第八話 私の恋が消えていました。
王都の伯爵邸の寝室で目が覚めました。
いつもなら自分で着替えて朝食を作り始めるのですが、今日は実家なのでメイド達に起床の準備を任せます。
寝惚けた頭でぼんやりと、昨日のことを思い出します。思わず唇から呟きが漏れました。
「……酷い」
「え? お嬢様、櫛が強過ぎましたか?」
髪を梳かしてくれていたメイドに夢の話だと誤魔化して、私は思考に戻ります。
ライザ様に言われたように、他人の目で見ることはできていません。自分を外から見られない以上、私がユージン様に嫌われても仕方がない人間だったかどうかの判断はくだせないのです。
でも、私の言動以前にユージン様達は酷いのではないでしょうか。体を重ねていないと言っていましたが、ふたりして配偶者を裏切っていることに違いはありません。
「起きたか、マリオン。朝食は摂れそうか?」
私が服を着替えたころ、昨日メイド長に怒られた兄が遠慮なく部屋に入って来ました。
幼いころから懲りない兄です。
父は今日も公務でしょうし、兄も騎士団の仕事があるでしょう。母は用事がないかもしれませんが、どちらにしろ朝食なら全員揃います。
私は兄に頷きました。
朝食の席でユージン様との離縁について切り出しましょう。
昨日の王立公園で聞いた会話のことも話します。どうしたことか、朝起きてからユージン様への恋心が消えていたのです。離縁に際して彼を庇う気持ちはなくなりました。
吹っ切れた、というわけではないと思いますが、自分でもよくわかりません。
それでもこの機会に離縁をしておくに越したことはありません。
お互いのためにも離縁するのが一番です。いつか恋心を思い出した私がどんなに泣き喚いたとしても、ユージン様に愛されることはありません。これまでの十年以上を一緒に過ごしてきても愛されていなかったのですから。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
──朝食の席で、私はユージン様と離縁したいということ、それは昨日王立公園で聞いた会話のためだということを家族に話しました。
「私の言葉が信じられないようでしたら、ライザ様に確認を取ってみてください」
「いや……」
兄が首を横に振ります。
「信じる。……あのふたり、まだ続いてたんだな」
「お兄様?」
「ワルター、知っていたのか?」
溜息をついて、兄は父に答えます。
「ああ。魔道学園のころ、駆け落ちしようとしていたふたりを応援してた」
「駆け落ちって……」
母が眉間に皺を寄せます。
「あの子にマリオンとの結婚を強要したことはありませんよ? 確かにマリオンはあの子を好きでしたが、十歳前後の子どもの言うことです。正式な婚約はマリオンが魔道学園に入学したときでしたし……」
「うちはそうだけど、リリスがウーレンベック商会に断るのは大変そうだったから」
今度は父が眉間に皺を寄せました。
「それもおかしな話だな。ウーレンベック商会の会頭は結婚を盾に支援するような人間ではない。会頭夫人の父親は商会に借金があったと聞くが、それはそれで娘に返済を迫るような真似はしないだろう。貧民街の高利貸しでもあるまいし」
「ワルター、あなたは夢見がちなところがあります。現実はお芝居ではないのです。ふたりは結局駆け落ちしなかったのでしょう? 恋愛ごっこに興じていただけで、初めから支援を拒んで豊かな生活を捨てる気はなかったのですよ」
「う……」
兄はがっくりと項垂れました。
そういえば、兄は観劇が好きです。
ユージン様と同い年で伯爵家の跡取りでもある独身の兄に婚約者も恋人もいないのは、お芝居のように情熱的な恋に落ちる日を待ち望んでいるからなのでしょうか。
「お兄様、あのとき私に言ったのは嘘だったのですね」
「すまない。……母上の言う通りだ。貧しいふたりの禁じられた愛、なんて状況にひとりで盛り上がってた。応援してたつもりだったが、今にして思えば迷惑がられてた気もする」
「そんなに好きな相手がいるのなら言えば良かったんだ。マリオンが望むから許したが、だからといってユージンの気持ちを無視してまで結婚させる気などなかった。むしろマリオンには……いや、今言っても詮無いことだな」
父が溜息をつきます。
伯爵家の娘なのですから、相応しい家格の相手に嫁いでほしかったのでしょう。
ユージン様のお父様が亡くなった大氾濫以降も、伯爵領は毎年のように魔獣の襲撃に苦しんでいます。ユージン様は優秀な魔道士ですが、得意とするのは生活魔道で攻撃魔道は不得手です。
「申し訳ありませんでした、お父様」
「マリオンは悪くありませんよ。いくら恩人の息子とはいえ、縁もゆかりもない子どもを引き取ったのが間違いだったのです」
「お母様」
「悪い子だったとは思っていません。ですが、私の可愛いマリオンの気持ちを踏みにじった人間を許すことはできません」
「……父親は立派な男だったんだがな」
家族の反応は、思っていたよりもユージン様に冷たいものでした。
恋心が消えていなければ、私は泣きながら彼を庇ったことでしょう。だけど心は冷めていました。あの「雌猫」発言は、恋心が消えていても思い出すだけで胸が痛くなる言葉だったので話していません。
それでも、これなら問題なく彼と離縁できることでしょう。