20
その後、成瀬が駆け付け、如月を引き上げた。新藤も体に力が入らず、成瀬の手を借りたいところだったが、波止場から見下ろす成瀬は言うのだった。
「新藤くん。僕は葵さんのことは助けたいと思うが、君のことはどうでも良い。自分で上がりたまえ」
このまま新藤が波に呑まれても、本当にどうでも良さそうだった。
「はいはい、分かっていますよ」
新藤は何とか自力で波止場に上がると、如月も丁度目を覚ましたところだった。
「葵さん、大丈夫ですか?」
「如月さん、怪我はないですか?」
「はい、何とか。怪我も…ありませんわ。それより、哲也少年は?」
身を起こしながら、如月は倒れた哲也の調子を見る。新藤が見る限り、哲也は貧血のように倒れ込んだ。本当に彼が倒れてくれなかったら、新藤も如月も海に沈んでいただろう。
「命には別状はなさそうです。ただ、急に倒れてしまいました」
「どうやら、ガス欠に陥ったみたいだな」と成瀬は言った。
「ガス欠ですか?」
目を丸くする新藤に如月が説明する。
「異能も使えば使うほど、体力を消耗するのよ。この少年の場合、凄まじい容量があったみたいだけれど、興奮状態で大技を連発していたから、きっと倒れる瞬間まで疲労を感じられなかったのでしょうね」
新藤や子供の前以外だと、如月の口調が変わることはいつものことだが、それが自分に向けられると、何だかくすぐったい気持ちになる。だが、新藤はできるだけ表情を変えずにコメントする。
「容量…異能にはそんなものがあるんですね」
「新藤くんのような地味な異能には無縁だろうが、あるんだよ」
成瀬の皮肉を新藤は無視した。
「僕はてっきり、如月さんが彼の異能を封じたのだとばかり思っていました」
「確かに。しかし、彼の異能は封じられなかったようでしたね。葵さん、何があったんですか?」
二人からの質問に、如月は俯いた。何があったのか、思い返しているのだろうか。
「私は確かに異能封じを展開しました。それは、成瀬さんの異能が解除されたことから、お分かりいただけると思います」
「はい、確かに僕は如月さんを彼の背後に送った後、球体の操作ができなくなりました」
「だけど、彼は異能を使えた。プロテクトがかかっていたのです。こんなこと…普通の異能者にできるわけがない。確実に誰かが…」
如月の神妙な面持ちに、新藤も成瀬も何も言葉が出てこなかった。だが、暫くして成瀬が口を開いた。
「彼を異能犯として処分することはできません。ただ、こちらで保護して色々と事情は聞かせてもらいますよ。彼の背後に何者かがいるとしたら、それは把握しておかなければならない」
「……そうですね。それが良いかもしれません」
如月は、哲也の異能をデリートした。その後、彼の身柄は成瀬が預かることになった。夜が明け始め、日が昇ろうとしている。二人は成瀬と別れ、哲也の母に連絡し、哲也の無事と事件の解決を報告した。
二人は海沿いを車で走る。ただ、海水で服は重たく、日の光が過剰なまでに眩しい。最低の気分だと言えた。だが、目覚めた哲也はもっと最低な気分を味わうことになるだろう。
「哲也くんは…異能を失って、これからちゃんと生きて行けるのでしょうか」
新藤はそんな疑問を口にした。如月は窓の外を眺めながら答える。
「この世界の人間は、殆どが異能なんかに頼ってはいない。それでも生きているし、幸せを掴むも人間だって多い」
「それはそうですけど…。でも、彼は異能を使えるようになって、やっと自分を手に入れたようでした。それが目覚めたらなくなっている。もしかしたら、とんでもないショックを受けるんじゃないですかね」
「それはそうだろう。でも、彼が持った力はこの世界にとって、あまりに常軌を逸するものだ。このままだったら、いつかは排除されるべき存在になってしまう。ある意味、私たちに異能を消されたのは、幸福だったと言えるかもしれないね」
それは確かなことかもしれない、と新藤は思った。自信を失ってしまった彼は、これからも生きて行くのだ。この悪性ばかりの世界で。そんな憂慮に答えるように如月が言う。
「色々あるだろうけどね、何とか生きて行くさ。大人になれば、他人のことなんて少しずつ気にならなくなるからね」
「そういうものですか?」
「生活に忙しくて色々と考えられなくなったり、好きな女の子のことで頭がいっぱいになったり、嫌なことばかり考えていられなかいからね」
そうかもしれない、と新藤は考える。
数年前、如月に出会う直前くらいのこと。新藤は自分の手が届くものであれば、何であろうと助けようと決めていた。そうでなければ、自分に価値なんてものはない、と信じ込んでいたのだ。しかし、助けられないことの方が多かった。そのせいか、自分を否定することが多くなり、攻撃的な面を孕む結果となった。
如月に出会ってからは、それが和らいだと思う。如月の役に立ちたいという気持ちで、精一杯だからかもしれない。困っている人がいるなら、助けたいと思うが、飽くまで如月の役に立つことが優先なのだ。哲也もそんな風に、他人の悪性が目に入らないほど、優先できるものができれば良いのだが…。
「見付かるよ、きっと」
新藤の考えることなどお見通しなのか、如月はそう言って微笑んだ。
「生きていれば、きっとね」




