電探と霧
昇進して少佐となった橋本以行は、伊一五八潜の艦長となりました。これもまた老朽艦です。開戦当初はジャワ海で通商破壊に任じ、敵国商船八隻を撃沈しましたが、いまは練習艦となっています。
(また練習艦か)
という不満を感じつつも、橋本少佐は意欲を湧き立たせました。
(これで電探の研究ができる)
橋本少佐は、伊一五二潜や呂三一潜で電探の試験航海を繰り返すうち、電探に強い関心を持つようになりました。潜水艦用電探の実験は失敗続きでしたが、もし優れた性能を発揮すれば有用性は大きい。それが橋本少佐の確信です。
昭和十八年三月、水上艦艇捕捉用電探装置が橋本少佐の伊一五八潜に設置され、実験が始まりました。すでに水上艦艇には実用電探装置が設置されていましたが、潜水艦への装備は未着手でした。優秀な電探を熱望する実戦部隊の声はすでに喧しくなっていました。これに応ずるため海軍の艦政本部、航空本部、各海軍工廠などの技術陣が懸命の研究を続けていました。おかげで水上艦艇用電探は一定の性能を示すようになっています。しかし、海中に潜航する潜水艦には独自の防水装置が必要となるため開発が遅れていました。
若干名の技術将校を乗せ、橋本少佐の指揮する伊一五八潜は沖に出ました。実験結果は不良です。距離二千メートルでようやく艦船の存在を捕捉できるという性能でした。二千メートルでは目測でも確認できますからレーダーの意味がありません。実験を終えて退艦する主任技術将校は、ごく儀礼的に橋本艦長に挨拶しました。
「今日は御世話になりました。いやあ、潜水艦に乗るのは初めてでした」
これを聞いた橋本少佐は内心驚きました。これでは性能も上がるまい。
「いつでも構いません。何度でもお越しください。大歓迎です」
橋本少佐は、逞しい顎と細い眼の持ち主で、口をへの字に曲げると実に厳めしい顔になりますが、笑うと逆に愛嬌が溢れます。その愛嬌顔で橋本少佐は来艦歓迎の意を伝えました。しかし、技術将校が伊一五八潜に足を伸ばす機会はありませんでした。むしろ頻繁なのは会議です。形式ばかりの会議の連続に橋本少佐はイライラしてきました。ある日、思い切って提案してみました。
「訓令実験だの委員会だのと大げさなことをやる前に、いつでも潜水艦に来て予備実験をやれるようにしたらどうでしょう。私の方は大歓迎です。その方が開発がはかどるのではないですか。現下の戦勢では一刻も早い技術進歩が必要です。完璧な電探装置を完成してから装備するのではなく、まずは現有の電探を装備して、実際に使いながら改善していく方が実際的ではないですか」
しかし、反応は鈍い。技術者と用兵者の間には何かしら越えられない心理的な壁があり、打ち解けることがありません。技術者は完璧なものを造りたがる。これに対し、用兵者は役に立ちさえすれば不完全でも良いと思う。また、用兵者は、役に立たない装置を邪魔物扱いして技術陣に文句を言う。言われた技術者は面白くない。そんなことの繰り返しが技術陣に心理的な警戒感を植え付けていたのです。これに加えて行政手続き上の問題もありました。
「電探を装備してしまうと、そこで開発が止まるのです。完成品を装備するというのが規則ですから、装備すると予算も止まってしまいます」
なんとも不自由なことです。
潜水艦用電探の開発が遅々として進まぬ昭和十八年五月、アッツ島守備隊が玉砕しました。ガダルカナル島は「転進」でしたが、アッツ島は「玉砕」です。事態を重視した連合艦隊司令部は潜水艦九隻に対してアリューシャン方面への進出を命じました。
橋本少佐の伊一五八潜は老朽のために内地待機とされました。そのことに不満はありませんでしたが、橋本少佐は僚艦を案じました。電探未装備のままでは危ないと思い、技術会議で訴えました。
「北方の海面は霧が多い。濃霧になれば一メートル先も見えません。だから、たとえ探知距離二千メートルの電探でも意味があります。霧の中に潜む敵艦を探知できれば、急速潜航して敵の攻撃を避けることができる。流氷や岩礁を探知できれば海難事故を防ぐこともできる。北へやる潜水艦には電探を持たせてやってください」
橋本少佐の進言は黙殺されました。
アリューシャン方面へ進出する九隻のなかに伊二潜がありました。艦長は板倉光馬大尉です。板倉大尉は、ラエ沖で損傷した伊一七六潜をラバウルで引き継ぎ、無事に内地へ回航させ、伊二潜へ異動していたのです。
伊一七六潜と異なり、伊二潜は老朽艦です。板倉大尉は老朽艦の低性能を訓練で補うべく部下に厳しい訓練を課しました。おかげで潜航開始から完了までの時間を六十秒から五十秒へ短縮することができました。敵機に発見された場合には、この十秒が生死を別けるでしょう。しかし、四月十二日、訓練を終えて横須賀港へ入港したとき事故が起こりました。
この日、タグボートが遅れていました。タグボートの到着を待てばよかったのですが、板倉大尉は部下に良いところを見せようと欲を出し、自力係留を試みました。板倉大尉は風と潮流を計算に入れ、舵の効くギリギリの低速度で艦体をブイに近づけました。うまくいきました。あとは行足を止めるだけです。
「後進原速」
板倉大尉は命じました。後進をかけて艦体が止まる寸前に機関停止を命ずればよい。ところが板倉大尉の意に反し、伊二潜は増速前進しました。
「どうした、後進だ」
「後進一杯」
「機関停止」
「錨入れ」
矢継ぎ早の命令も虚しく、伊二潜は前進を続けて岸壁に艦首をぶつけてしまいました。
「どうした。なにがあった」
その後、原因がわかりました。電気長が「後進原速」を「前進原速」と勘違いしたのです。事故調査委員会では、事故の責任は電気長にあるとされ、その上官たる機関長の責任が認定されました。しかし、板倉大尉はこれを不満としました。
「すべて自分の責任だ」
こう言い張ったのです。
「一艦の責任はすべて艦長が負うべきものである。たとえ着任して日が浅いとはいえ、部下の失敗は艦長の責任である。理由の如何を問わず、その責任を避けることはできない。これが日本海軍の伝統精神である」
この事故騒動の後、伊二潜の艦内の空気が変わりました。上下の親近感が増し、士気が振るい、打てば響くような一体感が醸成されてきました。その伊二潜に北方アリューシャン方面への出撃命令が下りました。
五月二十二日、伊二潜は横須賀を出港しました。板倉艦長は東京湾口で急速潜航の訓練を三度まで繰り返し、湾口を出ると「合戦準備」を令して警戒航行に移りました。相模湾には米潜が出没しており、すでに危険な海です。伊二潜は北上しました。途中、鯨の死骸を見つけました。潜水艦と間違えられて銃撃されたようです。
「霧の海、殺気はらみて、鉄鯨の行く、か」
板倉大尉は艦内の落書き帳に書き付けられた川柳を思い出しました。金華山沖を過ぎる頃から霧が出て、寒さが増してきました。艦橋当直員は防寒着に着替えます。この霧は、千島列島の北端にある幌筵島まで続きました。北上とともに艦内は冷蔵庫のように寒くなり、乗員は防寒着で身体をおおいました。防寒着で着ぶくれするので狭い艦内がますます狭くなります。それでいて湿度は高く、壁も天井も結露しています。
シベリアの大地から南に垂れ下がったカムチャツカ半島がオホーツク海を貫いています。その延長上に連なるのが千島列島です。千島列島の最北端が占守島であり、その南にあるのが幌筵島です。この両島の間にある幌筵海峡に面して占守島片岡湾と幌筵島柏原湾があります。ここが海軍泊地です。泊地とはいえ幌筵海峡の潮流は早く、しかも冷たい。海中に落ちれば心臓麻痺でたちまち死んでしまいます。
柏原湾に伊二潜が投錨すると内火艇が迎えに来ました。板倉大尉は第一潜水戦隊の旗艦「平安丸」へ向かいました。司令官の古宇田武郎少将への申告を終えると、戦隊参謀や古参潜水艦長の洗礼が待っていました。
「潜水艦長もずいぶん若くなったもんだなあ」
通常、潜水艦の艦長は少佐です。大尉の艦長は珍しいのです。
「やあ、やっと俺より若い艦長が来たぞ。まあ一杯、飲め」
「いただきます」
板倉大尉は酒が大好きです。酒に酔って失敗したことも少なくありません。ですが、いったん潜水艦に乗り込めば禁酒しても平気です。先輩艦長たちは、新来の板倉大尉をからかいながら、様々なアドバイスを与えてくれました。そんな時には酒席にも緊張が走り、皆が表情を引き締めます。
「アリューシャンでは用心しろよ。南洋とは違う。北の海は来る日も来る日も濃霧だ。しかも低気圧と高気圧が頻繁に入れ替わる。鏡のような海面が、アッという間に狂奔の荒海に変わる」
「敵さんは電探を持っているから濃霧の中でも安心するな。いきなりドカンとくるぞ」
「アリューシャンは潮流が速く、しかも複雑だ。太陽でも星でも見えたと思ったら天測しろ。とんでもないところに流されていることがある。艦位を失ったら心細いぞ」
髭面の先輩艦長たちは、その忠告どおりの苦労を経験してきたに違いありません。
北米アラスカの南部から西に向いて突き出ているアラスカ半島は、やがて海没してアリューシャン列島となります。アリューシャン列島は西へ向かって、あたかもカムチャツカ半島へと突き刺さるかのように伸びていきます。その最先端がアッツ島です。
そのアッツ島守備隊はすでに玉砕しましたが、キスカ島守備隊は健在です。キスカ島はアッツ島よりも三百キロほどアメリカ側に位置しています。つまりキスカ島守備隊は敵中に孤立しているのです。海軍首脳は、キスカ島守備隊五千五百名を救出するための撤退作戦を立案しました。
キスカ島撤退作戦は必然的に敵中突破作戦となります。このため隠密行動のとれる潜水艦に白羽の矢が立ちました。その戦力は潜水艦十五隻です。伊号潜水艦十三隻が物資補給と兵員後送を実施し、呂号潜水艦二隻が哨戒を担当することになりました。
五月二十七日、キスカ湾に進入した伊七潜は兵器弾薬二トンと糧食六トンを送り届け、守備隊員六十名を便乗させて無事に幌筵島に帰投しました。しかし、このペースでいくと潜水艦は延べ百回ちかくキスカ湾に進入せねばなりません。続いて伊二一潜、伊九潜が補給と兵員後送を成功させました。
次は伊二潜の出番です。板倉光馬大尉にとっては潜水艦長として初めての本格的な作戦指揮です。是が非でも成功させたい。幸い天候に恵まれました。伊二潜は頻繁に天測して艦位を確かめつつキスカ島を目指しました。しかし、キスカ島を間近にしてから濃霧になりました。一寸先も見えず、艦橋でマッチを出すとアッという間に湿気ってしまい、磨っても火がつかないほどです。先の天測から十時間以上が経過し、艦位が相当に怪しくなりました。こうなると座礁が心配になります。座礁を避けるには潜航した方が良いのですが、味方基地の付近では浮上航行する方が良いのです。その方が互いに識別しやすく、同士討ちを避けられます。しかし、板倉大尉は潜航を命じました。
(こうも霧が続いてはどうしようもない)
艦内では航海長が海図に線を入れて頻りに艦位を推定しています。聴音員はレシーバーを耳に当て、ありとあらゆる音を拾おうとしています。
「波の音が聞こえます」
岸が近いらしい。板倉大尉は潜望鏡をあげて周囲を見回しましたが、白い霧しか見えません。聴音員によると波の音が徐々に大きくなっています。
「艦長、どうやらすでにキスカ湾に近いようです」
航海長が言いました。時計を見るとすでに日没時刻を過ぎています。板倉大尉は判断に迷い、もう一度潜望鏡を覗きました。霧が晴れかけていました。霧の切れ目が生まれたとき、一瞬、目前に断崖が見えました。
「とおりかーじ、一杯。浮上」
航海長の推定どおり伊二潜はキスカ湾口にいました。
「配置につけ。目的地だ」
六月四日、キスカ湾内に伊二潜が入ると四隻の大発が待ちかねたようにやってきました。横付けした大発にバケツリレーの要領で物資を手渡していきます。兵器弾薬九トンと糧食五トンを揚陸し、後送する将兵三十名を乗せました。二時間の早業です。
「また来るからな。それまでガンバレ」
「どうぞご無事で」
「潜水艦はたくさんいるから安心しろ」
大発の乗員に声をかけ、伊二潜はキスカ島を後にしました。
「両舷第二戦速、補気、充電はじめ」
先ほどの霧が嘘のように晴れ渡り、夜空には鋭い月が出ています。ところが、それも束の間で再び霧になりました。
「充電終了」
機関長の報告を待っていた板倉大尉は、直ちに潜航を命じました。この後、霧は四日ほど続きました。六月八日午後からやっと快晴になりました。伊二潜は十六ノットで海上航行し、幌筵に帰投しました。
休む間もなく伊二潜は、六月十一日、再出港しました。今度はキスカ島七夕湾を目指します。幌筵を出港した直後から霧が途切れません。濃霧は六日間つづきました。天測ができず、艦位に自信が持てません。七夕湾入港予定の前日、位置をつかめぬまま、伊二潜は十二ノットで海上航行していました。艦長室で仮眠をとっていた板倉大尉は、ふと目覚め、何となく不安になり、艦橋へ駆けのぼりました。海上は凪いでいますが霧が濃い。前方を注視していると、艦首の右に魚雷の航跡を見ました。
「おもーかーじ。右停止、右後進強速」
何とか魚雷をかわしたと思ったとき、霧が晴れました。眼前に断崖があります。島です。魚雷の航跡と見えたのは、波打ち際の波頭だったのです。
「ここはどこだ。この島は」
水面下には化け物のように巨大な昆布が密生しています。この場所をバルダー島と判別するまでに二十分ほどかかりました。バルダー島はアッツ島とキスカ島の中間に位置する無人島です。六日間の間に百キロほども艦位に誤差が生じていました。ともかく位置が判っただけでもありがたい。伊二潜はキスカ島に艦首を向けました。しばらく進むとまた霧です。
十八日の早朝、すでにキスカ島は近いはずでした。伊二潜は速度を落とし、海上航行していました。すると艦側に水柱が起ち上がり、轟音が耳を圧しました。
「機関停止、急速潜航」
濃霧の中、いきなりの射撃です。しかも正確です。
「敵らしきもの一隻近づく、感三、四」
スクリュー音は頭上を通過していきましたが、爆雷攻撃はありません。板倉大尉は伊二潜を海底に沈座させました。目的地は近いのだから、できるだけ動かない方が良いと思ったのです。
「音をたてるな」
頭上のスクリュー音は、遠ざかっては近づき、近づいては遠ざかります。敵艦は執拗に探知している様子です。
板倉大尉が「深度、十六半」を命じたのは七時間後です。潜望鏡で海上を見ると、なお霧が濃い。敵艦のスクリュー音は数時間前に消えています。
「浮上」
艦橋に出た艦長、航海長、見張員は懸命に目を凝らしましたが、霧が視界を阻みました。一瞬、霧が晴れて見覚えのある陸地が見えました。
「ベガ岬だ」
ベガ岬はキスカ島南端です。目指す七夕湾は近い。板倉大尉は低速で慎重に伊二潜を進ませました。突然、霧がピカリと光ったかと思うと轟音が耳をつんざき、艦体が激しく震動しました。
「両舷停止、急速潜航」
伊二潜は五十秒もかからずに潜航しました。海上では砲弾の着弾音が唸っています。
「機械室浸水」
「浸水状況知らせ」
「浸水止まった。異状なし」
意外な報告です。確かに敵弾は命中したはずでした。やがて機関長が発令所に顔を出しました。
「海中管の付け根が切れました。舷外弁を閉めたので浸水は止まりました。目下、応急修理中」
「ほかに被害はないか」
「ありません。命中弾は不発弾だったようです」
(またもレーダー射撃か)
冷汗三斗の思いです。何の前触れもない射撃、しかも今度は命中しました。命拾いしたようです。伊二潜は深度三十八メートルの海底に沈座しました。海上には敵駆逐艦らしきスクリュー音があります。二度ほど頭上を通過していきましたが、爆雷は落ちてきません。沈没したと思っているのか、それとも爆雷を装備していないのか。やがて敵艦のスクリュー音が消えました。板倉大尉は慎重を期し、一時間ほど様子を見たうえ、潜望鏡深度まで浮上しました。周囲を見回すと霧が晴れています。敵艦はいません。やがて七夕湾が見えました。
「浮上」
伊二潜が七夕湾に入ると、すぐに大発が近づいてきました。板倉大尉は後甲板に降りました。砲弾の命中痕があります。ちょうど左舷機械室の真上です。もし炸裂していたら沈んでいたでしょう。伊二潜は兵器弾薬六トンと糧食五トンを陸揚げして帰路につきました。その際、キスカ島守備隊の通信隊に電文を託し、北方艦隊宛に送信してもらいました。
「六月十八日、ベガ岬南東五海里付近より敵哨戒艦艇の電探に補足され、一七三〇、錨地付近において至近距離より電探射撃を受く。一弾命中したるも、不発のため被害なし。敵の電探哨戒は厳重を極め、水上状態にてキスカ島に近接するは極めて危険なりと認む。一九〇〇」
伊二潜に続いて、六月二十一日に伊七潜が七夕湾に接近しましたが、敵の電探射撃を受けて潜航不能となり、応戦しつつ海岸に座礁しました。伊七潜は、翌日、積載した物資を可能なだけ陸揚げし、満潮時に離礁、横須賀を目指しました。しかし、伊七潜は再び敵の電探射撃を受け、応戦しつつ航行し、敵の哨戒艇一隻を大破させました。しかし、逃げ切ることはできず、二子岩付近に沈没しました。死者六十四名、戦傷者十名の被害です。
ここにおいて潜水艦によるキスカ撤退作戦は中止されました。この間、十八回の輸送が実施され、十三回が成功しました。輸送した兵器弾薬は百五トン、糧食は百六トン、帰還者八百十名です。伊九潜と伊二四潜が消息不明となり、伊一五七潜が座礁して損傷しました。また伊七潜はキスカ島付近で敵哨戒艇に攻撃され沈没しました。八百名の陸兵を撤退させるために三百名以上の潜水艦乗りが戦死したのです。大きな損害でした。