「ウザッ」
説教などどこ吹く風の聖女を見ていると、王子たちは自然と苦笑気味ではあるが笑顔になっていた。金色に輝く聖弓マンムークを手にする王子に聖女が質問した。
「あのさ、『聖輝に散れ』って、誰のセリフ?」
「私の先祖です」
王子の回答にベイリスが説明を添えた。
「建国王イレウス陛下です。この聖弓と魔獣滅伐のマナを込めた詠唱がコアを破壊するのです」
小さな目を眇め、鼻で笑いながら聖女フランシータは言い放った。
「ダサッ」
王子と側近は固まった。聖女がさっさとチャリオットを走らせてから、ようやくアドリアンは言葉を発した。
「……何なのだ、意味不明なのに馬鹿にされたことだけは直撃するこの感覚は……」
「殿下、今は討伐に集中なさってください」
ベイリスが必死に宥め、気を取り直したアドリアンは駈獣の背から空を見上げた。その表情が一気に引き締まる。
薄明るい空に無数の黒点が見えた。それは見る間に大きくなり、異形の輪郭が明確になっていく。
「魔獣だ!」
討伐隊が叫んだ。騎士団と神官、魔道士たちが連携し、魔獣を足止めしようとする。しかし今回の魔獣は数もさることながら魔道士たちが最大限に放出するマナを苦も無く無効化した。
「突破されるぞ!」
悲鳴じみた叫びが起こった。彼らに襲いかかろうとする魔獣の前に、有角獣が引くチャリオットが立ちはだかった。二輪戦車に立つ安定感のある姿は聖女フランシータだった。
彼女は雲霞のごとく迫りくる魔獣の大群に顔をしかめた。
「うわ、キッショ!」
禍々しい暗黒の集団が動きを止めた。やがて魔獣の輪郭が崩れ始める。その機を逃さず、王子アドリアンが聖弓マンムークを構えた。魔獣滅伐のマナを込めた聖句を詠う。
「呪念に操られし魔の者よ、聖輝に散れ!」
光の矢が魔獣の群れの中心に放たれた。崩れ落ちる魔獣の体内からむき出しになったコアが次々と爆ぜていく。
「やったぞ!」
「さすが殿下だ!」
「ありがとうございます、聖女様!」
討伐隊の歓喜は上空の異変にかき消えた。
空の中心に黒い歪みが現れ、渦巻くように広がった。その中心部から巨大な牙を持つ骸骨の獣が突進してきたのだ。その背には人が乗っていた。恐ろしく美しい女性だった。
長い黒髪をなびかせ、女は憤怒の形相で深紅の唇を動かした。
「よくも私の魔獣たちを……」
討伐隊は彼女の正体を察知した。
「魔女メーディアか」
黒衣の魔女は天空を指さした。
「お前たち一人残らず黄泉に送って、我が呪念で魔獣へと変えてくれる!」
それを合図に空の黒い渦が突風を巻き起こした。暴風は地上の者を吹き飛ばし、渦の中へと引きずり込もうとする。
「皆、掴まれ!」
目も開けられない嵐の中、魔道士たちは死に物狂いで風を止めようとした。だが、一人また一人と暴風に吹き飛ばされていく。
「くそっ!」
地に伏し歯噛みしたベイリスは、誰かが肩を掴むのに気付いた。同じように伏せている聖女フランシータだった。
「あの女のとこまで道作って」
彼女に言われ、ベイリスを始めとした魔道士たちは暴風同士をぶつけて狭い無風空間を作り出した。聖女はその中をのそのそと匍匐前進していく。
「往生際の悪い、諦めろ!」
片手を上げ、魔女メーディアは嵐を加速させようとした。そこに、誰かが骸骨魔獣をよじ登ってきた。ヴェールは吹き飛び衣装は泥だらけの少女。
「お前は…」
驚く彼女の顔を、聖女は両手で掴んだ。そして真正面から糾弾した。
「顔、いじってるよね」
「え?」
あまりのことに風が緩んだ。尚も聖女は追求する。
「目頭切開にアイプチ? あ、やっぱ鼻に何か入れてんだ。もしかしてエラも削ってる? あー、さっきから胸が全然形変わんないけど詰め物……」
「ぎゃあああああぁぁぁぁっっっっ!!!!」
先ほどまで勝ち誇っていた魔女は絶えきれずに絶叫し両耳を塞いだ。その隙をアドリアンは逃さなかった。
「聖女様、伏せてください!」
叫ぶと同時に彼は聖弓マンムークを構えた。
「呪念の魔女よ、聖輝に散れ!」
聖女は骸骨魔獣のあばら骨を滑り降り、地面に転がった。その頭上を光が切り裂く。
「ぐわぁぁぁぁっっ!!!」
黒衣の魔女の胸を光の矢が貫いた。彼女はのたうちながら変化した。絶世の美女の身体が急速にしぼんでいき、最終的に残ったのは羽根の付いた小さなトカゲだった。
「おのれ、これで勝ったと思うな!」
やたらと甲高い声でキンキン叫ぶとトカゲはよろよろと浮上し、急激に収束する黒い渦の中に消えた。
『アンチエイジングなのよ~~~!』という謎の捨て台詞を残して。
風がやみ、空が青さを取り戻した。討伐隊は仲間の無事を確認した。風に飛ばされた者もかろうじて森の木に引っかかり無事だった。
「……これは、何があったのですか?」
ベイリスが問うと、王子は聖弓を肩に掛けながら答えた。
「魔獣を送り込んできた呪念の魔女は力を失った。この世界に干渉できるまで復活するには数百年を要するだろう」
人々は驚愕の声を上げた。やがてざわめきは勝利の歓声に変わっていった。
「魔女を追い払ったぞ!」
「殿下と聖女様のおかげだ!」
アドリアンは聖女フランシータの元に駆け寄り手を貸した。
「貴女様のおかげで魔女を撃退できました。あの魔女をあれほど動揺させたのは何だったのですか?」
「は? あのカオ、不自然すぎっしょ」
「……まあ、確かに作り物のような印象はありましたが」
「お直しと上げ底気付かないとか、ヤバすぎ」
「精進します」
神妙に己の未熟さを反省され、聖女は不機嫌そうにそっぽを向いた。
アドリアンは笑顔で仲間に確認した。
「さあ、全員揃っているな、凱旋だ!」
誰もが拳を突き上げて答えた。彼は沈黙したままの神官長に尋ねた。
「黄金の門を開く。よろしいか?」
銀髪の神官長は頷くのみだった。
「王城に帰還する!」
王子と聖女が空に向けて手を伸ばすと中空に華麗な門が出現した。それをくぐり、討伐隊は最大の成果を抱えて王城に戻った。
彼らを迎えた王城はお祭り騒ぎだった。宮廷の人々だけでなく、城門付近には勝利の知らせを聞いた街の人々が詰めかけているのが黄金の門を抜けた時に分かった。
「これは……凄い人数だな」
呆れたように呟く王子に、側近たちは当たり前だと語気を強めた。
「あの魔女メーディアを撃退したのですよ」
「救国の英雄と称されて当然です」
「いや、それも聖女様のおかげなのだが」
面はゆそうに答えた王子は、聖女のチャリオットが王城を素通りするのを見た。彼女はヴェール代わりのローブを頭から被っている。
「どうされたのだ、聖女様は」
まさか負傷でもしていたのだろうかと表情を変える彼に、神官の一人が告げた。
「聖女様はお姿が整っておらず、このような衆目にさらされるのは不都合かと」
そう言い残して神殿に去って行く神官に、アドリアン王子は眉根を寄せた。
「ヴェール越しでしか人前に出さないというのか」
「失礼な言い草ですね」
彼女の傍若無人な言動に悩まされてきたベイリスも王子の怒りに同調した。正直、最初に聖女を見た時は何ともいいようのない感想を抱いた彼らだったが、毎日のように聖女宮に日参するうち見慣れてしまった。彼女が召喚時の恐ろしげな化粧をやめたこともあるが。
更に力を合わせて魔獣討伐を繰り返せば頼れる仲間という意識になった。聖女の外見をいつまでも不都合な事実扱いし、隠蔽して当たり前という扱いに憤るほどだ。
騎士団長代行のブルトが配下の騎士が駆け寄るのに気づき、王子の側を離れた。
ほどなくして戻ってきた彼の顔は緊張感に満ちていた。
「殿下、至急報告したいことがあります。できれば両陛下にも」
驚きつつも、信頼する側近の要求に王子は応えた。
「かったるー……」
聖女宮の寝室で、聖女フランシータは大の字になって転がった。その周囲を巫女たちがせわしなく行き交いながら彼女の着替えを手伝い飲み物を用意する。
「お疲れでしたでしょう」
「あの魔女と対決されたのですもの」
「考えただけで恐ろしいですわ」
口々にねぎらいながら、偉業を成し遂げた聖女の世話をする巫女たちは誇らしげだ。
ひと息ついて、聖女フランシータはぽつりと呟いた。
「これで用無しかあ……」
それを聞きつけた年配の巫女はとんでもないと首を振った。
「何をおっしゃいますやら。救国の聖女様をないがしろにする者などこの国にはおりません」
他の巫女たちも力を込めて頷いた。
「どーだか」
聖女フランシータの言葉に荒々しい物音が重なった。巫女たちは顔を見合わせた。
「何事です、騒々しい」
扉近くにいた巫女が様子を見ようとした時、突然取り次ぎもなく扉が開かれた。あり得ないことだ。
「無礼な、ここは聖女様のお部屋ですよ!」
乗り込んできた神官たちに最年長の巫女が詰問した。彼らは構わず聖女フランシータを引きずるようにして連れ出そうとした。
「聖女様!」
取りすがる巫女を突き飛ばし、神官たちは聖女宮を出て行った。
「誰か、王城に知らせを!」
倒れた巫女を助けながら、神官補の巫女が叫んだ。すぐさま、マナを込めた紙の鳥が空に向けて放たれる。彼女たちは救いの手が間に合ってくれることをひたすら祈った。
「遅いぞ!」
神官長に怒鳴られ、聖女宮を襲った神官たちは息を切らしながら汗を拭った。拉致された聖女は歩くこともせずだらりと彼らにぶら下がり、引きずられるままだったのだ。自然と全体重をかけることになり、神官たちは思いも寄らぬ重労働を強いられた。
「申し訳、ありま、せん……、とにかく、重くて……」
途切れ途切れの言い訳に、神官長の苛立ちは募るばかりだった。彼はようやく立ち上がった聖女に忌々しそうな目を向けた。
「最悪の知らせだ。魔女さえも駆逐できる魔道具が完成した」
聖女は小さな目を見開いた。
「マジ?」
「よくのんびりできるな、お払い箱になるのだぞ!」
「ヤバッ」
神官長の苛立ちは絶頂に達していた。
「早く乗れ、隣国なら魔獣を完全に殲滅できていない。せいぜいその力を高く売りつけてやる」
ちらりと用意された駆獣を見て、聖女は首を振った。
「乗れねーし」
神官長の端正な顔が引き歪んだ。
「さっさとチャリオットを持ってこい!」
「しかし、有角獣は聖女様しか御せないので…」
反論した神官はじろりと睨まれてそそくさと厩舎に向かった。すぐに威嚇のいななきと悲鳴が聞こえてきた。
「わー、ポンちゃん激おこ」
危機感のない聖女フランシータの言葉に、神官長は激怒した。
「さっさと乗れ!」
彼女の腕を掴み、自らが騎乗する駈獣に引っ張り上げようとする。だが、重力が邪魔をした。一向に聖女の足が離陸する様子がないのに、彼は声を張り上げ怒鳴った。
「何をしている! 手伝え!」
慌てて神官たちが数人がかりで聖女に群がった。無遠慮に脚や腰を掴もうとした時、一人の手を矢が射貫いた。
「ぎゃあっ!!」
射かけられた神官は地面に転がり、神官長の駈獣が竿立ちになった。容赦なく乗り手を振り落とすと、そのまま駈獣は逃げていった。
混乱する一同の前に近衛騎士団が出現した。先頭に立つのは聖弓マンムークを構える王子アドリアンだ。
「魔道具完成の噂を聞きつければ反対派の反応があると思っていたが、まさかそなただったとはな」
尻餅をついた神官長は飛び跳ねるように起き上がった。
「罠に掛けたつもりか、王妃の指図か?」
そこで国王と言わないあたり、宮廷の勢力図を正確に把握している神官長だった。
「ここは完全に封鎖した。そなたに逃げる場所はない。聖女様を解放しろ!」
聖弓に矢をつがえる王子を神官長は嘲笑った。
「何が聖女様だ、この国は異世界からマナだけは豊富な馬鹿な小娘を掠ってはそんなものに祭り上げてきたのだ。呪念の魔獣に対抗できるのはそれを上回る否定の念のみ。そのため理不尽に召喚された異世界人の恨みつらみまで利用し尽くしたのが聖女制度だ」
「……確かに、忌むべき悪習だな」
これまでの聖女たちの苦しみを思い、王子の青い瞳が怒りに燃えた。彼は神官長に向けて高らかに宣言した。
「それも今回の召喚をもって終わらせる。この国の厄災は、王家を始めとした国の人々が立ち向かうのだからな」
「若造が、綺麗事を」
神官長は歪んだ笑みを浮かべた。そして聖女に手を伸ばし、羽交い締めにすると短い首に短刀を突きつけた。
「道を空けろ! 『聖女様』の首を掻き切られたくなければ黄金の門を開け!」
「それを通ったところで行けるのは国境までだぞ」
王子の言葉に、神官長は常の謹厳さをかなぐり捨てたように哄笑した。
「隣国に行ければ充分だ。あそこは小物の魔獣がまだ出没しているからな。こんな不細工な女でもマナの量は桁外れだ、さぞかし有り難がってくれるだろうよ」
「……貴様…!」
アドリアンは本気で弓を引き絞ったが神官長は聖女フランシータを盾にするように拘束している。彼女を危険にさらすことができず、焦りだけが募った。
膠着状態を打破したのは、地を這うような声だった。
「…ハイハイ、デブスデブス」
それまで黙ってされるままだった聖女がいきなり振り向き、神官長の額に向けて指二本を突きつけた。彼女は宣告した。
「ヅラ」
限界まで目を見開いた神官長の首に、突然銀髪が巻き付き激しい勢いで締め上げた。人とは思えない叫び声が響いた。髪を切り離そうと小刀を振り回す腕に矢が突き刺さる。
真っ赤な顔で舌をせり出し、神官長は悶絶した。彼の前に立ち、アドリアンは告げた。
「安心しろ、殲滅のマナは込めていない。ただの矢傷だ。地位を利用した収賄についてまだまだ聞かせてもらうことがあるからな」
彼は鼻息荒く神官長を見下ろす聖女に礼を取った。
「お怪我はありませんか、聖女フランシータ様」
彼女は無言で頷くように頭を動かした。いつもの素っ気ない仕草の中に、王子は消えない違和感を覚えた。
神殿は大がかりかつ徹底的な捜査が入るため、聖女宮の人々は王城へと移動することになった。
駈獣に乗り、聖女のチャリオットと併走しながら王子は質問した。
「聖女様は、その、神官長の鬘にはいつ気付かれたのですか?」
じろりと馬鹿にしたように視線を流すと、聖女フランシータは答えた。
「最初っから嘘くさいキューティクルだったし、魔女の風で分け目がズレてたし」
「……全く気付かなかった」
ベイリスが呟きブルトも同意した。
「神官の長髪は神の存在を感じるためという昔からの不文律だったが…」
「ダサすぎ」
身も蓋もない聖女の言葉に王子たちは笑うしかなかった。
王城に到着すると、王妃ルーエラがわざわざ出迎えてくれた。
「お騒がせして申し訳ありません、聖女様。城の奥の一角に貴女様のお住まいを用意しております。外の騒ぎの届かない所ですのでゆっくりとお過ごしください」
手厚い歓迎に巫女たちはほっとした様子だった。聖女を囲む一同を城の女衛士たちが先導した。
彼女たちの姿が見えなくなると、王妃は息子に神殿での出来事を説明させた。
「神官長は簡単に捕縛されたの?」
「かなり抵抗しましたよ。聖女様を人質に取るような真似までしましたから」
「あの罰当たり」
吐き捨てるように言うと、王妃は息子に言い渡した。
「これから残りの魔獣討伐は魔道具が聖女様の負担を減らすでしょう。あなたは引き続きあの方をお守りするのです。最後の聖女様となるのですから」
「神官長は聖女をわざわざ召喚するのは異世界人が膨大なマナを有するばかりでなく、理不尽に拉致された事への負の感情までも利用したのだと言っていました」
「あり得る事ね」
不快そうに王妃は頷いた。遠い目で亡き祖母の事を語り始める。
「お祖母様は魔獣を前にするたびに恐怖と、どうして自分がこんな目にという怒りに囚われたそうよ。お気の毒に」
「召喚の儀を行ってきた塔を封鎖する許可をください」
真剣な顔で王子が頼み、王妃は承諾した。庭園から賑やかな声が聞こえてくる。頭の痛そうな顔で王妃がその方を見た。アドリアンは声の主をすぐに聞き分けた。
「父上は上機嫌ですね。祝宴の準備でしょうか」
「本当に、宴となると生き生きするのだから」
苦々しげな母に、息子は父を弁護した。
「それでも母上、魔獣出現で国中が沈み込んでいた時、父上の変わらぬ陽気さは救いでしたよ」
「……誰しも取り柄はあるものね」
王妃の言葉は辛辣だったが、その声に嫌悪の色はなかった。妻と息子に気付いた国王が大きく手を振る。
「おお、麗しきルーエラ。王子もいたか。まったく目出度いことだ、うむ。祝着至極なり」
大変なのはむしろこれからの後始末なのだが、王妃ですらそれを口にしなかった。人には向き不向きがあると結婚生活で学んだ彼女は、夫にゆっくりと歩み寄るとその腕に手を掛けた。
「左様でございます、陛下。ぜひ盛大な祝宴を開かねば」
「うん、うん。皆に感謝せねばな」
慌ただしく捜査と法的処分の手続きに取りかかる法務官たちの邪魔にならないように、さりげなく王妃は国王を大広間へと誘導した。息子を振り向くと、彼女は重大な使命を与えた。
「聖女様が落ち着かれたら祝宴へのご招待を。それから魔工庁が異世界への道を開く研究をしているとお伝えして」
「はい、母上」
アドリアン王子は神妙に承った。
聖女フランシータが逗留している奥園の塔は百花繚乱の庭園の中にあった。
色とりどりの花を眺める東屋でくつろぐ聖女にアドリアン王子は謁見を求めた。
いつもの礼儀正しい挨拶から、大仕事を完成させた魔工庁が異世界への逆召喚の研究に本腰を入れることを報告したのだが、聖女の反応は薄かった。
「へー」
さすがに不審に思った王子は彼女の意思を確認した。
「元の世界への帰還を望まれていたのだと思っておりましたが」
「……別に。ブスはどこ行ったって人権ねーし」
投げやりな言葉は嫌でも神官長の暴言を脳内に再生させた。怒りを堪えてアドリアンは懇願した。
「どうか、神官長の世迷い言はお忘れください。聖女フランシータ様」
彼女の顔がこわばった。いつもより強い嫌悪感に王子はかねてからの疑問を口にした。
「聖女様、『フランシータ』とは貴女様のお名前なのですか?」
少し視線を泳がせた後で、聖女は頭を掻いた。
「まあ、名前っちゃ名前だけど。ゲームで使ってたし」
王子の背後に控えるベイリスとブルトが声を潜めて意見交換をした。
「『ゲーム』とは社交場だろうか」
「お忍びの名のようだな」
二人の囁きに苦笑し、聖女はよっこらしょと立ち上がった。
「ぶっちゃけゲーム名。前、顔バレでボロクソ言われた時の一番キッツいあだ名から作ったヤツ」
「あだ名?」
自嘲的に顔を歪め、聖女は王子の疑問に答えた。
「『腐乱死体』」
マナでその言葉の意味を解読した瞬間、王子は激高した。
「それは、ご婦人に与えて良い名ではない!」
その怒気にたじろいだように聖女は言った。
「いや、『ゲロブス』くらい言われ慣れてっし、マジギレとか…」
「怒っていいし許す必要も無い! そなたの尊厳に関わることだぞ!!」
そう叫んだ後で、アドリアン王子は自分が怒りのあまりに礼儀も忘れて聖女の肩を掴んで怒鳴ったことを自覚した。慌てて彼女の肩から両手を離す。
「……その……」
宙に浮いた手の置き所が分からず、王子はひたすらうろたえた。小さな目を見開いていた聖女フランシータは顔を背け、呟いた。
「わー、マジ王子様」
いつもの憎まれ口のようだったが、彼女は微かに笑っていた。それは初めて見る無防備な表情だった。花々が咲き乱れる東屋でうっすらと頬を上気させた姿は少女らしく充分可憐だった。
――可憐?
王子は数度瞬き目の前の聖女を凝視した。
小さな目、上を向いた鼻、分厚い唇、角張った顔の輪郭もどすんとした体型も何一つ変わっていない。
なのに彼の目に映る世界は一変していた。母王妃が聖女のことを知り理解しろと常々言っていた意味を王子は実感した。
彼女が『フランシータ』と呼ばれるたびに違和感と嫌悪感がない混ざった顔をしていた理由も分かる気がした。最も残酷なあだ名を自ら名乗り、傷ついてなどいないと言い聞かせてきたのだろうか。周囲と自分自身に。
聖女に呼びかけようとして王子は口ごもった。意味を知った今、あの名は二度と口にする気になれない。彼は頼み込んだ。
「そなたの名を教えてくれないだろうか」
「は? 今更ナンパ?」
「いや、その…、そなたを傷つけずに呼べる名を知りたい」
そう言ってから、奇妙な顔をする聖女に彼は付け加えた。
「ああ、私が名乗る方が先だな。我が名はアドリアン・カイエディウス・ナイメグト。真の名はクリューヴェロ。『黄金の矢』を意味する」
「殿下!」
「それは…」
慌てる側近に向け、王子は平然と答えた。
「私だけが聞き出すのは不公平だろう」
見れば聖女は完全に後ろを向いてしまっている。辛抱強く待っていると、小さな声が彼の耳に届いた。
「……りりか。會澤りりか」
アドリアンはぱっと顔を輝かせた。
「それがそなたの真の名か」
「いや、住民票に書いてるだけで」
「そうか、そなたの世界ではジュウミンヒョウという物に真の名を記して奉納するのだな」
「いや、ちげーし! 市役所、神社じゃねーし!」
必死で否定する聖女をよそに、王子は嬉しそうに幾度も頷いた。
「りりか。愛らしい響きだ」
「似合ってねーの、知ってっし!」
「いや、真の名を無闇に口にするものではないな。では『リリー』か、『リーリア』か…」
真剣に考え込む王子に、聖女は顔を引きつらせた。その背後から、側近たちがそっと忠告する。
「このくらいで妥協した方が良いですよ、聖女様」
「放っておくと際限なく可愛い愛称になりますよー。…って、もしかしてこういう状況を『ヤバい』というのか?」
自分の世界に浸り込む王子と頷き合う側近に向かって、聖女は吠えた。
「ウッザ!!」
東屋の騒動を庭園の入り口から見守っていた王妃は、大きく息を吐き出した。侍女が心配そうに尋ねた。
「よろしいのでしょうか」
「……昔、お祖母様が召喚された時の愚痴をおっしゃっていたのを思い出すわ」
戸惑う侍女と巫女に王妃は微笑んだ。
「恨み節の最後はいつも同じ。『お祖父様がいなかったらやってられなかった』と。それから延々と惚気が続くのよ。聞かされる私たちはいつも困ってしまったわ」
静観の構えで王妃は息子と聖女の賑やかなやりとりを眺めた。
「あーもー、人の話聞かねーし! なんならガチストーカーだし!」
キレ気味に聖女(本名りりか)はどすどすと歩き出した。それすらも楽しげに、爛漫の花を掻き分けるようにして、王子はゆっくりと大股で後を追うのだった。