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潜水艦輸送

 昭和十七年八月七日、アメリカ軍はガダルカナル島に奇襲上陸し、日本海軍設営隊が一ヶ月をかけて完成させたばかりのルンガ飛行場を占領しました。アメリカ軍は、ガダルカナル島北方のツラギ島にも上陸し、日本軍の水上機基地を占領しました。

 日本海軍は直ちに反撃しました。ラバウル基地の海軍航空隊は爆撃機を発進させ、ガダルカナル島ルンガ泊地の米輸送船団に空襲を加えました。またラバウルに司令部を置く第八艦隊も出撃し、ガダルカナル島ルンガ泊地に殴り込みの夜襲を敢行しました。重巡洋艦五隻を基幹とする第八艦隊は、わずか三十分の夜戦で同勢力のアメリカ艦隊を潰滅させました。大戦果です。しかしながら日本軍の反撃は徹底を欠きました。

 アメリカ軍はルンガ岬からルンガ飛行場にかけての一角を頑強に守り続けます。日本軍が来襲すれば輸送船を退避させ、日本軍の攻撃が止めば輸送を再開しました。このとき威力を発揮したのがブルドーザをはじめとするアメリカ軍の土木機械です。アメリカ軍は驚異的な早さで熱帯の密林を切り拓き、飛行場を拡張し、重火器で武装された防御陣地を構築しました。

 事態を重視した連合艦隊は、主力部隊、第二艦隊、第三艦隊をトラック環礁へと推進させて必勝を期しました。ガダルカナルには確実に敵艦隊がいます。これが連合艦隊司令部にとって重要でした。ガダルカナルに所在する敵艦隊を撃滅しようと考えたのです。

 なにしろ広大な太平洋で敵主力艦隊の位置を把握するのは難しいことです。ですから、ガダルカナル島へのアメリカ軍の反攻は、その意味において、日本海軍の戦機でもあったのです。そこに敵主力が存在するからです。

 潜水艦の多くもソロモン諸島方面への集結を命じられました。大型の伊号潜水艦は、インド洋方面に三隻だけを残し、残りの大部分がトラック島とラバウル島への進出を命じられました。このため北方アリューシャン方面では大型潜水艦が不足しました。その補充として中型の呂号潜水艦が北方に配備されました。

 ソロモン方面の潜水艦部隊は、ソロモン諸島、ニューギニア、フィジー、サモア、ニューカレドニア、濠州にわたる海域に進出し、偵察、哨戒、監視、通商破壊に任じ、時に大きな戦果をあげました。伊一九潜(艦長木梨鷹一少佐)は空母「ワスプ」を雷撃によって沈め、戦艦「ノースカロライナ」を大破させました。また、伊二六潜(艦長横田稔中佐)は空母「サラトガ」を大破させました。航空部隊や水上艦艇に比べて遜色のない戦果です。


 ガダルカナル島をめぐる日米の攻防は互角のまま推移しました。毎週のように大規模な海戦や空戦が生起し、消耗戦になりました。日米双方に相当の損害が出ました。ここにおいて日本海軍の短期決戦構想と漸減戦略が破綻しました。損害が同等ならば国力優勢のアメリカが有利になります。アメリカの戦略的勝利です。

 日本海軍の攻勢にもかかわらず、アメリカ軍はガダルカナル島の制空制海権を守り抜きます。このためガダルカナル島に上陸した日本陸軍部隊は食糧、弾薬、衛生品の不足に苦しみました。日本軍は数次にわたって輸送船団をガダルカナルへ送り込みました。輸送船団を守るために連合艦隊は懸命の船団護衛作戦を実施しました。にもかかわらず日本軍の輸送船団はことごとくアメリカ軍に撃破され、輸送船の船腹をいたずらに消耗する結果となりました。

 輸送に苦慮した日本軍は、大発と呼ばれる上陸用舟艇さえ輸送に使いました。機銃で武装し、物資を満載した多数の大発は椰子の葉で偽装され、アリの行列のように長い船団を組み、島伝いにガダルカナル島を目指しました。その速度は八ノットでしかありません。昼間は島々の沿岸の木陰に隠れ、夜間に航行しました。それでも敵の目を欺くことはできず、多大な損害を出しました。

 連合艦隊司令部は、やむを得ず駆逐艦に輸送任務を与えました。三十ノットの高速でガダルカナル島の揚陸地点へ突進し、物資を満載したドラム缶を甲板上から投下するのです。鼠のようにすばしこいところからネズミ輸送と呼ばれました。しかし、駆逐艦の損害が増えたため、十七年十一月にネズミ輸送の中止が決められました。

 次いで輸送任務をまかされたのは潜水艦隊です。昭和十七年十月、トラック環礁の潜水艦隊旗艦「香取」艦上において研究会が開かれました。研究会の議題は「いかに潜水艦輸送を実施するか」です。しかし、論議は潜水艦輸送の是非論に集中しました。普段は温厚寡黙な潜水艦長たちですが、このときばかりは声を大にして反対しました。

「我々は敵の主力艦を雷撃すべく訓練を重ねてきた。このソロモン海域においても空母二隻、戦艦一隻を撃破している。しかるに潜水艦本来の任務を離れて、輸卒のような仕事をやらせるとは何事か」

 潜水艦乗りは誇り高い武士の集団です。「輜重兵と同じにするな」という誇りがありました。当時、徴兵検査において丙種合格者が出ると「輜重兵、一丁あがり」などと検査官が揶揄しました。その輜重兵と同じ任務を与えられるなど我慢がなりません。

「潜水艦が輸送船に成り下がったら、敵空母を誰が沈めるのか。これでは戦果のあがるわけがない。それに乗員の士気にも影響する。どうやって部下たちを納得させるのか」

「現下の戦局は輸送なんぞをやっとる時機ではない。積極的に敵の海上兵力を叩くべき時だ。それにあわせて敵の補給線を寸断すればよい。既定方針どおり現作戦を続行すべきである」

 議事進行を担当したのは潜水艦隊の先任参謀渋谷龍穉(たつわか)中佐です。渋谷中佐は苦しげに議論を誘導しようとしました。

「皆さんの御意見は至極もっともである。潜水艦隊司令部としても同じ見解を持っております。しかし、連合艦隊の大号令は、すでに発せられました。危険が多いばかりで地味な輸送任務ではあるが、連合艦隊の命令である。潜水艦隊司令部とて断腸の思いであります。しかし、連合艦隊司令部は諸般の情勢を判断し、潜水艦を措いてこの任務を果たし得るものはないと決定したのである。この研究会は、いかにしてこの重大にして困難なる任務を遂行するかを検討するのである。この問題についての御意見を承りたい」

「なんだと。渋谷参謀、我々は、任務が難しいとか、命が惜しいとか言っているのではない。伸るか反るかの重大時機に輸送などと悠長なことをやっておれないといっているのだ」

 この意見に賛同する声が湧き上がり、侃々諤々、司令部に対する非難が満ちました。もはや参謀の手には負えないと見て、潜水艦隊司令長官の小松輝久中将が起ち上がりました。

「潜水艦隊は、いかなる犠牲を払っても、潜水部隊の全力をあげて、輸送作戦を強行する。ガダルカナル島の陸軍に糧食と弾薬を送れとの大命なり」

 旧皇族の小松中将の説得が功を奏し、潜水艦長たちはようやく苦渋を呑み込みました。

 連合艦隊司令部は追い詰められていました。ガダルカナル島周辺では制空権と制海権がどうしても保持できないのです。悪戦苦闘するうちに海軍の戦力が消耗してしまいました。まともに輸送船を送り込んでも撃沈されるだけです。だから駆逐艦を使ってネズミ輸送を実施しましたが、これも損害が増え始めました。そこで隠密行動のとれる潜水艦を輸送に使うことにしたのです。連合艦隊司令部としては、ほかに手がありません。それに加え、ガ島への輸送を中止するわけにはいかない事情がありました。

 そもそもラバウルから千キロも離れたガダルカナル島に飛行場の設営を許可したのは、連合艦隊です。八月五日には飛行場が完成していたのに、これを二日間も放置してガダルカナルに航空隊を進出させなかったのも連合艦隊です。ルンガ飛行場がアメリカ軍に奪われたあと、その奪還を陸軍に依頼したのも連合艦隊です。その結果、ガ島の陸軍部隊を飢餓と病苦の生き地獄に陥れてしまいました。ガダルカナルの陸軍部隊を連合艦隊が見殺しにしたら、陸海軍の協同作戦など金輪際できなくなるでしょう。だからこそ連合艦隊司令部は空母機動部隊、戦艦戦隊、重巡戦隊、基地航空部隊を繰り出してガダルカナル島所在のアメリカ艦隊を攻撃し続けてきました。その戦いは互角でした。敵を大いに苦しめはしたものの、圧倒できませんでした。そうこうするうちに戦力が消耗してしまったのです。山本五十六連合艦隊司令長官は心を鬼にして潜水艦輸送を命ずるほかありません。

「命令だ」

 と言われれば拒否できないのが軍人です。鬱憤をかみ殺し、雷撃の名手たちは潜水艦輸送の研究に励むしかありませんでした。艦長たちが心配したのは、輸送任務に対する部下たちの反応です。しかし、概して平静に命令は受け入れられました。


  弾丸(たま)だ 弾丸(たま)だと血に染む友に 海の底から弾丸(たま)運び


 この読み人知らずの狂歌ほど潜水艦乗りの心意気を詠いあげたものはないでしょう。


 日本内地においても潜水艦による輸送方法が研究されていました。その研究を担当したのは橋本以行(もちつら)という海軍大尉です。昭和十七年五月に潜水学校を卒業した橋本以行大尉は、呂三一潜と伊一五二潜の艦長を兼務することになりました。二艦の艦長といってもあまり喜べません。この二艦は、ともに艦令十年以上の老朽艦です。だから実戦には出撃しません。ですが、遊んでいるわけではありません。潜水艦乗員の訓練と、新しい兵器類の性能試験が任務です。水雷長としての実戦経験をもつ橋本大尉にしてみれば、不満がないわけではありません。ハワイ作戦には伊二四潜の先任将校として参加しました。その際には、出陣の三ヶ月前から物資弾薬の積み込みを指揮し、開戦の日には特殊潜航艇を発進させ、その後はミッドウェイ島砲撃などに従事したことがあります。伊二四潜は巡潜丙型の新鋭艦でしたから、呂三一潜と伊一五二潜のくたびれ具合が目についてしかたがありません。

(まあ、しかし、二艦の艦長だ)

 橋本大尉は気分を切り換えて任務に励みました。実際にやってみると訓練任務は緊張の連続です。敵と戦うわけではないので戦死する心配はありません。ですが、新米乗組員の訓練には細心の注意が必要です。潜水艦は繊細な乗り物です。潜水艦の水中航行は、飛行機の空中飛行と同じように繊細な作業です。新米乗員の小さなミスが沈没事故につながることもあります。何百、何千もあるハンドルやバルブやコックやボタンやレバーの操作をひとつ間違えただけでも、潜行中の潜水艦にとっては致命傷になりかねません。橋本大尉は、起こりそうなミスを想定し、新米乗組員たちに口うるさく注意し、指示し、誉め、叱咤しました。

 秋になりました。ソロモン海では日米の死闘が続いています。しかし、日本本土はまだ平安でした。この日、橋本以行大尉の呂三一潜は横須賀軍港の田浦波止場に停泊していました。そこへ陸軍の貨物自動車が二台やってきました。一台は荷台に物資を満載しています。もう一台の幌の中からは、陸軍将校二十名ほどとともに海軍の堀之内美義中佐と井浦祥二郎中佐が降りてきました。ふたりは潜水艦畑の先輩です。

「橋本大尉、魚雷発射管から米袋を射出してみてくれ」

「えっ、米を、ですか」

 驚いた橋本大尉は改めて貨物自動車の荷台に目をやりました。そこには米袋が満載されていました。

 実験は翌日から始まりました。橋本大尉の呂三一潜は、三日がかりで様々な射出方法を試しました。耐圧ゴムの袋に米を入れ、それを乾パン用の箱に詰め、魚雷発射管から射出してみました。すると、首尾よく発射できることもありますが、三度に一度は発射管内の突起に引っかかってしまうらしく、箱もゴム袋も裂け、貴重な米が海中にぶちまけられてしまいます。それならと、ベニア板で魚雷型の容器をつくり、その中に米入りのゴム袋を詰めて射出してみました。ベニア板の魚雷は射出時の水圧で粉々になってしまい、米が海中を雪のように舞いました。発射圧力を様々に調整してみましたが、どうしても上手くいきません。そこで魚雷発射管からの射出を諦め、別の方法を考えました。潜水艦の上甲板に耐圧ゴムの米袋を積み上げて固縛しておきます。そのまま潜航して目的地に達したら、艦内から固縛を解きます。すると米袋が自然と浮かび上がります。これが最も実際的でした。

 実験を終えた橋本以行大尉は、横須賀鎮守府長官古賀峯一大将に結果を報告しました。古賀大将は遠い目をして言いました。

「そんなにせねばいけなくなっているのか。ガ島の陸上部隊は気の毒なものだなあ」


 ガダルカナル島への潜水艦輸送は昭和十七年十一月二十四日から始まり、翌年二月のガダルカナル島撤退まで続きました。この間、三十八回の潜水艦輸送が試みられ、二十八回が成功しました。ガダルカナル島タサファロング岬沖の揚陸点に到達した潜水艦は、敵の哨戒艇がいないことを確認し、陸上の味方部隊と発光信号を交換してから浮上します。陸上から大発がやってきて物資を受け取ります。こうした輸送を繰り返し、累計で食糧四百七十トン、弾薬六十トンの輸送に成功しました。この食糧で二万五千人の将兵が六十七日間を食いつないだとすれば、一人一日あたり二百八十グラムほどでしかありません。

 それでも潜水艦隊にしてみれば精一杯です。上甲板から大砲を外し、搭載する魚雷はたったの二本に抑えました。この二本の魚雷は、潜水艦乗りの最後の誇りだったでしょう。この魚雷がなければ完全な潜水輸送艦になってしまいます。そして、ただでさえ狭い艦内に物資を積めるだけ積み込み、上甲板にも物資や大発を固縛します。そこまでやったのです。潜水艦にしてみれば精一杯でした。

 潜水艦のモグラ輸送はガ島の陸上部隊を餓死から救いました。その効果が明らかになると、十二月中旬からニューギニア要地へのモグラ輸送が開始されました。昭和十八年二月末までに二十五回の輸送が実施され、二十三回が成功しました。

 こうした輸送任務に動員された潜水艦は二十隻です。潜水艦長たちは、この辛い任務を一部の潜水艦だけに押しつけることなく、皆で分担しました。不幸にして輸送任務中に撃沈されてしまったのは、伊一潜、伊三潜、伊四潜の三隻です。


 昭和十八年二月七日にガダルカナル島撤退作戦が完了した後も、潜水艦による輸送作戦は続きました。ソロモン、ニューギニア、アリューシャンの各方面で多くの潜水艦が輸送任務に従事しました。その主力は大型の伊号潜水艦でしたが、中型の呂号潜水艦までが輸送任務に狩り出されました。その輸送ぶりは涙ぐましいほどです。

 たとえば昭和十八年一月に竣工したばかりの伊三八潜は、巡潜乙型の大型艦でした。艦長の安久(あんきゅう)榮太郎中佐は、三ヶ月間の内地訓練を終え、五月八日に呉を出港、十八日にラバウル港に入りました。そして、同月二十三日から年末までに二十三回もの輸送任務を成功させました。この間、敵機の航空爆撃二度、敵魚雷艇の爆雷攻撃一度を経験しつつ、そのたびに危機を切り抜けました。その輸送先はニューギニアのラエ及びシオ、ニューブリテン島のスルミ、ボーゲンビル島のブイン、中部ソロモンのコロンバンガラです。任務が任務だけに一本の魚雷も撃たぬままでした。安久榮太郎艦長の功績は連合艦隊司令長官名で全軍に布告され、安久中佐は拝謁の栄に浴しました。

 悲運に見舞われる潜水艦も出ました。昭和十七年八月に竣工した新鋭艦の伊一七六潜は、初代艦長に田辺弥八少佐を迎え、九月、トラック島へ進出しました。田辺少佐は去る六月のミッドウェイ海戦に参加し、敵空母「ヨークタウン」を撃沈した名艦長です。田辺艦長の指揮する伊一七六潜は、早くも十月、ソロモン諸島南端で重巡「チェスター」を雷撃して大破させるという戦果をあげました。しかし、その後はガダルカナル島およびニューギニア島への輸送任務を命じられました。

 昭和十八年三月十七日、伊一七六潜は物資を満載してラバウルを出港し、ニューギニアのラエを目指しました。これが田辺弥八艦長にとっては伊一七六潜での最後の任務でした。すでに新艦長として板倉光馬大尉が任命されており、板倉大尉がラバウルに到着すれば、この伊一七六潜を引き渡すことになっていました。

 三月十九日の薄暮のなか伊一七六潜は潜航したままラエ沖の揚陸地点に達しました。田辺艦長は潜望鏡で周囲を確認し、陸上基地と発光信号を交わした後に浮上を命じました。浮上とともに艦長、監視員、信号員が脱兎のごとく艦橋へ昇ります。陸上から二隻の大発が近づいてきて、伊一七六潜に横付けします。積み替え作業は迅速に行われます。甲板上のドラム缶入り物資の固縛が解かれ、艦内の物資が手渡しリレーで大発に載せられていきます。作業が半ばに達したとき、陸上基地の信号所から赤い信号弾が数条あがりました。敵機来襲の合図です。

「潜航」

 田辺艦長の号令に応じ、司令塔ハッチと甲板ハッチとに乗組員がドンドン飛び込みます。アメリカ軍の中型爆撃機三機がニューギニア島の脊梁山脈の影に身を潜ませて近づいてきていたのです。機銃掃射と爆弾が伊一七六潜を襲いました。機銃弾は艦橋を貫き、司令塔内に飛び込みました。潜水艦には装甲がありません。数発の銃弾が司令塔内で踊り、縦舵手を即死させました。信号兵は艦橋から艦内に降りる際に銃撃されて死亡しました。爆弾は至近弾でした。伊一七六潜は大きく揺れ、左に傾きました。

「左、メイン、タンク、ブロー」

 命じたのは水雷長の荒木浅吉大尉です。いったん左に傾いた艦体はやがて水平に戻りました。

「浸水」

「電信室浸水」

 報告の声があがります。田辺艦長は流れ込む海水とともにラッタルを降りてきて、無言のまま司令塔の床に倒れ伏しました。

「やられた」

 やっと小さな声を出しました。ハッチから海水が流れ込んでいます。最後に艦内に入った信号員がハッチを閉め、海水の流入をやっと止めました。伊一七六潜は潜航しましたが、機銃弾の穴から海水が容赦なく流入してきます。応急員はその穴に木片や毛布を詰めて充填します。田辺艦長は胸部に銃弾を受け、瀕死の重傷です。

「あとを頼む」

 田辺艦長は虫の息で水雷長の荒木大尉に指揮権を移譲しました。荒木大尉は、どこか適当な場所で海中沈座して敵をやり過ごし、艦内を修理すると決めました。とっさの決断です。荒木大尉は潜望鏡に目を凝らし、すでに暗くなりはじめた視界内に河口を見つけました。

(あの河口の深みに沈座しよう)

 幸い敵機は再攻撃してきません。すでに沈んだと思ったようです。

「前進原速」

「停止」

「後進一杯」

 応急修理で浸水は止まりました。深夜、干潮になり、艦体上部が海面に露出しました。荒木大尉はメインタンクブローを命じて艦体をさらに浮上させ、作業員に損傷箇所の発見と応急処置を命じました。

(致命傷を負ったわけではない。ラバウルへ帰ろう)

 そう思った荒木大尉は報告のため艦長室に顔を出しました。田辺艦長の意識は確かでしたが、顔面は蒼白です。

「あのまま死ぬんであったら、弾丸に当たって死ぬのは楽なものだね」

 田辺艦長は無理に笑います。

「艦長、応急修理が終わったら満潮を待って浮上し、試験潜航して夜明け前に脱出します」

「ああ、良い考えだが、待て。明日、一日はこのまま沈座して艦内の状況を確かめた方がいいよ」

「はっ、わかりました」

 帰心にあせっていた荒木大尉は、改めて田辺艦長の周到な指揮に感服しました。そのうち陸上基地から大発が四隻やってきて残余の物資を受け取っていきました。

 やがて満潮になりました。すでに応急修理は終わっています。荒木大尉は伊一七六潜を離床させると、海上航行で沖合に出ました。試験潜航を開始します。浸水はありません。徐々に深度を増やし、四十メートルまで潜航しました。

「異常なし」

 このままラバウルに帰ってしまいたいところでしたが、荒木大尉は田辺艦長の指示どおり、夜明け前に艦体を海底に沈座させました。三月二十日の昼間を伊一七六潜は海底四十メートルで過ごしました。輸送任務、被弾、応急修理と働きどおしで疲れ切っていた乗組員は眠ろうとしましたが、艦内気温が異常に高く、眠れません。汗が耳の穴に入ってきます。ウトウトする程度がやっとです。


 同じ頃、海軍潜水学校を卒業したばかりの板倉光馬大尉は伊一七六潜艦長を命ぜられ、ラバウルに向かっていました。三月十九日、羽田空港発の輸送機に乗ってトラック島に到着しました。ところがラバウル行きの航空便がありません。やむなく板倉大尉はトラック島で一泊しました。翌二十日の朝、板倉大尉は潜水艦隊司令部に呼び出され、伊一七六潜の遭難を知らされました。

「ラバウルに飛行機を飛ばしてください」

 板倉大尉は訴えましたが、海軍航空隊には飛行機がありませんでした。その日はトラック島に足止めされました。板倉大尉がラバウルに着いたのは二十一日の日没前です。板倉大尉は第七潜水戦隊旗艦「迅鯨」に向い、司令官原田覚少将に申告しました。

「ちょうどよかった。伊一七六潜は明日には入港できるようだ。ただ田辺艦長が重態だというので心配しているところだ」


 伊一七六潜の水雷長荒木浅吉大尉は三月二十日の日没後、安全を確認した上で伊一七六潜を浮上させました。

「総員配置につけ」

「第二戦速」

 伊一七六潜は海上航行でラバウルを目指します。十八ノットで一晩航行して距離を稼ぎました。早暁、荒木大尉は、まだ海上が薄暗いうちに潜航を命じました。潜航中、調整タンクの破孔から海水が浸入しました。このため艦体が重くなりすぎるという問題が発生しましたが、何とかしのいで二十一日の日没を迎えました。待ちに待った浮上です。伊一七六潜は海上航行に移り、ラバウルを目指しました。エンジンは快調です。海は凪ぎ、空は快晴で星が美しい。こんな天候では夜間であっても敵に発見されやすいものです。荒木大尉は見張員に厳重警戒を命じました。

 ラバウルまであと四百キロの地点に到達したときです。

「敵機発見」

 見張員の指さす方向に敵の飛行艇がありました。飛行艇は伊一七六潜の上空に近づくと機銃を発射してきました。

「対空戦闘、撃ち方、はじめ」

 潜航して逃げるのも一手ですが、荒木大尉は戦闘を選びました。十三ミリ二連装機銃が火を噴くと敵の飛行艇は姿を眩ました。が、しばらくすると艦尾方向から接近してきました。

「面舵一杯、対空戦闘、撃て」

 敵機は爆弾を投下しました。海上に水柱があがります。正確な投弾でした。舵を切っていなかったら命中していたところです。敵の飛行艇は再び姿を消しましたが、油断はできません。警戒していると敵飛行艇が再び姿を現しました。ですが、近づいてはきません。こちらの機銃が火を噴いているからでしょう。やがて敵機は飛び去っていきました。伊一七六潜は充分に蓄電池を充電してから潜行しました。

 伊一七六潜は、三月二十二日午前、ラバウルに入港しました。板倉光馬大尉は早朝からずっと待っていました。艦体に刻みつけられた弾痕が痛々しい。田辺弥八艦長は担架に身を横たえて上陸しました。寝たきりの田辺艦長に板倉大尉は敬礼します。

「板倉大尉です。無事の入港おめでとうございます」

 これが艦長の引き継ぎ式となりました。板倉大尉はさっそく乗艦し、損傷の様子を見て回り、乗員をねぎらいました。士官室で荒木浅吉大尉から詳しい戦況を聞きました。傷ついた伊一七六潜を無事に内地に回航させること、これが新米艦長板倉光馬大尉の初仕事となりました。


挿絵(By みてみん)



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