第十四話 私の恋心の行方は
王宮の大広間には、多くの人々が集められていました。
一年前、魔道学園の卒業パーティでライザ様とご令嬢達に一方的な婚約破棄を言い渡した王太子ルドガー殿下とフェイリュア様、そしてその取り巻きの方々は憮然とした表情で周囲の武官文官貴族達の視線を受けています。気のせいか、殿下とフェイリュア様の間には距離があるようです。
国王陛下はもちろん、ウーレンベック商会の会頭ご夫妻もいらっしゃいます。
「それでは行ってくるか」
私と兄、ライザ様と赤の魔道士アンソニー様を置いて、黒の魔道士イグナス様が大広間の中央に進み出ます。
どういう事態なのか、馬車の中でも説明はありませんでした。
ですがライザ様のお見送りパーティでないのは確かなようです。多くの方が同じ状態のようで、大広間は不安そうなざわめきで満ちています。辺りを見回したイグナス様が、良く響く朗々とした声を放ちました。
「まずは黙れ」
その瞬間、大広間は水を打ったように静まり返りました。
黒の魔道士イグナス様には、強い力を持つ武官も賢い文官も、誇り高い貴族をも黙らせてしまう不思議な雰囲気があったのです。
イグナス様は心から楽しそうな、獲物を前にした猫が舌なめずりをするときの顔をして言います。
「さて、断罪を始めようか」
なんだか芝居がかっています。
近くにいる兄は少し嬉しそうな顔をしています。
赤の魔道士アンソニー様は呆れた顔で溜息をついています。ライザ様は勝負を挑むような顔で王太子ルドガー殿下を睨みつけていました。
★ ★ ★ ★ ★
俺は悪党が嫌いだ。
特に他人の善意を食いものにする奴は許せない。
だから帝国からわざわざ出張ってきたわけだ。俺の魔道でなければ解決できない状況があるかもしれないからな。
では、一年前の婚約破棄事件の真相を語ろうか。
どうした、王太子殿下。その顔を見ると、もう気づいているようだな、振られ男。
そうだ、貴様の元婚約者は貴様以外の男に恋をした。だから供給が無くなったんだ。
他の面々にも気づいてる奴がいるようだな。
今もその子狐にしがみついてるのは騙されている内に本当の恋に落ちた莫迦か?
まあ若い間は、ヤレればだれでもいいなんて気分になるからな。でもそれで目の前の毒餌に飛びつくと一生後悔することになるぞ。……もう遅いがな。
初めまして、フェイリュア嬢。
王国魔道士の調査では、貴様が魅了や呪術を使ったという証拠は見つからなかった。
それは間違いない。魅了は欲情を煽るもの、呪術は負の感情を高めて魔力を奪うもの──貴様が使ったのはどちらでもないんだからな。
王太子殿下お手を……ああ、もう貴様は指輪を外しているんだな。
じゃあそこの莫迦寄こせ。
うん? 知ってるぞ、この指輪に魅了や呪術の効果がないことは。さっきも言っただろう? 貴様らの大好きな子狐は魅了も呪術も使ってない。
それでは注目。この指輪の効力について話そうか。
……ぎゃんぎゃん喚くな、子狐。
おい王太子殿下、少しはウーレンベックの爺さんを見習って自分の女をおとなしくさせておけ。貴様が腑抜けのままでいると、王国が帝国のものになるかもしれないぞ。はは、冗談だ、国王陛下。
指輪の話に戻ろう。
病気の原因を調べるのが難しいことは知っているか? その病気だと見極めて、対応した検査をしなければ真実はわからないんだ。だから治療法が限定される死病でない限り、検査よりも対症療法で治療することを優先する。
魔道も同じだ。どんなに魅了や呪術の痕跡を調べても、最初から疑われていない新しい魔道の存在には気づけない。
この指輪にかけられた魔道は、装着者に向けられた正の感情──いわゆる愛とか恋心とかいうものを魔力に変えて装着者の内部に注ぎ込むものだ。
魅了や呪術の逆というわけだな。
指輪を渡した後の術者の関与は装着者に魔力が注ぎ込まれるときを計算して、魔力に変換してもわずかに残る温かい感情が自分に向いているのだと思わせることだけだ。
そうなんだろう、子狐。
令嬢達が婚約者に向ける愛情を利用して、男どもに自分を愛しているのだと思い込ませたんだよな。
おいおい、床に膝をつくなよ莫迦ども。最近この子狐への愛情が冷めたように感じてた? そうだろうな。一年も前に婚約を破棄された令嬢達が、今も貴様らを愛し続けているはずがない。
とぼけるな、女狐。
子狐にこの指輪を渡し、魔道の実験をしていたのはお前だろう?
ウーレンベック商会の会頭夫人ともなれば高位貴族、いやいや国王陛下とも会えるよな。隣の爺さんを始末して、だれに乗り換えるつもりだったんだ?
しかもこの魔道は貴様が創り出したものではないよな?
大氾濫討伐時における魔道士間での魔力の譲渡について研究していたうちの魔道士が、子狐が魔道学園を卒業した直後に自殺している。ウーレンベック商会の帝国支店との取引を担当していた男だ。
知っているよな、女狐。そもそもアイツは自殺だったのか? 奴が自殺する直前、帝国支店に出向していた貴様の弟と会っていたという証言があるんだが。
凄いな、ウーレンベックの爺さん。
その年齢で、よくその猛獣を抑えられるもんだ。
自分なら手綱が取れると思っていたのか? 残念だな、爺さん。その女狐は一生クズだ。生まれも育ちも関係ない。他人を踏みつけて利益を貪ることを自分で選んだんだからな。
俺はそんな人間をたくさん見てきた。
世の中、人を愛し思いやる春のような心を持っている人間のほうが珍しいんだぜ。
★ ★ ★ ★ ★
黒の魔道士イグナス様が話を終えると、近衛騎士がフェイリュア様とリリス様を引き立てていきました。
王太子のルドガー殿下は泣きそうな顔でライザ様を見つめていますが、ライザ様は赤の魔道士アンソニー様と指輪の魔道の話をしていて殿下の視線には気づいていらっしゃいません。
婚約破棄への意趣返しなどではなく、純粋に魔道の話を楽しんでいらっしゃいます。
殿下にもほかのフェイリュア様の取り巻きの方々にも罰が下されました。
婚約破棄されたご令嬢達には、名誉挽回と王家からの慰謝料が約束されました。ご本人達は来ていませんでしたが、ご家族がいらしていたようです。
……私が来る必要はあったのでしょうか? ライザ様はアンソニー様がいれば大丈夫だった気がします。
「マリオン」
黒の魔道士イグナス様の低い声が私を呼びます。
彼は説明が終わった後も、宰相閣下が今後の沙汰を宣言している後ろで国王陛下とお話をしていました。
「王宮の部屋を借りた。俺と貴様と貴様の夫で魔道を解くぞ」
「……あの、私は魔道が得意ではないのですけれど」
それに、王太子殿下とフェイリュア様の取り巻きの方々の魔道は、指輪を外せば解けてしまうものだと、先ほど宰相閣下がおっしゃっていました。
リリス様とフェイリュア様の関係は特待生つながり、フェイリュア様もウーレンベック商会の寄付による特待生制度で魔道学園に通っていたのです。
入学前の手続きで会って、リリス様がフェイリュア様にこの計画を持ちかけたのだとか。
「それでも来てくれないと困るんだ。なにしろ貴様の恋心が、今は俺の中にあるんだからな。返させてもらわないと困る」
とん、と自分の胸に拳を当てたイグナス様に言われて、私は目を丸くしたのです。