第九話 私は花の栞を見つけました。
父は王宮、母はお茶会、兄は騎士団へ行ったので、朝食を終えた私は伯爵邸の図書室へ来ていました。
我が家の人間が購入した書籍は、利用中のもの以外はこの部屋に収めています。
私は、卒業後にこちらへ保管した魔道学園の教科書が見たかったのです。
恋心の消えた今の状態は離縁するのにちょうど良いのですが、あまりにいきなり自分の気持ちが変わったことが不安だったのです。
消えたのは恋心だけなので、ユージン様に恋していたときの記憶はあります。
昨日の言葉は衝撃的でしたし、ライザ様に言われたように他人が言われた言葉だと思うとユージン様とリリス様への怒りが沸き上がります。でも……幼いころからの恋心が一夜の眠りで消え去るとは思えません。
私はなんらかの魔道による関与を疑いました。
魅了や呪術について書かれている教科書を見つけて文字を辿ります。
魅了は他者に魔力を与えて欲情を煽り術者に好意があるのだと思い込ませること、呪術は他者の負の感情を高めて魔力を奪い精神と肉体を衰えさせること──私の状況とは異なるようです。卒業して一年も経つと、勉強したこともすっかり忘れていました。
それに考えてみれば、私の恋心を消して得する人間などいません。
……いいえ、ユージン様がいらっしゃいましたね。
ユージン様は優秀な魔道士です。魔獣の大氾濫に対抗するような攻撃魔道は得意ではありませんけれど、日常を支える生活魔道の研究においては魔道学園の在学中から注目されていました。昨日リリス様と会ったことで私と暮らすことさえ嫌だと感じて、恋心を消す魔道を使ったのかもしれません。
酷い話だとは思うものの、当事者としての実感はありません。
むしろ他人事よりも冷めた目で見ています。もしライザ様やお友達がそんな目に遭っていたら、私は怒りを抑えられないでしょう。
自分のことだからこそ、なんとなく空虚な気持ちで淡々と思考しているのです。
記憶の中の私は、だれよりもユージン様を愛していました。
家族に、お前は恋に恋しているのだと苦笑されたこともありましたが、今辿る記憶の中の私は間違いなく本当の恋をしていました。ユージン様になら傷つけられても構わないと思っていました。なのに、リリス様との会話を聞いてしまっただけで消え去る程度の想いだったなんて──
ぼんやりと記憶を辿る私が持った教科書から、ひらりとなにかが落ちました。
「……まあ、こんなところにあったのですね」
拾い上げたのは押し花で作った栞でした。
ユージン様にいただいたものです。
五歳の春に出会ってからずっと、毎年春になると彼は本好きの私に押し花の栞を作ってくれていました。幼いころは伯爵邸の庭の花でしたが、あるときからはふたりで王立公園の遊歩道へ行って手に入れた花が材料になりました。
もらった栞は、ここで見つけた私の魔道学園入学の年のもの以外はすべて、ユージン様と暮らしていた家へ運んでいました。恋をしていた私の宝物だったのです。
これだけが残っていた理由が想像できます。
結婚に浮かれていた私は、自分がユージン様にいただいた大切な栞を教科書に挟むとは思えなかったのです。人の出入りの多い魔道学園で落としたりしたら、二度と見つけられないかもしれませんからね。
そして、今の私はそんな危険を冒してまでこの教科書に挟んだ理由に気づきました。
栞が挟まれていた頁(それは染みついた花の痕で確認できました)は、私が十六歳になって、ユージン様と正式な婚約をした日に受けた授業のものだったのです。
あの日から、ユージン様は私を呼び捨てにして砕けた口調で話してくださるようになりました。恩のある伯爵家の令嬢ではなく、婚約者に対する態度になったのだと感じて、どれだけ嬉しかったことか……記憶の中の自分の熱に、少し戸惑ってしまうほどです。
そんな風に暑苦しい女だったから、ユージン様は渋々婚約を受け入れたのでしょうか。
溜息をついて、私は拾った栞を窓から差し込む春の陽光に翳しました。
花をそのまま潰して乾かしているのかと思っていましたが、よく見ると違います。花びらを一枚一枚外してから綺麗に押して乾かした後で、細い糸で繋ぎ止めているのです。随分と手の込んだことをしています。こんなことをしてまで機嫌を取らなくてはいけないくらい、恋していた私は面倒な女だったのですね。




