第2話 里の華火は寝っ転がるのがお作法で
セミのわめき声真っ盛り。
八月の旧盆に合わせて、二年ぶりに母さんの実家を訪れることになった。
去年は俺が中学三年で、高校受験の勉強とかに追われていたせいで帰省しなかった。今年は晴れて高校一年、その報告と、あとは俺が女子になってしまったのでそちらの報告と。
おじいちゃんおばあちゃんがどんな顔で出迎えてくれるのか、なんとなく心配だ。
俺と母さんは星垣家のミニバンに便乗させてもらって、ただいま高速道路を驀進中。運転しているのは星垣の叔父さんだ。
星垣の叔母さんとうちの母さんは姉妹で、お隣同士になった今年は一緒に帰省することになった。そんなわけで母親姉妹同士申し合わせて星垣家と林家合わせて五人で移動している。
それではうちの父さんは何をしているのかというと、実は単身赴任中で家にいないのだった。
元々夏の里帰りは毎年のルーチンワークで、この時期に母さんの実家の近所で花火大会が催されるのに合わせて訪れている。この花火というのがかなり大規模で、なんでも全国から花火師が集まってくるらしい。打ち上げる数も万単位だし、県を越えて見物客が帰省がてら集まってくるので、普段のんびりした様子からは想像できないくらい人でごった返す。
「こんにちはー、来たよー」
おじいちゃん家のインターホンに向けて、最初に声を出したのは真澄だった。胸を張って玄関先に立つ真澄の後ろに、俺はこそっと隠れるように立つ。すぐに鍵の開く金属音がカチャンカチャンと二回響いて、カラッと軽快な音を立てて引き戸が開かれる。
「あらあら真澄ちゃん、いらっしゃい」
顔を出したのはおばあちゃん。コロコロとかわいい表情は相変わらず。そして隠れていたはずの俺のことを一瞬で発見した。
「あらっ? 後ろにいるの、もしかして夏樹ちゃん? あらあらまあまあー」
驚いたような嬉しいような表情のおばあちゃんに声を掛けたのは俺の母さんだ。
「お母さん、ただいま。
夏樹変わっちゃったでしょう?」
「ホントにねえ、すごく変わっちゃってさすがにびっくりしたわ。
ほらほら、外暑いでしょ中にどんどん入って入って」
おばあちゃんに促されるまま、母さんに背中を押されてぐいぐい押し込まれるみたいに玄関に収まる。そのまま座敷に通されて、冷房でしっとり冷えた畳の上にいきなりごろんと転がったのは真澄の姿。
「ひんやりして気持ちいいー」
「真澄ー、いくらおじいちゃん家だっていきなり寝っ転がるのは行儀が悪くねえか?」
そういう俺も畳の上にどっかとあぐらを掻いてるから、女子としては五十歩百歩、かもだが。
「だって車移動で疲れたよー。夏樹ちゃんは疲れてないの?」
「そりゃ俺だって疲れてるけどさ」
「なら夏樹ちゃんも転がってみなよ。ひんやりして気持ちいいよー」
そう言うと寝返りざま俺の手首を掴んで引っ張る真澄。俺はその勢いに負けて、真澄の寝っ転がるすぐ隣にコロンと転がった。
こんな程度で引き負けるとは、いくら体重も軽くなったとはいえ弱くなっちまったな、なんてしんみりしかける。
「ほら、気持ちいいでしょう?」
「たしかに」
そのまま二人手を軽く繋いで転がっていたら、俺はいつの間に眠っていたのか、気がついた時に真澄の姿はなかった。
レースカーテン越しに外窓に映る空は黄色みを強くしていて、時間がそろそろ夕方にさしかかっていることを教えてくれる。今日は花火の日だし、そろそろ起きないとと思ったところでスパンッとふすまが開いた。
「あっ、夏樹ちゃん起きてたんだ」
その声に面を上げると、そこには男物の浴衣に身を包んだ真澄が立っていた。
一瞬、まだ寝ぼけが残っている頭は判断が遅れて、俺は真澄に向かってアワアワと口を動かすのが精一杯。そんなことにはお構いなく、真澄は俺が伸ばしかかった右手を掴んで引き起こし立たせた。
「夏樹ちゃんの浴衣もあるよ、着付けするから呼んで来てって伯母さんに頼まれて」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ。俺の浴衣って、もしかして女物着せられるのか?」
「もしかしてもなにも、夏樹ちゃんは女の子なんだから女物に決まってるでしょう。
それとも男物の方着たかった?」
「いやいや、どっちも着たくねーよ。動きにくそうだし」
「そうは行かないんだよねえ。おばあちゃんもうちのお母さんも、夏樹ちゃんの浴衣姿を待ってるから」
「なんだよそれー。勘弁してくれよ」
そう言って引かれた手に力を込めて抵抗したが、男子になってる真澄の力に敵うはずもなく、俺は女性陣の待ち構える別室へ引きずられるように連れて行かれてしまった。そこからあとはご想像の通りで、三〇分もしないうちに浴衣女子が一丁上がる。
「うへえ、苦しいってこれ」
「少し我慢しなさいよ夏樹。花火打ち上げてる間だけなんだから」
「そんなこと言っても母さん、どうせ辺りは暗くて見えねえんだから、俺がこんなの着る意味なんてないだろ?」
「こういうのはね、着ることに意義があるの」
「いやその論理はおかしいって」
結局のところみんな俺の浴衣姿を見たいだけのような気がする。振り返れば真澄はもちろん星垣の叔母さんまでスマホを片手に俺の写真を撮りまくってたから、多分その見立ては間違ってない。
花火の時間がいよいよ近づいてきて、開始三〇分前を告げるポン、ポポンという音花火が響いてきた。俺は観覧道具でパンパンになったトートバッグを抱えた真澄に急かされるように、慣れない浴衣と下駄に格闘しながら観覧席へと急ぐ。空はかなり暗くなっていたけれど、残照がまだ残っていて足元が辛うじて分かる。人でごった返す道路を家から三分ほど歩くと観覧席の受付だ。
「おお、真澄ちゃん来たね。今年は浴衣だな。……その後にいる女の子は……彼女さんか?」
受付にはおじいちゃんがいた。町内会の仕事で観覧席の方にいるとは聞いていたが、ここにいるとは。
「おじいちゃん、違いますって。夏樹ちゃんですよ、な・つ・きちゃん」
真澄にそう告げられて、おじいちゃんは目をまん丸にして俺を凝視する。まあ、事前に知らされてたとしても今の俺の姿は見たら驚くレベルなのは間違いないと思う。
驚くおじいちゃんを尻目に割り当てられた席へと向かう。観覧席は広い河川敷をロープで区切った二畳ほどのスペース。そこにござを敷いて座り込んで花火を見るのだ。だけど、ここの花火はそこからがひと味違っていた。
川の中洲から打ち上げるのだが、観覧席からその中洲までの距離がかなり近い。本当に安全なのかって心配になるほどだ。でも毎年これで開催されているのだから問題はないのだろう。そしてそのあまりの近さのせいで、花火は観客のほぼ真上で炸裂することになる。
こうなると普通に座って観覧するのでは、首を常に上に向ける必要があって長くは見ていられない。その一方でスターマインを含めて何万発も花火が打ち上がるから、首の休まる暇もなかった。
そこで毎年見慣れている地元民はどうやって観覧するかというと……。
「夏樹ちゃん、クッションの配置、こんなもんでいいかな?」
「どれどれ……。うーん、もうちょっと上かな。まだ帯のとこがつっかえちゃって辛いし」
「はいはい……これでどう?」
「おーけ、バッチリ」
花火慣れしてる地元民はみんなござの上に寝っ転がって観覧していた。俺たちの周りを見ても座っているのは人数の多い席だけで、ほとんどの席は人がいるようには見えないくらいフラットなシルエットだ。
俺は浴衣の帯が背中にあるせいで、そのまま寝っ転がってしまっては帯の分だけ腰が反って辛かった。それを見越して母さんたちは背中に当てるクッションを真澄に持たせてくれたのだったけど。
「ここまでして浴衣を着せられた俺ってなんなんだろうな」
「いいじゃない。浴衣姿、とっても可愛くてよく似合ってるよ」
真澄はそんな褒め言葉を口にしつつ、またいつものように手を握って体を寄せてくる。
その感触に早鐘を打った俺の心臓と、一発目に咲いた大輪菊花の衝撃がシンクロした。