第5話 なつやすみそか
八月三十一日。
夏休みの終盤は二学期からの通学再開に備えて、新たに着ることになる女子の制服を揃えたり、身の回りの品を多少整えたり、そして学校の課題を急ピッチで仕上げたりと休みを返上する勢いで過ぎていった。
「真澄~、どうしてもここがわかんねえ。助けてくれ~」
別にサボっていたとは思っていないのだが、高校の勉強は難しい。夏休みはもう終わるというのに、課題の終わりが見えなかった。
「自分に分かるところだと良いんだけどね……あぁ、これね。
解き方のコツが分かれば夏樹ちゃんにも難しくないと思うけど、そのコツがなかなか掴めないよね」
真澄はそう言いつつ問題の解説から入っていく。説明を受けるうちに閃くところがあった。
「あっ、そうか。そこがこうだから、ここもこうか」
「そうそう。掴めば簡単でしょう?」
「なるほど」
そのまま二人、問題を解き進めていく。真澄の解説はどれも分かり易くツボを押さえているので、さっきまで引っかかっていたのが嘘のようにスラスラと進む。とはいうものの、解けていない問題はまだ結構な数あるのだ。
そのうちちょっと休憩しようということになり、ドリンクタイムになった。
ちゃぶ台の上には例によってキャラメル色のコーヒーグラスが二つ。
こないだと違うのはちゃぶ台の横には真澄が座り込んでいること。
今日の真澄は女子モード。しかし自宅でしかも相手が俺とあってか着ている服もラフそのもので、タンクトップにホットパンツという出で立ちだ。そして大股開いてあぐらを掻いてるその姿はとても他人には見せられない。そもそも俺自身一カ月半前にはまだ男子だったのだ。その頃の真澄はこんなだらけた態度を俺に見せることはなかった。
それなのに、それなのに今この真澄の警戒心のなさというのは一体なんなんだろう。
「なあ真澄、この夏休みの間見てて気がついたんだけどさ、お前って結構ラフだよな?」
「どういう事?」
真澄は俺の質問に対して、全く思い当たる節がないとでも言いたげな表情を見せる。
「いやその服といい動作といい、男子っぽいなと」
「え、どこからどう見ても今は女の子でしょう自分」
「お前それ本気で言ってる?」
「いやいや、それを言っちゃったら夏樹ちゃんの方がマズいでしょう?」
「ぐ……」
それを言われるとぐうの音も出ない。姿形は女子でも喋りや動きが男子そのままなのは、真澄に言われるまでもなく自覚があるからだ。だからといってすぐさま女の子っぽくとか、できはしないしやるにも抵抗感が半端ない。
「真澄さあ、学校じゃ女子で通してるじゃないか?
でもこの夏休みの様子見てると女の子っぽくない部分が結構あるなって感じてな」
「そりゃーそうでしょう。それに他の女の子だって似たようなものだと思うよ?」
「いやいや、それはどうよ」
「あー、夏樹ちゃんはまだ真実を知らないからね」
「なんだそりゃ。なんか含みがあるな」
くふふと妖しい笑いを浮かべた真澄が、そこから滔々と女子の生態なるものの解説を始めた。
そのきわどい内容に俺はただただ呆けたまま話を聞くしかなく、しまいには女子の恐ろしさみたいなものも感じ始めて身震いした。
「お、俺、女子やってく自信ねーわ。やっぱり学校行くの止める」
「えーっ、大丈夫だよみんな優しいから」
「いやいやいや今の話からそれはないわー」
「男子がいると話の内容も気を遣うしね。でもそういう話題の時だけだよ、こんなのは」
「それでもいきなりそんなのは俺ムリ」
「夏樹ちゃんが元男子なのはみんな知ってるから、最初からそんな濃い話を振ってきたりしないと思うよ。
クラスの子たちも急に切り替えはできないだろうし、お互い慣れて親しくなってくるまではね」
「……そんなもんかなあ?」
「男子だって会ってすぐエッチな話はしないでしょう?」
「それは、そうだが……」
「まあ、それはそれとして。課題の続き、やろうか」
そうだった、まだまだ終わっていない課題は多かったのだ。
俺は気合いを入れ直して再び課題に取り組みはじめる。もちろん分からないところは真澄に尋ねつつ。
そうしてあらかた課題が終わったのは、もう夕焼けが眩しい時間帯だった。
「ふぃーっ。なんとか終わったあ。真澄ー、ありがとうな」
「どういたしまして。自分なんかで良ければいつでも聞いてよ。
それでさあ夏樹ちゃん、明日から着ていく制服、もう届いてるんだよね?」
「ちょっ、おま、それな」
まさかここでその話題が出るとも思わず、完全に虚を突かれた格好になった俺はまともな返しもできずに黙りこくる。
「なんか赤くなってるけど、自分は届いたかどうか尋ねただけだよ?
それとも夏樹ちゃん、制服を着ているところ想像して恥ずかしくなったとか?」
それは図星だっただけに、俺はもう何も言い出せなくなって小さく縮こまるより他なかった。そんな俺の様子を見てカラカラと笑っていた真澄の態度には少しばかりイラッとしたが。
そして更なる追い打ちが真澄の口から放たれた。
「一回でも袖を通してみた?」
「……いや、まだ」
「それはまずいよ、ちゃんと確認しておかないと足りない物とかあったら大変だし」
「いちおう、物品の確認だけはしてる」
「そうなんだ。でもサイズとか大丈夫かな?」
「……」
「ねえ夏樹ちゃん」
「……」
「やっぱり夏樹ちゃんが制服着たとこ見てみたいな」
「……見て、どうするんだ?」
「え、だってきっと可愛いよね?
だから可愛いなあって、愛でるだけだよ」
「愛でるって……なんだよそれ」
「可愛いものを可愛いと言ってなにか問題だろうか」
「いやいや……俺だよ? 可愛いって、そんなわけなかろう?
っていうかなんか口調変わってるぞ真澄」
「いやいやいや、夏樹ちゃんはまだ全然なにも全く分かってない。
そろそろ自らの可愛さを自覚した方がいい」
「やだよそんなの自覚したくねーよ。俺は目立たず高校生活終われればいいから」
「それは多分すごく難しいと自分は思うんだよ、夏樹ちゃん。
夏樹ちゃんくらい可愛い女の子を放っておく人間なんていないからね」
「えらく断定的だ」
「だって事実だし」
「それは真澄限定の話じゃないのか」
「……どうかな……明日になったら夏樹ちゃんが可愛いってみんなに知れ渡るから、そうしたらどうなるかは分からないね」
「そこ、女子になったことより可愛いが先に来るのかよ」
「当然でしょう」
あまりにも自信たっぷりな真澄の様子に、俺はとうとう根負けして制服姿を披露することになった。着たままうろうろするのもどうかという意見は辛うじて聞き入れられて、俺の部屋に舞台を移す。
「夏樹ちゃんの部屋ってあの時以来かな」
「そうだっけか?
俺はあれからしばらく引きこもってたし、引きこもり止めてからは真澄の部屋ばっかりか、そういえば。
まあ相変わらず飾り気のない部屋さ」
二人分の足音を響かせて、階段がきしむ。
「なあ真澄、やっぱり着ないとダメか?」
俺はパイプハンガーに掛けられた夏用制服一式を前に、最後の抵抗を試みる。
「着るって約束したよね。
男の子に二言はないなら着なきゃだし、女の子ならなおさら着なきゃダメだよね」
「なんだそのハメ殺しみたいなの。それに俺は二言はないなんて言ってないぞ」
「つまり夏樹ちゃんはもう制服を着るしかないってことだよ」
強引すぎる真澄の言に抗う気力も一気になくなって、俺は諦め半分、やけくそ半分で着替え始めた。
「うわぁ~。夏樹ちゃんすごいよ、可愛いよ」
「へいへい、そりゃありがたい事で」
機嫌の悪さを隠す事もせず、俺はむすっとした顔をひっさげて真澄の前に制服姿で立った。
そんな俺を見ても臆する事なく、真澄は可愛いを連発しつつスマホのシャッターを切る。
「真澄ー、頼むからその写真SNSとかに流さないでおくれよ?」
「わかってるって。この写真は宝物だからね。他の誰かにあげるだなんてとんでもない」
「お前どんだけ俺の事好きなのさ……、はぁ。
それはそうと、着方とか、これで合ってるよな?」
「うん、大丈夫だと思うよ。
明日から楽しみだなあ。一緒に登校しようね」
今まで見た事のない真澄の喜びように、俺はもうそれ以上ツッコめなくなった。
ノベプラさんで公開していたお話はここまで。
ですが、せっかくなろうさんに連載ものとして転載しましたので、完結まで導きたいと思います。
なろうさんだけの特別話。第6話をこのあとお贈りします。