縁切り列車
10月20日 男の恋は終わった。
理由は分からない、ただ突然彼女から別れの言葉を告げられたのだ。
「もう別れましょ」
この一言で楽しかった5年間の思い出は時計の砂のように儚く底へ流れ落ちていった。
「......もう、お互い幸せになっても良いと思うの」
この一言で幸せだった役者は全てを悟った。もう1人の役者にとって、今までの出来事は全て辛い芝居だったということを。また、それを誰にもバレないよう必死に演じていた事を
「貴方ならすぐにでも素敵な人に出会えるわ......元気でね」
この一言で舞台は静かに幕を閉じた。
瞳からは沢山の拍手が溢れ、口元から沢山の喝采が聞こえた。
気がつけば彼女はいなくなり、記憶という名の面影だけが部屋を漂っている。
男は遠ざかる記憶を追うかのように家を飛び出すのだった。
◇◇◇◇◇
悲しむ男に追い討ちをかけるかのように降り出す雨
傘などある訳がない。男はただ、灯のない街をふらふらと当てもなく彷徨うだけだった。
雨は悲しい現実を流してくれる事はなく、ただ静かに男の肩を濡らす。
男が纏っていたスーツはやがて重くなり、白いワイシャツはやがて雨色に染まった。
街を彷徨ってしばらく、小さな公園にたどり着く
「あぁ、ここ......」
男はため息混じりの言葉を暗い夜空へと吐き出した
そこは、つい先週のデートで彼女と待ち合わせ場所に選んだ白樺公園だった。
(あの時の君にとって僕は何だったんだ......)
男の心にはまたも悲しみが生まれる。今の男にはもう、そんな事しか考えられないのだ
「おぉ!」
黙り込む男の後ろで大きな声がした
声のする方を振り返るとそこにはベンチに座りながら、ニッコリと笑い手を振る男の姿があった。
「お客さん、お待ちしてましたよ!」
駅員の格好をしているその男は、5枚の原稿用紙をベンチに軽く当てて整えながら、男にとって理解し難い言葉を放つ
「お客さん......って僕がですか?」
「はい!だって私が見えるんでしょ?あと、これも見えているはずです」
男はそう言って公園の近くに建つ木造の寂れた駅を指さした
「何ですか?この駅......初めて見ますけど」
「これは『縁切り駅』って言いましてね、失恋した人や恋に苦しむ人が乗る列車なんですよ」
「失恋した人?」
駅員の言葉を聞いた男は、疑問符を浮かべるかのように頭を傾げる
「僕はまだ失恋なんか......」
「確か、30分ほど前に言われましたよね『別れましょ』って?」「それは......」
「この言葉に貴方の彼女......いや、元彼女の気持ちが全て詰まってますよ。もう終わった事なんです、認めてください」
「......」
言葉を失う男を見るも、駅員は躊躇う事なく話を続ける
「しかし大丈夫です!安心してください。この列車に乗れば悲しい今を全て乗り越えて幸せになれますよ」
「幸せに......なれる?」
『幸せ』の言葉に驚く男を前に駅員は胸を大きく張る
「はい!よく言いますよね?『人生は片道切符だ』って、これは恋愛でも同じなんです」
「恋愛でも......?」
「はい、恋愛だって過去に戻る事はできなくて、ただ前へ前へ進むしかない。それをお手伝いするのが私の仕事なんです」
「そうなんですか」
胡散臭い男が放つ言葉に加え、今まで見たことのない建物を目の前に、一旦は疑いをかけるのが普通だ。
しかし、悲しみで心を満たした男には、そんなことなど考えてる余裕などない。
「この駅、乗車料は何円なんですか?」
「料金なんて......そんなものはいらないですよ。お客さんはただ列車に乗るだけ、目的地に着いたら人生の再スタートです」
駅員は不気味な笑みを溢して男に言い放つ
「......分かりました。乗らせてください」
「了解です。ではこちらの改札をお通りください。」
「はい」
駅員に言われるがままに、男は小さい改札口を潜り、黒く染まる列車に1人飛び乗った。
賑やかな街が静まり返る深夜2時、話すことのない男を乗せて列車は静かに北の方へと動き出す。
◇◇◇◇◇
男は空いている席に座るや窓の景色を見た。しかし、黒い窓に映る景色はどれも自分の泣き顔ばかりだ。
「......そうか、振られたんだよな」
もう1人の自分に向いそう話しながら、男は引き続き窓を眺めていた。列車は男の胸の傷を労るようにガタゴトと揺れる。
少し時間が経った頃、貫通扉に人の姿が見えた。
恐る恐る扉を開くと、そこには知らない男が小さな声で何かを言っていた。この言葉はやがて叫び声へと変わっていく
「......嘘だっ......そんな事あるわけがないっ!!なんで......どうして、こんなこと言われなくちゃいけなかったんだ!」
通路にひざまづき右手を勢いよく床に叩きつけながら、男は何度もこの言葉を噛み締めては眼に涙を浮かべている。
そんな男の行動を黙って見ていると、後ろから足音が近づいてきた。
「むこうで泣いている人は一体......」
「あぁ、あの方は三日程前に失恋した人ですよ」
「失恋......この人も?」
「はい、あの人は3年間付き合った彼女がいたのですが、ある日突然連絡がつかなくなったのです」
「連絡が......それは心配ですね......」
「そして次に出会ったのは5年後、その時には赤ちゃんを抱え知らない男性と歩く彼女の姿があったとか」
「えっ?」
「男性は怒りの感情を必死に抑えながら、笑顔を浮かべて『久しぶり』と言ったみたいです」
「それで......どうなったんですか?」
「同姓同名のはずの女性の口から出た言葉は『すみません、誰ですか?』だったみたいですよ」
「えっ......?」
駅員の話を聞いた男は驚愕のあまり口を閉ざす
「その後来たメールを見ると『私は幸せになりました、だから関わらないでほしい。』の一言だけが着てたみたいですよ」
話を終えた駅員はゆっくりと次の車両へと向かい、嘆く男を横切って向かいの扉へと入っていった。
「......そうか、あの人にはそんな過去が」
(不幸なのは自分だけじゃない)
そう思うと男は心なしか落ち込んでいるのが馬鹿らしく思えてきた。
それから少し時間が経った。
窓の向こうからゆっくり日が昇り始めると、暗かった景色はたちまち色を取り戻す。
そこに広がっていた景色は季節の過ぎた木々が立ち竦む人工林だった。
スッと冷たい風が吹くと同時に茶色い葉は抵抗することなく飛んでいき、やがて地面へ落ちる。そんなことの繰り返しなのか、地面には枯葉が山のように積み上げられていた。
「お客さん、どうしましたか?」
窓を見ていると駅員が現れた。コーヒーを一杯、男の目の前に置き様子を伺う。
「駅員さん......枯葉の量とても多いですね」
「そうですね」
「きっと業者の人、処分するの大変でしょうね」
「処分?......そんな、処分なんて勿体ないです」
「えっ?だけどこの量......」
「枯葉は木の肥料になるんです。この枯葉たちを残しておくと、いつの日か葉が小さく削られる」
「分解されるって事ですか?」
「はい、そして小さくなった枯葉が土に溶け込む事で肥料となり、種や小さな芽を大きくして、やがて立派な木にするんですよ」
「そうなんですか......」
「はい、そうなんです」
駅員はニッコリと笑いそう言い切った。
「そんな事よりも、どうです、失恋からは立ち直れそうですか?」
男は夜の事もあってか、乗車前の気持ちが少し薄れている気がした。
「まぁ、少しだけ楽にはなりましたかね」
男の言葉を聞き、駅員の顔には満面の笑みが浮かぶ
「そうですか、それはとても嬉しいです」
そう言うと駅員は次の車両へと向かった。
その後、まもなくして列車は小さなトンネルの中へと入るのだった
◇◇◇◇◇
列車は小さく暗いトンネルの中へ入った。
数メートル毎に光る灯りを頼りに列車は前へ進む。
一つ、また一つと通り過ぎていく灯はまるで走馬灯のようだった。早くてよく見えないものの『ここを通った』という事だけははっきりと分かる。
また、個々に大きさや明かりの強さが違う灯はまるで思い出のようだった。楽しかった日や悲しかった日、辛かった日や面白かった日など、様々な形があるのだと分かった。
(あんな事があったな......こんな事もあったな.....)
嫌だった事は数えきれないくらいあったはずなのに、思い出になると、何故かそれらが懐かしく思える。
喧嘩も沢山したが最後には互いに笑って許し合う......彼女と過ごした5年間はそんな日々だった。
「お客さん、まもなくトンネルを抜けますよ」
貫通扉を開けて出てきた駅員はそう言うと、5枚の原稿用紙をどこからともなく取り出し、思い出に浸る男の前に置いた。
「何ですか、これ?」
「貴方の思い出です」
「僕の......思い出?」
不思議に思い原稿用紙を見ると、そこには彼女と過ごした日々が物語のように描かれていた。
「これは何をするために......」
「このトンネルを出ると綺麗な川が現れます、その時にこの紙を引きちぎって捨ててください」
「......?」
「この作業をしないと永遠にここが出られなくなりますからね、しっかり行ってください。」
「そんな、いきなりこれを捨てろって言われても......」
男の心には少しばかりの戸惑いが生じる。
「もし捨てきれなかったとしても明日になればまたここを訪れますから。ですが、ここにいたってする事ないですし、早く帰りたいでしょ?」
「そうですね......お気遣いありがとうございます」
駅員の説得を聞いた男は戸惑いの心を必死に抑えて挨拶をする。その後、男が2回まばたきをすると、駅員の姿は消えていた。
短いトンネルは終わりを告げ、列車は光の差す方へと向かうのだった。
◇◇◇◇◇
トンネルを出るとそこには綺麗な川が流れていた。
大きな川でとても綺麗なのだが、そこには魚どころか虫の1匹もいない。
川の上に着くと、列車は走る速度を落として進む。
「これを破るのか......」
覚悟を決め、原稿用紙を掴んだ男の手には彼女の名前と交際が始まった年が書かれていた
『2015年10月1日,〇〇と交際』
思い出は一年につき一枚のペースで描かれている。しかしその一枚には、400字とは思えないほど深く濃い内容が詰まっていた
「......」
まず初めに、男は紙を2つに破った。
紙は乾いた音を立て千切れていく
しかし、男の心には不思議と後悔の言葉は無かった。
『あぁ、もう直せないんだな......』
そんなことを思いながら、さらに細かく紙を引き千切っていく。
一枚の用紙を破る毎に男は物語を窓から捨てていった。
楽しい物語、切ない物語、辛くも幸せな物語......全ての物語に目を通し、男は黙々と自らの手で思い出を窓の外へ投げ捨てた。
小さな物語は旬を終えた桜のように、悲しみの音も喜びの音も出す事なく静かに落ちていく。
原稿用紙を全て千切ったのを確認し、男は後ろの人に問いかける
「駅員さん......もう終わるんですかね?」
「『終わる』とは、何がですか?」
「僕と彼女......いや元彼女との関係です。あの紙を全て捨てた事で今までの出来事は全て水に流されるんですかね?」
男の言葉に駅員は少し言葉を詰まらせた
「うーん、これはあくまで私の意見なのですが......」
この言葉を言った後、駅員は微かに笑顔を浮かべて話を始めた。
「思い出してみてください?山の方に積み上げられた枯葉、トンネルの灯火、そしてさっきの川。これらは恐らく貴方の今後を表してるんです」
「僕の今後......ですか?」
「はい」
駅員がパチンっと指を鳴らすと、辺りにあった景色が一瞬にして姿を変えた。現れたのは最初に見た枯葉の山だ
「まずはこの景色、秋風に吹かれて落ちる枯葉のような悲しい過去も、いつかは肥料となり将来の幸せに繋がる」
駅員が話を終えると、次はトンネルの灯りが現れる
「次に、トンネルの灯火は走馬灯。どんなに幸せな将来が待っていようといつの日か辛かった日のことを思い出す。しかし、すぐに忘れてまた幸せな日々を送れる......不幸は長く続かない」
そして、次に現れたのはさっきまで走っていた橋だ
「最後、この川は変わりゆく人生......川が逆流しないのと同じように過去も戻る事は決して無い」
駅員の顔を見る男に、駅員は指で川の水を眺めるよう優しく促す。男が川の水を眺めると、水はサラサラと清らかに流れていて、薄瑠璃色の輝きを見せていた。
「流れてくる水はどれも新鮮で綺麗な水ばかり、貴方はその水を飲む事も汚す事もできる......すなわち今後の人生を選ぶことが出来るという事なのです」
男が川から目を離し再び駅員の顔を見ると、駅員も同じく男の顔を見ていた
「悲しみに浸り続けて流された、戻ることのない紙を追い続けるのか......それとも心機一転、新しい紙を作るか......それは貴方自身が決めることです」
「駅員さん......」
男はポツリと一つ、小さな涙を落とした。
そうして駅員の憶測話は終わった。
それと同時に、さっきまで見ていた景色は全て無くなり、男を乗せる列車は見たことのない暗い道へと進み出した。
「では改めて......どうです、立ち直れそうですか?」
涙を流す男を前に、駅員はあの時言った言葉をまた男に投げ掛けた。
「立ち直るも何も......あの人との思い出は全て胸にしまい込みました。今日限りで彼女との縁を切ります」
駅員の質問に男は涙を拭いながら答えた。
「それは良かった。では、列車はまもなく終点に着きます」
男の答えを聞いた駅員はそう言うと、嬉しそうに被っていた帽子を取った。
「え?......もう終点なんですか?」
「はい、この列車の終点は『縁切り』ですので、これで私は貴方と会う事もないでしょう」
「そうですか......」
悲しみが隠せない男の肩に,駅員は静かに手を置くと囁くように男へ言葉をかける。
「別れは出会いの前兆なんです、悲しんではいけませんよ?列車を降りて素敵な人と出会い、幸せになってください。心から応援してます」
駅員の言葉を聞き、男の心には今までにない決心が浮かんだ
「駅員さん......分かりました、僕は幸せになります!」
男は自分の肩にある駅員の手を強く握り、とびきりの笑顔を作ってみせる。
「はい、楽しみにしてますよ!」
◇◇◇◇◇
やがて列車は停まった。
ドアの向こうには『縁切り』という立札が一つ、静かに男を待っていた。
「......ありがとうございました、貴方との出会いは絶対に忘れません」
男は深々と頭を下げる。
「こちらこそありがとうございました、貴方の今後に期待してますね!......ではお元気で」
駅員は別れを惜しむかのように、悲しくも爽やかに微笑んだ。そして軽く手を振るやドアが閉まる
汽笛を鳴らして走り出した列車は止まる事なく、深い霧のかかる北の方へ消えていったのだった
列車から降りた男は駅の改札口を通る。
そこは雨が止んだ真夜中の白樺公園、後ろを振り向き辺りを見渡すが縁切り駅は跡形もなかった。
男は幻想を見たようにも感じた
ポケットから携帯を取り出し時計を見ると、時刻は真夜中の3時を過ぎている。
「......」
男は手に持った携帯をしまう事なく、一つのアドレスを開いた、そして古くなった玩具を捨てるかのようにそのアドレスを削除する。
「心機一転、頑張るか!」
星が舞い踊るステージを見上げ、男は明かりの灯る街へ力強く歩き出した。
10月20日 これより男の舞台は静かに幕を開ける。
ご視聴ありがとうございました!!
感想や評価,レビューを書いてくださりますと今後の小説制作の糧になります!
是非お待ちしてます!