第三話 私の夫は恋をしていたのです。
「私もよ。私も、今も昔もあなただけを愛しているわ」
リリスの返答に、ユージンは胸が温かくなるのを感じていた。
魔道学園で出会ってからずっと、ユージンは彼女を愛し続けている。
さまざまなしがらみがあってお互い別の人間と結婚しているが、自分の心に嘘はつけない。
「でも……」
表情を曇らせて俯いたリリスに、ユージンは首を振って見せた。
彼女は自分が夫、ウーレンベック商会の会頭と肉体関係があることを気にしているのだろう。五歳も年下の少女と結婚したユージンとは違う。リリスは誤魔化すことも拒むこともできないのだ。
テーブルの上に手を伸ばし、ユージンはリリスの片手を自分の両手で包んだ。
「仕方がないさ。ウーレンベック商会の会頭は君と君の家族の恩人だ。逆らうことなどできはしない。それに……肉体を重ねなくても、僕達の心は常にひとつだ」
「ありがとう、ユージン。あなたは……」
「……もうすぐマリオンは二十歳になる。大事にしたいから、という言い訳も使えなくなるよ。君以外の女性とキスをするだけでも辛いのに、最近はなにを勘違いしたのか色っぽい格好で僕を誘惑しようとする」
「貴族のお嬢さんだから、跡取りを作らなくてはいけないという強迫観念があるのではなくて?」
「伯爵様には感謝しているが、一軒家も男爵位も僕には不要なものだったよ」
ユージンの父親は平民で、マリオンの父が治める伯爵領の住民だった。
十数年前に伯爵領を襲った大氾濫討伐に義勇団として参加し、伯爵を庇って亡くなっている。
父を追うようにして母が亡くなった後から魔道学園を卒業して魔道研究所の独身寮に入るまでの間、ユージンは王都にある伯爵邸でマリオンやその兄のワルターと本当の兄弟のように育てられた。もちろん母が元気だったときも保護を受けていた。伯爵家の愛娘マリオンとの結婚においては、王都の一軒家と伯爵家が所有していた男爵位も贈られている。
「あのお嬢さん、あなたに夢中だったものね。魔道学園に通っていたときも送り迎えの馬車に乗ってついて来ていたじゃない」
「初めて会ったときからずっと付き纏われているんだ。恩人の娘だから突き放せないけれど、ときどき疎ましく思うよ。……僕が愛しているのは、生まれて初めて恋をしたのはリリスなのに、なんでこんな子どもの世話をさせられているんだろうってね」
「あなたの新居は使用人がいないのよね。お嬢さんが家事をしているの?」
「ああ。世間知らずのお嬢様のおままごとに付き合わされてる。一か月ごとに伯爵邸から助けを呼ぶくらいなら、最初から人を雇えばいいんだ。僕にもそれくらいの稼ぎはある」
リリスが、ユージンの手で包まれていないほうの手を彼の手に重ねた。
「いつか自由になれる日が来たら、そのときは……」
「うん。ウーレンベック商会の会頭は君の父親よりも年上だから、やがてそのときが来るだろう。そうしたら僕も……すべてを捨てて君の元へ行く」
「その日が待ち遠しいわ。……そうだ。今日は良いものを持ってきたの。もらってくれる?」
「君の髪の毛一本でも、僕にとっては太陽のように眩しく尊いものだよ」
伯爵から贈られた一軒家や男爵位よりもリリスが渡してくれる小さな袋のほうが、ユージンにとっては価値がある。
商会の会頭夫人として周囲の視線を浴びながら秘密の恋人である自分のために贈り物を用意するのは、どんなに大変だったことだろう。
この月に一度の逢瀬があるから、ユージンは生きていけるのだ。
「先月ウーレンベック商会の帝国支店に行ったときにね……」
袋の中身について説明してくれるリリスの声を聞いていたら、ユージンのすぐ後ろのテーブルにいた女性のふたり連れが立ち上がった。
どちらもヴェールを被っていて人相はわからない。
ヴェールが風に揺れて、王国では珍しくない茶色い髪が見えた。同じ色の髪を持つ妻のマリオンのことを思い出し、ユージンは溜息をついた。
「どうしたの、ユージン」
「妻のことを思い出していたんだ。ただ懐いてくるだけなら妹として可愛がることもできたのに、どうして盛りのついた雌猫のように僕を欲しがるんだろうか」
「可哀相なユージン。でも今は私といるのだから、お嬢さんのことなんて考えないで」
リリスの贈り物は、帝国魔道が施されているという指輪型の護符だった。
「私の愛が魔力となってあなたを守るのよ」
マリオンのいないところでは結婚指輪を外してこの護符をつけよう、とユージンは心に決めた。