査問
昭和二十年二月十九日、アメリカ軍は硫黄島への上陸を開始しました。硫黄島周辺海域には雲霞のごとくアメリカ軍の艦船が蝟集していました。そこには多数の空母や戦艦が含まれています。その敵主力艦を攻撃するため千早隊が編成されました。千早隊の戦力は潜水艦三隻、「回天」十四基です。二月二十日、まず伊三六八潜が出撃し、翌二十一日に伊三七〇潜が出港、さらに二十二日に伊四四潜が硫黄島に向かいました。
潜水艦隊司令部は戦果を期待しつつ報告を待ちました。攻撃予定日は二十五日から二十八日にかけてです。しかし、出撃した三艦からは何の報告も入りません。
「いったい、どうした」
司令部参謀は苛立ちました。敵の制空権下では、潜水艦はおいそれと発信することが出来ません。浮上して発信すれば敵に位置を知られるからです。司令部もそれは理解しています。それにしても攻撃予定日を何日も過ぎているのに、何ひとつ入電がないのはどういうことか。
(全艦沈没かもしれぬ)
潜水艦隊司令部は沈鬱な雰囲気に包まれました。
待望の電報は三月二日に届きました。伊四四潜からです。
「本艦は沖大東島へ向かう」
この電報は潜水艦隊司令部を驚かせました。沖大東島といえば硫黄島から千キロ西方であり、もはや沖縄に近いところです。
「いったいどういうつもりだ。勝手に攻撃目標を変えるとは」
「艦長は誰だ」
「川口源兵衛大尉であります」
「川口か。フィリピンでしくじった男だ。彼奴め、またしても」
フィリピンでのしくじりとは、昨年十月のことです。レイテ決戦に呼応して潜水艦隊司令部は部隊をフィリピン東方海面へ進出させましたが、そのうちの一隻が川口大尉の伊四四潜でした。不幸にも伊四四潜は艦内事故のため攻撃参加できませんでした。しくじりとは、このことをいっています。
「ダメな奴だ」
これが潜水艦隊司令部の川口大尉に対する先入観になっています。
「しかし、現場には現場の事情があるのでしょう」
川口艦長をかばったのは鳥巣建之助中佐です。潜水艦隊司令部は伊四四潜に電報を発しました。
「回天は発進したるや。予定どおり硫黄島の敵艦に奇襲を敢行せよ」
伊四四潜からは翌日に返信がありました。
「回天は未発進なり。二月二十八日の電報を了解したるや。われ硫黄島に向かう」
この電文を読んだ鳥巣中佐は不審に思いました。
「この電文にある二月二十八日の電報とは何だ。通信参謀、二月二十八日に入電はあったのか」
「はい、確認します」
坂本文一通信参謀が電報綴りをめくってみましたが、それらしき電報は見当たりません。
「卑怯未練な言い訳をしおって。査問だな」
首席参謀の井浦祥二郎大佐が吐き捨てるように言いました。翌日、伊四四潜から電信があり、二月二十八日に発信したという内容が打電されてきました。しかし、潜水艦隊司令部の川口源兵衛大尉に対する心証は変わらず、川口大尉を査問会にかけることが決められました。
千早隊による攻撃は、三月六日の連合艦隊命令により中止されました。結局、千早隊の伊三六八潜と伊三七〇潜は消息不明となり、伊四四潜だけが「回天」未発進のまま三月九日に帰投しました。
三月十二日、千早隊の作戦行動に関する一般研究会が実施されました。これは公開で行われ、百名近い関係者が参集しました。生還した伊四四潜艦長の川口源兵衛大尉が戦況を報告しました。
「わが伊四四潜は二月二十二日、回天四基を搭載して大津島基地を出撃、硫黄島方面に向かいました。潜水艦隊司令部の命令は、硫黄島周辺に遊弋中の敵有力艦船の捕捉撃滅でありました。奇襲決行後、同方面海域にて敵艦船攻撃を続行せよ、との命令も出ておりました。伊四四潜は、二月二十六日の回天発進を予定し、二十五日夜、計画どおり硫黄島南西約五○海里の水域に到着したのであります。しかし、たちまち二隻以上の敵駆逐艦の音源が接近してきたため、深々度に潜航しました。敵駆逐艦の音源はいっこうに消えませんでした。二十六日になると敵艦の音源がむしろ増え、複数のスクリュー音が耳一杯に聞こえるほどでした。浮上どころか潜望鏡深度に上がることさえ出来なかったのであります。二十七日の朝、すでに三十時間以上も潜航が続いており、艦内の酸素は欠乏、炭酸ガス濃度が大気の何倍にもなり、乗員は呼吸に苦しんでおりました。つまり、敵主力艦への接近は困難でした。このため本職は攻撃を再興するため、警戒が薄いと思われる硫黄島東側へ迂回し、敵から遠ざかるように針路を南西に向けたのであります。二十七日の夕刻までかけて退避したところ、敵駆逐艦のスクリュー音がようやく消え、浮上することができたのは午後十時であります。実に四七時間の連続潜航でありました。その後、水上航走で補気、充電しながら硫黄島の北へ向かい、昼間は潜航して進み、二十八日の午後、硫黄島の北東約五○海里へ進出しました。しかし、敵の哨戒艦艇と哨戒機は絶え間なく出現し、浮上することができず、回天発進点への推進は不可能でした。ここにおいて本職は、回天による攻撃は無理と判断したのであります。二十八日夜、危険を覚悟のうえ浮上し、潜水艦隊司令部に宛て報告を発信しました。その要旨は次のとおりであります。ひとつ、硫黄島の南西約五○海里で二十五日の夜より敵艦の制圧を受け、四七時間連続潜航したこと。ひとつ、硫黄島北東海域でも敵哨戒網に制圧され接近不能たること。ひとつ、硫黄島泊地に対しては回天による攻撃は不可能たること。報告発信後、本職は司令部からの命令を待ったのでありますが、命令は届きませんでした。翌日、わが伊四四潜の通信班が敵の通信を傍受し、敵機動部隊が沖大東島付近を行動中であることが判明しました。そこで本職は司令部に宛て、沖大東島に向かうと打電し、敵機動部隊の攻撃に向かったのであります」
川口大尉の報告を聞いていた鳥巣建之助中佐は、何事かを思いついたような表情になると席を立ち、停泊中の伊四四潜に向かいました。一方、川口大尉の報告は続いています。
「しかるに三月二日、潜水艦隊司令部より、回天は発進したるか、との照会電が入り、指示どおり作戦を実行せよ、との電命を受けました。本職は不審を感じ、三日、回天は未発進たることを発信するとともに、二十八日の本艦電報を了解されたか、と問い合わせ、改めて指令願う、と返電したのであります。念のため本職は、翌四日、二十八日に発信した電報を再発信しました。これに対し潜水艦隊司令部からは、硫黄島方面の敵艦船に対し回天を以て奇襲を決行せよ、と重ねての命令でありました。やむなく本職は硫黄島へ艦首を向けました。しかし、六日、連合艦隊からの作戦中止命令を受信、本職は回天を搭載したまま三月九日、大津島に帰着したのであります」
川口源兵衛大尉の戦闘報告は理路整然としており、誰からも疑問の声はあがりませんでした。一方、伊四四潜に向かった鳥巣中佐はその電信室にいました。
「電報綴りを見せろ」
「はい」
「二月二十八日に発信したか」
「はい、これであります」
通信士が示した電報綴りには二月二十八日に伊四四潜から発信された電文が記されていました。
「確かにこの電文どおりに打電したんだな」
「はい、参謀殿、打電いたしました」
鳥巣中佐は司令部に戻ると通信参謀の坂本文一少佐に声をかけました。
「通信参謀、ちょっと来てくれ」
「はい」
「実は伊四四潜の電信室に行って確認してきた。向こうは二月二十八日に電報を発信している。こちらでは受信してないのか」
「それは、ありません。前にも確認したとおりです」
鳥巣中佐と坂本少佐は念のため司令部電信室の書類を確認し、通信士にも尋ねましたが、それらしいものは見つかりませんでした。
「坂本少佐、発信した電報が受信されないということがあるのか」
「それは、電波の状況によってはあり得ます。しかし、それを証明することは不可能です」
「困ったな。川口大尉の査問会は明後日か」
翌日、鳥巣建之助中佐は首席参謀の井浦祥二郎大佐に事情を報告し、査問会の中止を進言しました。
「通信障害による意思疎通の不備が原因だと思われます。川口大尉に落ち度はありません。査問会は中止してください」
「だめだ。査問会は予定どおりに行う」
「しかし、大佐、伊四四潜は確かに二月二十八日に報告電を打っています。電文案をこの目で見てきました。電波障害で受信できなかったとしたら、川口大尉の責任ではありません」
「黙れ。電波障害はどうでもいい。いずれにしても独断で攻撃目標を変更したのは川口だ」
「待って下さい。現場指揮官には独断専行の権限があります。敵信傍受によって敵艦隊の所在を確認したのなら、川口大尉の判断は合理的です」
「違う。硫黄島の敵を目前にしながら回天を発進させなかった。卑怯である。それが事実だ。査問は予定どおり実施する」
「しかし井浦大佐」
「もうよい、さがれ」
大喝された鳥巣中佐は沈黙しました。
三月十四日、川口源兵衛大尉が潜水艦隊司令部に出頭しました。少人数による秘密研究会、つまり査問会です。潜水艦隊司令部からの詰問に対し、川口大尉は正面から反論しました。
「警戒至厳な敵泊地に突入し、一度浮上して回天攻撃準備をなし、再び潜航して回天を発進するという計画そのものに無理があります。これは潜水艦と回天に犬死にを強いる無謀な作戦です」
川口大尉は堂々たる態度で意見を述べました。これに対し、潜水艦隊参謀長の佐々木半九少将と首席参謀の井浦祥二郎大佐が厳しい言葉を投げつけました。
「作戦が悪いというのか。それは責任転嫁というものだ」
「私は作戦どおりに行動したのです。しかし、敵は圧倒的でした。海上に浮上したら一巻の終わりです」
「命令違反は明らかだ。なぜ回天を発進させなかったか」
「ですから、しなかったのではありません。できなかったのであります」
「敵艦を眼前にしておりながら引き返すとは卑怯未練である」
「卑怯とは何ですか。あまりと言えばあまりです。現場を経験したことがあるのですか」
「潜水艦は沈んで来りゃあいいんだよ。戦果は俺たちでつくる」
「何をおっしゃる。まだ若い回天隊員を無駄に死なせるのですか。そのような命令は命令ではない。そもそも三月二十八日に私が発した電報を潜水艦隊司令部はご承知なかった。その理由は何ですか。私は命令を待っていたのです」
「そのような電報は届いておらん」
通信参謀の坂本文一少佐が答えました。
「そんなはずはない。確かに発信した」
川口大尉は抗議しましたが、無駄でした。
「もうよい。川口大尉、退出せよ」
潜水艦隊司令長官三輪茂義中将の一声で査問会は終わりました。秘密研究会の後、伊四四潜の砲術長は退艦を命ぜられました。砲術長は通信の責任者でもあります。そして艦長の川口源兵衛大尉は老朽艦の艦長へと左遷されました。
その夜、鳥巣建之助中佐は眠れませんでした。自責の念からです。川口源兵衛大尉に対する査問会で鳥巣中佐は沈黙を守りました。鳥巣中佐の考えでは、この問題は電波の送受信をめぐる行き違いに過ぎないのです。誰も悪くはない。それなのに査問会を中止にすることが出来ず、しかも査問会では川口大尉に非難が集中してしまった。それを眼前に見ていながら、鳥巣中佐は黙り通してしまいました。
(俺は卑怯者だ。しかし、どうしようもなかった)
一年前、潜水艦隊司令部に着任したばかりの鳥巣中佐だったならば、あるいは正道を踏む勇気を揮って事実を訴えていたかも知れません。あの頃はまだ理想に燃えていました。
「思いやりのないところに真の統率はない」
今は亡き同期の井元正之少佐の訓戒がまだ熱く心をたぎらせていました。しかし、あれから一年、鳥巣中佐はすっかり弊習に泥んでしまいました。意見を具申しても上官から怒鳴りつけられるだけ。一方、実戦部隊からは「あれをよこせ、これをよこせ」と突き上げられる。板挟みの立場が、だんだん苦痛になり、阿呆らしくなってくる。結局、上の命令を下に伝え、下の意見を上に伝達していれば楽です。
(ああは成りたくない、と思っていたような人間に俺はなってしまった)
自己嫌悪が鳥巣中佐を不愉快にしました。一年前、トラック島で軍令部の藤森参謀に一喝されたことを思い出しました。
(俺は藤森参謀と同じだ)
そんな自分にくらべれば、査問会における川口大尉の言語振舞はまことに立派でした。
(俺もあのようになるべきだった)
鳥巣中佐は、川口大尉を弁護したいという感情を押し殺し、事なかれ主義で沈黙を守り、立派な統率を実践した川口大尉を見捨ててしまったのです。
(無理だ)
鳥巣中佐は自己弁護にすがりつきました。潜水艦隊司令部そのものが中間管理司令部に過ぎないのです。自分ひとりの力ではどうしようもありません。上級司令部が変わらぬ限り、潜水艦隊司令部も自分も変わりようがない。
(井元、すまん)
鳥巣中佐は亡き戦友にわびました。