ハワイ沖の苦戦
大東亜戦争の開戦に際し、連合艦隊のなかで最も早く配置についたのは潜水艦部隊です。昭和十六年十一月中旬、総勢五十七隻の潜水艦が作戦区域を目指して各々の母港から出撃していきました。哨戒任務についたのは五十二隻の潜水艦です。ハワイ沖に二十隻、マレー沖に六隻、南シナ海に八隻、マニラ沖に四隻、ウェーク島方面に九隻が配置されました。いずれも航洋性に優れた伊号潜水艦です。
哨戒は単調な任務です。指定された哨戒区につくと昼間は深度三十五メートルに潜航しています。この深度ならば上空を敵機が飛んでも気づかれることはないからです。そして二十分おきに浮上して観測と送受信を実施します。これらを五分で終えて、再び潜航します。浮いたり沈んだり休む暇がありません。むしろ夜間の方が楽でした。ずっと浮上していられるからです。夜間に敵機は飛んでこないのです。隠密性が生命線の潜水艦にとって夜闇はつよい味方です。
伊一〇潜と伊二六潜には偵察任務が与えられました。両艦とも竣工して間もない新鋭の巡洋潜水艦です。略して巡潜とよばれます。この二艦には大きな特徴がありました。水上機を格納しているのです。これは世界で日本海軍だけの工夫です。水上偵察機が分解されて格納筒に収容されています。偵察飛行を実施する際には、まず浮上して格納筒から水偵機を引き出し、組み立て、射出機から発射します。浮上から偵察機発射まで三十分ほどの時間が必要でした。隠密性を犠牲にするという危険はありましたが、潜水艦の低い艦橋や潜望鏡では充分な偵察が難しいので、その欠点を補う意味がありました。
伊一○潜は北方アリューシャン方面に進出しました。しかし、北方海域の風浪が激しく、伊一○潜は偵察飛行を実施できませんでした。南洋フィジー方面に向かった伊二六潜は飛行偵察を敢行しました。伊二六潜の艦長は栢原保親中佐です。伊二六潜の水上機は、十一月三十日にフィジー島スバ港を飛行偵察して敵艦隊の不在を確認し、十二月四日には米領サモア島パゴパゴ港を飛行偵察して重巡一隻を発見しました。
このほか伊一九潜、伊二一潜、伊二三潜の三隻は南雲機動部隊に随伴し、その航路を先導しました。また、特殊潜航艇を各一隻ずつ搭載した五隻の潜水艦もハワイ真珠湾を目指して航行中です。
昭和十六年十二月八日、南雲機動部隊の艦上機が大編隊を組んで進撃し、真珠湾のアメリカ太平洋艦隊に空襲を加え、その主力に壊滅的な損害を与えました。アメリカ太平洋艦隊は大混乱に陥りました。米海軍の巡洋艦や駆逐艦が真珠湾を頻繁に出入りする様子を日本海軍の潜水艦は監視していました。
アメリカ軍の敵艦船を雷撃して撃沈すべく日本海軍の二十隻の潜水艦がすでにハワイ沖で哨戒線を張っています。ところが敵艦をなかなか発見捕捉できませんでした。そればかりでなく、逆にアメリカ海軍の駆逐艦に発見され、執拗な爆雷攻撃を受け、なかには沈没寸前に追い込まれた潜水艦もありました。
伊一六九潜がそうです。艦長の渡辺勝次少佐は潜水戦隊司令部からの通信によって真珠湾空襲の成功を知り、獲物を狙うべく潜航して真珠湾口へ接近しました。うまい具合に敵駆逐艦を潜望鏡の視界に捉えました。
「魚雷戦用意」
艦内は緊迫しました。渡辺艦長は潜望鏡に顔をくっつけて敵艦の動きを読み、頭の中で機敏に計算します。敵艦の針路と速度、自艦の針路と速度、相互の距離、魚雷の到達時間などを瞬時に計算し、適切な魚雷発射角を割り出さねばなりません。ボヤボヤしていれば敵艦をとり逃がしてしまいます。また、敵艦に発見されたら魚雷発射どころではなくなります。急速潜航して爆雷防御態勢をとらねばなりません。
「方位角右六十度、敵速十二、距離一千」
渡辺艦長は三十秒もせぬうちに暗算し、指示を下しました。名人芸です。
「ヨーイ、テッ」
魚雷が発射されるとすべての乗員が静まりかえって聞き耳を立てます。二十秒ほど過ぎた時です。
「スクリュー音、右正横、感四、近づく」
聴音員が大声を上げました。
「急速潜航、深度七十」
期待した魚雷の命中音は聞こえません。深度七十メートルに達した時、頭上に爆雷の音が鳴りました。潜水艦そのものが激しく揺さぶられ、乗員は吹っ飛んで壁にぶち当たります。爆雷は次々に落ちてきました。爆雷が破裂するたびに潜水艦は水圧の衝撃によって蹴飛ばされ、艦内では乗組員が七転八倒します。敵駆逐艦のスクリュー音はいったん遠ざかり、また近づいてきました。次の瞬間、爆音と同時に激しい衝撃に襲われました。艦内が真っ暗になり、電源が止まり、ポンプが使えなくなりました。艦体が艦首の方からゆっくり沈み始めます。
「メイン、タンク、ブロー」
「ブロー一杯」
メインタンク内の海水が圧搾空気によって排出され、浮力が増します。それでもなお沈降はつづきました。安全深度の七十五メートルを過ぎていきます。
「深度、百」
深度計の計測員が悲痛な声をあげましたが、艦体は無情に沈下をつづけ、深度百三十メートルでようやく止まりました。艦体が軋み、激しく浸水しています。懸命の浸水防止作業が始まっています。しばらくすると今度は艦体が浮きはじめました。水中で艦体を制御するのはじつに難しい作業です。沈むと今度は浮き上がる。まるで振り子のように慣性が働くのです。伊一六九潜はドンドン浮上していきました。
「補助タンク注水」
「注水します。一トン、三トン、・・・」
それでも加速しながら浮上していきます。
「やむを得んベント開け」
「ベント開きます」
メインタンクの空気排出弁が開き、大量の空気が湧き上がります。敵に位置を知らせてしまうことになりますが、それでも艦体を海上に暴露するよりは良いのです。幸い浮上は止まり、敵の爆雷攻撃もやみました。大量の空気泡を海面に見た敵駆逐艦は「沈没した」と速断したようです。
「被害状況、知らせ」
暗く蒸し暑い艦内では復旧作業がつづいています。電源が回復すると自動懸吊装置が機能を回復し、艦体の姿勢が安定しました。被害は軽く、まだ十分に戦えます。渡辺勝次艦長は日没を待ちました。
日没から一時間後、伊一六九潜は浮上しました。ハッチが開くと外気が艦内に流れ込みます。空気がじつに美味い。直ちに十六ノットで水上航行を開始します。ディーゼルエンジンで推進しつつ、水中航行用の蓄電池を充電し、ポンプ排水用の気蓄器に補気せねばなりません。
十二月九日の夜明け前、伊一六九潜は潜航して哨戒点につきました。二十分おきに浮上しては潜望鏡で海上を監視します。ですが、敵艦を発見することはできませんでした。闘魂あふれる渡辺勝次艦長は、むしろ積極的に真珠湾に肉薄し、敵艦を捕捉しようと考えました。針路を真珠湾口へ向け、水中を五ノットで進みます。しばらく進むうち、突然、フワリと行足が止まり、ついに停止してしまいました。
「後進原速」
しかし、全く動きません。しかたがないので前進をかけてみました。やはり動かない。伊一六九潜は、艦尾の方から沈降を始めました。排水ポンプを稼働させましたが、それでも沈降は止まりません。敵要港の近くでメインタンクブローを実施すれば敵に発見されてしまいます。伊一六九潜は沈降して海底に着地しました。深度は九十メートルです。しばらくすると海上から複数のスクリュー音が聞こえてきました。敵の駆逐艦か魚雷艇でしょう。
(敵の防潜網に引っかかったのだ。間もなく爆雷がくる)
誰も口には出しませんが、事態を了解していました。このとき指導力を発揮したのは第十二潜水隊司令の中岡信喜大佐です。伊一六九潜は第十二潜水隊の旗艦です。だから中岡司令が坐乗していました。
ちなみに潜水隊は三隻で編成され、潜水隊司令は三隻を陣頭指揮するため旗艦に坐乗しています。しかし、司令が潜水艦内から他の二艦を指揮することは不可能です。また、司令と艦長の意見が合わなかったりすると艦内の指揮に支障を生じました。このため司令無用論が湧き起こることになりますが、このときの中岡司令は見事な指揮を見せました。
中岡司令は士官室に准士官以上を集めました。皆が中岡司令の顔を見ます。その顔は落ち着き払っていました。「全身これ胆」との噂は伊達ではありませんでした。顔で皆を落ち着つかせておいて、中岡司令はおだやかに命じました。
「先任将校、浸水量を調べてくれ」
「はっ」
先任将校は水雷長の板倉光馬大尉です。板倉大尉は士官室を出て、乗組員に声をかけながら艦内の浸水箇所を調べていきました。伊一六九潜は全長百五メートルの大型艦です。板倉大尉はキビキビ動き、現場作業員を励ましながら被害状況を確認しました。各種配管の継ぎ目やバルブやコックからボトボトと海水が滴っています。懸命に木片や布きれを詰め込んで防水に努めてはいますが、海水は容赦なく浸入してきます。その状況を確認しつつ板倉大尉は頭を回転させました。
(中岡司令は、沈座可能時間を知りたいのだ)
艦底の水位は見た目にもわかる早さで上昇していました。艦内を隈無く調べた板倉大尉は、大急ぎで士官室に戻りました。
「報告します。浸水量は一時間あたり一トンであります」
「浸水量が何トンまでなら浮上できるか」
「五十トンまでは大丈夫です。それ以上になると自信はありません」
中岡司令はうなずきました。あと五十時間の余裕があります。頭上からは絶え間なく敵艦のスクリュー音が聞こえてきますが、爆雷は落ちてきません。おそらく敵はこちらを発見していないのでしょう。
「今後の対策を協議したい」
中岡司令は、まず自身の状況判断と対策案を述べました。その内容は、暗号書など機密書類の処分、自爆準備、艦橋配置員の自決用拳銃準備、防潜網切断隊の編成と用具準備です。中岡司令は語を継ぎました。
「本艦は四十八時間後に浮上決戦に転ずる。最悪の場合、真珠湾に突入して砲魚雷を撃ちまくり、最後は自爆して水道を閉鎖するつもりである。以上が私の考えついたことのすべてである。ほかに、補足することがあったら述べてもらいたい」
意見は何もありませんでした。
「なお、渡辺艦長から下士官、兵によく主旨を徹底させ、最後まで士気を阻喪させないようにしてもらいたい」
そこまで言うと中岡司令は黙りました。その態度には繊細な配慮が行き届いていました。あとは艦長に任せるというのです。間髪を入れず渡辺艦長が発言しました。
「艦長として陛下の御艦をこのような状態に陥れたことは誠に申し訳ない。乗員一同に対してはお詫びの言葉もない。しかし、まだ万事休したわけではない。かなわぬまでも敵に一矢を報いてから有終の美をまっとうしたい」
直ちに決戦準備が始まりました。高角砲の砲弾を解体して炸薬を抜き出し、それを火薬庫に設置しました。あとはガソリンをかけて点火すれば自爆できます。機密書類はビリビリに細かく破いて硫酸に浸しました。水雷員は決戦に備えて魚雷を調整します。その手つきは愛児を扱うかのようです。
四十八時間は長い。任務のない者はベッドで休むよう命ぜられました。艦内の酸素を節約するためです。それでも時間とともに艦内の酸素が不足し、二酸化炭素が増え、息苦しくなりました。深度九十メートルでは排水ポンプも空気圧縮ポンプも使えません。このため浸水とともに艦内気圧が徐々に上がり、乗員は耳鳴りに悩まされました。悪臭もひどい。深深度では「厠ブロー」ができません。排泄物の艦外排出ができないのです。やむなく代用の石油缶に用を足しました。臭気紛々です。艦内温度は四十度に達し、パンツ一枚になっても汗がしたたり落ちます。頭痛と目眩がし、思考力がガタンと落ち、感情の制御が効かなくなります。
「俺に気安くさわるんじゃねえ」
普段は家族のように仲の良い乗員同士がツンケンしてくきます。そして、ひどく眠くなります。ウトウトしてふと目が覚める。「ああ、二、三分寝たかな」と思って時計をみると一時間も経っています。空気分析をした軍医長が言います。
「富士山の頂上と同じだ。まだ大丈夫だ」
高温、高湿度、高気圧、酸素不足など艦内環境が限界に近づくと、艦内には自暴自棄に近い感情が湧いてきます。
(いっそのこと浮上決戦して早く死んでしまいたい)
浮上の直前、決戦前の食事が用意され、ビールが配られました。装甲のない潜水艦にとって浮上決戦は沈没を意味しました。ですから、これは最後の晩餐です。しかし、全乗員が青息吐息になっており、味も香りもわかりません。
「総員、配置につけ」
渡辺艦長が号令しました。いよいよ浮上の時が来たのです。
「これより浮上決戦に転ずる。砲戦、魚雷戦用意」
「砲戦、用意よろし」
「魚雷戦、用意よろし」
復唱を聞いた渡辺艦長は万感の思いを込めて号令しました。
「浮き上がれ」
「メイン、タンク、ブロー」
三十秒、一分と時間が経過するうち艦内は憂色に満ちました。艦体はピクリとも動かないのです。高圧空気がドンドン減っていきます。深度計の針はピクリともしません。このとき、水雷長の板倉大尉が中岡司令と渡辺艦長に意見具申しました。
「空気が足りません。酸素魚雷の気室から補充します。危険ですが、ほかに方法がありません」
「先任将校の思うとおりやれ」
「注意してやれ」
板倉水雷長は掌水雷長とともに高圧酸素の移動という危険な作業を遂行しました。おかげで気蓄器の圧力計が上昇しはじめました。
「艦長、ブロー用意よし」
「ブローはじめ」
しかし、それでも伊一六九潜はビクともしません。再び艦内は絶望感に満ちました。そのとき板倉水雷長が思いついたように大声を上げました。
「艦長、後進をかけてください」
「両舷後進、強速」
気蓄器の針がゼロの目盛りを指す直前、艦体がグラリと揺れました。深度計の目盛りがグルグル回り始め、伊一六九潜は勢いを増しながら浮上していきました。そのまま伊一六九潜は闇夜の海面を突き破って浮上しました。艦橋ハッチが開かれると気圧が元に戻り、新鮮な空気が艦内に流れ込みます。頭痛と息苦しさから一気に解放された乗組員は最後の決戦に向けて戦意を新たにします。真珠湾に突入して大砲と魚雷を撃ちまくり、最後は自爆するのです。
浮上した場所は真珠湾口でした。見張り員は脱兎のごとくに艦橋に飛び出し、見張り位置についています。これに中岡指令と渡辺艦長が続きました。周囲には敵の哨戒艇が二隻ました。それ以上の強敵はいません。この状況を見た中岡司令は渡辺艦長に声をかけました。
「帰投しよう」
「両舷前進原速。急速補気、充電はじめ」
獅子翻擲とは、こういうことを言うのでしょう。伊一六九潜は、決死の覚悟を忘れたかのように真珠湾口から離脱しはじめました。敵の哨戒艇は伊一六九潜に気づきましたが、味方と勘違いしたようです。真珠湾の目と鼻の先を浮上航行する敵潜水艦などいるはずがありません。それでも米哨戒艇の艇長は確認のため電報綴りを読み返しました。
「おかしい。いまごろ出港する潜水艦はいないはずだ」
アメリカ軍の艇長は部下に戦闘準備を命ずるとともに、信号兵に味方識別信号を発光させました。
伊一六九潜の艦橋では中岡司令と渡辺艦長が対処に困惑していました。敵哨戒艇からの発光信号に何と答えるべきか。モールス信号であることだけは解りましたが、米海軍の暗号規則を知らないので意味不明です。すると板倉水雷長が信号燈に飛びつき、モールス信号を打ち始めました。トン・ツー・ツー、トン・トン・トン・トン、トン・ツー、ツー、トン・トン・ツー・ツー・トン・トン。とっさの機転です。
「WHAT?」
と信号を返したのです。米哨戒艇の信号兵は再び味方識別信号を送ってきました。板倉大尉が再び「WHAT?」と返す。日米の艦艇間でトンチンカンな発光信号のやりとりがしばらく続きます。この間、伊一六九潜はドンドン沖へと進み、充電し続けました。敵の哨戒艇が砲弾を発射した時には伊一六九潜は潜航を終えていました。
「爆雷防御」
潜航した伊一六九潜はグングン沈降しました。バランスが悪く、後部釣合タンクの海水を全て前部に移し、後部メインタンクをブローしてやっと釣合を保ちました。そこへ爆雷が降ってきました。執拗な爆雷攻撃が続きます。潜舵手と横舵手が汗だくになって水平を保とうと苦心しています。が、ついにバランスが崩れ、艦尾が下がりました。艦内は急坂のようになりました。
「手空き、総員前部へ」
人員を艦首へ移動させましたが、それでも傾斜は回復しません。胸突き八丁のような傾斜になりました。器物が音を立てて艦尾へと転落していきます。積み上げられていた糧食缶詰が崩れてゴロゴロ転がります。さらに悪いことに、着底中の代用厠だった石油缶までが転がって四十八時間分の糞尿をぶちまけつつ艦尾へと落下していきました。もはや限界だと感じた板倉水雷長は怒鳴りました。
「艦長、浮上してください。潜航不能。潜航不能」
「メイン、タンク、ブロー」
「砲戦用意」
浮上すれば敵哨戒艇との砲戦になります。おそらく勝ち目はありません。乗員は再び死を覚悟しました。しかし、浮上した後も砲戦の命令はなく、敵弾の音も聞こえてきません。
「両舷第三戦速。航走充電、補気はじめ」
伊一六九潜は運良く猛烈なスコールの中に浮上したのです。一メートル先も見えません。おかげで死地を脱することができました。
開戦劈頭、日本海軍の潜水艦部隊は敵の主力艦を何隻か発見したものの、結局は長蛇を逸しました。ハワイ沖で敵空母を発見したのは十二月十日です。真珠湾の沖合を哨戒していた伊六潜が、空母一隻と重巡二隻からなる米艦隊を発見したのです。直ちに敵発見電が発信されました。潜水艦隊司令部は、真珠湾の沖合に展開中の潜水艦に追跡と要撃を命じました。九隻の潜水艦が敵空母を追いました。ですが、敵空母を発見できぬまま米本土西海岸まで達してしまいました。やむなく九隻の潜水艦は米本土の近海で通商破壊を実施し、大型商船六隻を撃沈してハワイ方面へ引き上げました。
一方、マレー半島沖では伊六五潜が英戦艦二隻を発見しました。マレー方面を哨戒していた六隻の潜水艦が追尾しましたが、追いつけません。とはいえ潜水艦部隊の敵艦発見電報は役に立ちました。サイゴンの海軍基地航空隊の雷撃機が英戦艦プリンス・オブ・ウェールズと英重巡レパルスを撃沈したのです。
大東亜戦争の緒戦において潜水艦部隊は、哨戒、偵察、通商破壊などに充分な能力を発揮したものの、敵主力艦への魚雷攻撃は空振りに終わりました。また真珠湾への小型潜水艇による突撃も失敗に終わりました。
潜水艦部隊が国民に誇りうる戦果をあげたのは、年の明けた一月です。一月七日、ハワイ沖を航行する敵空母を発見した伊一七一潜は、直ちに潜水艦隊司令部にあて緊急電を発信しました。
「敵レキシントン型空母発見、針路南東、速力十二ノット、われ接触中」
これを受信した第二潜水戦隊司令官山崎重暉少将は、指揮下にある七隻の潜水艦に命令を発しました。
「各艦は哨区を徹し、捜索列を作れ、針路西、速力十四ノット」
このレキシントン型空母は、三日後、伊一八潜によって再発見されます。
「敵レキシントン型空母発見、針路北西、速力十四ノット」
捜索列の一角にあった伊六潜は、十二日の日没直後、浮上航行中に敵空母を発見しました。伊六潜艦長の稲葉通宗少佐は直ちに潜航を命じます。以後、一時間をかけて接敵行動を続け、理想的な雷撃位置を模索しました。稲葉少佐は二千メートル以内に近づこうと様々に工夫しましたが、これが難しく、そうこうするうち日没後の残照が消えて海上が暗くなってきました。
(遠すぎる)
稲葉少佐は思いましたが、やむなく距離四千三百メートルで魚雷を発射しました。命中は無理かと思いましたが、二発の命中音が聞こえました。その後、伊六潜は敵駆逐艦の執拗な爆雷攻撃を受けたため、戦果を確認できませんでした。
伊六潜からの報告を受けた海軍首脳部は敵空母を撃沈したものと判断しました。戦後、明らかになったところでは空母「サラトガ」を大破させていました。
日本海軍の潜水艦長たちは誰もが雷撃の名人です。しかし、その名人にとっても敵の主力艦を撃沈するのは至難です。その理由は、まず潜水艦の水中速度の遅さです。三十ノットで航行する空母や二十五ノットで進む戦艦を、水中速度五ノットの潜水艦の能動的運動によって理想的な射線上に捕捉することは不可能に近いといえます。つまり、雷撃の成否は相手次第なのです。例えるならアリ地獄のようなものです。魚雷の有効射程距離は五キロですから、潜水艦を中心に半径五キロのアリ地獄の巣が広がっていると思えばわかりやすいでしょう。半径五キロというとずいぶん広いように感じられるかも知れませんが、広大な海洋では点でしかありません。敵の艦船が巣の中にまんまと進入してくれば仕留めることができます。しかし、わずかでも外れてしまえば見逃すほかはありません。潜望鏡で十キロ先に敵艦影を見つけても、それが巣の中に入って来ない限り、攻撃できまえん。水上航行に移れば、あるいは補足可能かも知れませんが、存在を露呈した潜水艦ほど脆弱なものはなく、敵駆逐艦の爆雷攻撃を受ければ逃げの一手になります。
緒戦を終えて基地に帰投した潜水艦長たちは潜水戦隊司令に経過と戦果を報告し、同時に潜水艦戦術に関する問題点を指摘しました。
「実戦は演習と違います。敵艦の発見は想像以上に困難です」
「聴音器の性能が不良です。感度がないので浮上してみたら目の前に敵駆逐艦がいて肝を冷やしました」
日本の潜水艦には九三式聴音機が装備されていました。その性能は必ずしも悪くありませんでしたが、舷側に設置されていたため、側方の聴音が良好だった反面、どうしても艦首および艦尾方向が死角になりました。この欠点を補うにはゆっくりと艦体を回頭させれば良いのですが、緊急時には間に合いません。
「潜望鏡の視野が狭窄です。改善を要望します」
「真珠湾内へ突撃した五隻の特殊潜航艇は一隻も帰還せず、その戦果は不明です。敵要港への挺身攻撃には無理があります」
「米駆逐艦の爆雷攻撃は執拗です。複数の駆逐艦が入れ替わり立ち替わり攻撃を継続してきます。何十時間も追い回されます。これは戦前の予想にはなかったことです」
こうした艦長たちの意見をまとめ、潜水戦隊司官は潜水艦隊司令部に対して次のように意見具申しました。
「潜水艦は、防備されたる敵港湾や、警戒厳重なる敵艦隊に対して攻撃を指向するも戦果は疑わしい。潜水艦の本命は敵の商船にある」
こうした現場の声を潜水艦隊司令部は上級司令部に伝え、強く意見具申すべきでした。潜水艦による敵主力艦に対する漸減能力は期待したほど高くないことが明らかとなりました。これは深刻な事実です。この事実を上級司令部に伝達し、潜水艦の用兵を通商破壊主義へと変更すべきでした。しかし、潜水艦隊司令部は上級司令部の顔色をうかがうばかりで意見具申をしませんでした。
一方、海軍軍令部と連合艦隊司令部は潜水艦隊に対して寛大でした。その背景には緒戦の大戦果があります。潜水艦部隊の不振を補ってあまりある航空部隊の大活躍があったのです。それに潜水艦部隊は哨戒や偵察などの重要任務を果たしていましたから、その功績を認めたのです。
「潜水艦の力不足は航空戦力で補えばよい。また、潜水艦も経験を積めば実力を発揮するであろう」
日本海軍の艦隊決戦主義は堅持され、潜水艦戦術も変わることはありませんでした。