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誰かにすべてを理解してもらうなんてことは、きっと一生ないことだと思っていた。


好きなもの、嫌いなもの、美しいもの、汚らわしいもの。


何でも良い。共感して欲しくて誰かと分かち合おうとしても、首を傾げられてしまうことなんて、往々にしてある。それが殆どだと言っても良い。もし、相手が理解を示してくれたとしても、溶けあうような共感は、まず有り得ない。


これは、自分の感性が特別だ、と言っているわけではない。どちらかと言うと、平凡だし、同じような感覚を持っている人は、五万といるだろう。きっと私は理解し合えないことに対し、異常なまでに敏感なのだ。理解されないことが、苦痛で仕方ない。弱い人間だ。


だから、自分を理解してくれる人を強く求めた。そして、理解してくれる誰かを隅々まで、理解してあげたかった。もう寂しい思いをしなくて良いのだ、と言ってあげたかった。でも、私が求めるような共感は、誰も手にできないもの。有り得ないものだ。大人に近付くにつれて、それを理解していったつもりだった。


「陽菜さん、今日も一緒に…良いかな?」


フロアの隅で彼に声をかけられるのを待っていた。


「うん。私も…芳次くんのこと、待っていた」


「そっか…。嬉しい」


私たちは自然と笑みを浮かべた。これから、私たちを満たすであろう快楽を、想像したからかもしれない。


「じゃあ、行こう。実は、もう個室を予約してあるんだ」


「本当に?」


頷く彼を愛おしく感じた。

彼は、私が今日も二人で共感をしたい、と期待していることを理解していたからだ。


立ち上がって、一緒に御薬袋さんからドラッグを受け取りに行こうとしたとき「陽菜」と離れたところから呼びかけられた。


声の方に振り向く。フロアは、少し大きめの学習塾の教室くらいの広さで、そこに二十名近くの男女がいる。その中に、孝弘がいた。


「ごめん、孝弘が呼んでるみたいだから…先に行っていて」


と私は芳次くんに言った。彼は笑顔のまま頷く。


「御薬袋さんのところで待っているよ」


「うん」


芳次くんが、フロアを出て行くまで見送っていると、いつの間にか孝弘が真横に立っていた。背の高い孝弘は、近い距離で話すと私を見下ろす形になる。子供の頃は、同じくらいの背だったのに、不思議なものだ。


「……なに?」


「陽菜…」


早く芳次くんのところに行きたいのに、孝弘は引き止めるだけで何も言わない。無言が続けば続くほど、私は苛立った。


「何も言うことないなら、行くけど」


「待ってくれ」


踵を返そうとする私の腕を孝弘は掴んだ。必要以上に強い。芳次くんなら、こんなに強い力で私のことを掴んだりは、絶対にしないだろう。


「痛い、離して」


「すまない」と孝弘は手を離した。


だが、いつまでも用件を話すことはない。睨み付ける私に、孝弘は体が大きいのに、妙にびくびくしながら、躊躇いがちに用件を言葉にした。


「その、今日は俺と個室で…共感を試さないか?」


「……何を言っているの?」


「だから、あいつとばかりじゃなくて…俺と一緒に試してほしい」


「孝弘とは、前に試したじゃない。孝弘に精神感応の適正はない。私たちは、分かり合えないの」


「でも、試したのは…一回だけじゃないか。次はできるかもしれない」


「そうかもしれないけれど…私は必要ない。だって、もう芳次くんがいるもの。今更、別のパートナーを見つける必要なんて、ないから」


「そういうことじゃない」


「どういうこと?」


「…俺は、お前と」


孝弘は何を言うつもりだったのか、視線を落として黙り込んでしまう。


「話すことがないなら、もう良いでしょう」


顔を上げた孝弘だが、やはり言葉は出てこない。私は小さく溜め息を吐いた。


「じゃあ、明日大学でね」


私は今度こそ踵を返し、孝弘の前から去った。フロアを出て、暗い廊下を進む。ここを進めば五つの個室が並ぶ廊下に出るが、その前に、駅のホームにある小さな売店のようなスペースがある。個室で共感を試す人たちに、飲み水やお菓子を売っているのだが、本来の目的はそれではない。


芳次くんは、その前に立っていた。どうやら、御薬袋さんと世間話でもしているらしい。


「あ、陽菜さん」


こちらに気付いた芳次くんに、軽く手を振った。彼の横に立ち、御薬袋さんがいるだろう売店を覗き込んだ。御薬袋さんは、三十代後半と思われる男性で、いつも陽気に笑っている。その性格を表すような金髪を紫色の頭巾で覆り、丸いサングラスをかけているのことが特徴だ。


「お、陽菜ちゃん。今日も芳次と? 二人とも、好きだねぇ」


「やめてくださいよ、そんな言い方」


芳次はやや顔を赤らめながら、慌てたよう御薬袋さんの言葉を遮ろうとした。そんな顔の彼を見て、私もつい顔が熱くなってしまった。


「若いカップルって良いねぇ。羨ましいよ。そんな二人がもっとラブラブになるものがあるけど、買っていくかい?」


「はい。お願いします」と芳次くん。


「この前二人が使ったやつは、二十のやつだ。今回は三十を試してみるかい?」


「……もっと強いやつはありますか?」


「……へぇ」


芳次くんの質問に、御薬袋さんは私たちの関係を茶化すような笑みを見せた。


「じゃあ、三十五にしてみよう。それ以上は、出せない」


「どうして?」


「少しずつ強くして、慣れないとダメだ。急に強いのを入れたら、頭がおかしくなるかもしれない。焦らなくても良い。君たちは、十分に適性があるし、相性も良い。すぐにもっと強いものも使えるようになるから」


「分かりました…。じゃあ、今日は三十五でお願いします。あと水も二つ」


「はいよ」


御薬袋さんは背後に並ぶいくつもの引き出しの一つから、何かを取り出した。


「楽しんでね」


芳次くんはそれを受け取り、逆の手で握られていたお金を御薬袋さんに渡す。御薬袋さんは料金を確認して頷くと、通路の奥を指差した。


「五番の部屋を取ってあるよ。鍵を閉め忘れないようにね」


「ありがとうございます」


芳次くんが奥へ進むので、私は御薬袋さんに頭を下げて、その場を去った。御薬袋さんは陽気な調子で手を振ったが、私はまさか自分の人生の中で、あのような人と関わることになるとは思いもしなかったので、現在がどれだけ特殊な状況なのか、ということを思い出した。


「さぁ、陽菜さん」


しかし、個室に入って芳次くんに声をかけられると、そんなことはどうでもよ良くなった。それより、早く共感を試したくて、たまらなかったのだ。


個室はカラオケボックス程度の大きさで、二人で共感を行うために、ちょうど良いスペースだ。芳次くんは手の中にあった小分けの袋から、二つのカプセルを取り出すと、一つを私に手渡し、水が入ったペットボトルも差し出した。


私たちは、同時にカプセルを口の中に放り込み、水でそれを流し込む。効果が出るまで、少し時間がかかる。私たちは、ソファに腰を下ろし、お互いの手を取った。数秒経つと、薬の効果が現れたのか、視界が歪み始めた。


「あ、きたかも」と私は呟いた。


「僕もだ。行けそう」


「うん」


目を閉じる。普段なら、それで暗闇が訪れるはずなのに、ドラッグの効果で別の景色が見えていた。虹色の風が流れる空間に、私は浮いていた。浮遊感と生暖かい風が心地良い。きっと、天国とはこういう場所なのだろう。


虹色の風に乗るようにして、芳次くんの姿が現れた。一糸まとわぬ姿の彼が、ゆっくりと流れるように、こちらへ近付いてくる。私は彼を受け止めるように、両手を広げた。胸に飛び込む彼を抱き止め、私たちは虹色の空間を流れた。


喜びに満ち溢れて行く。この人が何を望んでいるのか、この人が何に苦しんでいるか、すべてが分かる気がした。自分ですら言葉にできないような、認識していない感情の一つ一つ、すべてを理解できるのだ。


語り合う工程。同じ体験を共にする工程。行き違いを乗り越える工程。それらを飛び越えるようにして、私たちは理解し合った。その喜びを、どのように表現すればいいのだろうか。でも、表現する必要はない。だって、この喜びも快楽も…芳次くんは寸分の差もなく、共感してくれているのだから。溶け合って行く。永遠の快楽。傍にいてくれる喜び。理解し合える喜び。私たちはお互いがあれば、欲しいものなんてない。




突然、私たちの世界が途切れた。そこにあった虹色の空間が、ただの暗闇となる。私は目を見開き、隣にいるはずの芳次くんを見た。しかし、彼はいない。


個室のドアが開いていた。私たちはお互いを求めるばかりに、鍵を閉め忘れていたのだ。まだ、ドラッグが効いていて、頭が朦朧としているが、何とか立ち上がって、個室の外に出た。


部屋を出たすぐそこに、芳次くんはいた。だが、彼は孝弘に胸倉を掴まれ、爪先が浮いていた。私と一緒で意識は朦朧としているはずなのに、あんな乱暴をされたら…。


「何をしているの!」


私は孝弘に怒鳴るが、彼はこちらを睨み付けてきた。孝弘は芳次くんを投げ捨てるように手を離す。芳次くんは床に倒れると、呼吸を乱しながら痙攣を起こしていた。無理矢理に共感状態を引き離したからだ。


「芳次くん!」


私は彼の手を取って、すぐに接続した。意識の海で溺れそうな彼をゆっくりと引き上げる。次第に呼吸が整い始め、痙攣も収まって行った。私は落ち着きを確認してから、孝弘を睨み付ける。


「どういうつもり?」


「俺は…」


何か理由がある。そう信じたくて問いただしたが、孝弘はいつになっても答えてくれなかった。


「最低。もう二度と私たちに関わらないで」


それでも孝弘は何も答えない。そして、肩を落としてから廊下の向こうへと消えて行った。すると、芳次くんが小さく唸った。


「芳次くん、大丈夫?」


「陽菜さん…? 僕は、どうして?」


「大丈夫。もう大丈夫だから」


「共感…気持ち良かった?」


「うん。また今度…一緒にしよう」


「約束してくれる?」


私は頷いた。大丈夫。今回は邪魔が入ってしまったけれど、まだ機会はある。


私たちは御薬袋さんからもらうドラッグに慣れ、精神感応を覚える。そうすれば、いつでも私たちは一緒にいられるはずだ。


だから、もっとドラッグを。私たちに、もっと快楽を…。


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