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開戦前夜

 昭和十四年十月、保科(ほしな)善四郎大佐は旗艦「長門(ながと)」の舷梯を昇りました。連合艦隊司令長官山本五十六(いそろく)中将に申告するためです。先導する従兵が長官公室の前で声を張り上げます。

「長官、保科大佐がいらっしゃいました」

 公室内は綺麗に掃除がゆきとどいており、チリひとつありません。保科大佐は直立不動の姿勢をとり、戦艦「陸奥(むつ)」艦長に着任したことを告げました。山本中将は保科大佐の申告を礼儀正しく聞き終えると、表情を和らげてソファに座り、保科大佐にも腰を下ろすよう促しました。

「陸奥を不沈艦の実験艦に指定する。まずは、君が必要だと思う幹部を指名し、陣容を整えてくれ。このことは人事局長に話してあるから、君の要望を容れてくれるはずだ。これは難しい特別任務だが、よろしく頼む」

「はい」

 戦艦「陸奥」は、旗艦「長門」と同型艦です。この時代の世界最強艦といってよいものです。全長二百二十五メートル、基準排水量四万トン、最高速力二十五ノット、主兵装は四十センチ砲八門です。その「陸奥」は改装中でした。

 新艦長となった保科大佐は改装工事の只中をくまなく巡視し、「陸奥」の構造を頭の中に叩き込み、これを不沈艦にするための構想を練りました。二ヶ月後、改装を完了した「陸奥」が連合艦隊に合同すると、保科大佐は連日連夜の猛訓練を乗組員に課しました。通常の艦隊訓練に加え、被弾時の防水と消火、防水隔壁への注排水、防潜網の上げ下ろし、負傷兵の運搬と救命、各砲門の射撃など、数々の訓練を繰り返し、練度向上に邁進しました。


 一年後、保科大佐は再び旗艦「長門」の舷梯を昇りました。旗艦「長門」のメインマストには大将旗が翻っています。保科大佐が長官公室に入ると、山本長官が上機嫌で迎えてくれました。

「保科大佐、特別任務をよく達成してくれた」

「はい」

「本当によくやった。成績は上々だよ」

「ありがとうございます」

「そこでだ」

 山本長官は少し間をおいてから話題をかえました。

「実は君を見込んで頼みたいことがある。今度は潜水戦隊司令官として潜水戦隊の戦法を徹底的に研究して欲しい。そして新機軸を打ち出してくれ」

 保科大佐は戸惑いました。

「はあ。しかし、長官、私には潜水艦の経験がありませんが」

「かまわんさ。いや、むしろ、それでいい。素人の君の目が必要だ。潜水艦屋は、どうもねえ、マンネリに陥っていてダメなんだ」

「どういうことでしょう」

「いや、誤解しないでくれ。潜水艦の連中はよくやっている。軍令部や連合艦隊の無理な要求に実に忠実に応えている。そもそもワシントン軍縮条約で主力艦が対米六割に抑え込まれて以来、海軍は潜水艦に過大な期待を寄せてきた。艦隊決戦に潜水艦を参加せるというのは日本海軍独自の戦術だ。それだけではない。哨戒、監視、索敵、機雷敷設、通商破壊、敵主力艦への奇襲、敵軍港への挺身攻撃、物資や人員の輸送など、潜水艦の任務は実に多い。それなのに、あの連中は文句のひとつも言わぬ」

 山本長官は満足げに話し、一拍おくと、やや表情を曇らせて話し続けました。

「しかしね、そこが心配なところでもあるんだ。潜水艦屋は相当に無理をしているのじゃないかな。いざ艦隊決戦となれば、我々は潜水艦に多くを期待せねばならない。敵艦隊の漸減だ。とはいえ潜水艦の潜航速度はせいぜい五ノットくらいだろう。この速度では三十ノットで進撃する敵空母を追跡できない。浮上しても二十ノットがやっとだ。それに敵軍港に小型潜航艇を侵入させるという戦法は、勇壮ではあっても実に危険だ。敵も馬鹿じゃない。十分に防備を固めているだろう。敵の軍港へ潜航艇が突入していって、はたして上手くいくかな。まあ、要するにだ、この際、出来ること、出来ないことをハッキリさせたいのだ。出来もしないことを潜水艦に期待して、いざ実戦で裏切られるようでは元も子もないからね。敵艦隊の追跡が無理ならば無理でよい。無理な戦法は捨てて、新たな戦策を考えればよい。例えば潜水艦の主目標を商船にしぼるのも一案だろう。実際、大西洋ではドイツ海軍の潜水艦が通商破壊を大いにやってイギリスを相当に苦しめているようじゃないか」

「はい」

「どうも潜水艦の連中は口が重くてね。こっちから水を向けても、潜水艦隊司令部の方から新しい意見が出てこないのさ。この俺などは意見具申を何度もやって、それで海軍航空隊を育ててきた方だからね。砲術屋からも水雷屋からも文句を言われたよ。それでも押し通してきた。そんな俺から見ると、潜水艦の連中は口数が少ない。口八丁というところがない。もっと意見をぶつけてきて良さそうなものだ。航空屋も砲術屋も水雷屋も実に口うるさいだろう」

 山本長官は軽く笑いました。

「航空屋が航空主兵論を唱えれば、砲術屋が大艦巨砲論で反駁する。水雷屋も黙ってはいない」

 山本長官は笑いを消して思案顔になりました。

「そういうところが潜水艦屋にはないんだなあ」

「そういうものでしょうか」

 保科大佐は、知り合いの潜水艦乗りを幾人か思い浮かべてみました。確かに温和しく真面目なタイプがいます。しかし、皆が皆そうだろうかとも思います。

「やはり仕事が人をつくるのかもしれないね。潜水艦の任務というのは、そうとうに我慢づよくなければできるものじゃない。あの狭苦しい艦内に何日も閉じ込められるのだからなあ。大空を飛び回っている飛行機野郎にはとても耐え切れまい。それでも潜水艦の連中は文句のひとつも言わず、難しい任務に邁進してくれている。だから、みんな無口な我慢屋になってしまうのかなあ。これは美点であるが、すこし心配でもある。忍耐するばかりではいかん。敵に強くなるためには、味方にも強くなければならない。潜水艦屋は、どうも我慢づよいために損をしているようだ。だから、その点をこちらが補ってやろうというわけさ。保科君、君に頼みたいことはだな、君なりの視点で潜水艦戦術を根本から見直して欲しいということだ。なにしろ潜水艦戦術は昭和の初期に末次信正大将が確立なさって以来、ながらく刷新がない。やかまし屋の君が、ひとつ口の重い潜水艦屋になり代わってドシドシ意見してくれ。潜水艦の新戦術をだ」

「承知しました。しかし、長官、まずは潜水学校で操艦の勉強をさせて下さい。ある程度の経験と自信がないと、ものを見る余裕ができませんから。ひと月ほどあれば操艦はできると思います」

「もちろんだ。人事局には私から話を通しておく」


 その数日後、保科善四郎大佐は再び山本五十六長官に呼び出されました。

(潜水艦のことだろう)

 と思って保科大佐は旗艦「長門」の舷梯を昇りました。

「保科君、すまないが先日の潜水艦の話は忘れてくれ。もう研究しているような暇はなさそうだ」

「どういうことでしょう」

「実はね、すでに時局は切迫している。海軍省は開戦準備のために兵備局を新設することになった。海軍の兵站を一手に担う部署だ。その兵備局長として君に白羽の矢が立った」

「しかし、長官、乗りかけた船です。私としては潜水艦隊に行きたいと思います」

「いや、まことにすまない。将棋の駒じゃあるまいし、君を翻弄してしまったようだ。だがね、もう時間がない。潜水艦隊には、従来の演練で身につけた戦術で戦ってもらうよ。付け焼き刃ではかえって弊害が出るからね。そして、君には兵備局長をぜひ引き受けて欲しい。腹が減っては戦さが出来ぬ。いざ戦争となれば兵站こそが生命線だ。君のような男に兵站をやって欲しいんだ」

 こうして保科善四郎大佐は、昭和十五年十一月十五日、海軍少将への昇進と同時に海軍省兵備局長に補せられました。


 日本海軍は、仮想敵国をアメリカとして戦術を練り続けてきました。それが漸減邀撃作戦です。日本近海へと進撃してくるアメリカ艦隊に対して潜水艦や駆逐艦や空母艦上機などが攻撃を反復し、敵艦隊を漸減させます。優勢な敵艦隊を損耗させたところで主力の戦艦戦隊が決戦を挑むのです。

 漸減の一翼を担うのが潜水艦です。対米漸減作戦のため、日本の潜水艦には優れた航洋性が与えられています。太平洋を横断してアメリカ西海岸の要港に到達し、作戦を実施して帰投できます。数ヶ月を要する作戦にも耐えられます。大量の食糧と弾薬を搭載するので全長は百メートル前後になっています。この大型潜水艦は伊号と呼ばれました。日本海軍の主力潜水艦です。この伊号潜水艦の働きいかんによって艦隊決戦の勝敗が左右されるのです。


 日米の軋轢が深刻さを増した昭和十六年一月、山本五十六連合艦隊司令長官は、海軍大臣及川古志郎大将にあて意見書を提出しました。そのなかで山本長官はひとつの懸念を表明しています。

「実際問題として日米英開戦の場合を考察するに、全艦隊を以ってする接敵、展開、砲魚雷戦、全軍突撃等の華々しき場面は戦争の全期を通じ、遂に実現の機会を見ざる場合をも生ずべく」

 艦隊決戦が生起しない可能性がある、という危惧です。日本海軍は艦隊決戦思想に基づいて建艦し、演練してきました。日清、日露の戦役に勝利をもたらした艦隊決戦思想は必ずしも誤っていなかったでしょう。しかし、対英米戦争を想定した場合、戦争はどのように進展するでしょうか。

(艦隊決戦は生起しないのではないか)

 それが山本長官の懸念です。かつて清国海軍の基地は旅順と威海衛でした。ロシア海軍の基地は旅順とウラジオストクでした。いずれも日本に近い。それらの基地を海陸から攻めたてることで敵艦隊に決戦を強いることが可能でした。しかし、英米が敵の場合にはどうでしょう。日本軍がシンガポールとフィリピンを攻める。これらの極東基地を死守するために英米海軍が艦隊決戦を挑んでくる。そうなればしめたものです。しかし、そうなるとは限らないのです。

 例えば、もし英米が艦隊決戦にこだわらず、後方に退避してしまったらどうなるか。日本軍はドンドン進攻します。とはいえ、まさかワシントンやロンドンにまでは手が届きません。英米が東南アジアの支配をいったん放棄してしまうなら、日本軍は東亜を支配できるでしょう。しかし、問題はその後です。日本軍が広大な大東亜地域に分散し、戦線を伸び切らせたときにこそ、英米の反攻が始まるのではないか。

 ナポレオンの進攻を焦土作戦で跳ね返したロシアのように、大東亜の海洋を舞台にして英米が焦土作戦を展開したら、日本海軍は敗れざるを得ません。焦土作戦といっても英米本国に被害が及ぶわけではないのです。英米支配下の植民地が犠牲になるだけです。つまり、英米政府は躊躇なく植民地での焦土作戦を実施できます。

(その場合にどうする)

 山本五十六長官は、艦隊決戦が生起しない場合の戦術を考え続けていました。その解答のひとつは海軍航空隊の活用です。海上の新戦力たる航空戦力を推進して敵艦隊を空から圧倒してしまえばよい。昭和十五年十月の海軍首脳会議において「零戦一千機と一式陸攻一千機が必要だ」と訴えたのは、まさにこれだったのです。海軍航空を育成し、錬成してきたのは他ならぬ山本長官でしたから、航空戦力の用兵には明るい。しかし、山本長官は潜水艦との縁が薄かったのです。

(潜水艦の戦策を艦隊決戦思想に縛りつけておいて良いものかどうか)

 このことを保科善四郎大佐に確認させようとしたのですが、時すでに遅く、この人事は実現せぬまま連合艦隊は大東亜戦争へと突入していきます。


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