第二話 私の夫とは我が家で会えますものね。
ちらりとヴェールを上げて、ライザ様もリリス様の存在に気づきます。
「……ああ。そういえば、あの方も魔道学園の特待生だったわね。ウーレンベック商会の会頭夫人のリリス様。マリオンの旦那様や兄君の同級生だったのではなくって?」
「は、はい……」
「どうしたの? まさか浮気を疑っているの? ウーレンベック商会はあなたの旦那様が勤めている王立魔道研究所の支援者でしょう? 会頭夫人と所員が打ち合わせをすることもあるわよ。ああ、でもだからこそ、仕事の邪魔はできないか。昼食のときくらい、仕事を忘れて楽しめばいいのにね」
「ですよね……」
「んー?」
気まずそうな私に気づいたのか、ライザ様がからかうような笑みを浮かべました。
「それだけじゃない、ってこと?」
「……おふたりが魔道学園に在学されていたころ、あの方とユージン様の関係を疑って……」
「あらあら、マリオンはなにを仕出かしたのかしら?」
「ユージン様の送り迎えをする馬車に乗り込んで学園まで同行して、彼と一緒に挨拶しながら睨みつけていました」
「ふふっ」
ライザ様が吹き出します。
そうですよね、いくら婚約者に近づく相手に嫉妬したといっても、恥ずかしい行為には違いありません。いいえ、あのときは婚約者でさえありませんでした。
幼かったからと言い訳したいところですが、もう十歳は過ぎていましたしね。
「ユージン様と彼女はただの同級生なのだから下種の勘繰りはやめろ、とお兄様に怒られましたわ。ちゃんと謝罪もしたのですけれど……未だに思い出すと恥ずかしくて、あの方にお会いするのはためらってしまいます」
「今日はやめておいたら? このお茶を飲み終わったら遊歩道へ行きましょうよ」
「そうですね」
この王立公園の遊歩道には季節の花が咲き乱れています。
私が花を好きなので、昔から季節が変わるごとに夫が連れてきてくれていました。旬を過ぎて自ら道に落ちている花は持ち帰っても良い決まりです。
遊歩道の散策は楽しみですが、一年ぶりの親友とそれだけでは寂しく感じて私は言いました。
「もしお時間があるようなら、散策の後は我が家で夕食をご一緒しませんか? 伯爵邸ではなく、夫と暮らしている家のほうで」
「マリオンが作るの?」
「はい。家のことは基本的に私がしています。ただ使っていない部屋の掃除までは行き届かないので、月に一度ほど実家から人手を借りています」
「あなたは昔から家事が得意だったものねえ。掃除が行き届かない部屋があるということは、魔道研究所の宿舎じゃないの? あそこは家族で暮らす場合も二部屋と水周りだけでしょう」
王国で魔道研究が活発になり、王立研究所が拡大されたのはここ十数年のことです。
研究体制も所員への福祉もまだ万全ではありませんでした。
「お父様が結婚祝いに家を買ってくださいましたの」
「そう。……残念だけど夕食のお誘いは遠慮しておくわ。夜はお師匠様の上司を迎えに行くの。明日、私とお師匠様と上司で登城するのよ」
登城──帝国魔道士の弟子となったライザ様は、いずれ帝国へ行かれます。
お師匠様が帝国の方なのですから仕方がありません。
それに伴う許可を得るために王宮へ行くということでしょうか。ライザ様は王国でも有数の高位貴族、公爵家のご令嬢ですものね。
王宮で王太子ルドガー殿下とお会いして、ライザ様が傷つくようなことがなければ良いのですけれど。
ルドガー殿下と浮気相手のフェイリュア様の仲は今も続いていると聞きます。彼女が魅了や呪術で殿下を惑わしたのではないかと疑われたこともありましたが、魔道士の調査では問題なかったという話です。
……ライザ様は新しい恋をしていらっしゃるのですから、きっと大丈夫ですわね。恋は人を強くするものですもの。
「そんな大変なときにお時間を作ってくださったんですね」
「私がマリオンに会いたかったのよ。学園のころは散々婚約者の惚気話を聞かされたけれど、今日はこの後の遊歩道での散策中、私のお師匠様の惚気話を聞いてもらうわよ」
「片想いのですか?」
「そうよ、片想い相手の惚気話よ。まだ悪いところが見えていないから、いくらでも惚気られるわ」
私とライザ様は、顔を見合わせて笑い合いました。
夫とは家に戻れば会えるのです。今日は友情を深める日にしましょう。
会うこと自体久しぶりですし、帝国へ行かれたら手紙の往復にも時間がかかるようになりますもの。今のうちにおしゃべりをしておかなくてはなりません。
夫が同級生のリリス様と会っているのは少し気になりますが、私はもう幼い子どもではありません。
男女の関係がすべて恋愛ではないとわかっています。
彼を驚かせようなんて思わず、お仕事の邪魔にならないよう今日の予定を聞いてから来る場所を決めれば良かったと思いました。
「愛しているのは、今も昔も君だけだ……」
──え?
風が運んできた夫の声が耳朶を打ち、私は凍りつきました。
彼の前にいるのは私ではありません。
振り返りたくなる気持ちを必死で押さえます。聞き間違いかもしれません。今日、この場所は人が多いのですから。
だけど──私は夫の声を聞き間違えたことはありません。
どんな雑踏の中でも、彼の声だけはわかるのです。
初めて会ったときから彼に恋し、ずっと愛しているのです。結婚して一年が経とうとする今も彼が好きで、二十歳になって本当の夫婦になれる日を心待ちにしていたのです。
心臓がバクバクと音を立て始めます。
私の前に座るライザ様にも夫の声が聞こえたのか、彼女の表情が硬くなっていました。